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夢の中で私は宇宙にいた。どこまでも広がる果てしない空間の中で、たった一人きり、遠くでぽつぽつと光る恒星の輝きだけを頼りに暗い海をただよっていた。
怖いほどに静かだった。この広大な暗闇の中では、ちっぽけな自分の存在なんてすぐにのみこまれてしまいそうだ。
ふと振り返ると、背後には青い星が浮かんでいた。ここからでは太陽の光が当たる部分しか見ることのできない、私の住んでいる星――地球だった。
宇宙の夢を見るようになったのは、高校生になって数ヶ月ほどたってからのことだった。
「あの子、暗いよね」
陰でそう言われていることを知っていた。
ツタのように絡まり合うクラスの組織図の中で、私は常に孤立していた。点と点が線で無数に繋がっていく中、一人だけ点のままぽつんと取り残されてしまったあまりもの。それが私だ。
学校で唯一安らげる場所は図書室だった。テスト前だけはここも異様に混んでいるけれど、それ以外は実に閑散としたものだった。
特に読みたい本があるわけでもない私は、いつも適当に選んだ本を昼休みの暇つぶしに読んでいた。
そして、ある日たまたま新刊コーナーの棚に陳列されていた「マンガでわかる宇宙の謎」という本を手に取った。イラストや写真がたくさん盛り込まれていてわかりやすく、科学全般が得意でない私でも比較的とっつきやすい内容だった。
別段宇宙にそれほど興味はなかったけれど、宇宙の端はどうなっているのか? などとりとめのないことを考えて、一人で空想にふけるのは好きだった。
それに、宇宙に思いを馳せているときは、人間が――はたまた地球がいかにちっぽけな存在であるかを痛感せずにはいられない。
自分が生まれた意味だとか、何のために生きているのかとか、今自分が抱えている悩みでさえ、この宇宙の中ではまったく取るに足らないことで、考えるだけ無駄だと思えてくるような気がした。
たとえそれが現実逃避だったとしても、そんな風に宇宙の空想に浸っているときだけは、不思議と心の安寧を保つことができた。
そんな日々を送っていたときに、初めて宇宙空間でさまよう夢を見た。それからは、夜眠るたびに何度も同じように宇宙の夢を見るようになった。
初めは、夢とはいえ終わりの見えない混沌とした不気味な空間に、たった一人でいることが怖くてたまらなかった。
でも、毎晩宇宙空間とベッドの中を行ったり来たりしているうちにすっかり慣れてしまい、今では眠りに落ちて、ふと気が付くと宇宙にいるという状況であれば、すぐに「これは夢だ」と自覚できるようになった。
そうなればしめたもので、私は行きたかったいろいろな星を、夢の中で自由に探検して回った。
私が最初に訪れた星は月だった。宇宙の夢は、いつも地球を目の前にした地点から始まる。そこからしばらくこの空間を進んでいくと、たまたま月を発見した。
地球から見ると、月はいつも同じ顔をしている。これは、月の自転周期と公転周期が同じで、月が常に地球に同じ側を向けているからだ。私たちがいつも見ている月はいわゆる表側で、決して地球からは裏側を見ることはできない。
でも夢の中では、私は月の周りを自由に飛び回り、クレーターで傷だらけになっている裏側を、ばっちり見ることができた。たとえそれが夢だとわかっていても、初めて体感するその臨場感と迫力にとても感動したのを覚えている。
月は地球から一番近いところにある星だから、私はすぐに月にたどりつけたのだろうかと一瞬思ったけれど、即座にその考えは否定した。考えてもまったく詮無いことだった。
何しろこれは夢で、実際の距離や星の位置関係などすべてがでたらめなのだ。そもそも、宇宙空間に生身で漂っていられるという時点で、細かいことを考えても仕方なかった。
それでも、夢とはいえ何でもできるというわけではない。夢の中だからこそ、知らない星に行くことはできなかった。たどりつけるのは、いつも必ずどこかで見たことのある星ばかり。夢は自分の記憶にもとづいて展開されるものだから、当然といえば当然だった。
そのかわり、行きたいと思う星の姿やその性質をある程度知っていれば、たとえそれがどんなに遠くにあるとされている星でも、難なく目指すことができた。
現実で宇宙の知識が増えるほど、私の中に存在する宇宙像もよりリアルなものに近づいていった。――実際に本物の宇宙を見たことはないのだけれど。
すっかり宇宙の虜になってしまった私は、学校の図書室にある宇宙関連の本を片っぱしから読みあさった。難しいこともたくさん書いてあったけれど、わからないことを少しずつ勉強していくのもまた楽しかった。
そして夜になり、私はまた宇宙の夢を見た。今では寝る時間が一日の中で一番の楽しみとなっていた。
今日はどこに行こう。行きたい場所はたくさんある。心が弾み、その場で大きく弧を描いて一回転をしてみる。制服のスカートがひらりとひるがえった。この夢を見ているとき、私はなぜかいつも学校の制服を着ていた。
そんな風に浮かれていたときのことだ。ふと目の前に、この宇宙空間にまったく似つかわしくないものを発見した。
人だ。人がいる。
今までここで誰かに遭遇したことは一度もなかった。いつもこの場所には私一人しかいなかったのだ。驚いて思わずどこかに隠れようとしたけれど、ここでは自分の身を隠せるようなものは何一つなかった。
私が何もできずにおろおろしていると、その人物がこちらに近づいてくるのが見えた。私は全身をこわばらせた。
「星野?」
名前を呼ばれて、私はとっさに背を向けて逃げようとした。けれども、現実でも鈍くさい私は夢でもやはり機敏に動けずに、腕を掴まれてあっさりとその人物に捕獲されてしまった。
「待てよ。何で逃げるんだ?」
聞き覚えのある声だった。振り返ると見なれた黒い制服が私の目に飛び込んでくる。
彼は同じクラスの長谷川君だった。
「やっぱり、星野だ」
長谷川君はほっと胸をなでおろすようにして言った。
「良かった、誰かに会うことができて。気が付いたらこんなところに一人でいて、怖くてたまらなかったんだ」
長谷川君はさらに私の腕をぎゅっと掴んできたので、私はそれに驚いて思わず彼の手を振り払っていた。
そして、一目散に地球に逃げ帰った。心臓がものすごい勢いで飛び跳ねていた。
朝起きて頭が冴えてくると、昨夜の夢のことを冷静に振り返ることができた。
夢の中に長谷川君が出てきたことの意味はよくわからない。でも、よく考えればあれは夢の中の出来事なのだから、動揺する必要などまったくなかったのだ。
夢で私はいつも一人だったけれど、それはたまたま今までがそうだったというだけで、夢に自分以外の誰かが出てきても、別段おかしなことなんて何もない。むしろ、今まで誰も出てこなかったことのほうがある意味不思議だったのかもしれない。
(どうせあれは夢だ)
だから、長谷川君をあの場に置いて逃げたことを気に病む必要なんて、少しもないはずだった。
それでも私がなんとなく罪悪感にさいなまれているのは、きっとあのとき腕を掴んできた長谷川君が、本当にほっとした顔を見せたのもあったし、何より彼に掴まれた腕の感触が、今でもはっきりと残っているからでもあった。五感が明瞭なのが、私の夢の特徴だった。
(ごめんなさい)
学校に着いてから教室で顔を合わせた長谷川君に、私は心の中でひそかにつぶやいた。もちろん、昨夜のことで彼が抗議をしてくるなんてことも、当然ながらあるわけがなかった。
再び夜になり、私は宇宙にダイブする。今日は天王星に行くつもりだった。
天王星の直径はおよそ地球の四倍ほどもあり、太陽系では木星、土星に次いで三番目に大きな惑星だ。主にガスと多様な氷でできている。
表面は写真では青緑色に見えるものが多いけれど、それは上層大気に含まれるメタンによって赤色光が吸収されるからで、公転に伴ってその色は微妙に変化するのだそうだ。
他のガス惑星と比べると雲がほとんど見られず、傷一つないつるりとした非常に美しい外観を持っている。その神秘的な存在感が私は何とも言えず好きだった。
また、天王星は太陽から遠く離れているので、公転周期は約八四年ととてつもなく長く、極地域では四二年間昼が続き、四二年間夜が続くという不思議な惑星なのだ。
天王星を目指す道中でのこと。私はそこで、また長谷川君を見つけてしまった。
どうやら私はよほど彼に執心しているらしい。
「あ、星野」
向こうも私を見つけてゆっくりと近付いてくる。長谷川君は昨日と違って少しも取り乱している様子はなく、むしろ私よりもよほど落ち着いて見えた。
彼に対する罪悪感がまだ残っていた私は、彼を前にしても、もう逃げるということはしなかった。でも、へっぴり腰なのは変わらない。
(落ち着け、これは夢だ。ただの夢なんだから)
たった一言「こんばんは」と言うことさえもまごついていると、長谷川君のほうからすんなり話しかけてきてくれた。
「ここはすごいな。まるで本物の宇宙にいるみたいだ。しかも宇宙服がなくても息ができる。星野はいつもここに来てるの?」
「う、うん……」
「へえ、面白い!」
長谷川君は目をきらきらと輝かせた。
「なあ、どうしてこんなことができるんだと思う?」
「さ、さあ。夢だから……じゃない?」
「夢?」
「そう。これは私の夢の中だから」
そう答えると、長谷川君はきょとんとした。
「これは星野の夢なのか?」
「う、うん。私の夢……だと思う」
あらためて問われると自信がなくなる。けれども、これは紛れもなく夢の中の出来事だ。
本当の私は今ベッドの中で眠っている。だからいつも、この夢がどんなに楽しくても、朝七時には目覚まし時計の音が鳴って強制終了されるのだ。
「そうか、これは夢か」
長谷川君は妙に納得したように、しきりに頷いていた。
「じゃあ、覚めないうちに存分に楽しまないと。なあ、どこか他の惑星に行ったりすることもできる?」
「う、うん。できるけど……」
「マジで、やった! 俺、一度でいいから木星に行ってみたいと思ってたんだ。太陽系で一番でっかい惑星!」
木星なら私も何度も行ったことがあったので、迷わずに行けそうだと思った。それに、木星は私も気に入っている星の一つなので、何度行っても楽しいのだ。
ここで誰かと一緒に行動する日がくるなんて思ってもみなかった私は、当初目指す予定だった天王星のことなどもはやすっかり忘れて舞い上がってしまい、すぐにも長谷川君を木星へと案内した。
まるでコーヒーにミルクをたらしたような、茶色と白のマーブル縞模様の巨大なガス惑星――木星を目の前にして大歓喜した長谷川君は、ぜひ大赤斑の模様をもっと近くで見てみたいと言い出した。大赤斑とは、木星の赤道から少し南下した表面に確認できる、楕円形の大渦のことだ。
長谷川君のその申し出に私が、「あの渦には地球が二個すっぽり入るくらいの巨大な台風が吹き荒れているから、近付くのはやめておいた方がいいよ」と話すと、彼はとても驚いてますます感激していた。




