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私的哲学

挨拶とはなんなのか

作者: 羅志

今回は、わたし以外の人の考える、挨拶についても組み込んでいます。

理由は、その人の考えが、今回考えるきっかけとなったからです。


「挨拶ができるようになったね」


そう、いわれたことがある。

事実、わたしは口下手なところがあり、人見知りも弱冠ながらに存在している。

その為か、言おうとした言葉が言葉にならないことが多い。


挨拶もまた、その一つだ。

「おはようございます」、という一言が言えなかった。

言えたとしても、口の中でモゴモゴとするだけで。

相手には断じて聞こえないものだった。

その為か、わたしは挨拶の出来ない子、だった。


そこで、ふと考える。

挨拶とは、何のためにあるのだろう、と。


ある人は、わたしに言った。

「挨拶は、相手に自分が敵ではないことを伝える為に言うのだ」、と。


そういわれ、思い出すのは義務教育時代や高校時代に、徹底されていた挨拶の練習。

大きな声ではっきりと言えなかった場合は、すぐにやり直しにされたこと。

それは、挨拶で相手に敵ではないと伝えるためだったのなら、と考える。

そう考えると、あれだけ徹底されていた理由が分かった気がした。


が、社会人となり、まわりが自分以上の大人に囲まれた時。

わたしは、今まで徹底されていたことが、リセットされていた。

出来ていた挨拶が、出来なくなっていた。

本番で出来なければ、できたことにはならないというが、まさにそのとおりだった。

それを元通りとは言えなくとも、「挨拶ができる」と判断されるまで、どれだけかかっただろうか……?




話を戻す。

あくまでも、上記は、わたしが「挨拶とはなんなのか」をかんがえるきっかけであり、わたしの考えではない。

わたしの考えを、整理してみることにする。



挨拶とは、何のためにあるのだろう。

挨拶とは、会話の基本で、会話の始まりの言葉だ。

初対面であっても、「はじめまして」という挨拶ではじまる。

そして、「さようなら」などの言葉でおわる。


「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「はじめまして」

それらは全て、会話の始まりを告げる言葉だ。

それらを、人は挨拶として使用する。

一年のはじまりもまた、「あけましておめでとう」という決まり文句を使う。

それもまた、挨拶だ。



ゆえに、わたしは考える。

挨拶とは、はじまりを告げる言葉なのだと。


それが、わたしのおもう、挨拶とはなんなのか、だ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 挨拶とは、人と人とを繋ぐコミュニティーなのだと私は思います。 事実、この世界には言語を話すことすら出来ない人達がたくさんいます。その人達に会釈する。相手がそれに応じ、笑顔を見せる。これも一…
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