喫茶店フォーグラーの一日
喫茶店のことは何にもわからないので、変なところがあるかもしれません。
ここは喫茶店フォーグラー。坂をすこし登ったところにあります。
店ではおそらく二十代後半ほどであろう、黒い髪をしたマスターのアルベルトと、サラサラとした金髪にパッチリとした蒼い眼をした、しっかり者の小さなお手伝いのフェルナンが働いています。
喫茶店フォーグラーには今日もいろんなお客様が来ます。
もうすぐお昼ごろになろうという時です。
――カランカランッ――
「え~ん、え~ん。ママー、どこー?」
扉についた鐘が鳴り、幼い女の子が一人で入って来ました。どうやら泣いているようです。
「どうかしたの? こっちにお座り」
「うん…………」
入り口で立ち尽くして泣く女の子に、フェルナンが話しかけカウンターに座らせるよう促します。
「名前は?」
女の子が座るとフェルナンはやさしく質問します。
「……ユージェニー……」
「何かあったの?」
「あのね……、今日はママと遊びに来たけど……、いなくなっちゃったの……」
そう言うとユージェニーはまた泣いてしまいました。
「あーん、どうしましょマスター」
困り果てたフェルナンが助けを求めるような顔でアルベルトの方を見ると、ユージェニーの前にカップが置かれました。
「これは…………?」
「カフェオレです」
アルベルトがそう言い、ユージェニーはカップを見つめます。カップからはほのかに湯気がたっていて甘い香りがただよいます。
「お代はけっこうですので、どうぞ」
「お金いらない?」
アルベルトの言葉に、ほんのちょっとわからないところがあったユージェニーは、おそるおそる聞きます。
「はい」
アルベルトがにっこりと笑いかけますと、ユージェニーはカップにそっと口をつけて、カフェオレを飲み、ほっと息をつきました。すると…………
「ユージェニー!!!」
「ママ!!!」
一人の女性が店に入って来て、ユージェニーを抱きしめました。ユージェニーのお母さんのようです。
「どうもすみませんでした。さぁユージェニー行くわよ、お礼を言って」
「うん、ありがとう! お兄ちゃん達!」
ユージェニーはお母さんに促され、アルベルトとフェルナンにお礼を言いました。
「またのご来店をお待ちしております」
ユージェニー達は店を後にしました。
お昼のすこし過ぎたころです。
――カランカランッ――
若い男性がひとり店に入って来ました。
「ハァ……………」
男性はカウンターの席に座ると深いため息をしました。
「どうかしたのですか?」
それを見かねたアルベルトが男性にたずねます。
「……実はボク……今日、結婚式があるんですよ……。あ、アイスコーヒーくださいな」
「かしこまりました。しかし、結婚式があるとなればうれしいことでしょう」
アルベルトは男性の話に耳を傾けながら、作業を開始しました。
「それが指輪を無くしてしまったんだーー!! いくら捜しても見つからないし、もうどうしよーー」
男性はこの世の終わりのような声を発して、カウンターに勢いよく突っ伏しました。
「アイスコーヒーです。どうぞ」
意気消沈する男性の目の前にアイスコーヒーが置かれます。
「ハァ………………」
男性はアイスコーヒーに手を伸ばし、一気に飲み干すと、ほっと息をつきました。
「じゃあ、もう一回捜しに行くか……」
男性はもう一度大きなため息をしますとレジに向かいました。
「360円になりまーす」
お会計はフェルナンの役目です。
男性はお金を払うためにお財布を開けます。すると…………
「あったーーーー!! 指輪があったよーーーー!!」
指輪はお財布の中に入っていたのです。
お財布から指輪を見つけた男性は、早々にお会計を済まして店を後にしました。
「またのご来店をお待ちしております」
あと一時間もすれば閉店という時間です。お店には今ひとりもお客様がいません。
「あーぁ、退屈ですね、マスター」
フェルナンがふとそんなことを言っていると
――カランカラン――
ドアについた鐘が来客を知らせ、二人は音のした方に目を向けますと、ひとりのおじいさんがお店に入って来ました。
「こんにちは。マスター」
おじいさんは頭にかぶっていた帽子を取って挨拶をしました。アルベルトも挨拶に答えます。
「これはエマニエルさん、こんにちは」
その人はエマニエルおじいさんといいまして、このお店に毎日来ている常連客です。
いつもと同じカウンターの隅に座るエマニエルおじいさんに、アルベルトはにっこりと笑いかけます。
「いつもの、でよろしいでしょうか」
「あぁ、頼むよ」
アルベルトは作業を始めるとエマニエルおじいさんと話をします。
「何日も顔を見なかったので、心配していました。今日は奥様のファルメールさんは来られないのですか?」
「そうじゃ……、このあいだ死んでしもうたんじゃ……」
エマニエルおじいさんは小さく笑いましたが、おじいさんの眼は悲しみでいっぱいです。
「そうでしたか………………」
アルベルトはすこし申しわけなさそうな表情をしました。
「ファルメールにはいつも迷惑ばかりかけてきた。果たして、ファルメールは幸せだったのか……、それだけが気がかりなんじゃ…………」
エマニエルおじいさんはそう言ってうつむくと黙ってしまいました。
なんだか体がとてもちっちゃく見えて、今にも死んでしまいそうです。
「どうぞ」
ひとつのカップがエマニエルおじいさんの前に置かれました。おじいさんがいつも注文しているカプチーノです。
「あぁ……、ありがとう」
エマニエルおじいさんはカップを手に取ると一口飲み、ほっと息をつきました。
すると、様々なイメージがエマニエルおじいさんの頭に浮かびます。それらはみんな、ある女の人のものでした。
「これは…………、ファルメール……」
エマニエルおじいさんがイメージを見ると、ファルメールさんはみんな笑っていました。
もちろん中にはそうでないのもありますが、それでも断然、笑顔の方が多いです。
そして、最期の時も…………。
「…………今日はもう帰るよ」
「そうですか」
エマニエルおじいさんは立ち上がり、会計をすませ、ドアの前に立ちます。
それからアルベルト達の方へ振り向きますと
「やっぱり、ここはいい店だ。明日も、来るよ」
にっこり笑って、そう言いました。
「はい、またのご来店をお待ちしております」
――カランカラン――
エマニエルおじいさんは店を後にしました。
もう閉店の時間です。
「フェルナン」
「はい?」
テーブルを拭いているフェルナンに、アルベルトが呼びかけます。
「こっちに来て、一緒にコーヒーを飲みませんか?」
「はいッ!」
フェルナンはカウンターに駆け寄ると、カウンター席に座ってアルベルトとコーヒーを飲みます。
ここは喫茶店フォーグラー。坂をすこし登ったところにあります。
今日もいろんなお客様が来ました。
明日もいろんなお客様が来るでしょう。
誤字脱字やその他ダメなところがあれば教えてくださると幸いです。