スーツケース
重い。夏帆はスーツケースを抱えながら立ち往生してしまった。
全く動かない。地面の溝にはまってしまっている。どうしよう、泣きたくなってきた。
「貸してみ?」
突然後ろから声がした。
チンピラのようなシャツを着た男の子は、夏帆のスーツケースを掴むと、ひょいと軽々と持ち上げた。
羨ましい、男の子になりたかった。
「ありがとう」
深々と頭を下げて礼を言った。
「気にするな」
男の子は手を振って言った。
よく見ると自分と変わらない位の年齢だ。16、7だろうか?
「旅行か?」男の子はスーツケースを見て言う。
夏帆は首を振る。
「どっかにこのスーツケース捨てられるところないかな?」
「捨てる?」男の子は眉をひそめた。
「中、なに入ってるんだ?死体じゃないだろうな」
「そんなわけないでしょ」
「こっち来いよ」男の子は細道の奥に入っていく。
真昼間からお酒を飲み、床にうずくまっている人がいる。
そこら中にゴミが散らばっている。
「汚いところだね」
男の子に話しかけた。
「汚い。でも、まあ、自分の生まれ故郷だから、なんだかんだ言って落ち着くよ」
「…」
「ありがとう。私のために、わざわざ」
話を変えるために夏帆は礼を言った。
「いい男だろう?」少年は親指で自分を指差して言った。
「確かに。でも、そのチンピラみたいなシャツじゃなければ、もっといいと思う」
「このシャツは母親の形見なんだ」
「…」
「そのスーツケースの中、何が入ってるんだ?」
「内緒」
「どうせBL本とかだろう? 今、動揺したよな」
「してないよ。勝手に盛り上がらないで」
目の前に川が見えてくる。
ありとあらゆるものが捨てられている。汚い川だ。
「本当に捨てていいんだな?」
うなずく。
重い。
「代わるよ」
少年は両手でスーツケースを持ち上げると、勢いよく川に放り込んだ。
これですべてが終わった。
「ありがとう」
礼を言った。
「気にすんな」男の子が言った。
お互いに無言で見つめ合う。
それじゃあ、そう言って夏帆は男の子と別れた。
あの時、お礼に食事にでも誘うべきだったろうか。そして、連絡先でも交換するべきだっただろうか?
まあいいや。あの辺りに行けば、またいつか会えるだろう。
しかし、何度足を運んでも、あの男の子に出会うことはなかった。
男の子もスーツケースのことも、全部、夢か幻だったんじゃないかと思えてくる。
今も気がつけば街中であのシャツの男の子がいないか探してしまっている。




