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転生幼女の白百合商会~前世の冷徹な経営知識と魔法の清浄粉で、最底辺のスラムから王都の経済を支配します~  作者: 紅茶
第一章 スラム編

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⑦誤算

父アーサーが、長年その身を削ってきた紡績工場に辞表を叩きつけた。


それは、彼が過酷な労働から解放されたことを意味するのではない。自らの退路を完全に断ち、私たち家族の命運を背負う「白百合商会」の経営者として、巨大な権力を持つ商人ギルドとの泥沼の戦いの矢面に立つという、重く、そして強靭な覚悟の証明であった。


翌日の早朝から、私たちの反撃作戦は直ちに実行に移された。


第一の矢は、ギルドの圧力を完全に無力化する「独自のサプライチェーン」の構築である。

当時の王都ルンデニウムの通りには、行き交う馬車の邪魔にならないよう交差点の泥を掃く仕事や、路上でマッチを売って僅かな日銭を稼ごうとする貧しいストリートチルドレンたちが溢れていた。


彼らはたった一ペニーのパン代のために、毎日過酷で危険な通りを這いずり回っているのだ。


父は、そんな孤児や貧困層の子供たちを路地裏に集め、彼らの前に輝く銀貨を並べてみせた。


「今日から、君たちを私の商会の専属として雇いたい。私の指示通りに動いてくれれば、今までの倍の給料を、毎日必ず前払いで渡す」


最初は大人を警戒し、遠巻きに見ていた子供たちだったが、父が本当に銀貨を持たせ、しかも決して暴力を振るわないと分かると、彼らの目の色は一変した。


圧倒的な飢えと貧困を知る者にとって、「確実な報酬」ほど強力な忠誠の鎖はない。


私は、集まった数十人の子供たちを前世の組織論に基づいていくつかの班に分割し、父を通じて指示を出した。


「第一班は、郊外の丘へ走って自生しているハーブを摘んできて。第二班は、スラムの長屋を回って、各家庭の暖炉から灰を直接買い取ってくるのよ」


ギルドが王都の問屋をすべて封鎖しようが関係ない。大人の目をかいくぐり、都市の血管を流れるように動くストリートの子供たちを使えば、中間搾取のない完璧な直接仕入れルートが完成するのだ。


彼らの足の速さと路地裏の抜け道に関する知識は、どんな大人の商人よりも優秀だった。


そして、間髪入れずに放った第二の矢が「新聞広告による情報戦」である。


この時代、活字産業は空前のブームを迎えていた。識字能力と自由に使えるお金を持った都市の中産階級の拡大により、新聞の流通量は爆発的に増加していたのである。


新聞に広告を載せることは、単なる宣伝にとどまらず、その商品が信頼に足るブランドであることを社会的に証明する最強の武器だった。


私は、手元にあった初期資本の銀貨を惜しみなくつぎ込み、高級紙の最も目立つ広告欄を数日間にわたって買い取った。


『貴婦人の皆様、ご用心を。最近、当製品を騙る粗悪な偽物が出回っております。大切なドレスや室内装飾を傷めないためにも、必ず「白百合」の焼き印がある本物をお求めください。弊社の専属配達員が、皆様のお屋敷まで直接お届けにあがります』


顧客の不安を煽りつつ、ブランドの価値を決定的に高める、前世の古典的なダイレクト・マーケティング手法だ。


さらに私は、配達係に任命した子供たちの顔と手を綺麗に洗わせ、お揃いの清潔なケープを着せた。富裕層のタウンハウスには「エリア」と呼ばれる、道路から一段下がった半地下の使用人専用の出入り口が存在する。


清潔な制服を着た子供たちをそのエリアへ向かわせ、メイドたちに直接、本物の清浄粉を手渡しで届けさせたのだ。


結果は、私の計算をさらに上回る大成功を収めた。


新聞広告によってブランドの価値を刷り込まれたメイドや貴婦人たちは本物を強く求め、独自の配達ネットワークを持つ私たちから直接商品を買うようになった。


商人ギルドがどれだけ市場の問屋に圧力をかけようが、彼らが私たちの商品を物理的に差し止めることは不可能になった。


もしギルドのならず者が、商品を運ぶ子供たちを通りで襲って配達を妨害すればどうなるか。


それは、顧客である上位貴族や富裕層の生活を直接脅かすことになり、権力者たちの激しい怒りをダイレクトに買うことを意味する。いくらギルドが強大でも、貴族を敵に回して生き残れるほどこの世界の階級社会は甘くない。


彼らは手出しができなくなるはずだ。


私は、手元の紙に書き込まれた莫大な売上予測の数字を見つめ、薄暗い部屋の中で冷ややかに微笑んだ。


(現代の物流戦略とマーケティング理論の前に、古い既得権益など赤子も同然よ。……これで完全に、私たちの勝ちだわ)


数日後、私は父に提案し、これまでに稼いだ利益の全額と、少しばかりの借金をして得た資金のすべてを、材料の大量買い付けに投資した。


需要は爆発的に伸びている。


この機を逃さず、一気に市場を制圧し、商人ギルドが手を出せないほどの圧倒的な資本の壁を築き上げるためだ。


部屋の隅には、子供たちが郊外から運び込んだ大量のフラー土とハーブが天井まで積み上げられ、私たちは眠る間も惜しんで白百合の粉を製造し続けた。


だが。


私が前世のビジネスの常識を絶対視し、己の頭脳に酔いしれていたその傲慢さこそが、私たち家族を底なしの泥沼へと引きずり込む最大の致命傷であった。


作戦開始から一週間が過ぎた、ある凍えるような雨の日の昼下がり。


新聞社へ次の広告掲載の契約に行っていた父が、顔面を蒼白にしてアパートに駆け込んで来た。彼の息は荒く、肩は激しく上下していた。


「お父さん、どうしたの?」


私が尋ねるよりも早く、父は絶望に染まった声で叫んだ。


「クロエ……駄目だ。新聞社が、うちの広告の掲載を一方的に打ち切ってきた。広告費を倍払うと言っても、編集長は首を縦に振らなかった」


「打ち切った? なぜよ。新聞社にとって私たちは上客のはずでしょう?」


私は眉をひそめた。だが、次に父の口から出た言葉は、私の計算式を根本から破壊するものだった。


「商人ギルドの圧力がかかったんだ。彼らは王都のすべての新聞社に対し、『白百合商会の広告を載せるなら、今後一切、ギルドに所属するすべての企業と商店の広告を引き揚げる』と脅しをかけたらしい」


私の背筋を、冷たい汗が流れ落ちた。


新聞の収益の半分は広告費で成り立っている。


巨大なギルド全体からの広告収入と、ぽっと出の平民の商会の一つの広告。


新聞社がどちらを選ぶかなど、火を見るより明らかだった。


だが、これはまだ、崩壊の序曲に過ぎなかった。


扉が乱暴に叩かれ、配達に出していたストリートの少年の一人が、泥と血にまみれた姿で部屋に転がり込んできた。


彼は息も絶え絶えに、床に突っ伏して泣き叫んだ。


「旦那様……っ、ごめんなさい……! 商品を、全部奪われちまった……!」


「奪われた!? ギルドのならず者に襲われたのか!」


父が慌てて少年を抱き起こすが、少年は首を横に激しく振った。


「違うんだ……警吏けいりだよ! 王都の治安維持局の警吏たちが、いきなり俺たちの前に立ち塞がって……『無許可の行商と、不審物の密輸』の容疑で、仲間を次々と捕まえたんだ!」


「警察が……?」


母メアリーが信じられないというように口元を覆った。


「俺たちはただの配達だって言ったのに、警吏は聞く耳を持たなかった。商品は全部『盗品』として没収されて、抵抗した奴は警棒で殴られて、そのまま馬車に放り込まれた……っ。俺だけ、なんとか下水道に逃げ込んで、戻ってきたんだ……」


少年は恐怖に歯の根を鳴らしながら、激しく震えていた。


私はその場に立ち尽くし、全身の血液が凍りつくような感覚に襲われた。


ギルドの連中は、自ら手を汚して私たちを襲うような愚かな真似はしなかった。


彼らは、その強大な資本力と政治的なコネクションを使って、新聞社を黙らせ、さらには王都の警察組織を裏で買収したのだ。


この時代、警察機構はまだ近代的な公正さを持っておらず、有力な商人や貴族からの賄賂によっていかようにも動く腐敗した組織だった。


スラムの孤児たちが無許可で行商をしていると通報し、ワイロを握らせれば、警吏たちは喜んで子供たちを狩り立てる。


富裕層の顧客が怒る?


そんなことは関係ない。


商品が手元に届かなければ、メイドたちは諦めて元の洗濯代行や粗悪な石鹸に戻るだけだ。


「……お父さん、待って。まさか……」


私の声は、ひどく掠れていた。


「今日、配達に出した商品の量は……」


父は力なく首を垂れ、絶望的な声で呟いた。


「ああ。昨日、全資金を投じて作った在庫の、すべてだ。……残っているのは、この部屋にある少しの材料だけだ」


頭の芯が真っ白になった。


全資金を投じた在庫が、警察という「公権力」の名の下に合法的に没収された。


それはつまり、私たちの手元にはもう一ペニーの現金も残されておらず、再び商売を立ち上げるための初期資本すら、完全に消滅したことを意味していた。


「そんな……嘘でしょう……」


私はふらつく足で後ずさり、冷たいレンガの壁に背中を打ち付けた。


前世で冷徹な企業買収を繰り返し、数々の敵を市場から追放してきた私の完璧なビジネスモデルが、この世界の古臭い既得権益の前に、いとも容易く、文字通り赤子を捻り潰すようにして粉砕されたのだ。


現代の知識があれば、マーケティングの理論があれば、どんな壁でも越えられると信じ切っていた。


だが、ここは現代ではない。


法が弱者を守り、公正な競争が保証された自由市場など存在しない。


富と権力を持つ者が、警察も、メディアも、法律すらも自分たちの都合の良いように書き換え、平民の努力を合法的に略奪する、残酷極まりない階級社会なのだ。


(私のせいだ……。私が、利益の最大化を焦って、全資金を在庫に投資するよう指示したから……)


私が自分の知能を過信し、この世界の理不尽な暴力を甘く見積もったせいで、両親の血の滲むような努力の結晶はすべて奪われ、雇った子供たちは理不尽に投獄され、私たちは再び明日のパンすら買えないどん底の貧困へと突き落とされた。


「お父さん……お母さん……」


私は床に崩れ落ち、泥にまみれた小さな両手で顔を覆った。


涙が後から後から溢れ出し、止まらなかった。自分のあまりの愚かさと、思い上がりが許せなかった。彼らを幸せにすると誓ったのに、私が彼らを再び地獄へと引きずり込んでしまったのだ。


「ごめんなさい……っ、ごめんなさい……。私のせいで、全部……っ」


私が嗚咽を漏らしながら謝罪を繰り返していると、不意に、温かく力強い腕が私を包み込んだ。


顔を上げると、そこには絶望のどん底にいるはずの父アーサーが、私をしっかりと抱きしめていた。その横では、母メアリーが私の背中を優しく撫でている。


「何を謝る必要があるんだ、クロエ」


父の声は、工場で怯えていた頃のそれとは全く違っていた。すべてを失いながらも、その目には決して折れない強靭な光が宿っていた。


「お前の立てた作戦は完璧だった。ただ、相手が予想以上に汚かっただけだ。……命があるだけ、儲けものじゃないか。家も、家族も、こうして無事だ。お金なんて、また一から稼げばいい」


「でも……全財産が……っ」


「気に病むことはないわ、クロエ」


母が私の涙を指先で優しく拭う。


「私たちは元々、泥水をすすって生きてきたスラムの住人よ。失うものなんて何もない底辺から、ここまで上がってこられたんだもの。もう一度、三人で力を合わせれば、何度だってやり直せるわ」


彼らは、私を責めるどころか、すべてを失った私の心を、その無償の愛情で強く、強く抱きしめてくれた。


前世の私なら、事業に失敗し、すべての資本を失った時点で、共同経営者を見捨てて一人で逃亡を図っていただろう。


だが、この両親は違う。彼らは「利益」で繋がっているのではなく、「命」で繋がっているのだ。


私は、両親の温かい体温に包まれながら、自分の胸の奥底で、先ほどまでの絶望とは全く異なる、どす黒く、しかし圧倒的な熱量を持ったマグマが煮え滾っていくのを感じていた。


(……許さない)


新聞社を脅し、警察を買収し、子供たちを不当に弾圧し、私の愛する家族の希望を容赦なく踏み躙ったあのギルドの連中を。


この腐敗した社会構造のすべてを。


私は濡れた顔を上げ、父と母の目を真っ直ぐに見つめた。


私の瞳には、もう後悔の涙はなかった。


そこにあるのは、冷徹な資本家としての理性すらも焼き尽くす、絶対的な復讐の意志だった。


「お父さん、お母さん。……私、絶対に諦めない」


私は、静かに、しかし地獄の底から響くような声で宣言した。


「綺麗な商売ビジネスで勝てないなら、やり方を変える。連中が権力と金で私たちを潰すなら、私たちは連中のその権力と金を、根底から腐らせて自滅させてやる」


それはもはや、単なる商品開発やマーケティングの領域を超えた、血を流さない戦争の始まりだった。


私の頭脳の中にはすでに、前世のフリー記者時代に培った「情報を武器にして敵を社会的に抹殺する」ための、最も泥臭く、最も冷酷な逆襲のシナリオが組み上がりつつあった。


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