第7話 巻きこみ事故にキビしい杜若さん
放課後、高校の閑散とした図書室。
テーブルを挟んで座り、僕はいつものように彼女と向かい合っていた。
「倒れた拍子にキスするのって、みんな経験するわよね?」
開いた文庫本に目を落としつつ、彼女は淡々とした口調で語りかけてくる。
「生まれてこの方、前兆すらないんだけど。そんな成長期にだれしも訪れる変化みたいな言い方しないでよ」
「おかしいわね。男女が巻きこんで転けると、フィクションでは当たり前なのに」
「だってフィクションだからね」
「でも、不思議。相手に覆い被さって押しつぶさない程度に受け身はとれるのに、くちびるだけは磁石のS極とN極みたいに引き合うのよ」
ハァと憂いを帯びたため息をついて、なぜか不慮の事故を待ちわびる。
「どうしてわたしには起こらないのかしら……」
「あれ、今日はどうしたの? このままだといつものやつ言えないよ」
「いつもの?」
相変わらず、お約束にキビしい杜若さん。
「ってやつ」
「なんなのそれ」
「くっ、お約束にキビしい……」
さらさらとした長い黒髪。頬にかかる一束を、スッと細い指で形のよい耳にかけた。
その静的な所作がいちいち洗練されており、彼女の神秘性を引き立てる。
手にした文庫本を机に置いて、凛とした瞳でこちらを見た彼女は、
「わたし、法則に気付いてしまったの」
「なんの法則? もしかして冒頭の話の続き?」
「そう。……絡れて倒れるハプニング展開は、その時点の親愛度によって結果が分岐するのよ」
「え、攻略チャートが存在するの?」
「まず親愛度1から20。この場合は壁ドン、もしくは床ドンね」
「どこから持ってきた数字……?」
幸運のパラメータくらい基準が不明瞭すぎる。
でも杜若さんの提示する数値は、新聞社の集計データよりも信頼に値するので。
「お互いの認識が明確になり、強く意識づけされるの」
「序盤の出逢いにうってつけなんだ。納得」
「で、21から50はキス」
「えっそこで早くも」
「関係変化の起爆剤がほしい時期なのよ」
「なるほど……じゃあ51以上が、偶然胸の上に手があったり、上下逆転であられない姿勢になってるやつかな」
「違うわ。それはハーレム系ラブコメ主人公の特殊スキルだから、別枠よ」
やれやれと言った仕草で、杜若さんはラッキースケベの絡繰をスキルと断言した。
「……それじゃあ、一体なにが起こるのさ」
「51から上は、もうなにも起こらない。ハプニング打ち止め」
「ハプニング打ち止め!?」
「逆に不自然になるの」
「たしかに、そこまで関係値を構築したなら、陳腐なお約束はもはや野暮だよね」
偶然にすがるよりも、必然性のある行動が求められる頃合い。
そこに気が付くとは。杜若さんの洞察力には舌を巻く。
その杜若さんは、ボソッと小さく呟いた。
「わたしに起こらないのは、きっとそういうことよね」
ボヤきの意図はわからないが、彼女がほかの男子と良からぬハプニングを起こす展開なんて考えたくもない。
今まで以上に、杜若さんの動向を注視すべきかもしれない。
でも万が一、僕とそのような出来事が起こったならば。
「僕なら責任を感じちゃうなぁ。一生支えて、死ぬまで添い遂げる覚悟で」
「えっ。……ちゃんと周囲を確認して、女の子とぶつからないよう気をつけてね?」
「うん、杜若さんも気をつけて!」
僕たちの放課後はまだまだ続く。
「ちなみに親愛度0の場合は?」
「大声で叫ばれるわ」