9.作曲者。
「――あぁ、きたか。近衛カナデ」
「はい、失礼します」
祝賀会から、さかのぼること数日前。
俺は須藤社長からの呼び出しに応じて、事務所に足を運んでいた。入室すると彼は静かに言って、来客用のソファーに腰かけるように促してくる。こちらが素直に従うと、最初に出会った時と同じ位置に彼も着席した。ただ違いがあるとすれば、雰囲気だろうか。
以前のような冷酷さは感じられず、静かな人という印象になっていた。
「最近は、少しばかり忙しくなっているらしいな?」
「そ……そうですね、ありがたい限りです」
しばしの沈黙の後、会話の口火を切ったのは須藤社長。
こちらの近況に触れてきたことに、少しばかりの驚きがあった。そのためつい苦笑すると、彼はなにか不服そうに眉をひそめる。
そして、
「どうした。オレがお前に関心を持つのが、何か悪いのか?」
「や、いえ……決して、そういうことではないんですが……」
どこかムッとした感じで言われ、また困惑。
これも以前のような攻撃的なそれでなく、拗ねたような口振りであった。俺としてはあまりの人の変わりように、なかなか気持ちが追い付かない。
そう思っていると、一つ息をついてから社長は本題に入った。
「さて話は変わるが、今回は改めて報酬額の話をしようと思いきてもらった。ひとまずこちらの見積もりで申し訳ないが、この金額でどうか確認してほしい」
彼らしい言い回しに戻りつつ、須藤社長は一枚の紙をこちらに渡してくる。
俺はとりあえず受け取って、金額に目を通し――。
「………………はい?」
「どうした。思ったより少なかったか?」
思わずそんな声を漏らし、目を大きく見開いてしまった。
ただ相手の言うような理由ではなく、むしろ……。
「こ、こここここ、これ!? ゼロが一つ多いんじゃないですか!?」
あまりに大きな金額であることに、震えが止まらなくなってしまう。
少なくとも俺がいままで、作詞の依頼料でもらっていた額の中で最高を更新した。しかもあっさりと、簡単に飛び越えて行ってしまう。なんならここに書いてある通り、別途売り上げに応じて印税が振り込まれるとか書いてあるし、まさか……増えるのか、お前……!?
「なにを驚いている。それくらいは、プロの作詞家として普通だろう?」
「…………おおう」
こちらの動揺に対して、あまりに平然とする社長に俺は思わず声が漏れた。
そして、そのおかげで気持ちも不思議と落ち着いてくる。
俺は咳払いをしてから、こう訊ねた。
「だけど、本当に良かったんですか……?」
そうして思い返すのは、原稿を持ってきた時。
須藤社長の口にしていた言葉だった。
『は、ははは……馬鹿じゃないのか。なんだこの歌詞は、どうやって曲をつけろと言うんだ? これに曲をつけられる人間なんて、そうはいないぞ』――と。
結局そのまま、俺は誰が作曲したのかも聞かされていない。
作った詞が採用されたのも驚いたのだが、その疑問もずっと魚の小骨のように刺さっていた。そして完成した曲のデータを耳にした際、あまりの出来に驚いたのも覚えている。
そんな意図を込めた問いだったのだが、社長はしっかり汲み取ってくれた。
その上で、彼はこう答える。
「あぁ、気にするな。作曲に金はかけていない」
「……え? それって、どういう――」
「オレだからな」
「は……?」
彼のシレっとした言葉に、俺は思考が停止した。
だが気にもせず、須藤社長は続ける。
「あのような馬鹿げた詞に、曲をつけられるのは限られている」
「あ、その……」
俺はしばし言葉に迷ってから、我が事ながらこう言ってしまった。
「よく、作曲できましたね」
すると社長は、初めて小さく笑ってから。
懐かしそうにこう口にしたのだ。
「なに、昔はもっと無茶振りをされていたからな」――と。
◆
「ちょっと! 聞いてるんですか、先生!?」
「――え、えぇ!?」
疲れからうたた寝していると、何やら血相を変えて狛犬さんが迫ってきていた。俺は思わず声を上げて驚き、彼女から逃げるようにして後退する。
すると狛犬さんも、さらにこちらへ寄ってきて、
「ど、どうしたんですか!? 狛犬さん……!!」
あまりに綺麗な顔が急接近するので、そう叫んでしまった。
すると彼女は、
「まつりちゃんと、二人きりでカラオケにきた……って、ホントですか!?」
あの日のことを引き合いに出し、何故か目くじらを立てている。
その理由が分からず、俺はただひたすらに――。
「だ、誰か助けてくれぇ!?」
誰でもない誰かに、助けを求めるだけになってしまったのだった。
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