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ステージに立つと、会場の空気が一気に変わる。
私はその瞬間、すべての音が止まったように感じた。
何万人もの目が私に注がれている。
その視線は、私を見つめるだけではなく、私がこれまでの10年間を背負って立つその瞬間を見守っているような気がして、思わず胸が締め付けられた。
私は息を深く吸い込み、意識的にその目を一つ一つ捉えようとした。
もう、何度も経験した光景のはずなのに、今日という日は全く違う。今日は本当に最後のステージなんだ。
これが、私の最後のパフォーマンスになる。そう思うと、心臓が早鐘のように鳴り始めた。
この髪型、衣装、全て最後の今日のために特別に気合を入れて来たんだ。
見慣れたステージ、見慣れた客席。
どれもこれまで通りの風景。
でも、そこに立っている自分は、まったく違う。
全身が震えるほどの緊張感が走り抜け、背中の汗がじわじわと浮かんできた。それでも、私はマイクをしっかりと握りしめ、目の前の景色に全神経を集中させた。
これが最後だからこそ、私は何も考えずに、全力でこの瞬間を生き抜かなければならない。
「最後のステージ、皆と一緒に作る最高のライブにしよう!」
私はそう声を張り上げることで、少しだけ気持ちが落ち着いた。
ファンの応援が耳に届き、少しずつそのエネルギーが私の体に染み込んでいく。
少し震えた声だったかもしれない。
それでも、その声は私の心に響き、覚悟を決めるために必要な一歩となった。
「皆の笑顔を見せて!」と思いながら、最初の一音を口にした。
まるで魔法にかけられたかのように、私の体に力が入った。
それと同時に、胸の中に張り詰めていた緊張感が一気に解け、歌のリズムに身を任せる。
いつもと同じ、いつもと同じ。何も変わらない。いつもと同じ。
そう、自分に言い聞かせて、私は大きく酸素を吸った。
それで少しでも緊張をほぐそうとしたけれど、どこかでそれが効いていないこともわかっていた。
舞台に立つたびに感じる『緊張』と『高揚感』が入り混じったあの感覚が、私の中で大きく膨れ上がっていた。
デビュー曲を歌いながら、私はその昔の自分を思い出す。
初めて歌ったあのステージで、何もかもが不安で、歌詞を覚えることに必死だったあの頃。
最初のライブでは、動きすらぎこちなくて、必死にステージをこなしていた。
歌って踊ることがこんなにも大変だとは思わなかった。
「でも、あの頃の自分に、今の私を見せてあげたい」
私は少しだけ、自分に語りかけるような気持ちで歌を続けた。
歌詞の一つ一つが、あの頃の思い出と一緒に心に響く。
それと同時に、今、目の前にいるファンの笑顔が私を支えてくれていることを感じた。
「この曲を聴いてくれている皆と、こうして一緒にいられることが、本当に幸せ!」
その言葉を口にした瞬間、心が震えた。
言葉にしたことで、全身の力が抜けて、もう涙がこぼれそうになった。
それでも、今はまだ涙を流すわけにはいかない。
私はきっと、最後まで笑顔で終わらなければならないから。
会場が一体となり、ペンライトがリズムに合わせて揺れる。
その光景が、私をさらに鼓舞させる。
赤い照明が私を包み、アップテンポの曲のリズムが、まるで時が止まったかのように私を駆け抜けていく。
その瞬間が、全ての過去と今を繋げてくれるようで、胸がいっぱいになる。
次に歌うのは、私が一番愛している曲。
私の人生を変えた一曲。私にとっての魔法の一曲。
初めてこの曲がヒットしたとき、私は心の中で「これが私の道だ」と確信した。
この曲が、私をここまで導いてくれた。
それでも、歌いながら、私はどこかで「これで最後なんだ」という現実を強く意識していた。
「皆が応援してくれるから、私はここに立っていられたんだよ!」
心の中で、ファン一人一人に感謝の気持ちを込めて歌った。
ファンの応援が、私を何度も救ってくれた。
その気持ちを、どうしても伝えたかった。
どれだけ忙しくても、辛くても、ファンの声が私を支えてくれた。
ライブの中盤、私は再び自分を振り返った。
私が今、ここに立っていられるのは、どれだけ多くの人たちに支えられてきたからだろう。
ファンの顔が浮かぶ。
あの頃、何度も励まされたことを思い出す。
どんなに疲れていても、顔を上げるとそこに笑顔があった。
そしてその笑顔を見た瞬間、私は力を振り絞ることができた。
それでも、まだ私は泣かない。
過去に何度も涙を飲み込んできた。つらいことがあった。大切な人を失ったこともあった。
それでもファンの前で涙を見せるわけにはいかなかった。それが私の誇りだったからだ。
アイドルとして、どんなに辛くても、ファンには笑顔を届ける。それが私の使命だったから。
そして、とうとう最後の曲が始まる。会場が静まり返り、私はその瞬間が来るのを感じていた。
「今まで本当に、ありがとう……。次の曲で最後になります」
その言葉が放たれると、会場からは驚きの声が上がる。
「えぇー!」というファンの声が私の耳に届き、その瞬間、胸の中に暖かいものが込み上げてきた。
「もー、時間が経つのは早いね。次の曲は、私がファンの皆に届けたくて、初めて作詞しました。皆との思い出、絶対に忘れないし、この光景も、今までの全ての瞬間は私にとって大きな宝物。それでは……聞いてください」
そして、私は曲を歌い始める。
この曲が、どれだけ私の心を込めたものなのか、ファンに伝えたくて必死になった。
作詞をしているときは、涙出てこなかったのに、今になると涙が出そうになる。
ついに、歌いながら涙が溢れてきた。
どうしても、最後に伝えたい感謝の気持ちが胸に溢れ、涙を堪えることができなかった。
曲のサビに差し掛かる頃、照明が一層明るくなり、会場のファンの顔がよく見えるようになった。
その顔を一人一人見ているうちに、私の涙は止まらなくなった。
ハンカチで涙を拭く人、涙を流しながら私を見つめてくれる人、ペンライトを一生懸命振ってくれる人。
ファンの顔を見ていると、心の中で何かが崩れていくのを感じた。
もうこの景色をみることはないんだ。今日が最後なんだ。
「こんなに長い間、支えてくれてありがとう……。みんなの笑顔が、私の力だったよ」
その言葉を歌いながら、目頭が熱くなり、声が震えた。
普段、絶対に涙を見せることがなかった私が、どうしても涙を堪えきれなかった。
曲が終わり、会場が静まり返る。深呼吸を一度して、私は最後の言葉を口にした。
「ありがとう、ありがとう。みんな、最後まで私を支えてくれて、ありがとう……。これからの私も、応援してくれると嬉しいです」
その言葉を言った瞬間、再び涙が溢れ出す。
会場のファンたちも、私と一緒に泣いているのが見えた。
その涙を見たとき、私の中で何かが完全に崩れ落ちた。もう、涙を止めることができなかった。
「本当に、ありがとう」
私は最後にいつもの挨拶をする。
「ANNNA! ANNNAでした! ありがとうございました!」
終わっちゃった。最後の挨拶。
10年。何回目の挨拶なのかわからない。
ステージの幕が下りてくる。
私は手を振り続ける。
この眩しいスポットライト、私のことを沢山愛してくれたファンの皆。
いつも支えてくれた霧子、ワガママを聞いてくれたスタッフ。
色とりどりのペンライト、大きな会場。
全部、どの瞬間もANNNAの宝物。
「本当にありがとう!」
____2017年10月29日、ANNNA引退。