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今日が本当に最後だと、私は胸の中で何度も繰り返す。
もう嘘はつかない。
これが本当にラストだ。
10年。
長いようであっという間だった。
デビュー当初は全く売れなかった。
最初の頃は、ファンなんてほとんどいなかったし、メディアの露出も少なかった。
何度も「これで終わりかもしれない」と思ったことがあった。
それでも、諦めずに続けてきたのは、信じてくれる人たちがいたからだ。
振り返ると、最初の頃は、どんなにがんばっても目に見える結果が出なくて、何度も落ち込んだ。
でもその中で、少しずつ私を見守ってくれるファンが増え、スタッフも一生懸命支えてくれた。
その頃から少しずつ気づき始めた。
私がどんなに小さな存在でも、周りの支えがあれば、少しずつでも成長できるのだと。
最初は売れなかった私が、気づけば、デビューから3年目に出した曲で急に人気を得ることができた。 あの曲が爆発的にヒットし、メディアからのオファーが殺到し、すぐに忙しい日々が始まった。
メディアの露出が増える一方で、私は慌てて仕事をこなす日々に追われ、寝る暇もほとんどなかった。
ただ、どれだけ忙しくても、ステージに立つときだけは別だった。
舞台裏でどんなに疲れていても、ステージの上に立つときは、全身がワクワクする感覚に包まれ、ファンの笑顔を見た瞬間にすべてが報われるような気がした。
あの瞬間こそが私にとっての一番の生きがいだった。
「今日は本当に、もう最後なんだな」
ステージ袖で準備をしながら、私は何度もその言葉を呟いていた。
言葉にしてみると、実感が湧いてくる。
デビューしてから10年。
たくさんのステージを踏んできたけれど、今、この瞬間が本当に最後だと思うと、胸が苦しくなった。
「どう?緊張してる?」
背後から、霧子の声が聞こえた。
彼女は私のマネージャーとして、デビュー当初からずっと支えてくれた人だ。
霧子との関係は、最初は少し距離があったけれど、今ではどんなことでも話せる親友のような存在だった。
年齢は、私よりも7個上だけど。
彼女の笑顔は、常に私を安心させてくれる。けれど、今日はその笑顔がどこか寂しそうに見える。
「うん、緊張してるよ。だって、これが最後だから」
私は軽く笑って、霧子に返す。
普段なら笑顔で冗談を言い合うのに、今日はそれができない自分が少し情けなく感じた。
霧子は肩をすくめ、少しだけ笑った。
「まあ、最後だからって特別なこともないよね。いつも通りやるだけだし」
その言葉に、私は少しホッとする。
彼女の言う通り、何も変わらない。
最後だからといって、特別なことをしなければならないわけではない。
でも、心の中では、どうしても特別であってほしいと思っている自分がいる。
「でも、アンタがいなくなるのは本当に寂しいわよ」
霧子が少し真剣な顔で言う。
その言葉が私の胸を一瞬だけ締め付けた。
普段の霧子は、感情をあまり表に出さないタイプで、特にこういう話は苦手だったはずだ。
でも今日は、どうしてもその気持ちを伝えたかったのだろう。
「本当に?」
私は振り返って、霧子を見つめる。
霧子は少し目をそらし、いつものように無理に笑おうとしたが、その笑顔はどこか崩れていた。
普段は強い印象を与える霧子でも、私が辞めることを寂しく感じてくれているという事実が、私にとっては何よりも重く感じた。
「泣かないってば。しっかりしてるもん、私」
霧子は照れくさそうに言う。
その言葉を聞いたとき、私は胸が少し苦しくなった。
霧子は、普段どんなに辛いことがあっても、私には一度もその顔を見せなかった。
それなのに、今日は自分の気持ちを伝えようとしている。
霧子もまた、この瞬間を心の中で大切にしているのだろう。
「でも、これからは少し休めるんじゃない?」
私は少し冗談めかして言った。
霧子はゆっくりと頷き、少し考えた後に言った。
「そうね、今までずっと忙しかったから、休みが嬉しいって気持ちもあるけど……」
霧子の言葉が途中で止まった。
私はその言葉を待ちながら、彼女の表情をじっと見つめていた。
霧子は少し俯き、何かを考えているようだった。
その顔には、寂しさと共に少しの安心感が混ざっているように見えた。
「でも、アンタがいなくなるのは本当に寂しいわ」
その言葉が、私の胸をさらに締め付ける。
霧子がこう言ってくれることが、嬉しさと同時に、何とも言えない寂しさを感じさせた。
ずっと一緒に過ごしてきた時間が、これで終わってしまうことが信じられなかった。
その時、音楽が流れ、オープニング映像がスクリーンに映し出される。
会場が暗くなり、ファンの歓声が一気に響き渡る。
その音に、私は何度も耳を澄ませた。最初にステージに立ったときも、同じように響いていたあの音。
その音を今、再び聞くことができる自分が信じられない。
「行ってきなさい、最後のステージよ」
霧子の優しい声が、私を現実に引き戻した。
彼女の言葉を聞いて、私は足を踏み出す。
その瞬間、私の心の中で何かが変わった。
緊張していた気持ちは少し和らぎ、心が落ち着いたような気がした。
こうして、私は最後のステージに向かう。
でも、ふと振り返ると、霧子がまだその場に立っているのが見えた。
彼女は、私を見送るように静かに立ち尽くしている。
私がこの瞬間を忘れないように、見守ってくれているのだろうか。
「はい、最後のおまじない」
霧子は私の背中を優しく叩いてくれた。
おまじない。いつもライブの前に、こうして背中を叩いてくれる霧子の手のひらの温もりが、私は今でも忘れない。
これが最後の背中の叩きになるんだと思うと、胸がいっぱいになった。
「霧子…」
私はそのまま振り返りたかったけれど、ステージの光が私を迎え入れる。
もう、振り返ることはできない。でも、心の中ではしっかりと彼女のことを感じていた。
オープニングの音楽が大きくなり、私はステージの扉を開ける。
次に目に飛び込んできたのは、何万人ものファンの顔。ライトが眩しく、心臓の鼓動が高鳴る。
「最後のステージ、頑張ろう」
私は深呼吸を一つして、ステージに立った。