グランギニョール
「……あ、すごい。これもだ」
前略。すこぶる調子がいい。
自称、魔王からの情報が入るようになってからというもの、どんどん、あっという間にパーツは揃っていっていた。
徒労感と焦燥に追われる事のない『採集』は効率の問題だけではなく、間違いなく私の精神を癒していた。
「本当に、正確な情報だこと。
どうやってこんなに情報を集めてるのかな」
『ク゛ジオ゛?』
「ふふ、ごめんごめん。『あなた』に聞いても分からないわよね。そんな落ち込まなくてもいいから、じっとしてて…」
ぷつ、ぷつ、ぷつ。縫合が終わって、闇魔で傷を均していく。皮膚の色はどうしても不揃いになるけれど、しかし前と違い腐って蛆が沸くことはない。それだけでも大きく違う。100%適合、とまではいかなくても80%くらいは行けているということは、ありがたい。
『…う゛ムゥ』
「痛い?痛覚はまだ機能してないから気のせいよ。
くすぐったいっていうんだったら、それも」
足首と、臓腑の一つ。あとそれと眼球を繋ぎ合わせて、そうしてからじっくりとその眼を見る。
もう少し、ちゃんと二重だったかな。でも勝手に手を加えるのもよくない。私の理想を押し付けても意味がないんだ。
理想を編み出すのではない。
私は、ネロをもう一度、作ってあげる。それだけだ。
「…さあ、いつも通り服はこの場で捨てて、新しいのを買っていかないと。ついでにこの街の観光を……」
そうだ。情報提供をされるようになってから、あの拠点街から遠くに移動させられることが増えた。また主要な土地ばかりなので、交通の便についてはそう辛くはないのだけど。
だからまた、初めて来た都市の膝下で、せっかく来たのだからとここの周りを見てみようと思ったけれど。
今から、戻る時間を考えてから。
ゆっくり目を瞑った。
「…いいや、やっぱりすぐに帰ろうかな。
酒場で、久しぶりにお酒でも飲みたい気分』
「それに、聞きたい報告もあるんだ」
ぴたり。
『あなた』が私の頬に触ってきた。
なによ急に。笑ってた?笑っていただろうか。
…誰かを嘲る笑みではない。だから、良いはずだ。
…
……
それは、数月前の事。
『フィリア、フィリアさん!』
ばん。砕かんばかりの大きい音と共に宵の明星亭の扉が開かれ、私の名前を呼ぶ声が広間に響いた。透き通るような綺麗な声がその日は掠れていたことを覚えている。
『よかった、いた、いてくれたッ!
…頼む、頼みます!応急処置はしたんだ!だけれどこれ以上は僕では治してやることができない…身勝手な願いだと分かってる!僕ができることなら何でもする!だから、ノアを助けてくれ!』
敗走。
傷だらけ、血まみれのシエル少年と、その手の内でグッタリと動かないノアちゃんが表すのはそれだった。
勇者筆頭とまで言われるほどの彼らの快進撃はここ数日とどまるところを知らなかったが、ついに大きな壁に当たってしまったのだろう。
返事はせず、代わりに魔力を手に溜める。
麻酔も無しに傷口に手を入れることになる、無茶な治療。それに場所を選んでいる暇もなかった為の、不衛生な酒場での施術だった。
しかし、その傷の深さに昏倒していてくれたおかげで痛みによる死もなく、そしてノアの『身体』の異常さにつき、なんとか命を取り留めた。
『よかった、よかった…!ありがとう、ありがとうフィリア!この恩は…いや、もう恩なぞ返しきれないが、それでもありがとう!』
涙をぼろぼろと流し、自尊心の高い彼はしかし、いつもとは異なる様相で私に頭を下げていた。そんなことをされて嬉しいわけはない。頭を上げさせて、そして次に少年の傷も治す。
気付け代わりに噛ませていた木製のスプーンは砕けてしまったけれど、それでも気絶せずに耐えたのは流石の胆力だった。
負けたのだろう。
そう、聞いた。きっと何か誤魔化しや慰めを言っても彼を傷つけて心の傷を膿ませてしまうだけだろうから、と。
聞かれると、また目を潤ませて。しかしぐっと目を瞑り、長いまつ毛でその雫を払ってから彼はぽつぽつと話し始めた。
『…圧倒的だった。自惚れていたつもりじゃなかったが、僕らは、強いはずだったんだ!だが相手はそれよりもずっとずっと強かった!そして僕はそれを、見極める事すら出来ていなかった…ッ!』
机に叩きつけるその手も弱々しい。
震えて、怯えている。
傲岸不遜とまでは行かなくとも、挫折を知らない天才であった彼は初めてここで、絶対的な『折れ』を味わったのだろう。
それを私は否定できない。
私は、折れて折れた先の人だから。
だけど。
「……ノア…すまない…
僕にはもう、立ち上がることはできないよ…」
その言葉だけは、聞き捨てならなかった。
違う筈だ。
君は違う。君だけは違うはずだ。
君はまだこんなにも輝いている。折れた後を、それでも粉は輝きそれまでよりも研磨されることができると言っている。
なのに君自身がそんなことを言うなんて。
ぱあん。
気づけば私は、彼の頬をはたいていた。
やばっ。と、正気に戻った時には振り抜いていて、まあ広間中に広がるいい音を出していて。少年もまあ当然、ぽかんとしていた。だけどやってしまったからには、最後まで言わなければ。
慌ててそのまま、叩いた事を取り消すように頭に抱きついて、抗議しようとするその口を閉じて、勝手に口を動かした。
『わた、私は!
…君がそれを心の底から思ったなら、私は否定できない。けど、でもきっと、私の知るシエルくんは、それを見据えてたはずだよ』
ぐい、とまだ強引に頭部を身体に埋めて、ずるいように一方的に話をまくしたててしまう。反論などされたら、それ以上返せないもの。
『馬鹿にして見下すでもない。そうなって仕方ないと諦めることもない。真正面から受け止めて、君はそれを受け止めれていた!』
そう、いつも、いつも。彼は心が折れた先達者達をこの広間で見ては、ただ心から礼をしていた。
皮肉や嘲るようなものでなく、意味のない礼。
それをしてたからこそ意味がある。
『…だから胸を張るんだよ、少年。君ならいくらでも立ち上がれる。君が、この物語の主人公なんだから。
何より。きみは一人きりじゃ、ないんだから』
私は、ノアの方を見て私はそう言う。
そうだ。君の横には、彼女がいる。
主役の横に立つに相応しい悲劇的で華奢で、ヒロイックで可憐なヒロイン。抱いて逃げ出し、自分よりも彼女の治療をと泣きながら言えるほどに、絆を育めている子が、いる。
だから一人で悩んでは駄目じゃないか。
『それでも無理だったら、私のとこに来ればいい。その時はまたゆっくり、役に立たないアドバイスでもするから』
それが彼に通じたのか、彼もまた、それまでむずがっていた中、そこでぴたりと動きを止めてぷるぷると震えていた。
─そうだ、ボウズ。お前は一人じゃねえんだ!
─いいこと言うじゃねえかいつも管巻いてるだけのねーちゃん!見直したぞ!
─そうだそうだ!大したことはできねえけどよ!俺たちだってお前たちを応援してんだぞーっ!最初の頃からずっとよー!
はっ、と気づけば周りからそんな野次が飛んできた。私の声はどんどんと大きいものになってたらしく、そしてそうでなくても、私の視野が狭かっただけでシエル・ノアの二人が入ってきてから視線と関心を独り占めしていたようだった。
元勇者たち、落伍者たちはしかしそこで立ち上がり、彼らに近付きそれぞれの励ましをかけていく。私はそれを察して、そこから離れて遠くからそれを眺めていた。
『……シ、エル…』
『!?ノア、もう立てるのか!無理はするな…」
『…ごめんね。私、あなたにばかり背負わせた。
私はあなたに、頼ってばっかりだった。だから…』
白髪の少女は、静かに立ち上がって。
そして、彼をそっと抱きしめた。
『今度は、私があなたを助けさせて。私も一人ではまだ立てないけど、あなたと一緒に、立ち上がらせて』
『……ああ、うん。うん…!』
そう言って、彼らは抱き合った。それを囃し立てるように周りの奴らがひゅー、と声を上げた。
ああ、そうだ。
それでいい。私はきっかけにすぎない。彼がこれまで振り撒いた善意が、優しさが、その結晶が折れた彼を治す継金になる。
この輝きを、私はずっと見ていたかった。
『……』
『?』
ただ一瞬、ノアちゃんがこっちをじろりと見ていたことだけは、なんだったのだろうと思った。
敵意はなかったけど、鬼気迫るものではあった。
…
……
宵の明星亭の扉を開ける。
棺桶を引きずっての、帰宅はどうしても時間がかかって間に合わないか不安だったけれど。
(……だいぶ、だいぶ恥ずかしいこと言った気がするな……でも、まあ少年の為になったなら、とりあえずは…うん…)
そう。観光を切り上げても聞きたい報告とは、これだ。
だからまあ、あとは、ここに戻ってくるのを待つだけだ。ひとまずはそうしているだけ、だけにも関わらずどうにも気持ちが落ち着かずそわそわしてしまった。
その、まだ待たなきゃかなと、思ったくらい。
「ただいま、帰りました!」
ばん、と通る声。
全員に、広間に響かせたその声には憂いはない。
美しい声は、また少し掠れていたが前のものとは全く違う。
傷だらけの鎧と、身体。しかし今回は、片方が片方を抱えているのではない。互いが互いに肩を貸して、支え合って立っている。
そして何より、その顔。
その透き通った笑顔が示しているのは。
言うまでもない。
輝かしい凱旋だ。
…
……
じゃらり。机の上にはとんでもない量の金貨が入った袋を乗せられていた。
「今回の僕たちの得た報酬の七割だ。
幹部級だった。相応の量だろう。
どうか、受け取って欲しい」
「…だからぁ、要らないって、少年」
「はぁ。わたしも、きっとフィリアは受け取らないよって言ったんだけど」
そうしてノアと私は視線を合わせて二人で肩をすくめた。この男をどうしたものか、というように。
ああ、そう。ノアちゃんはそれまで、私が話しかけても既にある無口に更に輪をかけたように全く話してくれなかったが、前のことからか、普通に話してくれるようになった。それは、嬉しいことだった。
「しかし、それでは僕の気が済まない!」
「ならなんとか済ませるように頑張って」
「今度の討伐は、フィリア!貴女無しでは絶対に成し遂げられなかった!何よりまだ、あの時の治療の恩まで残ってしまってる!あれがなければ僕たちはもうこの世にいないんだぞ!?だからせめて、
「私、ずっと言ってるじゃない。初めての日、あの棺桶を侮辱したあの人らを追い払ってくれた。それのお返しでこうしてるんだよって」
「しかし…!」
「これはね。きみから受け取らないための嘘とかじゃなくって。私にとって、あの棺桶はそれほどの価値があったんだ。本当に、それが嬉しかったの…」
「ほらシエル。こうなるよって言ったじゃない。前々からずっと同じことの押し問答」
「〜〜っ、なら、ならなにかやってほしいこと!なんでも言ってくれ!なんでも僕がやる、やってみせるから!」
なんでも。
なんでも、と言った。
ほぞを噛んだ。それに、薄汚い要求を少しでも思いついてしまった自分が、嫌だった。
「なら……」
パーツ集めを手伝ってよ。
なんでもなんてそんな簡単にいうものじゃないよ、私のような人間に。きみのような、主人公が。
そんな心の中の声は言う必要も言う勇気もなく。代わりに力無く、笑って見せた。
「…なら、代わりにお酒を奢ってよ。そこのたくさんの金貨の中から、一枚分でね」
…
……
「…う゛」
「あ、目覚めたのかフィリア。
今は貴女の部屋に運んでいる所だ。そのまま動かないで貰えるとありがたい」
「……うう〜…ありがとぉ…」
次に意識が戻ったのは、ぐわんぐわんと視界がぐらつきながら広間を通り過ぎ、三階の私の部屋まで運ばれている時のこと。蝋燭の光すらとっくに全部消え、真夜中の闇の中。宵の明星亭で行われた我らが若き英雄たちの祝勝祭の後、酔っ払いたちが床のいたるところに寝ていた。
「まったく、あんな無茶な飲み方をするものではない、とまだ飲めないような僕に言わせないでくれ」
「そんなに、のんではないよ〜…
そもそも、おさけ、弱いんだよ〜…」
「ならばなおのこと何故あんな事をしたんだ!?ノアも、やたらと乗り気でいたし…!」
あ、それで思い出した。私が倒れる前に、皆んなが飲み比べをしている時、ノアちゃんがジョッキを手に私をくいくいと勝負を誘ってきたのだった。
「もう片方のリードは、仕方ない。
だからこっちでは、勝つ。」
曰く、そう言ってきて。
私は正直何のことだか?だったけど、まずノアちゃんがそういった周りのノリにのること自体が嬉しくて二つ返事でぐいとお酒を呷り…
…今に至る。
「いやぁ〜、ノアちゃん、あんなにのめるなんて、ね…うぶっ」
「ああ、嘔吐するなら少し待ってくれ、呼吸ができなくなったら危ないから体勢を…」
「だいじょぶだいじょぶ。いやあ、最近、いいことが、あってさぁ〜…久しぶり、ほんとひさしぶりだから、飲みたかって仕方なかったのよぉ〜…」
「それは僕たちの凱旋のことか?」
「もちろん、それも含めて。
他にも、あったんだー。……」
「…フィリア?」
「……すぅ…すぅ……」
「…はあ、…こういうのを見ていると、僕が酒を口にするのは、当分先でいいと思えてしまうな」
…
……
僕はなんとか、フィリアの部屋に着いて。
出来る限り紳士的に、ベッドに寝かしつけて、毛布をかけた。失礼があってはならない、そう思って。
すぅ、すぅ。
無防備に倒れる姿、寝息を立てる姿を、少しの間見つめてしまったのは、我ながら無作法で。
だからその自分を咎めて首を振り、そのまま退室しようとして、から。
足元にある巨大なものに、つまづきかけた。
蹴りこそしなかったが、月の光すら入ってこない暗闇の中ではそれは無視できる大きさではなかった。
これは、棺桶か。
あの、初めて会った時から引きずっていた。
てっきり、物置に入れてると思っていた。
もしくは、とっくに埋葬をしてしまったものだと思い込んでいた。しかし棺桶はあの日のまま。否、もっと、新しくなっているかのようだった。
それは、今も使っているかのように。
手が伸びかけたのは何故だったか。
蓋の中身。
その中には、何がと気になった理由は──
「触るな」
びくり。
手を、そのまま下げる。
先までの酔いが回った、ぐねついた声が嘘だったかのように、低い声。間延びした声と対照的なまでに簡潔で、故に他の解釈が存在しない指示。
「…ッ、失礼した…っ!」
僕はただ、そう彼女に言い残して、部屋を出た。
……気のせい、だったのだろう。
僕もきっと、あの場の雰囲気と酒に軽く酔ったのかもしれない。そう思うことにした。
だから、棺桶ががたりと中から揺れたような気がしたのも、酔いが回ったから、なのだろう。
…
……
「…お酒なんて、飲むものじゃないな」
がんがんと揺れる視線と拍動のたびに痛む頭。闇術を自らの頭にかけて、その滑稽で無駄な使い方に呆れていた。
少年にも、変な声をかけた気がする。
今度また、謝らないと。
不注意じゃないか、私?
そんな事を痛む頭を抱えて思っていた。
そんな、時のこと。
もう一つの、嬉しいこと。
それの先駆けが窓に触れた。
こつん、こつん。
「あ」
目の赤く光る蝙蝠。
それが魔王の使いの姿。
窓を少し開ければ、そこの間からするりと入って、そうしてから蝙蝠が霧散していく。
その黒い霧に映し出されていくのは文字。
「…よかった、『あなた』にも、良いことあるね」
そう。
最初こそ面食らったが、慣れれば便利なものだ。この霧に映し出すようにして文字とそっくりな似顔絵が送られてくるのだ。
この人物の、どこそこの部位が適合するだろうということ。その人がどこにいるのかということ。どれくらいの時間ならば何処を通るかということ。
ああ、本当に便利だ。
詳細まで情報を教えてくれて、そして高精度な似顔絵までも付けてくれる。
そう、間違えようはずもない。
今まで通りに、手紙に書いてあった。
彼の身体が、適合する。
この時間帯には、ここにいるだろう。
この男の、今度は喉が適合するぞ。
似顔絵はこれだ、と。
「………え………?」
酔いが、いっぺんに覚めた感覚がした。
代わりに背筋まで冷めた感覚も。
がたがた、とその動揺を感じ取って棺桶の中身が揺れた。大丈夫、大丈夫と宥めすかした。
それは、自分自身に言い聞かせるようで。
便利で、便利な魔王の手紙。
間違えようはずもない。
そこにはシエル少年の顔が、書いてあった。