ゆらとはんくろう
ゆらとはんくろう
私小説は書くまい。と、強く思っていたのは祖父が私小説を馬鹿にしていたせいかもしれない。
物語を書くには登場人物に信憑性がほしい。職業の専門知識、時代背景、それに風景。いくらフィクションでも想像だけでは無理がある。地球上飛び回って取材する必要が出てくる。臭いや温度は現地に行かないと実感できない。
それをしなくて済む私小説ではプロの物書きとは言えない。裏を返せば、時間とお金の無い身分では私小説しか書けないと開き直っても許される。
私小説でもいいから書きたくなったのは、たまたま考えるきっかけがあり、自殺する人の気持ちが理解できた気がしたのが関係しているかもしれない。鬱の一言で済まされているが鬱って何。病気なの、健康なら無関係なの、気質なの、気質は遺伝なの、相談するよう呼びかければいいとそれだけで済ませるのは無責任だと思えるが私にはそんな機会さえ与えてもらえない。だから文章にしてみる。
仮に損得感情なのだとしよう。死を選ぶ時死ぬときっとお得なことがあるのだ。人間誰しも損得感情に支配されている。損得感情の作用例、二十年間かささず同じ売場でドリームジャンボを買っていたとして、たまたま出張で数日家に帰らない場合、後で売店にこの売り場から十億円出ましたと書いてあったらどうしよう。後悔。たまらない。だからその為だけに新幹線で一日家に戻る。
だから今死ねば、私を振った人に一生苦しみとして付きまとえる。今死ねば恥を忍んで生きることから解放される。今死ねば好きでいてもらえる。今死ねば私の苦しみに共感してもらえる。つまり自殺はポジティブな欲求、強い自己愛。
ある有名人の死を選んだ理由を頭の片隅で考え続けた。断続的に。美貌があり人気がありたぶん金もある。自由は無かったと思うが他人が見たら前途洋々。スーパースターになりかけていたのに、絶対に死んでやると云う強い意思があったのだと思う。その人が飛び降りたビルの前で上を見上げた。広い道の交差点の角にある十階建の古いビル。ヒビが入って薄汚れた。オフィスと居宅と商店が入り混じった東京の一等地。ここには冷めた活気と憧れと絶望が入り混じっている。理解できた。ゾクっとした。涙が出た。
病気と言ってしまうのは甚だ失礼だし短絡的。仕事や勉強の計画を立てて必ず決めた時までに仕上げようとする計画好きな人がいる。そんな人に似ている。優等生である。死んでも目標を達成しなければと考える。優秀であることを証明したい。プライドを満足させる為の強い欲求。途中で諦めたり放り出したりすることを考えるだけで恐ろしいほどのストレスになる。途中で止めることができ、まあいいかしょうがないと諦める能力に欠けている。筋肉は強く速い運動ができるのが優秀だが脳は忘れられることが優秀であるらしい。生命力のあるなし。
ゆらは至って生命力のある女の子。
まぶしい朝、いつものごとくふざけたパパのいやがらせで起こされる。夏休みなのに毎朝ラジオ体操。行きたくない。家から崖地の長い階段を降りて木で覆われた斜面のふもとの朝一刻しか日向にならない小さな遊具も無い公園。ママがラジカセ担当の時は休ませてもらえない。ラジカセって何。今日はパパの会社が夏休みで珍しく家にいる為パパが担当。日直みたいにみんなの前で恥ずかしげなのを隠しながらおはようございますとか言って。
問題は同級生がいること。同じ名前。賢い方のゆらちゃん。私は可愛くない方のゆらちゃん。親達がいないと必ず口癖の様に言ってくることばがある。そんなことも。そんなこともできないの。そんなことも知らないの。のどっちか。私が一番マウント取りやすい相手なのだろう。仲良いふりしてあげてるんだから感謝しなさいよって思っているのだからぼうるぺんでその小さな顔にそう書いてあげたい。私はいつも動けなくなり何も言えなくなりニタニタ笑う。
発達障害なんでしょの言葉は絶対に許せない。死んでも許さない。そんな難しい単語そいつの親が言ってたに違いない。生まれて初めて殺意を覚えた。と同時にこんな社会で生きていくことを一生強要されるのかと恐怖を覚えた。だから忘れよう。
これが学校に行けない理由なのだが、恥に思うし、認めたくないから言えない。ある日パパがママに命令されて私を朝学校に連れて行く。私は無言と無表情で抵抗する。パパは会社に遅刻しそうで焦ってる。通りの真ん中でくそでかい声で怒鳴られた。頬を思いっきり平打ちされた。私が沈黙で抵抗するから。怖かった。悲しかった。悔しかった。だから思いっきり泣いてやった。近所や学校に知れ渡る様に。パパは私の味方じゃなきゃいけないのに。パパは自分の都合の方を優先した。パパはママと戦って、社会と戦って、私とも闘った。私に似てる。
そんな一学期が終わった後の夏休みであった。
係のパパは時間前に先に走って公園に向かった。私はわざとゆっくり一歩毎道端の雑草や虫達を観察しいたずらしながら時間を稼ぐ。下の道に出てしばらくすると崖を直壁にして下をガレージにした上に家がある。白いコンクリートの壁のせいで夏のじりじりする陽射しを感じる。そのガレージの横の側溝でパパと他四人の近所の子供がしゃがんで何かを見ている。
ゆら、猫が死んでるよ。
パパが悲しげだが少し陽気に幼稚な声で言った次の瞬間、みんなそこから50M先の公園に向かって走った。他の子達が待ちぼうけしてるはずだから。私は猫の死体をろくに見ずに後を追った。
パパが子猫の死体を見つけたらしい。
家には猫が二匹いた。一匹先月死んだ。ママは長い時間泣いていた。私の教育係だったらしい。しっぽを触ると爪をしまった猫手でパンチされ、高い声で泣くと威嚇され、私は恐怖で泣き止んだらしい。この赤ん坊は大好きな二人の大切な存在なのだと理解していたらしい。しょっちゅうくんくん匂いを嗅いで私の顔を覗き込んでいたらしい。今年になってほとんど動かなくなりこの春初めてその二十六才の猫を抱くことができた。されるがままで迷惑な顔はしていなかった。前脚の下の脇のところに両腕をまわして抱っこして少し振り回した。後ろ脚が地面に擦りそうなくらい胴を伸ばしていた。楽しそうだった。猫の体温と毛のボサボサだが柔らかさを感じた。私は笑った。
ラジオ体操が終わりパパと私だけ子猫のもとへ向かう。薄汚れていて白っぽいが黒と白の二色の子。手のひらに乗りそうに小さい。崖の上の草むらに白猫と黒猫のコミュニティがある。
コンクリートの四メートルの絶壁の上から目が見えずに迷って堕ちたのだろう。白か黒の母親は助けられずに諦めたのだろうか。人間が近寄って来たから逃げたのだろうか。気が狂うほどの悲しみで一晩中鳴き続けたのだろうか。子猫の口の周りに少し赤く血がついている。
生きている。
微かに胸が動いている。右半分白と左が黒い顔についている目には目やにがたまっている。バイ菌やノミや寄生虫がいるかもしれないとの理由で触らせてもらえなかった。
飼おうか
うん
胸が躍った。この子は私の子になる。
ママは反対した。今いる猫が可哀想。愛情が子猫に集中して嫉妬する。
もう遅い。病院に連れて行って、予防注射して、ノミ駆除して、洗って、目ヤニを拭き取った。目が開いた。かすれ声で鳴いた。天使だ。この世で一番愛おしい存在になった。私の手のひらの上のあたたかい命にペースト状のキャットフードを食べさせた。食べる姿は悪魔ちっくでかわいい。先輩猫の尿のついた砂を全身に擦り付け臭いをつける。前回はこの方法で自分の子と勘違いしてくれたらしいが上手く誤魔化すことができるのだろうか。メス猫にこの男の子を受け入れてもらえるのだろうか。
家の空気が一変した。怒り疲れていたママの表情が優しくなった。ママが一番この子をお世話することになるのだが、この子は私のもの。この世で初めての私の仲間。
名前ははんくろうになった。私の意見はすぐに却下された。何と言ったかすら覚えていない。どうせその時見ていたアニメのかっこいい男の子のカタカナ名前だろう。自分でもいい名前が思いつかなくて息苦しかった。いつもくだらないギャグを私に教えようとするパパのしょうもない脳みそが役に立つ。もうもうちゃんかはんくろうのどっちか選べと言われた。ママが好きなドラマ脚本の官九郎をもじったらしい。
人間の家で命を吹き返したはんくろうは一気に元気になる。さいわい猫の居る家だったから自分は人間ではなく猫側の存在だと感じることができる。猫の生態を知らない家族に引き取られていたら、冷たい牛乳しか貰えないで、栄養失調で死んでいたかもしれない。
人間誰しも自分は劣っている存在なのかもと劣等感に苛む。学校ではがめつい人間ばかりが楽しそうにしている。自信ありげな顔して陰で必死に悪い点を取らない為に努力する。その光景は大人になって社会に出ても変わらないはず。そんな人生は私にはおくれそうな気がしない。学校も家族もご近所さんもみんな強い人ばかり。生まれてから毎日苦しいことばかり。努力すれば将来いいことがあると信じ込ませようとしてくるが私の本能はそんなことは嘘だと感じさせる。常識に疑問を感じることなく素直に生きられる人ってどれくらいの割合でいるのか。
そんな闇を祓ってくれる、はんくろうは私を明るい世界へ連れ出してくれる。
瀕死状態だった子猫がどんな処置で生き返ったのか私は知らない。気絶したまま眠っていただけだったのか。死体かと思った時からちょっとぷっくりしていたから栄養失調ではなかったと思う。その時触りたくて仕方なかった小さい丸いお腹を今は思う存分触ることができる。私の手の中に生きている。奇跡だ。
次の朝、ママのお手製のベットで眠るはんくろうがいた。ママはなんでも器用にかわいく作る。スーパーウーマン。プロ級の物を目指し文句言いながら神経すり減らしながら絶対やり遂げる。その姿に強い劣等感を感じる。私には大人になってもできる気がしない。一生私の側にいてなんでも作ってもらいたい。仔猫の寝顔を見ながらそんなことを考えている。
はんくろうが目覚めた。ベランダに出した。樹脂製の敷物で爪が引っかからない。ツルツル滑る。前脚も後ろ脚も八の字になって必死にもがく。声を出さずに私の腕にしがみつく。夜に降った雨の雫が光る軒。暖かい空気。私の肌にめり込む細い爪。私の指を何度も何度も噛む小さな歯。
なぜか私は泣いている。可笑しくて、可愛くて、愛しくて、おそらく私の人生で一番楽しい瞬間。この世界は私とはんくろうのもの。
ここから後書き。
お気に入りのフレーズでおしまいにしようとしたが、最初の自殺のくだりが繋がらない気がした。自殺しかねない少女がはんくろうのおかげで生きる力を宿したとでも言いたいのでしょと思っていただけるだろうか。
私はママとパパに強く強く大事にされた。なぜママを先にしたかは身分の序列。私に何かあったら二人とも自殺しかねない。過保護溺愛。それは私が弱い存在だったから。
ママは私を一人で生きていける力をつけることに必死で、勉強とピアノとスケートを教えこもうとした。ママは偉い。手とり足とり言われるがまま。一方パパはバカで何もできない。いつも自分で考えろとしか言わない。一緒にお風呂に入ると簡単な数学のクイズを出してきて、私が泣いてわからないと言っても絶対に許してくれなかった。10が20個でいくつとか。パパがママにいつまで入ってるのって激怒されるまで終わらなかった。私には答えを教えようとしないパパのほうが怖かった。
確かにはんくろうが家に来てから私は強くなった。自力で誰にも教わらず時間はかかったが一輪車に乗れた。パパのスマホを毎日寝る時間を惜しんでいじりたおし、はんくろうをYouTubeに自力で投稿した。
この二つは二人ともとても喜んだ。成し遂げたと言える事はこれぐらいだけど、はんくろうに出会う前の私に自己肯定感など微塵も無かった。私ははんくろうの命を救っていない。はんくろうが私を救った。
毎日忙しなく家の中を遊びまわっていたはんくろうもでかくなった。去勢した。大人しくなってしまった。毎日私に抱っこされるために生きるのはつまらないですか。他の猫がいなくなった家に一人でお留守番するのはつらいですか。外の世界に憧れますか。ごめんねごめんねごめんね。君がいなくなった世界は想像したくない。