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天涯のリリィ  作者: 二親紀伊
出逢いであっても
4/8

三度目の冬籠り


1.


 薄く霧が立ち込める早朝。立ち並ぶ針葉樹は白く、雪を被っている。ひそやかな森には、新雪を踏む音だけが響いていた。アレルとシダールだ。

 シダールは森の案内人。普段は観光客を湖まで案内するのを生業としているが、森の監視として教主に召し抱えられる身でもある。かつてはジュネヴァ教の討伐隊に所属していたが、魔獣に足をやられ引退を余儀なくした。左足は義足だが、歩みに淀みはなくアレルを先導している。


 「アレル様、足音に気を付けてくだせい。小さいですが魔獣の気配がしやす」


 シダールは音響魔術の使い手だ。魔力を波として捉え、周囲に拡げることで反響を拾う。偵察に必須な能力の一つである。


 「ロコオリスです。数は6」


 ロコオリスはムササビが魔獣化したものだ。体長は50cmもなく子供ならともかく、訓練を積んだ大人なら脅威にはならない。しかし、シダールは気を抜かず慎重に進む。アレルもそれに倣い、足音に気を付けながら追従する。

 このとき、シダールはというと魔獣の様子を訝しんでいた。ロコオリスは元々群れない魔獣である。6匹でいるのは珍しい。それに小型の魔獣は警戒心が強い。にも関わらずこちらに気づく様子が全くない。どこか他を気にしているようにも見える。シダールは十分に離れるまで警戒を解かなかった。

 それからも雪道は続いた。変わり映えのない森は静謐な空気を湛えている。雪に足を取られ足元ばかりを見ていると世界に取り残されたような気持になる。まるでシダールの背中だけが天涯に落ちる自分を繋ぐ命綱のようだった。冬は思考を深く沈めたが、不意に響いた鷹の鳴き声がアレルを現実に引き戻した。


 「アレル様、そろそろです」


 しばらく森を進んだ頃、シダールがそう言うとすぐに水の匂いがしてきた。鼻孔に冷たい水分が沁みる。木々が数を減らした分、光が幾らか強くなり、空も少し見えるようになった。おかげでずっと続いていた閉塞感から解放され、気分も楽になる。森を抜けるのももうすぐだ。

 

 「到着しやした」


 アレルの眼下には真っ青な円形の湖。それを囲う背の高い白い木々。雲一つない冬の抜けるような高い空。これが只の観光ならどんなに良かったか。そう思いながら、しばし足を緩め風景を楽しんだ。

 雪が音を吸っているのか、辺りは静寂に包まれている。アレルは風景画の中にいるような錯覚を覚えながら、滑車に吊るされたボートを降ろすカラカラという音に耳を奪われた。このままずっと目と耳を奪われていたいとアレルが願っていると、すぐにシダールの声がした。


 「アレル様、お手を」


 少しは感慨に耽っても良さそうなものを、シダールはさっさとボートに乗り込み、アレルを(いざな)ったが、あまりの手際の良さに拗ねるようにボートへ飛び乗る。シダールは苦笑しながら手を引っ込めた。


 「坊ちゃんは相変わらずで」


 そう笑うシダールに


 「シダールこそ相変わらずだよ」


 と、アレルも笑った。


 「さぁ、いざ行かん。我らが冬の聖地へ」


 そう叫ぶアレルを尻目に、シダールは船を漕ぎだした。


 「…シダール。あと三十分くらいしか掛かんないんだから、なんか言ってくんないと恥ずかしいだろ?」


 聖地にはすぐ着いた。


 ウシュマ湖の中心には湖面から20mほど突き出た円柱の島が聳え立つ。その島肌は、ぐるりと螺旋階段状に削られている。これもまた、いつからあるのか分からない、祠と同じ風化しない超常の階段である。

 二人はボートを着け、階段を昇りだす。

 いよいよ冬籠りが始まる。そのことを思うとアレルの足取りは重くなっていった。


 「早くしないとボートが溶けてしまいやす」


 手早く登り切ったシダールから正論が刺さる。相変わらず現実逃避するギリギリのところで声をかけてくるもんだと感心しながらアレルはウンザリしながらも気合を入れなおす。さあて昇ろうかと、ふと空を見上げると真っ白な大きな鳥が羽ばたいているのが見えた。


 「シダール!ユーファだ!」


 ユーファは体長が120cmほどで、ほぼ体全体が真っ白な渡り鳥だ。頭部は小さく、目の周りから長い頚部の前側だけが黒。長い肢が特徴的で所どころ暗い朱が鈍く光っている。構造色というやつだ。

 この鳥は冬になると霊峰ジュネヴァの向こうから飛来し、南の港町セイジョーまで向かうのだが、その途中でこのウシュマ湖に寄って行く。非常に美しい鳥だ。群れで飛んでいる様は一己の大きな生命体の躍動を感じさせる。

 ただし、ここオロークの地でユーファを見かけるということは、明日中にはウシュマ湖が凍るということだ。なぜかは分からないが、昔から必ずそうなるのだ。


 「これは厳しい冬籠りになるな」


 せっかく気合を入れたアレルの足取りはまたしても重くなるのであった。


2.


 「さっ、アレル様、お手を」


 先程と同じ言葉だが今度はアレルも渋々手を差し出しシダールと手を繋いだ。逆側の手でシダールが祠に手をかざす。魔力認証だ。必要とはいえ、男同士で手を繋ぐのは気が引ける。

 すると祠に一つだけある青い石が光を放ち、半透明の人型を映し出す。

 ジュネヴァの使いである。

 その姿は典麗でいて威光に満ちている。二人は自ずと『使い』の前に傅いた。


 『よく来た。後見(うしろみ)は誰か』


 表情のない声。口も開かずジュネヴァの使いは語りかける。


 「私一人です」


 『では参籠するのは其方か』


 瞼を閉じたままアレルを視る。頭を垂れたまま首肯すると『使い』はシダールヘ体を向ける。


 『では広さを指定せよ』


 「はっ、3520*2640*2200でございます」


 シダールは淀みなく答える。


 『では期間を指定せよ』


 「はっ、259200でございます」


 『相違ないか?』


 「はっ、間違いございません」


 『使い』は定型の問答しかしない。後見を尋ね、参籠するものを確認する。このとき後見以外の人間が複数人だとその人数を尋ねる。そして、広さと期間を確かめる。

 他の教会は知る由もないが、期間が86401以上だと『相違ないか?』と聞いてくれる。少しだけ相手を慮る様子があるような気がして、勝手に人間味を感じてしまう場面でもある。


 さて、その数についてだが、この世界の度量衡は、ここで使われる数が基準となっている。単位は長さがミリメートル、重さはグラム、時間は秒で定められている。大昔に廃れたが古い単位でいえば、シダールが答えた広さはちょうど六畳というものに当たる。

 さらにいえば「数という概念もこの祠由来である」という説を推す学者もいる。人類史において数の誕生が同時期に世界各地で興ったことと、それら全てが祠に近い場所であったことが証左とされている。


 『使い』の確認が終わると、アレルの足元に青い聖印が浮かび上がる。ジュネヴァの聖印だ。


 『主のご加護があらんことを』


 『使い』の祈りとともに、アレルは青い光の奔流に呑みこまれ、その姿を消した。


3.


 冬籠りに入ったアレルは、三度目ともなると特筆することもなく、慣れた様子で«灯り»を点して座り込んだ。地面との接地面を増やすと体が冷え切ってしまうので、それから殆どの時間を立つか座るかして過ごしていった。


 「やることがない」


 暗闇の中でひゅうひゅうと風の音だけが鳴っている。もちろん人の気配などなく独り言も気兼ねなく言える。

 体感時間では二日目の昼過ぎである。

 アレルは先ほどまで点けていた灯りの魔術を消して、地面に膝を抱え座っていた。

 あまりに寒いので«灯り»を止めて、«ウォーム»の発動に魔力を割いていたのだ。


 「この感じだと湖は凍ったんだろうなぁ」


 ユーファの到来とこの寒さを考えると間違いない、と確信するアレル。


 この祠の内部もそうだが、その周辺も魔力が濃い。そのため魔力回復は早く«ウォーム»など生活魔術なら長時間使用が可能なのだが、魔力圧が高いので制御がとても難しい。よほど制御が巧くなければ、生活魔術以外は使い物にならない。

 三度目のアレルも生活魔術以外だと一つしか魔術を発動できない。

 というより、二度目の冬籠りで試行錯誤した結果、一つだけここで使える新魔術を開発できただけだ。魔術基礎を拡張しただけのシンプルで単純な魔術。そのときは遊びのつもりだったのだが、思いの外、使い勝手の良い魔術だった。

 その名を«狐格子»(きつねごうし)と言い、伝統的な建築技法から名を頂戴した。

 今の状況においては何も役立つことない魔術である。

 ここ今に限っては«ウォーム»の発動に集中しなければ命が危ない。


 そもそも一度目のときは、半日だけだった。当時は十歳なので規定で半日の冬籠りが限界だったのだ。そのときは暗闇の中で自分がなくなるような気がして、必死に«灯り»を絶やすまいと最後まで集中していた。

 二度目は十一歳のときで一日半籠った。一度目の終わりに大泣きしてしまった反省を活かし、普段から納屋に籠るなど暗闇に慣れる特訓をしていたアレルにとって、二度目はそれほど辛くはなかった。強いて言えば空腹がきつかった。

 そして三度目。二度目の反省を活かし、彼は空腹に慣れる訓練を積んでいた。万全である。母には努力の方向が間違っていると怒鳴られたが、この事態になったのだから間違ってはいない。


 そんな中、今回の反省は寒さ対策だなとアレルは考えていたが、今年の寒さは異常であった。毎年ウシュマ湖は凍るには凍るのだが、今年はひと月も早い。そのうえ、ここ三日ほどで急激に気温が下がったので冬籠りの日程に当たるとは予想できなかったのである。

 そんなことは露知らず、乾布摩擦は寒さ対策にはいいのだろうかと、四度目に向けて対策を練っていた。


 その頃、シダールは凍った湖のほとりで、まんじりともせず三日経つのをを待っていた。寒さは最後の早朝がピークであろう。そこから昼まで祠は何人も寄せ付けない。この寒さでは大人でも厳しい環境だ。坊ちゃんは無事であろうか、と心配の種が尽きない。

 アレルを祠へ案内した後、シダールはというと教会へ文を出していた。飛文(ひぶみ)といい、鳥の足に文を結わえて届ける手法で、ここからなら直ぐに届くであろう。

 記したのは案内後に確認した森の異変について、ウシュマ湖の氷結について、それに冬籠り明けの増員についてだ。

 案内後シダールがあたりを探索したところ、森のあちらこちらで小型の魔獣が小規模な群れをなしているのが散見された。それはまるで遠巻きに湖を監視しているように見えた。応援を要請したのもそのためだ。魔獣の異変は、この辺境において最も重要な情報なのだ。その情報の扱いはシダールの本来の役目でもある。


 元々は観光出来るほど安全な森だ。しかし、どうしても胸騒ぎが止まらない。シダールが祠を一心に見つめる中、湖の氷がキシキシと音を立てていた。


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