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天涯のリリィ  作者: 二親紀伊
出逢いであっても
1/8

霊峰の山麓


1.


 霊峰ジュネヴァはすっかり雪景色である。麓辺りには未だ暗緑の山肌が見えているが、半ばより上はもうすでに雪に埋まっている。しかし、よくよく境目を見やれば、あるところでは尾根伝いに雪が長く這い入り、あるところでは傾斜に沿って短くとどまっており、山肌の暗緑と白雪は複雑に絡み合っている。入り組んだ地形に沿うように、銀白の雪が波打ちながら、霊峰をぐるりと染め付けていた。

 冬山は気候も相まって人を拒絶するような畏れを感じるが、霊峰ジュネヴァはその限りにない。

 なぜなら天辺が太古の噴火で崩れて平らに均されている。それゆえ裾野の豊かさに比べ高さが足りておらず、ずんぐりとした嶮のない山容なのだ。しかしそれでも一度(ひとたび)冠雪すれば、岨立つ崖や険しい谷が白い陰影を作り出して、嶮しさが一層垣間見えるようになる。夏は牧歌的な、あるいは暢気な山体だが、冬には厳嶮さと柔和な山容を以て、立ちどころにその姿を美しく変貌させるのである。

 冴え冴えとした冬の高い空に坐す白銀を冠した霊峰は今まさに見頃を迎えていた。

 ここは最北の僻地であるが、一目見ようと訪れる旅人は絶えない。


 霊峰ジュネヴァとは、その名を冠する通り、理の神ジュネヴァの宿る山である。

 山が持つ険しさには女神の高潔が顕れるが、この霊峰は山頂の嶮を喪った峰がゆったりと続き、泰然とした男神をおもわせる。(いわん)やジュネヴァは男神である。


 北側から望めば、左右対称に緩慢(なだらか)な雄々しい裾野。が、そこはカムイカムラ山脈に(とざ)された魔獣や亜人の棲む杜の世界。未踏の危地に臨む者はいない。

 ここを訪れた旅人は南から景色を堪能するのだ。

 険しくも柔らかい山体。そこから麓あたりに目を落とすと、東側が噴火によりごっそりと陥没している。そこにあるのは真っ青な真円の湖だ。


 ウシュマ湖。


 その透明度は世界屈指を誇り、『青の秘境』として名高い。

 水深は深く、透明度も相まって眺めいれば吸い込まれそうな青い湖だ。その淵は何者も拒むような崖が屹立し、湖面の中央付近にはぽつんと島がある。その小さな島には理の神を祀る祠だけが存り、ジュネヴァ教の聖域として教徒だけが出入りを許されていた。

 まるで霊峰に(いだ)かれたような摩訶不思議な真円の湖は、理神ジュネヴァの伝説に(あやか)り『ジュネヴァの聖杯(ゴブレット)』と呼ばれている。

 ここに訪れた旅人は、その白く覆われた霊峰と澄んだ湖の青と白の世界に、息も忘れるような静寂な世界に、神聖さを感じずにはいられなかった。



2.


 さて、霊峰ジュネヴァの山麓のほど近くには街があった。ロマスク王国ノートン領の領都オロークだ。六教会の一つであるジュネヴァ教総本山が鎮守しており、同教主が領を預かっている。

 オロークは北に霊峰を抱え、西にイレイス川を挟んでオデッシア市国と接する城郭都市だ。国境に位置してはいるが、オデッシア市国は永世中立を謳う六教会都市連合であり、国と言っても領地一つ分の広さしかない。さらに北側に住む亜人と人は交流を断って久しく、山向こうから攻め込まれることも考えにくい。それ故、今ではここを、否定の接頭語ディオとかけて無用の砦(ディオ・ローグ)と呼ぶものも少なくない。

 この城郭自体もロマスク王国建国以前に建てられ、建築様式は随分と古い。それもまた揶揄される一因であろう。

 今では魔獣除けとして活躍するくらいだが、それにしては過分である。

 

 オローク領主はジュネヴァ教現教主でもあるサルリアン・ノートンだ。齢は七十を超える。

 上背はかなりあり、筋骨ともに逞しく、とても老体とは思えず、歴戦の武人といった雰囲気を纏わせたその姿は、およそ宗教家にも見えない。

 そして今、憮然と腰を下ろした彼の眼前では仕合が行われていた。

 武骨と言っていいような教会の奥には習練場(ミスク)がある。円形の闘技場のようなグラウンドの中心では、革の鎧に身を包んだ二人の少年が睨み合っていた。


 一人は、平均を大きく上回る体格の少年ワード。ウェーブした黒髪に少し灼けた肌。逞しく発達した(しな)やかな筋肉はネコ科の動物を彷彿とさせる。

 もう一人はサルリアンの孫、アレルガンド。通称はアレル。赤毛で色白細身の少年であるが、手足は長くよく鍛えられている。

 二人の手には木剣が握られ、黙したまま対峙しているが、その姿は対照的だ。

 構えもなく、だらりと力なく木剣を片手で持ち、手の中でくるくると回すワード。

 一方、切っ先を相手の眼に向け、両手でしっかりと構えるアレル。

 早朝から続く仕合はもう何合目かわからないほど続き、両者ともに肩で息をしていた。


 ワードは姿勢を屈め、千切れんばかりに漲った脹脛は今か今かと爆発の時を待っている。獰猛な瞳はアレルの切っ先を捉えていた。音も消えるような集中。わずかに切っ先が下がったその刹那、土煙が上がる。瞬きする間もなく、すでにワードはアレルの眼前にあった。振りぬかれる木剣。が、視線も向けずアレルはそれを受け流した。そのままワードの怒涛の連撃が続くが中々決めきれず、凌ぎきったアレルが間合いを取る。


 まただ…

 ワードはまた凌ぎ切られたと、唇を噛む。仕合中に反省はいらない、そう思い倣し(かぶり)を振るワードは、再度一気に間合いを詰める。

 鼻先が地面に触れるような低い姿勢のまま、相手が下段に構えるよりも疾く足元を薙ぐ。さらに距離を詰め首を一突き。間合いを詰めたまま、避けにくい胴への三連撃。隆起した筋肉から繰り出される渾身の打ち下ろし。胴薙。袈裟斬り。打突。斬り上げ。どれも危なげなく避けられ、受け流され、見切られた。

 最速の刺突を入れようとしたワードの剣は、力を伝える直前にアレルに抑えられる。お見通しだと言わんばかりに…

 

 十手目だ…また十手目で止められた。

 ワードはアレルの明らかに意図的な仕合運びに苛立ちを隠せなかった。

 

 「止め!」


 腹の奥にまで響く声。教主サルリアンは泥仕合に飽いて止めさせた。

 剣の技はワードが上だ。しかしアレルの才覚はそれを圧倒的に上回る。ワードの剣捌きに体勢を崩されることもあるが、反射神経と予測で全ての剣筋を捌いている。そして十手目の技の頭を叩く。

 しかし自ら相手に剣を振り下ろすことはない。もし、ワードが一太刀も浴びせなければアレルはそこに立ち尽くすだけだったであろう。

 覇気のないアレルにいい様にあしらわれ、ワードは怒り心頭である。


 「アレル。おまえはいつになったらやる気をだすのだ」

 「じじ様。ジュネヴァ教に修練はありませぬ」


 修練とは、教会に於いては主に修練場(ムスク)で行う精神修行のことを指す。

 そしてここは習練場(ミスク)だ。

 そして理の神の教義は理であり、所謂精神修行はむしろ害悪とさえされる。

 アレルは、それだけ言うとそそくさと帰ろうとした。

 そこへ怒りに顔を赤くしているワードから反撃の一声が上がる。


 「教主様。逆に言えばアレルは習練ならばなんでもやると申しております」


 サルリアンは自慢のひげを弄りながら、芝居がかった思案顔をつくり、ポンと手を打った。


 「然り。アレルや。おまえに冬籠りを命ずる」


 アレルの顔は暗澹たる表情に変わった。



 3.


――アレルガンド・ノートン


 習練場(ミスク)での彼は全く覇気のない少年だ。

 しかし、それはアレルの全てではない。基本的には人懐っこい表情豊かな少年なのである。

 今年で十二歳を迎え、祖父譲りの赤髪に身長も高く、細身ではあるが筋肉のつきも良い。

 目鼻立ちも整っており、クリっとした目がコロコロと表情を変える様は見るものに、印象を強く残す。

 教徒にも信望が篤く、ジュネヴァ教の未来も安泰だと皆に思われていた。


 アレルはノートン邸に戻ると、早速手洗いうがいをする。

 ジュネヴァ教の教義のひとつだ。

 なんでも教義にすればよいというものではないが、教義は多岐に渡り、自らが良いと思ったものを採択するというなんとも緩いものである。


 侍従長のアリアンがタオルを持ってくる。

 このタオルもノートン領の名産で開祖の指揮の元作られたものという。

 アレルは手を拭きながら、愚痴をこぼす。


 「…冬籠りだってさ」


 芝居がかった暗い顔で口を尖らせたアレルに、アリアンは優しい笑みを返す。


 「そういえば、デネブがワードに相談を受けたそうですよ」


 アレルは呆気にとられた顔で「なるほどね…」と呟いた。

 デネブとは、ジュネヴァ教孤児院の院長デネブのことだ。四十に届かないくらいの年齢だが若々しく、孤児からも尊敬されている。栗色のウエーブのかかったロングヘアで、左眉の上から頬にかけて切創があるが、それを誇りとする凛とした立居の麗人だ。


 そしてワードは孤児院出身の教徒である。

 あの悪童ワードが人の言葉尻をとるなどおかしいと思ったのだ。

 アレルはデネブの助言であれば、仕方がないかと冬籠りの決意を固めたのであった。


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