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夜を射る  作者: 今川理
1/1

襲式目

酔いの覚ましに、少し凍てつく話でもしよう。何、怖がらなくてもいい。うんと昔、私がまだ10代の頃の話だ。私は大工一家でな、親父の後継は必ずだった。それがどうも気に食わない私はある日家出したんだ。と言っても、近くの山を昼に飛び出しただけだ。夜は冷えるし、なんせ戦時中だったものですぐに帰るつもりだったよ。しかし、美しい山道で迷子になった。あっちに行けばいいのか、こっちに行けばいいのか。めそめそしていたら、好青年が目の前に現れた。彼は私を慰めてくれるかと思ったらこう言うんだ。「これは俺の遺書だ。これを村に届けてくれないか。」しばし状況を理解できぬまま涙を止めた。何を言ってるんだ?ところが、どう言うわけか、操られるように、言われた通りに行動していた。家には帰れないくせに、近くの村には無事着くことができた。好奇心で、彼の遺書を開いてしまおうと思った。


「ある男から聞いた話だ。俺はこれからサトウサンに会いに行く。何も、サトウサン一家に入れば、ルールを守りさえすれば自由に暮らせるんだ。俺は人を10は殺した。きっと待つのは死刑。悪いが、まだ俺はやるべきことがある。」

-----------------------------------.---------


一年に一回は贅沢をした。といっても、新鮮な魚を朝一番の市場で買うぐらいだ。その一瞬、側からは毎日こうやって贅沢をしている家柄に見えているのだろうか。実際、そうではない。これが現実。あらゆる着飾る場所は自分を偽る場所で自分を忘れる場所でもある。

そんな自分と家族が嫌だと思う。

僕の家族は仲は特別悪くは無いと思う。

けれど、家族であろうとしている。

本当の家族とは一体なんだろう。

母親がある日の夕飯時衝撃的なことを告げた。

「夢を見た。」

父親は訝しげに聞き返した。

「はぁ。」

「最初ね、信じられないって思うでしょ。でも違うの。ねえ。なんで信じてくれないの?」

母親は必死になって尋ねた。

互いに味のしない米を食らった。

母親はぎこちなく笑って僕の顔を覗き込んだ。

前髪の間から悪魔の眼差しが差し込んだ。

米を叙爵し、粘膜と絡めるとわずかな心地よい甘みを感じる。

「ヨルは、お母さんを信じてくれるよね?」

茶碗にドロドロになった米を流し込んだ。

一瞬、空気が歪み、家族が僕を化け物でも見たかのような目で見つめる。

腹の虫がおさまらなくて、喉に手を突っ込んで、胃液を吐き出した。

「きっも」

妹がそう言い放ち、囲炉裏の鍋をひっくり返し立ち去った。

父親も何事もなかったように立ち上がり、葉巻をくわえた。

母親は僕に話をふったことを後悔しているだろう。意気消沈とし、自室に帰り伏した。


妹はその夜、荷物をまとめ出した。

「お兄も、逃げたら?」

「どこ行くんだよ。」

僕は妹の手を強引に掴んだ。

「いい加減にして。あんな血のつながりもない奴のこと気にかける必要ないでしょ。逃げた方がいいって。」

僕らは血の繋がりがない。僕の真の母の再婚相手が今の父親で、母親の連れ子は妹だがこれも血の繋がりがない。つまり、他人同士ということになる。

死に急ぎの他人に肩を貸すつもりはない。

「はい。お金。」

「何、この金。」

「父親に体売った。」

「は?」

「元気でね。」

「いらないよ。」

僕は金を床に叩きつけた。

妹が、父親の顔を装った怪物からせびった鉄の塊を爛々と睨む。

妹は先ほどよりも冷静になった。

「祟られてるよ。」

妹は涙の流し方も忘れいた。

妹は僕に20円を渡すと家を出た。

渡された20円を握り潰した。放り出したくなったがやめた。

私物を全て処理し、荷物をまとめ家を出た。


この世の中は混沌が渦を巻いて、秩序を正当化している。

この世の中に社会のゴミクズは一体何人存在するのだろうか。夜がきて、朝が来ると、僕は目を閉じ活動し始める社会の歯車達に問いかける。お前らはいつ寝るのか。



村に御貴族のご参列を横目に、盗んだりんごを片手に書物屋に入った。

隣町に逃げ隠れ、書物屋に身を潜めた。ここの書物屋の店主とは昔からの知り合いで顔が聞いている。

「御貴族様の御参列はこの頃この隣町まで伸びているとは、物騒なものだね。」

店主は独り言を呟いた。

「ヨル、客が来る。1700年代の最新のやつをできるだけ前に並べておいてくれ。」

言われた通りに一つずつ丁寧に書物の題を見ては年代ごとに並べた。

「サトウサン」

一冊の本を手に取った。

ボロボロでかろうじて読めた。年代は3桁。相当古いものだ。埃が血潮にのめり込んだ。

「あぁ、サトウサン」

年嵩は僕と変わらない少年が声をかけてきた。

それとなく手に持っている本を急いで後ろに回した。

「そんなに驚く?」

よく見れば、少年は淡い紫のシルクの着物を着ていた。御貴族の服装だ。

しかし少年は細身で病人のような顔色をしていた。今にも死にそうだ。

「サトウサン、興味あんの?」

御貴族に顔を覗かれる。思わず目をぎゅっと瞑る。

目が合うと、石にされてしまう。香りを嗅ぐと、鼻が効かなくなる。口を聞くと、言葉を失う。様々な御貴族に対する愚弄を聞かされた。どれも信憑性が薄いが本当のようだった。彼らは不気味で、歪な存在だった。

「なぁ、なんとか話を聞いてくれよ。」

少年は僕の肩を揺さぶった。

僕はその場にうずくまり、力尽きた。

「御貴族様が、なんでここに?」

少年は一呼吸おいてそっけなく答えた。

「母上に殺されかけた」

御貴族は、残酷で汚らわしい。

少年は着物を手繰り寄せ、隣に座った。

ほのかにお香の香りがした。埃が舞い、差し込む光に照らさせた。

「俺はセイスレン。お前は?」

一瞬躊躇った。


目を閉じた。

想像した。

眠れた夜は寒くて熱い。

「ヨルセ」

「ヨルセ。」

セイスレンは僕の名前を噛み締め、サトウサンの本を僕から取り上げた。

「ヨルセは、サトウサンをどこまで知ってる?」

首を横に振った。

「サトウサンは、殺戮の神様だよ」

セイスレンは得意げに話した。

殺戮の?

思わず身を乗り出す。そんな僕を見てセイスレンはふふっと笑うと、サトウサンの本を破いた。

「こら、破くな」

「こんなの嘘ごとだ。この本にはサトウサンさんは世の中の悪魔として描かれているけれど、俺は違うと思う。寧ろ逆だよ。」

セイスレンの悲しそうな顔を眺めた。

公貴な服で身を包んでいるが、中身はただの人間だった。

「君も信じる?。」

僕は黙るしかなかった。

夢のような存在は、考えてはならない。

そもそもサトウサン一家ってなんなんだ。


セイスレンとはそれから会わなくなった。

しばらくして、御貴族のご参列が現れた。しかし、いつもと違い、皆喪服を纏っていた。

セイスレンの顔が何故か浮かんだ。


「ヨルセの特技は何?」

僕は首をふる。

特技はない。

相手を不快にさせることくらいか。

そう思って自嘲する。

からりとした昼間だった。寒くも暑くもない秋の昼。葉は色づき川は穏やかに流れている。

「それでも君とはまた会えそうだ。」

「あっそ」


夕方まで書物屋店主の親戚の畑仕事を頼まれ、隣町からより田舎にいた頃だ。夕刻になり、コオロギや河頭の合唱が絶えず鼓膜を震わす。

「ウルセェ」

汗を拭い、鍬を置いた。曲がりかかった腰を元に戻し、休憩にと井戸水を汲みに行った。

「また、あったね」

井戸の水を汲み終わり、顔を洗っていると、バケツの水面に僕以外の顔が映り込んだ。

「セイスレン」

一瞬驚いたが、意外にもすんなり受け入れた。

セイスレンはあの頃とは違い、地味目の黒と鼠色の袴を着ていた。

「つけてきたのか?」

僕はセイスレンを追い払うようにそういった。構う前に仕事で疲れていた。

「それは君もだよ。君はずっとサトウサンのことを考えている」

セイスレンは目を細めた。

僕は血管をうき立てた。

図星だった。

あれから肩時もサトウサンを忘れたことはない。謎の存在、組織、救い、希望。

「明日の朝、猪がこの村を襲う。その騒ぎに乗じて俺を見つけてごらん。」

セイスレンはあった時より何倍も透き通って見えた。

僕がもう一度セイスレンの名前を呼んだ時はもう彼は消えていた。

次の日の朝方、案の定大きい猪が村に降りてきた。村の男たちは目を擦りながらも慌てて起き武器を構え外に繰り出した。

軽く着物を羽織り僕も霧かかった外に足を踏み出した。猪が現れた反対側、林の奥にポツリと人影が見える。セイスレンだ。一心不乱に冷たい泥水を裸足で歩く。そういえば、夜中雨音が聞こえた。彼に続いて山を登る。深い緑を目の前に白い肌の少年を頼りにただひたすら痺れた足を動かす。決して緩やかではない。さらに奥を登ると、川のせせらぎというよりかはゴウゴウと濁流の音が響いている。梢が吹き、葉と葉が擦れ合う。

木と木をかき分けた先に、サトウサンの家はあった。

それは古びた館を思わせた。

セイスレンは僕の手を取ると、神妙な顔つきになり、前へと押し出した。枯山水の奥に赤い着物を着た女性が立っていた。

「ようこそ。我が一族へ。」

その女性は異様に首が長く、肌が鱗のように光を帯び、透き通っていた。

「よろしくお願いします。」操られるように頭を下げた。

すれ違う瞬間、その女性に腕を掴まれた。

心臓が跳ね上がり、血の気が引いた。

「ここでの掟は、嘘をつかないことと、家族を殺さないこと。それだけです。」

「はい。」

玄関に入ると、早速靴を履こうとしている青年に出会った。

「あれ、新しい家族かな?」

青年は爽やかに僕に笑いかけた。

頷き、挨拶をするとその青年の足元を見た。血がこびれついた足と爪。

気がついたら、セイスレンの姿がなかった。

「あの、セイスレンは。」

ついでに青年に問う。

目が合う。彼の足と爪から目線を咄嗟に逸らす。

「セイスレン様のことを?」

青年は笑ったようにも見え、小馬鹿にしたようにも見えた。

なんでもない。と断りその場を後にした。

セイスレンの姿が澱む。

赤い絨毯が敷かれた廊下を進むと、大浴場と、大食堂という看板があり、その先に階段があった。なんとなく階段を上がる。どこまで続くのだろう。しかし、一向に最上階には辿り着かない。ヤケクソになって真っ暗のなか、手探りで階段を一歩ずつ登る。

「勝手にうろつかないでくれる?」

だんだん目が慣れてくると、少年の姿が朧に瞳に映った。

「新しい人?」

「うん」

「カハラ兄さんのこと知ってる?」

「知らない」

少年はため息をつく。

12歳くらいだろうか、まだ幼い。

「案内するよ。」

腕を強引に捕まれ、空き部屋のある階へ案内された。

「階段は登ればいいもんじゃないよ。」

少年の手は震えていた。

階段を降りる時、僕と同じ年嵩の女とすれ違った。


「ユユ、何それ、新しい家族?」

女は僕を見るなり顔を綻ばせた。

「私はヤハウ。よろしく」

僕はなんとなく会釈を交わし、ヤハウと別れた。

「ゆゆ?」

僕は少年に耳打ちした。

「俺の名前。」

ユユは不機嫌に答えた。

「お前の名前は?」

「ヨルセ」


4階の奥、ユユの部屋が上に位置する部屋がちょうど空いていた。

別れの際、ユユはこういった。

「朝と夜の7時の食事の時以外は自由にしてもいい。」

窓の外から滝が見えた。空気も美味しく、住み心地のいい場所だ。

夜7時、ユユに案内され食卓に向かった。

大家族だけあって、部屋は横っぴろく、長く大きな机の上に豪勢な料理が水平線上に盛られていた。

まるで旅館の宴会場だ。

長方形の机の中央の席には赤い着物を着た女性が座っていた。おそらくあの人がサトウサン。

ユユの隣に座る。ヤハウは向かい側に現れ僕達を見るなりニヤニヤしていた。

「カハラ!こっち」

ヤハウが手招きをし、呼び寄せられた人物は先ほど玄関で会った爽やかな青年だった。

ヤハウとカハラは恋人のようにべったりくっつき内緒話をし始めた。

「いただきましょう」

サトウサンが言うと、住民は一気に物を喰らい始めた。

「食えよ。」ユユが手掴みで手羽先を頬張る。

「セイスレンは?」

ユユの長い前髪の深い瞳を探る。

ユユは一瞬、黙る。やはり、禁句の言葉なのだろうか。そう思った時、

「セイスレン様にはこんなものお口に入れないでしょうよ。」

ユユは呟いた。

目の前にはコウモリが浮いた赤いスープ、蜘蛛の手羽先、虫の和物、とてもではないが食べれたものではない料理が並んでいた。

毒々しい赤い液体に自分の顔が映る。

コウモリが今にも動き出しそうだ。

「そうか」

考えたがユユの言う言葉が何を意味するのか全く分からなかった。

サトウサンがこちらを凝視しているのを目柱で捉えた。

コウモリの頭から噛みちぎってやった。

虫を貪り怪物になりきった。

カハラはヤハウの汚れた口元をそっと舌を転がして拭き取った。

「最悪だ。よそでやれよ。」

カハラの隣にいた中年の男がカハラに蹴りを入れた。

「面倒くせ」

ユユが炭酸を飲み干し、立ち上がる。

「行こうぜ。」

僕は無言でユユの後を追った。

「銭湯は9時が1番混むから今のうちに入っておいたらいい」

銭湯に向かう途中、家族の顔だろうか、みんなの写真が飾られていた。

ユユが1番最後だったから年齢順の可能性が高い。

その額縁のいくつかに、バツのマークがある。

嘘をついたらいけないから、嘘をついて追い出された人なのだろうか。

バツのマークそっと撫でる。

赤黒く、錆びついている。

血だ。

思わず額縁から手を離した。


風呂は露天風呂になっており満点の星空を見上げることができた。イナゴやコオロギ、秋の虫達が騒がしく鳴いている。


相撲とりのような恰幅のよい叔父さんと、つきはぎだらけの少年。

相撲とりのおじさんがお湯に浸かると、お湯が一気に外に流れ出た。

「やぁ、いい湯だね。」

「お前が先に入ると、後の奴らのお湯が減るんだよ。クソが」

つきはぎの少年は小柄な割に大口のようだ。

「何見てんだよ。殺すぞっ!」

つきはぎは鋭い眼光を光らせた。相撲とりのおじさんは和やかにつぎはぎを宥めた。

「こちらこそ驚かせてすまない。カミルは君と明日兄弟になるから警戒しているんだ」

兄弟?

「兄弟ってどう言うことですか。」

相撲とりのおじさんは汗を拭き取りながら、つきはぎと僕ののぼせ顔を見比べた。

「湯から上がってから教えてあげよう。」

湯から上がると、まだ顔も名前も知らない人ばかりで溢れかえっていた。その人達は僕を一瞥するなり舌打ちをしたり匂いを嗅いで鼻を摘んだり、にんまりと笑いかけたりする者もいた。

風呂場を出て隣の洗濯機が置いてある部屋に入った。天井は崩れいて半分が丸出し。置かれているものはどれも古臭い。誰が使うのかわからないものばかりが置いてある。

「明日、サトウサンの肉をお前は喰らうんだ。」

相撲とりはいった。

「サトウサンを食えば、家族に名前を覚えてもらえ、自動的にサトウサンの掟に従わない場合、罰をくらい、一方で世の中の掟から守られる。」

「サトウの肉で死んだバカもいる」

カミルは笑う。「俺のババァは死んだ。美味しく食わねぇと死ぬんだ。味はそうだな。この世のものではない。臭く熱く、甘美だ。」

「よせ、楽しみがなくなるだろ。」

相撲とりがにやけながら話を遮った。

僕はすでにサトウサンに命を捧げていると思い込んでいた。違った。僕がサトウサンさんの命を喰らうのだ。珍妙でふざけた儀式だ。「明日が楽しみだ。」

相撲とりのおじさんは「明日、儀式が終わったら、私の名前が頭の中に浮かんでくることを願うよ。」

と言って床についた。


朝、6時夢を見た。

サトウサンと共にこの家を牛の大群で壊して行く夢だ。快感と共に、新たな思考が止まらないことに恐怖を覚えた。この家を突き抜けて、どこまでも壊れることを僕は望んでいる。

それでいい。それでいい。それでいい。

儀式と共に兄弟となる家族達が肩を並べ僕を歓迎した。

ぶっ壊せ。塵すらものこさず。


布団を蹴った。

僕の所在は、村の外れにある宿屋だった。

朝日が丁度のぼる。

村人達が掛け声を上げ、牛や豚の鳴き声も聞こえる。

夢。

そんなはずない。鮮明に彼らは存在していた。

僕を呼びに来た村の子供達に連れられ、朝ご飯を食べ、一日中働いた。

夕暮れ時、湯屋に出向いた。

村の子供達に、ここら辺に大きな家があるかと尋ねた。

「緑旅館の廃墟のこと?」

「お化けが出るよ!」

と口々に言い始めた。

それだ。

きっと、僕が目にしたものは緑旅館でまだみんなそこにいる。

ランタンを灯し、僕は山を駆け上った。

居ても立っても居られない。最後に帰る場所はあの旅館なのだ。

廃墟なんかじゃない。しかし、どこかで何かを期待していた。

滝の音を聞きつけ、その先へと進んだ。

あった。

汗を拭った。

着いたぞ。そこにはかつて足を踏み入れた旅館があった。

しかし、灯火一つ付いておらず、正直いって初めて目にした時の美しい豪邸には見えなかった。どうせなら近くまで寄ってみることにした。しかし、扉も破壊され、瓦礫が無惨に土匪散っており、足の踏み場すらない。まさに廃墟。そんなはずはない。昨日確かに、ここに招待され、足を踏み入れたのだ。

結局頼りない月明かりを横目に村へと引き返した。

村のお爺さんに話を聞くと、「あの旅館はもう誰も出入りしていないよ。獣の住み場所か、もしくは殺しの名所だ。近づくな。」

と言われた。その話にゾクリとした。しかし、その一方で寂しさを覚えた。他人に共有し得ない特別な何かを突然否定されてしまったのだから。


次の日に備え、目を閉じた。

明日もう一度そこに行くんだ。


目を開けると、僕は宿屋にいなかった。

ここは、窓の外を急いで確認する。

緑旅館。滝が轟轟と鳴り響いている。部屋を出ると、家中は騒々しかった。


儀式は午前8時ごろから始まった。総勢20人ばかりの家族がサトウサンを真ん中に、白いテーブルクロスが引かれた食卓を囲んだ。

夢に見たとおりであった。しばらくして、赤いお面を被り、赤い袴姿の者が現れた。

丁寧に研がれ、先が煌めく鎌を両手に持っていた。

あまりの気迫に血の気が引き、乾いた喉を潤すため舌で唾液腺を探った。

始まる。

誰かの声が聞こえた。

赤いお面は鎌を構えると、机を駆け上った。堂々とサトウサンに向かって歩ゆむ。

サトウサンは音を立てず立ち上がり、机に登った。

サトウサンと目が会った。

「美味しく頂きましょうね」

不気味な笑みに僕は口角も上がらなかった。

顔が硬直し、呪われたように体もいうことを聞かなくなった。

赤いお面はサトウサンの首をひと突きで飛ばした。

周りの家族が歓声を上げ返り血を獣のように舐めまわす。滑稽であった。

倒れた体を突き刺しては引き抜くことをくる返し肉はほぐれていった。

そして僕自身、生臭い残骸の前に座らされた。

どこかに飛んでいった生首がこちらの様子を見ているようで怯む間も与えない。躊躇なく血に満ちた肉片を掴んだ。

鼻を刺す匂いだ。しかし、それ以上のものこの目で味わい嗚咽し時にはじっくり煮えたぎるまで楽しんできた。

口の中に押し込む想像をした。

骨が溶かされるかと思うほどの熱さだ。同時に体内に別の何かが交わる感覚がした。

悦楽し、叫び狂った。おかしい。こんなの間違っている。

勝手に流れる涙を拭き、己の灰色の目玉をくり抜いた。

家族総勢僕に注目する。

ここまで食事を楽しむ奴は他にいないだろう。

心は満ち足りた。しかし鼓動が五月蝿く溢れている。

自分の目玉と、サトウサンの目玉を共に喰らうと、頬を膨らませながら血を散らつかせながら僕は吠えた。

「ヨルセ。ようこそ。」

赤いお面に手を差し伸べられた。

「セイスレン。」

セイスレンは僕の頬に滴る血を熱い舌で拭った。

「お目覚めかな?」

ヒヤリと背中に何かがはった。

そのまま、僕の意識はとおのいた。

目を開けても、僕の所在は村ではなかった。安堵のため息を漏らす。

なんだか、妙に居心地がいい気がした。わかる。部屋の間取りも、誰が誰で、どこにいるか、全てこの家の情報が脳に移し込まれる。

不思議な能力を得て、早速家の中を歩き回ってみることにした。出会い行く住民の顔と名前はやはり一致するし、あっちからも認識されている。やはり昨日の儀式は夢ではなかった。何よりもの証拠は片方だけないこの眼球。

深淵が広がる眼球を抑えつつ、ユユの部屋の扉を叩いた。そこには、かつて風呂で出会ったカミルがいた。ユユとカミルは仲睦まじい様子で花札を叩いていた。

「おはよう。ユユ、カミル。」

「ヨルセ。」

ユユが僕の顔を見るなりふんわりと笑った。まるで本格的に歓迎するかのように。

そして奥の方で、本を読む少女がいた。名前はレンナ。初めて見るが美しい少女がいた。

「ヨルセ、よろしく。」

彼女の透き通る美しさに見惚れつつ、挨拶を交わした。


朝、食事をし昼は皆と外へ出て獣を追いかけましたり水遊びをする。夕飯を食べ、風呂に入ると、談笑をし、床につく。幸せな毎日を過ごした。家族は100人近くおり、全員と話すことは難しいが、だんだんと打ち解けあっていった。いつしか村にいたことも、書物屋にいたことも、劣悪や環境で育てられたことも忘れてしまった。冬が来て、絨毯を引いたりヒーターを倉庫から出したり家中が冬支度で騒いでいた頃、僕は川辺でレンナに告白された。

「初めてヨルセが来た時からずっと好き」

僕は彼女が嫌いなわけではない。

「俺ら家族だろ。だから何?って感じ」

僕は正直に応えた。

「好きって何」

僕はレンナの川の水で濡れた髪を触った。

僕は、レンナもユユもカミルもましてやヤハウもみんな同じ生物だった。

レンナは突然顔を近づけてきた。

僕はおどけて一歩後ろに下がった。

無理に迫り来るレンナに異色の嫌悪感を感じた。

「私を受け止めて。ヨルセ。お願い。」

そんなつもりではなくても、吐き気がしてレンナを弾いた。



雪が降り積もる夜、何かがのさばる感覚がして飛び起きた。

薄暗い部屋の中にはレンナの姿があった。

着物を脱ぎ捨て僕に覆い被さっていた。

衝動的に腹を蹴る。

オェッ。

怯んだレンナはその場に倒れ込んだ。

慌ててはだけた自分の着物を着直した。

「ヨルセ」

殺意がよぎり、塵となり消えた。

部屋の中にセイスレンが物音立てずに入ってきたのだ。暗くて分からなかったが、彼は笑っていた。

レンナは許しをこうかように僕にすがりついてきた。

「セ、セイスレン様。嫌だ。違う。違うのです。」

セイスレンは始終笑ったままだった。

意識が遠のき、これは夢だと思うことにした。

朝目が覚め、食卓に向かう途中ユユとカミルと出会った。

「おっはー、ヨルセ。」

カミルが肩を組んできたが、今はそんな気分になれなかった。

「お前、顔色死んでんぞ。」

カミルに心配されるのも無理はない。昨日結局一睡もできなかったのだ。


次にヤハウがカハラと共に目の前に現れた。

「うゎ、血の匂いがする」

ヤハウが僕の顔を見るなり高く笑った。

かなり不吉の捨て台詞を吐かれた数ヶ月、事は動く。

レンナは妊娠したのだ。

その報告を受け、僕は絶望した。子供?自分自身はまだ未熟なのに。

夢は現実となるのだ。

レンナも16だ。他の大人達が手伝ってくれるにしても自身がない。勝手な真似を仕上がって。

怒りが奮闘し、殺意が頂点にまで達した。


この幸せな空間が崩れる。それがひたすらに怖かった。僕は愚かで馬鹿野郎だ。

次の日レンナを川辺に呼び寄せ、殺害した。

簡単だった。ぽんっと、背中を押すだけでレンナは濁流に飲まれ消えた。

罪悪感はない。むしろ高揚していた。

「家族を、殺してしまったね」

背後からの声にじんわりと肝が冷えた。

いつしか言われた言葉を呼び覚ます。

嘘をつかないこと、家族を殺さないこと。

僕は、レンナを殺した。

「セイスレン」

彼の名前を呼んだ。

セイスレンは口が裂けるほど笑っていた。

「ヨルセ、夢はもう見終わった?これは現実なんだよ。」

一歩ずつ歩み寄るセイスレンの冷たい体温が伝わってくる。

「やめてください。」

僕は腰が折れてその場に座り込んだ。

「お願いです。僕は何も悪いことはしてない。あのおん女が悪いんだ。」

セイスレンはじっと僕を見下ろしたままである。

「ヨルセ、顔をあげてごらん。」

言われた通りゆっくり顔を上げた。

セイスレンは口を結び、あの不敵な笑みを浮かべていた。

「次は君の番だよ。」

額から汗がどっと流れた。


その日を境に、僕は僕ではなくなった。

セイスレンと共にあり、操られているようで、夢心地だった。腹も減らない。怒りや哀しみ喜びも感じない。無と夢に閉ざされた。

新入りが入るとセイスレンに言われた。新入りは男で、10人は人を殺したという。

刻々とその何者かも知れぬ男に召されるのを待った。僕自身を美味しくいただいてもらわねば、呪ってやればいい。セイスレンにそう言われたらなんだか気が軽くなった。

儀式が始まる。セイスレンが仮面を被り、僕の目の前に現れる。僕は、その時久しぶりに感情が芽生えた。

夜に建て続き起きた大惨事に僕は貪られた。カーペットのシミなんてどうせ夜になれば見分けなんてつかなくなる。夜はこんなにも1人の人間を貶める。それでも僕は後悔してはならない。これは現実で、夢ではないのだから。

ㅡㅡㅡㅡㅡㅡㅡㅡㅡㅡㅡㅡㅡㅡㅡㅡㅡㅡㅡㅡㅡㅡ

遺書を閉じた。私は急いでその遺書を捨てた。

よからぬものを見てしまったと思った。

自宅に帰り伏すと、両親は泣いて私を歓迎してくれた。あぁ。良かった。

そして何も見なかったことにしたんだ。それでも夜、目を閉じれば俺は同じ山へ登り、同じ遺書を見つけてを繰り返すんだ。1ヶ月続いた。怖くなって、父親に一通りを話した。

よし、その場所に行こう。そして、サトウサン一家が住んでたところが本当にあるか行ってみよう。となった。

大工職人数名を連れて何日後かに大勢で山を登った。結論、実際あったのだ。どでかい館が立ち並んでいた。庭の滝の水は赤く染まり、草は枯れていた。その一角だけ曇り空が立ちこもり不気味な感じがした。本当に気味が悪いものだった。大工職人は、ここを壊すことを決めた。

こんな廃墟を遊び場にする子供や山姥がでたら大変だ。作業が始まり、1ヶ月後、あっという間に館は消えた。しかし、作業はパタリと中断された。それは何故か。父曰く、元々館が建っていた土を掘り起こすと何千体という真新しい死体が眠っていたというらしい。

不思議なことにそれを見た者もこの話を聞いた者も全員、その夜からその館の夢を見るんだ。俺が保証する。

不思議な体験をしてください。

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