はじまりの教会(夜)
「ねえ!ねえったら!」
少女は僕の身体を揺さぶった。それは激しく。
目が回るほどに激しく揺さぶるのである。
「ごめんごめん、考え事を…ちょっと落ち着いて!」
そう言うと少女の手は止まり、再び話し始めた。
「君は誰なの?どうしてここにいるの?」
「僕は…幸之助と申します。何故ここにいるかと問われると、言葉に詰まる…。」
辺りを見回すと廃墟だと思ったそこは古びた教会であった。
補修が間に合わないのか、所々に綻びが見られる。
「君のお名前は?君こそ、何をしているのかな?」
「私はナディラ。ここは私たちのお家だよ!幸之助か…変な名前だね!」
なるほど。恐らくは教会の孤児院ということだろう。
幼い頃に記した「導きの書」はどういう理屈か、私の肉体を若返らせた挙句、日本ではない諸外国に飛ばしたらしい。信じ難い。しかし、今置かれている立場は正確に把握すべきだ。
生前の名前もここでは浮いてしまいそうだ。なぜ私はこの子と会話が成立しているのだ…。
思案に耽けていると、突然背後から声を掛けられた。
「あら、ナディラ。どうしたの?それにその子は…」
「シスター!あのね!気づいたらここにいたんだって!名前は…」
「初めまして、私は幸之助と申します。名前以外の記憶がなく、気づいたらこちらに迷い込んでおりました。」
咄嗟に嘘をついた。
名前は既にナディラに伝えてしまったため隠すことができないが、それ以外は記憶喪失であるということで通すことにしよう。
「あらま、大変。ほかに覚えていることはない?どこから来たのか、ご両親のお名前、なんでもいいの。もし覚えていたら教えてくださる?」
「申し訳ございません。」
嘘がバレないように自然と下を向く。
目線は嘘を見抜かれやすいからだ。
現役時代は嘘を見抜くために、よく目線を見ていたものだ。
嘘は目からバレるのだ。
「いいのよ、気にしないで。それにしても困ったわ…。あとで捜索願いが出ていないか調べて見なきゃ!それはそうと二人とも、夕飯のお時間よ!早くいらっしゃい。」
「僕もいただいて良いのでしょうか。」
「もちろん。まずはご飯を食べてから考えましょう!」
情報の整理でいっぱいいっぱいであったが、身体は空腹が限界に達していた。
実に有難い。ここは好意に甘えることにしよう。
シスターに連れてこられた場所は小さな食堂であった。食堂の規模からして、そこまで大きい教会では無いのかもしれない。席には初老の女性(恐らくシスターの上司)、僕らと同い年くらいの男の子が二人、女の子が一人座っている。
「院長。男の子が一人、迷い込んだようです。記憶がなく、手掛かりになるのは名前だけのようです。ゆくあてもないようですので、一時的に保護しました。いかがいたしましょう。」
「そう、それは良い行いをされましたね。その子については後で考えるとして、一緒に食事をとりましょう。」
「初めまして、坊や。お名前を聞いてもいいかね。私はここの院長をしている者だよ。」
「はじめまして、院長さん。私は幸之助と申します。この度はご迷惑をおかけします。」
「まあまあ、年寄り臭い言い回しをする子だね。気楽になさい、まずは一緒に食事をしましょうか。そこの席に座ってなさい。」
「ありがとうございます。」
通された席には既にナディラが正面に座っていた。
他にも三人いるが、警戒しているようで話しかけては来ない。
「よかったね!一緒にご飯が食べられて!」
「ナディラのおかげだよ。ありがとう。」
たわいもない事を話しているうちに食事が運ばれた。
籠に入ったパン、それとスープ。以上だ。
こういう宗教なのだろうか、それとも食料がないのか。
何れにせよ大切にいただくことにしよう。
「いただきます。」
「なあに?それ?」
他の子達も僕の所作に違和感を覚えたようだ。
「なんだろう。自然と口にしたけど…ごめんね、覚えてないや。」
長年の習慣というのは恐ろしいもので、自然と口にしてしまうのだから。記憶喪失で通すにも無理があるかもしれない。
「では、皆さん。祈りを捧げましょう。」
「今日も神の恵みを感謝いたします。」
なるほど、これがこちらの「いただきます」か。
「今日も神の恵みに感謝いたします。」
そうポツリと呟き、パンを一口、スープを一口といただいていく。
あまり美味しいとは思わなかったが、それよりも空腹が勝り、すぐに平らげてしまった。
その後は就寝のために部屋へと案内された。
僕についての処遇はまた明日ということらしい。
一人きりになり、寝床に横たわる。
眠りやすいベッドとは決して言いがたく、木製のベッドに布を敷いた程度である。しかし、目を閉じると少しずつ微睡むのを感じた。
(あぁ…思っていたよりも疲れていたんだな…。)
明日聞かれるであろう質問に対する言い訳を考える間もなく、僕は眠りについた。
導入です。
もう少し続きます。