王太子殿下の婚約者に溺愛されています。溺愛して欲しいのは、攻略対象者からです!
「で、殿下ぁ〜っ」
これで何度目だろう? 私は大きな瞳に涙を溜め、王太子殿下に縋るような眼差しで助けを求めている。
「我が婚約者、ザナン公爵令嬢セイディに間違いはない。しっかりダンスを教わると良い」
にっこり微笑むのは、攻略対象の中で最も地位の高い王太子殿下マーロウさま。
二つ年上で、五年制学校の最上級生。文武両道で細マッチョで、私が一番狙っている攻略対象者だ。
金髪碧眼なのは勿論! 白馬に乗った王子さまとは彼の事だという、誰がどう見ても見目麗しい長身の美貌の青年なのよ〜。
「身内贔屓ではなく、我が妹はダンスも達者だ。彼女にダンスを教わるなんて、又、ご令嬢方に羨ましがられるよ」
次は王太子殿下のブレーンの立ち位置であり、殿下の婚約者の兄でもある攻略対象者フィリップの言葉よ。
身長183センチの殿下と変わらない高身長に、サラサラのアッシュブロンド。切れ長の目に嵌ったアイスブルーの瞳の彼は、殿下と人気を二分するキャラクター。攻略対象者の中で、一番大人っぽい妖艶な色香を漂わせているからなの。
因みに、殿下に嵌る前はイチオシのキャラクターだったりするわ。
「オレも殿下の婚約者だからとご遠慮したが、殿下のご許可もあり手ほどきを受けて人並にダンスが踊れるようになった。
彼女のダンスの指導の上手さは保証するよ」
日焼けした肌に白い歯が眩しい彼は、近衛騎士団団長の令息シーモア。武の侯爵家の跡取り息子でありながら、かなり頭脳明晰でもあるギャップで人気を獲得している攻略対象者だったりする。
そんなシーモアから聞かずとも知っている。
羞花閉月、天姿国色、国色天香。公爵令嬢セイディの美貌を称える書き込みで、四字熟語の語彙が増えた程の美少女。
四人の男児に恵まれたが、娘は一人しか恵まれなかった公爵閣下が力を入れて養育したものだから、教養もマナーも非の打ち所がないのよね。
中でも、語学とダンスは天賦の才とか。
そんな彼女は、自分と真逆の人や生き物が大好きだったなんて……!
彼女は身長が164センチと高めで、スレンダーながら出るところは出て、括れるところは括れている。
顔はさっき言ったように、とても美しい。現代の人形作家が作った、渾身の作。美少女の、リプロダクトドールのような整った顔立ち。その分、冷たい印象が拭えないわ。
対する私は、べべドール。ビスクドールと言われて大抵の人が想像する、子供の姿に近いかな?
147センチと小柄で幼児体型に垂れ目がちな大きな目は、庇護欲を掻き立てる、可愛い女の子で大好きだったけれど……!
「さ、ハンナ嬢。我が家へ参りましょう。弟にダンスのお相手をさせますわ。
弟も私がダンスの手解きを致しましたから、大変上手ですのよ。あの子なら、練習相手に不足はございませんわ」
整い過ぎた顔立ちの微笑は、ぞっとする程美しい。私は背筋に冷たい物を感じつつ、どうにか言葉を絞り出す。
「お、セイディさまのお手を煩わせるなんて、そんな……」
「まあ。前にも申しましたでしょう?
私、一人で良いから妹が欲しかったの。貴女は私の理想の妹そのままなのですわ。だから、私がどんなに構ってもお気になさらないで下さいな」
先程より笑みを深め、セイディは微笑む。
「セイディに教われるのは、他の生徒達からは羨ましがられる事だ。
貴女以外の生徒には、滅多に手解きをしないからね」
「そうそう。勉強なら、テスト前に皆で集まって勉強する時に教われる機会もあるが」
「ダンスの手解きは、流石にないからね」
こうして、今回も逃れる事は叶わず……セイディの通学の迎えの馬車に押し込まれ、お屋敷へ連行されてしまったのだった。
(もーうぅぅっ!! 最近のケータイ小説だと、上手く行かないパターンも沢山あるけどさあ?)
「はい! 余所事を考えない! ステップに集中なさいな」
ダンスの練習をしながら考え事をしていれば、しっかり注意されてしまった。
「姉上の言う通りだ。集中して。
勉強もマナーも、姉上から手解きを受けた事が身に付けば、成績も人気も上がったでしょう?」
そう言葉を掛けたのは、ダンスの相手を務めてくれているセイディの直ぐ下の弟。公爵家の次男で、私と同級生のジオンでる。
「え、あー……まあ、そうね……」
生返事を返しつつ、ちょっと考えてみる。
王都の貴族学院へ入学したばかりの頃は、可愛いと男子生徒にチヤホヤされたものだ。だが、領地暮らしの田舎者だった為、あっと言う間にその数は減った。
学力もマナーも、王都で暮らしている子息令嬢と比べるべくもなく、顔以外に取り柄がなかったかららしい。
その頃は今よりゲームのシナリオ通りのイベントを忠実に再現すれば、勝手に攻略対象者のハートを掴んで選り取り見取りだと思っていた。
が!!
実際には、全く違った。いつだったか、男子生徒が「顔だけなら愛らしくて連れて歩きたい令嬢だけど、中身がなさ過ぎてつまらない」と言われているのを聞いてしまった事がある。
私は(顔が良くてゲーム補正があれば、中身なんて無くても楽勝〜。あんたなんて子爵家の次男で、家を継げるかも怪しい立場じゃん。そんな男なんて、こっちから願い下げよ!!)と思っていた。そして、もちろん、攻略対象者達に猛アピールしていたわ。
しかし、結果は芳しくなかった。しかも釣れたのは、可愛い物が好きなセイディとか……何なのよっ。
……だが、セイディは人に教えるのが上手く、馬鹿な私が上の下位の成績になるまで早かった。
そして、中身が詰まると、また自然と、多くの男子生徒にとり囲まれるようになった。
セイディは幼い頃から多くの事を学び、自信に満ち溢れている。自信ゆえかいつも悠揚としており、それが却って傲岸にも見える美貌の少女。彼女は見た目に反して困っていたり怪我をした生徒に優しく、女子生徒からの人気も高い。そんなセイディとお近づきになりたい女子生徒までが、私の周りに集まり始めたわ……
「……少し休憩にしましょう」
「姉上。そうですね、その方が良いでしょう」
いつの間にかダンスの足は止まり、どっぷり思考の海に沈んでいたらしい。
セイディが侍女に命じ、部屋の隅にあるテーブルに用意させた紅茶とお菓子で休憩となる。
さあ、お茶をというタイミングで、セイディは遅れて戻ったフィリップに呼ばれ、席を外した。
「姉上は可愛い物に目はないが、見込みのない方にまで肩入れするほど奇特ではありませんよ」
優雅に紅茶を飲んでいたジオンは、タイミングを見計らって声を掛けてきた。
「え?」
「私や他の弟の事は、家族だから熱心に面倒を見てくれます。でも、家族以外にはそうではありません。
姉上は、父上と母上があれもこれも身に付けさせようと、多くの家庭教師を付けられた子ども時代を過ごしました。跡取りである兄上より、多くの家庭教師をね」
ジオンは、遠くを見るような目で続きを話す。
「遊ぶ時間なんて、殆どなかったでしょう。それでも、私たちが兄上に勉強を教わろうとしたら『兄上は、普通のお勉強の他に領地経営のお勉強もあってお忙しいの。だから、分からない所は私が教えてあげるわ』と。教える事は自分の復習にもなるからと言って、貴重な遊ぶ時間を割いてくれたものです」
そこで視線をこちらへ寄越し、更に話し続ける。
「そんな姉上ですが、家族以外、いとこ達ですら勉強を見てあげた事はありません。不思議に思って聞いてみれば『だって、見込みがありませんもの。時間の無駄だわ』と……」
意外だわ。セイディでも、そんな事を言うのね?!
「そんな姉上が、貴女をここまで可愛がるのです。迷惑ではあるでしょうが、しっり学んで下さい」
(上から〜! 顔と甘い会話だけで王太子や貴方の兄上とかの婚約者になれるのなら、こんな楽な事はないじゃないの。私はそっちが良いわ)
日本では、学力は下の上か中の下くらいだった。そんな私が、勉強が好きな訳がない。努力も無駄だった事しかない。なら、やらない方が良い。だって、無駄なんだから。
「ふふ……っ」
「……何?」
「いえ、その朴直とした所は変わりませんね」
「ボクチョク?」
この世界では日本語が話されているけれど……英語かしら?
「母語ですよ。朴直とは、飾らず素直という事です。貴族はある程度の年齢になれば、一様に笑顔の仮面を被って感情を読まれないようにします。
でも、貴女は感情がそのまま顔に出るでしょう。姉上は、それを好ましく思っているようです」
あ、あー……。確かに。曖昧に笑って誤魔化す事はあっても、笑顔の仮面は被れていないかもねぇ……
褒貶、どちらの意味なのか? ジオンはどう思っているのか、笑顔の仮面からは読み取れない。
まあ、貴族としては失格だわね〜。
「遅くなって御免なさいね。追加のお菓子も持って来たのよ。皆で頂きましょう」
そう時間が経つ事もなく、セイディが戻って来た。後ろを付いて来ていた侍女は、お菓子の載ったトレーを持っている。
「あ! 中々買えない、話題のお菓子?!」
「ええ、そう」
「あ、そうだ。姉上、勉強も見てあげては? 先日の算数の小テスト、成績が芳しくなかったようですよ」
「まあ。それは本当?」
「じ、ジオンっ」
余計な事、言わないでちょうだい!! そう気持ちを込めてきっと睨むが、ジオンは何処吹く風だ。
「その様子だと、本当のようですわね。ジオン、そのテストはあって?」
「ありますよ。後で渡しますね」
「ええ、お願い」
セイディはこちらを見詰めると、これも何度目かになる言葉を告げた。
「ハンナ嬢、泊まっていきません?
そうしたらダンスの手解きもしっかりできるし、お勉強もみてあげられるわ。
我が家の食事、お好きでしょう? それに、入浴後のマッサージもお好きでしょう?」
「う……っ」
た、確かに。地球の中世の男爵よりはいい物を食べているとは思う。現代と比べれば、比べるのが間違っているレベルだが。
しかし、ここは公爵家。普段の食べ物でも、しがない男爵家とは雲泥の差。お風呂も然り。お風呂の後にマッサージなんて、男爵家程度では受けられない。
「ハンナ嬢のお好きなデザートを、沢山作るようにシェフに言っておきますわね」
ああ、セイディの顔。これは、悪魔の微笑みかしら?! そう分かっていても、美味しいご飯とデザートは捨てがたい。うう、私の負けよ!
「お世話になります……」
「まあ! 嬉しいわ!
……愛らしい豊頬が少しカサついていらっしゃるし、丸みもなくなって……。それに、御髪も些か傷んでいらっしゃるようだから気になっておりましたの。
侍女達に、入念にお世話して差し上げるように申し付けておきますわね」
……男性なら、化粧品やシャンプーをプレゼントしてくれるだろう。こうした気遣いは、同性ならではかなあ。自分でするのと人にしてもらうのって、全然違う。そんなお世話を、公爵家の侍女から受けられる。これは嬉しいのよねー。
こうして私は家にセイディの所に泊まると連絡をし、男爵家では有り得ない、何度目かの贅沢な夜を過ごした。
お風呂上がりは、若い令嬢達のファッションリーダーであるセイディの元に沢山届けられている新作ドレスを着たビスクドールを手に、ドレスの話になるのもいつもの事。
セイディとはタイプの違う私に似合う物をチョイスし、それを贈る約束もいつもの事だった。
男性がプレゼントしてくれるのは、今流行っているドレス。セイディがくれるのは、次に流行らせるドレス。この差も、地味に大きい。
って、そうじゃない!! セイディに懐柔されてどうするの?! あんたなんて、私の踏み台にしてやるんだからねっ。
◇◇ ○ ◇◇
「『売僧坊主』という噂のある、ラレット卿の所へ出入りしているのは本当ですの?」
お泊りから一週間が経った、午後のお茶の時間。
王太子達に突撃をすれば、今回も見事にセイディに捕獲された後の第一声である。
「ええ! とても親身に説法をして下さるの」
私は満面の笑みを浮かべ、そう返す。
(ルートによっては出て来ないキャラだけど。攻略が上手く行っていないから、使える駒なら使わないと損だからね〜)
「そう……。黒い噂の多いお方。あまり、関わりにならない方が良くってよ」
セイディは眉宇を曇らせつつ、こちらを見遣る。
(ふふん! お金のためなら、何でもするって人だからね。私が王太子の婚約者になれたら、懇意にしておけば得だもの!
そうなるように、協力も惜しまない人なのよ。見てなさい、セイディ!)
春になり、最近はオープンテラスでお茶をする事が多かったが、今日は個室でティータイムのようだ。窓も閉められ、声が外に極力漏れないようにされている。
「ふう……。今まで散々セイディが説諭して来たのに、あまり分かっていないようだね」
そう言って、深いため息を吐く王太子マーロウ。
「残念ながら、そのようですね」
マーロウに同意するフィリップ。彼は眉間を揉んでさえいる。
ちょっと、失礼じゃない?! フィリップはナシね!
「セイディ嬢が指導なさって、奇行が減っていたのに……」
奇行って、聞き捨てならないわねっ。シーモアもナシだわ!
「ハンナ嬢、良くお聞きになって。
学園では、王太子殿下や我が兄、公爵家の嫡男、侯爵家嫡男のシーモアさまといった高位貴族とも知り合えますわ」
「そうですわね」
そういう設定だからね。
「知り合えても、婚約者に選ばれるかどうかは貴女次第ですのよ」
は?! ゲー厶の世界なんだから、よっぽどヘマをしなきゃ選ばれるに決まっているじゃないの!
「そうだね。私は笑顔の仮面が被れない、男子にべたべた触れる方は選ばないね」
「な……?! どうして?!」
意味分かんないんだけど!!
「腹の探り合いで、笑顔の仮面一つ被れないのでは情報が筒抜けになる。
異性に気安く触れるのも、淑女として、ね……」
……っそんなの、本当の貴族じゃない私にできっこないじゃない! それに、べたべたって、攻略対象者にしか触らないわよ!
「学力は上がっているから、見込みはある。ただ、避けるべき人物が判別出来ないのは、頂けないね」
「だって、噂でしょ? なぜ……」
「噂だ。内容によっては逸早く精査して、どうするか決めるまでが大事なんだよ」
そんな……、そんなの日本人の時にはなかったわよ……
「笑顔の仮面を被る事と、厄介事に引っ掛からない情報収集力。最低限、この二つは身に付けた方でなければな。
その二つが出来ない方を、結婚して迎え入れれば、家がどうなるか想像に難くないよ」
武の家系のシーモアまでもが、そんな事を考えているの?
「ね、ハンナ嬢。私、本当に貴女が可愛いのですわ。
天真爛漫で、素直で愛らしくて……
私にはない魅力に溢れていらっしゃるのですもの」
そう言うセイディの表情は、笑顔の仮面は被ってはいない。ただ、心からの笑みを美しい顔に浮かべている。
「ですから私、貴女が幸せになれるようにあれこれして来た心算ですの」
セイディの言葉を聞きながら、どうしても涙が頬を伝う。
私は男爵令嬢として生まれても、教養もマナーもあまり身に付かなかった。
それなのに、ここが前世でプレイしていた乙女ゲームの世界だと思い出してからは、更に貴族として必要な教育から逃げていた。そして、そのままこの学園に入学し、攻略対象者を追いかけ回すことしかして来なかったわ……
貴族の婚約者になる、最低限のラインすらクリアしていないのに『私が選ばれて当然!』なんて、あり得なかったんだ……
セイディは私の頬を伝う涙を、取り出した上等なシルクのハンカチで拭いながら言葉を続ける。
「女子は、男子より成績は重要視はされませんわ。
でも、貞淑である事は大切。それはご存知よね?」
「……っく、ええ……」
流石に、それは私でも知っている。
「でしたら、不転見に蜜語はすぐにお辞めなさい。良くない噂がたち始めておりますわ」
不転見に蜜語が分からず、分かるまで詳しく聞いてみれば……
「娼婦の素養でもあるのか……?」
日本人の感覚で恋バナや肩を叩いていたのが、まさかそんな風に言われているなんて……
「ひっく。わ、私は、ただ……」
攻略対象者を落としたかっただけ。攻略対象者以外にもいる、格好良い男子とも仲良くなりたかっただけで……
「分かっていますわ。貴女に裏表がない事は。ただ、それを理解してくれているお友達もいないでしょう?」
確かに、セイディの言う通りよ。ここで私は勝ち組なのだからと、皆を見下していて、友達を作る事もして来なかった。
「だから、誤解は誤解のまま、噂として広まってしまったの。噂を否定したり、もっと早い段階で貴女に教えてくれる方もいらっしゃらなかったのよ」
困ったような顔をしつつ、セイディはそう締めくくった。
……悪役令嬢として、断罪される役どころだったセイディ。こんな風に、あれこれしてくれる関係にはならなかったはずなのだ。なのに、どうしてこんなに良くしてくれるのだろう?
「だって。私、可愛い物には目がありませんもの。生きたべべドールのような愛らしい見た目は、私にはない憧れの結晶ですわ。
それに、愛らしいべべドールには幸せが似合いますもの!」
そう言って、ぎゅうっと抱擁してくるセイディ。
こんなに、何も出来ない私を見捨てないセイディ。憧れの結晶と言ってくれた。幸せが似合うとも言ってくれた――――
「セイディは、本当にハンナ嬢を溺愛しているよね」
「子供の頃からベベドール好きなのは知っているが、ハンナ嬢は人だよ?」
「セイディ嬢にしては珍しく、無いものねだりですか?」
「ええ、そう。こんな愛らしい少女に生まれたかったですわ」
完璧な美少女に憧れられるなんて……。私の為にしかならない、セイディの溺愛。努力なんて大っ嫌いだけど、この溺愛は受け入れて良いのかも。
……でも、やっぱり溺愛してくれるのは、攻略対象者が良いわよーーっ!! 自業自得でも、これはあんまりじゃないの?!
――終――