温泉と二人の旅路
その日は珍しくドローン宅配のネット通販ではなく、駅に隣接する百貨店にて日用品を調達していた時のことだ。
目的の品をエコバッグに詰めて雑貨コーナーの出入口に設置された自動精算機を通過した際、PIDに聞き慣れない着信音が鳴った。
「お」
確認してみると、『清算完了』と表示されたレシート画面の他に、バーコードが添付された福引券があった。有効期限は本日までで、福引に一回挑戦できるらしい。
福引会場の場所は二階、この百貨店と駅を繋ぐ連絡通路付近にあるようだ。
せっかくだから寄ってみると、通路の出入口脇にあるスペースに会議用の長テーブルが置かれており、その上に例のガラガラ――正式名称・新井式回転抽選器がセットされていた。
そしてその奥には、階段状の棚があり、左上から一等、二等、三等……と景品が並んでいる。
三等はお米券、二等はヘッドギアタイプのVRマシン、一等は温泉旅行のペアチケットとなっていた。
個人的に四等のコーヒーメーカーが欲しい。すっごく欲しい。
普段から缶コーヒーを愛飲しているが、ボタン一つでプロのバリスタ顔負けの美味しいコーヒーが飲める上に、軽量コンパクトなボディで場所を取らずに手入れも簡単とか最高過ぎる。
「福引券あるならやってくかい? 兄ちゃん」
物欲しそうに景品棚を眺めていると、赤いハッピを着た老人が話し掛けてきた。
「やります」
PIDを操作し、先程の福引券に添付されていたバーコードを表示させる。そして、卓上に置かれていたバーコードリーダーに読み込ませると、『ピピッ』と電子音が鳴り、福引一回分の挑戦権を得た。
「うっし、読み込み完了。さぁ兄ちゃん! 見事、豪華景品を当ててこの鐘を鳴らさせてくれよ! ていうか、良い加減鳴らさせろ!」
そう要求する老人の手には、いつの間にか金色のハンドベルが握られていた。
他の買い物客も挑戦していったのだろうが、いずれもポケットティッシュばかりで景気よく鳴らす機会が無かったらしい。
……やれやれ、ここは一つその期待に応えてみせようじゃないか。
福引とは運。
運も実力の内ならば。
このボク、藤原優利の実力をとくと見よ。
「任せてください。実はボク、クジ運強いんですよ」
「ほう、自信満々だな」
「こう見えて子供の頃、アイスの『アタリ棒』を偽造してタダで新しいの貰った実績があるんです」
「それクジ運関係ねぇし、ただのズルじゃねぇか。とんだ悪ガキだな、オイ」
「見事、四等のコーヒーメーカーを勝ち取って見せましょう」
「えっ、欲しいのそこ? 腕まくりして気合い充分なのに狙いがまた微妙だな」
冗談はさておき、新井式回転抽選器……以下ガラガラの取っ手を握って勢いよく回す。
ガラガラというより、ジャラジャラと改名した方が良いのでは? と思うくらい想像以上に騒々しい音を立ててガラガラをジャラジャラ回す。
やがて、コロン、と受け皿に玉が出て来た。
老人と共に玉の色を確認する。
色は、白だ。
「残念だったな、兄ちゃん。残念賞のポケットティッシュだ」
「……無念」
がっくし、と受け取ったポケットティッシュを手に肩を落とす。
まぁ、福引とはこんなものか。
「奇遇だな、藤原くん」
聞き覚えのある声に顔を上げると、黒の上下に眼鏡を掛けた男が居た。
「あ、クロガネさん」
クロガネ探偵事務所の探偵、黒沢鉄哉だ。膨らんだエコバッグを肩に掛けているのを見るに、彼もこの百貨店で買い物をしていたらしい。
「福引に挑戦ですか?」
「うん」
頷いたクロガネは、PIDのホロディスプレイに福引券のバーコードを表示させた。
「はい、読み込み完了。そんじゃあ眼鏡の兄ちゃん、見事豪華景品を当ててくんなぁ!」
「任せろい」
威勢の良い老人に応えるように、クロガネは景気よくガラガラを回す。
「来い、お米券っ」
「えっ、三等狙い? そっちの金髪の兄ちゃんといい、温泉旅行は狙わないんだな……」
クロガネの元には飲食可能なガイノイド(女性型アンドロイド)の助手と褐色ロリスナイパーが住み込んでいる上に、どこか子供っぽい担当医まで飯をたかりに来るのだ。食費を浮かせるためにも、貧乏探偵の目は真剣だった。
やがて、コロン、と受け皿に玉が出て来た。
三人揃って、玉の色を確認する。
「「こ、これは……!」」
優利とクロガネは揃って驚愕する中、
「お、おめでとう兄ちゃん! 見事ゲットしたのは――」
連絡通路にカランカラン! と、鐘の音が鳴り響いた。
***
その日の夜、白野探偵社にて。
「つーかーれーたー」
両腕を掲げ、社長席の背もたれに全体重を預けて天井を仰いでいる女性は、藤原優利が敬愛する白野銀子その人である。
普段はクールビューティーで仕事もそつなくこなすキャリアウーマンなのだが、定時を過ぎて気心知れた昔馴染み以外の社員が居なければ、社内であろうが素の彼女が表に出て来る。
「お疲れ様です銀子さん。……その体勢、斜め下から見上げると胸が強調されて何かエロいんで撮影しても良いですか?」
「ダメに決まってんでしょ」
そう言いつつも背筋を伸ばすような姿勢を維持している銀子を前に、PIDのカメラ機能を起動してシャッターを切りまくる。
「……セクハラで訴えるわよ」
身を起こした銀子は、カメラ小僧と化した助手を睨む。
「その時は弁護をお願いしますね」
「私に頼む普通? 有罪判決は確定ね」
「ピッキングには自信があります」
「謝罪も反省も無いどころか、脱獄前提なのはどういうことなの? 鍵穴の無い電子錠付きの牢屋にぶち込んでやるわ」
さて。
いつも通りの銀子とのやり取りは楽しくて好きだけど、そろそろ本題に入ろう。
「突然ですが銀子さん、明後日からの二連休は何か予定ありますか?」
付き合いがそれなりに長い銀子との間に、丁寧な誘導など不要!
「え、何よ急に。あるけど?」
「……そうですか」
露骨にがっかりする。
「ここのところ忙しかったから、久々に寝だめしようかと思って」
「流石に丸二日は寝過ぎでは? コアラでさえ一日二〇時間しか寝ないというのに」
「いや充分でしょ。それで私の予定を訊いてきて何? 二連休という貴重な時間をアンタに提供しろとでも?」
疲労と先程のセクハラ行為によるストレスのせいか、どこかトゲトゲしている銀子である。うん、そんな不機嫌な表情も実に良い。
「温泉はお好きですか?」
「え? まぁ、普通に好きだけど?」
「実はここに、福引で当てた一泊二日の温泉旅行券があるんですが」
クロガネから譲って貰ったペアチケットを取り出して銀子に見せる。
「福引で? へぇ、すごいじゃない。場所はどこよ?」
「本土にある有名どころですね。ただ、このチケットの有効期限が明後日からの二連休までとなっています」
「本当にさっきから急な話ね」
同感です、と頷く。
「仰る通りタイトなスケジュールですし、銀子さんも連休中は寝て過ごすのであれば、勿体ないですけど流石に破棄ですかね」
「……捨てちゃうの?」
じっ、と真剣な眼差しで銀子はチケットを見つめる。
「ええ。有効期限がもう間もなく切れてしまうので換金も出来ませんし」
「せっかく無料で手に入れた一泊二日の温泉旅行なのに?」
「……そう言われると、とても勿体ない気がしてきましたね。ですが誰かに譲ろうにも皆スケジュールの都合がありますし」
ちなみにチケットを譲ってくれたクロガネには、スケジュール以前に鋼和市から出られない理由がある。
「あー最近は本当に疲れたなー」
唐突に銀子が棒読みで肩を回し始めた。
「こういう時は温泉とかに行きたいなー、明後日から二連休で時間はあるしー」
チラ、チラ、と露骨な視線を送って来る。
よしよし、一時はどうなるかと思ったが良い感じだ。
「連休中はコアラ以上に寝て過ごすのではなかったのですか?」
「うっさい、気が変わったのよ。丁度そこに温泉旅行のチケットがあるし」
「ですが、ペアチケットですよこれ。道連れはどうするのです?」
「えっ、何それ冗談で言ってる?」
呆れた様子で銀子は席を立ち、人差し指を向けてくる。
「アンタは私専属の助手兼従者兼護衛兼弾除け兼荷物持ちの下僕でしょ? つべこべ言わず、一緒に来なさいっ」
「ボクの肩書きが長い上にどこか理不尽な気もしますが解りました、お供します」
姿勢を正し、恭しく頭を垂れた従者は。
(計画通り……!)
女王様からは見えない角度で、それはそれは何とも良からぬことを企んでいる悪い顔を浮かべた。
(偶然にも温泉旅行一泊二日のペアチケットを手に入れた藤原優利は、敬愛する白野銀子を誘うことに成功する。そして若い男女が二人っきりで温泉宿に泊まって何も起きない筈がなく――以下略――)
優利の脳内に、自主規制になりかねない桃色煩悩の嵐が駆け抜ける。
「それじゃあ、明日までに旅行の準備を済ませるわよ。二人分の外出許可の申請は頼むわね」
「はい、お任せください」
『意中の女性と温泉旅行』という理想のシチュエーションにテンションが爆上がりした優利は、その日の仕事を通常の三倍の速さでこなしたという。
***
翌日。
優利は放課後すぐにその足で鋼和市役所に向かい、二日間の外出申請手続きを行った。
日本・東京都在籍とはいえ、鋼和市は本土から離れた人工島に開発された実験都市である。その十年先の先端技術を外部に漏洩されるのを未然に防ぐため、鋼和市から外出する際にはPIDを市に預けたり、スパイ禁止法に基づいた面倒極まりない手続きに厳重な審査が必要となるのだ。
通常は手続きと審査だけで最短でも丸一日費やしてしまうものだが、優利も銀子も鋼和市の実質的支配者である獅子堂家の関係者(特に銀子は血縁者)であるからか、一時間足らずで外出許可が取れてしまった。
一般市民と同様に正規の手続きで外出申請をするのが初めてだったとはいえ、これには優利も驚いた。
その後は銀子や他の社員と共に探偵の仕事をこなし、帰宅して旅行の支度を済ませた優利は。
「願掛けとは、我ながら子供っぽいかな?」
窓際に、てるてる坊主を吊るしていた。
天気予報では旅行当日の二日間は晴れとのことだったが、それとは別に。
「どうか、緊急の任務が降って来ませんように」
優利にとっては雨よりも厄介な事案である。
「何卒、なにとぞぉおおおッ!」
故に、両手を合わせて切実にてるてる坊主を拝み倒した。
――そして、温泉旅行当日。
「本日は晴天なり、やって来ましたよ温泉街」
「いつにも増してテンション高いわね。気持ちは解るけど」
優利と銀子は朝一番の連絡船に乗り込んで本土に上陸し、電車とバスを乗り継ぎ、午後には目的地である温泉街に到着した。
「ありがとう、てるてる坊主っ」
「えっ、わざわざ作ったの?」
「福引のハズレで貰ったポケットティッシュで作っただけに、効果は抜群ですね」
「御利益あるの、それ?」
山間にひっそりと広がる温泉街は元々山肌に作られたのか、周りは緑豊かな森林に囲まれている。
そのため、どの道も傾斜が激しく、軒を連ねる旅館や土産屋の土台も水平に保つ造りがなされていた。
「ここを歩くだけでも、ちょっとした筋トレになりそうね」
「そうですね」
ふぅ、と軽く息をついて宿泊先の温泉宿がある高台を見上げる銀子に同意する。
「でもすぐに温泉に入られると考えれば、それほど苦でもないかもしれません」
「なるほど。適度な運動に温泉、美味しい食べ物に綺麗な水……理想的な観光資源とビジネス環境ね」
「……そのオーナー思考は流石ですね」
呆れを通り越して感心する。
探偵業の他に幾つもの業種を経営する銀子は現役バリバリのキャリアウーマンだ。
「だけど銀子さん。せっかくの旅行ですし、仕事のことは一旦忘れましょう」
「……うん、それもそうね。それじゃあ宿に行くわよ、ユーリ」
「イエス、マスター」
意気揚々と歩き出す銀子に、優利は遅れず付いて行く。
***
「本日は弐瓶旅館へ、ようこそおいで下さいました。どうぞこちらへ」
目的の温泉宿である弐瓶旅館にチェックインを果たした後、綺麗な藍色の和服を着た仲居さんの案内で客室に入り、荷物を置く。
テレビの旅番組でよく目にするような、一般的な畳敷きの部屋だ。二人が泊まるには充分な広さがあり、一昔前の液晶テレビが置いてある和室と料理を食べる座敷とで分かれている。
窓の外には、ここまでの道のりにあった軒並み連ねる木造建築の旅館と土産屋の数々、さらにその奥には自然あふれる森林と渓流が見える。普段は先進的な鋼和市に住んでいるせいか、そのどこか懐かしく安らぐ景色に不思議と心癒される。
仲居さんは部屋の備品や夕食の予定などを説明した後、「それでは、ごゆっくり」と深々とお辞儀をして慎ましやかに退室した。
その素晴らしい礼儀作法も、この癒され空間の一部なのだろうなと感心する。ホテルのおもてなしも悪くないが、この『和』の雰囲気がより一層魅力的に引き立てているのかもしれない。
などと思っていると、
「う、そでしょ……ユーリ、ちょっと!」
浴衣の棚を開いた銀子が、愕然とした様子で話し掛けて来た。
「何です? 座敷わらしでも居ました?」
「居たら是非ともお持ち帰りしたいわね。そんなことより、この張り紙見て!」
「張り紙?」と銀子の横に並び、浴衣が入った棚の奥、木目の壁に貼られた一枚の張り紙を確認する。
『このお部屋にお泊りされるカップル様の入浴時間は、
①9:00~11:00、
②15:00~17:00、
③21:00~23:00、
となっております。
お間違いないよう、ご注意くださいませ』
「? これがどうしました?」
特におかしなことは書かれていない。
「カップルって、書いてあるでしょうがっ」
噛み付いて来る銀子に、「まさか」と眉をひそめる。
「銀子さん、チケットの裏面に書いてある注意書き、読みました?」
「裏?」
言われて銀子は先程受付で見せたペアチケットを取り出し、裏面に明記された注意書きを確認する。
『※このペアチケットはカップル限定チケットです。一人で使用することは出来ません。パートナーの居ない独り身のあなたは、悔しさにハンカチを噛み千切りながら泣く泣く誰かに譲ってあげてね☆』
「後半煽り過ぎィッ!」
やはり確認していなかったようだ。
それはそうと。
チケットを両手で持ってワナワナして予想通りのリアクションをする銀子をスマホのカメラで撮影。
「撮るな!」
「断る! あっいや、旅の記念ですよ。それよりも、何やら『カップル限定』というフレーズに驚いているみたいですが、どのみち若い男女の二人旅だとそう見られるのは必然でしょうし、今更ですよ」
「う、確かにそれは今更だけど……コレ、どうすんのよ! カップル様の入浴時間ってことは、二人で入れって意味でしょ! つまりはこの部屋のお風呂って、こ、混浴だろうし!」
「でしょうね。ちなみにボクは一向に構いませんっ(キリッ)」
「そらアンタはそうでしょうよ!」
胸を庇うように身を捩り、ほのかに頬を赤く染める銀子。普段はクールなだけに、このギャップ萌えは正直堪らん。もう少しいじりたい欲求に駆られるが、入浴時間のこともあるので話を進める。
「混浴が嫌なら、時間差で一人ずつ入れば良いでしょう」
入浴する機会は一日三回(今日は午後を過ぎたため二回)ある。
各入浴時間に一人ずつ入るか、もしくは同じ時間帯に一人ずつ入れば済む話だ。
「どちらが先に、どの時間帯に入るかは銀子さんが決めて構いませんよ」
そう言って、ごそごそと自前のバッグの中身を漁る。
「……ちなみに、私が先に入っている間、アンタは何しているの?」
「銀子さんと温泉イベントなんてそうそう無いですし」
高価な一眼レフカメラを取り出し、
「覗きます(キリッ)」
「おい」
潔い盗撮宣言に、銀子は感情の無い眼と声でツッコミを入れる。
「逆に私が後で、ユーリが先に入ったら?」
今度は防水加工が施された超小型カメラを引っ張り出し、
「仕込みます(キリッ)」
実に清々しい盗撮宣言(二回目)に、銀子は無言で前蹴りを叩き込んだ。
「おぅふ♡」
「ガチで変態ムーブやめて。気持ち悪い」
どこか恍惚とした表情を浮かべて畳の上に崩れ落ちるドMを、銀子は養豚場の豚を見るかのような冷たい眼で見下ろす。
「流石に冗談ですよ」
いそいそとカメラ類を片付ける。
「盗撮グッズまで用意している時点で冗談に聞こえないのよ。ていうかコレ、会社の備品じゃない。勝手に持ち出して来るんじゃないわよ」
「むぅ、銀子さんのヴィーナスばりに美しい裸体を記録に残せないのは非常に残念ですが……」
「やっぱり本気じゃないの」
「お一人でお風呂に入られる時は、念のため護身用の武器を持って行ってください。いくつか見繕って来たので」
三度、荷物をごそごそ漁る。
「護身用って、そんな大袈裟な」
「大袈裟なんかじゃないですよ」
呆れる銀子に、真顔で返す。
「入浴時は特に無防備な瞬間の一つです。銀子さんはご自身のお立場と価値をお考え下さい」
真面目な意見に銀子は「むぅ」と考え込む。分家筋とはいえ、獅子堂家の令嬢である彼女はこれまでに何度も危険な目に遭ったことがあるのだ。
つい先日も怪盗絡みの事件で現れた怪物に、機械仕掛けの従姉妹違い共々攫われたばかりである。
「それで、護身用の武器って?」
「まず、テーザー銃」
ゴト、とテーブルの上に非致死性の電気銃を置いた。
「…………」
「次に、護身用でお馴染みのスタンガン」
テーザー銃の横にスタンガンを置く。
「…………」
「防犯ブザー(防水加工済み)」
「OK、それだけ貰うわ」
銀子は防犯ブザーを手に取った。
「それだけでよろしいのですか?」
「風呂場で使ったら私まで感電してしまう危険物なんて持ち込めるか! ていうか、よく鋼和市から持ち出せたわね!?」
「非殺傷性のゴム弾を使おうにも、肝心の銃本体の持ち込みは流石に無理でしたので、これが精一杯です」
「いや、妥協でも充分でしょ」
そもそも、本土ではテーザー銃の所持自体も銃刀法違反である。
「それと、万一感電した時はご安心を。この旅館にはAEDが設置されているのは確認済みですし、このボクが! 全力で! 人工呼吸と心臓マッサージによる心肺蘇生を試みます! ですから、安心してその身を委ねてください」
医療行為という大義名分をかざしたキスとパイタッチ宣言に、銀子は無言で卓上にあったスタンガンを手に取ると、その電極を優利に突き付ける。
そして、にっこりと笑みを浮かべたのも一瞬のこと。次の瞬間には般若の形相で容赦なくスイッチを入れた。
「委ねられるかこのドスケベがぁあああッ!」(バリバリバリバリッ!)
「ぎゃぁあああああああああああああッ♡」(ばたっ。ビクン、ビクン)
感電して痙攣して倒れ伏した変態をその場に捨て置き、カップル専用の露天風呂を銀子は一人で満喫するのであった。
***
復活した優利が銀子の後に入浴を済ませた頃には夕飯の時間を迎え、浴衣姿の二人は揃って座敷に並べられた懐石料理の数々に舌鼓を打つ。
「まったく……せっかくの混浴なのに、銀子さんだけお風呂に入るとか酷いですよー」
「まだ言うか、この変態……あ、これ美味しい……」
不満そうな優利を素っ気なくあしらう銀子だが、新鮮な刺身の活け造りや煮物を口に運ぶ度、幸せそうに頬を綻ばせている。
パシャッ。
「……勝手に撮らないでって言ってるでしょ」
「旅の思い出です。ちゃんと銀子さんにも送りますよ」
睨む銀子を流して、スマホを操作する優利。
これまでに際どいアングルから撮られたものや、知らずに盗撮されたものも含め、全写真データを余すことなく銀子に送信する。
「……撮り過ぎよ」
PIDならいざ知らず、容量の少ない旧型端末ではあっという間に写真データだけでいっぱいになってしまうだろう。
「記念ですって」
「記念って、ユーリが写ってるのは一枚も無いけど?」
写真を見ながら放ったその素朴な疑問に。
「……銀子さんの写真に異物は要りません」
「えっ」
一瞬。
陽キャな優利とは思えない、酷く寂しそうな声音に銀子は思わずギョッとした。
「? どうしました?」
そう首を傾げる優利は、いつもの穏やかな表情を浮かべている。
「……まぁ確かに、変態だものね」
「あはは。それにしても、ここのお酒も美味しいですねぇ」
「そういえばアンタ、童顔で高校に潜入してるけどお酒が飲める歳なのね」
「はい。でもそれほど強くはありませんけどね。悪酔いしたら、いざって時に銀子さんを守れませんし」
「……もう酔ってる?」
「まだ余裕ですよ」
酔っていようがいまいが、優利は銀子に対して正々堂々と接してくる。だが言動が飄々として掴み所が無いため、付き合いが長い銀子ですら彼の本心を読めずにいた。
勿論、優利のことは誰よりも信用も信頼もしている。
だからこそ悔しく、もどかしい。
「時々、アンタのことが解らないわ」
「おや? 急にどうしました?」
「アンタは私のこと好きだと一途に言ってくるけど、自分のことは酷く嫌っている感じがする。今みたいにふざけている時もあれば、不意に私よりも大人だと感じる時もあるし」
ぐいっ、とお猪口にあった地酒を一気に飲み干す。
「ふぅっ。……どれもこれも、全部私のためだけよね」
酔いで顔を赤らめ、目が座った銀子は、酒の勢いに任せて言い切る。
「ドMの変態ムーブで私のストレス発散の捌け口にもなれば、本気で私のことを守ってくれるし、私が家を出る時には文句も言わずに付いてきたじゃない。その節は本当にありがとうございましたっ」
「アッハイ、どういたしまして」
普段から素直ではない銀子の口からここまで感謝されるとは、と優利は戸惑う。
「本当に、アンタって奴ァよく解らない。まるで役者みたいに、いくつもの顔を使い分けているみたいでさ……」
「そ、そんなこと……」
ギクリとなる優利。
「本当に、悔しい」
「悔しい?」
不意に出た意外な言葉に、訊ね返す。
「アンタって奴が本当に解らないの。ずっと何年も傍に仕えてくれているのに、主人である私はアンタのことを今もよく知らないし、解らない……好きだと言われて嬉しいのに、それが本心のものであるのかすら解らなくて、アンタを疑ってしまう私は本当に、駄目な主人だ……」
「い、いやいや、そんなことは……」
酔うと中々に面倒臭い。ここまで銀子が悪酔いするのも珍しいが。
「私って酷いよね。ユーリの気遣いにいつも甘えて、暴言や殴る蹴る投げる絞める極めるの暴力まで振るって……」
「それは銀子さんのストレス解消と護身術の訓練も兼ねてますし、むしろボクにとってはご褒美なのでWIN-WINというか、お互いに合意の上でしょう」
「備品の発注ミスで余計な買い物をしてしまった時は、超過した予算分をユーリの給料から引かせて貰ったし」
「……えっ、何それ初耳なんですけど? いつぞやの給料明細がやたら低かったのって、銀子さんの仕業だったんですか? 営業不振とかじゃなくて?」
「昔借りてたRPGのセーブデータも、うっかり消してしまって適当に誤魔化しちゃったし」
「あれバグじゃなかったんですね!? 久々に周回プレイしようとしたらデータが全部消し飛んでて軽く泣きましたよ!」
「ユーリが奮発して買った高級ワインをこっそり飲んだら、あまりの美味しさに思わずラベルを安物のボトルに張り替えてお持ち帰りもしたし」
「途中から妙に味が変わったのはそういうわけですか!? 少しずつ飲もうと楽しみにしていたのに何てことを!」
「こんな我儘で面倒で暴君な女を、アンタはまだ好きだと言える!?」
「勿論です!」
「この変態!」(ばちん)
「アザッス♡」
酔いと照れで真っ赤になった銀子の理不尽ともいえる平手打ちを、優利は恍惚な表情で受け入れた。
***
カオスな夕食を終え、二人を部屋に案内してくれた仲居さんが和室に布団を敷きに現れた。
流れるような無駄の無い動きで、あっという間に二組の布団を綺麗に敷き終える。
「お客様、お布団の用意が出来ました」
「ご苦労様です」
窓際の席で酔い覚ましに食後のお茶をすすっていた銀子がお礼を言うと、
「それと、『アレ』は枕元の小棚にありますので……」
仲居さんがそんなことを言ってきた。
「……アレ?」
「それでは、失礼いたします」
一礼し、気持ち足早に退室する仲居さん。
去り際に、意味深に微笑んでいたのが気になる。
銀子は首を傾げつつ、枕元に向かい、小棚を開けて中身を確認し――
「んなッ!?」
「どうしました? 変な声を上げて」
歯磨きを終えて優利が洗面所から戻って来た。
「ななな何でもないわよッ!」
スコン! と小棚を閉めて枕元から遠ざける。
挙動不審な銀子と小棚を交互に見た優利は、「ああ」と察した。
「生娘じゃあるまいし、たかがゴム程度で狼狽えることもないでしょう」
「何で解ったの!?」
「むしろ解らない方が難しいかと」
それもそうか、と納得する銀子。
「ここは有名な温泉宿ですから簡単に破れるような不良品は扱っていないでしょうし、従業員が悪戯で穴を空けるような真似もしないでしょう」
「そういうもんなの?」
「はい。逆に場末のラブホテルに備え付けてあるものは要注意です」
「……詳しいわね。まさかラブホに泊まったことが?」
「そりゃあ、何回かありますよ」
「何回もあるの!?」
意外な事実に銀子は驚愕し、絶句した。
「ええ。獅子堂に居た頃、特殊な任務を受けて現地のラブホで寝泊まりしたことがあったんです。ビジネスホテルよりも宿泊料金が安いですし」
「……ああ、そういう」
ほっとする銀子。
「ちなみに同じ理由で、有明の某祭典に遠方から訪れたオタクもラブホに泊まることがあるみたいです」
割とどうでもいい豆知識を語った優利に、銀子はどこか真剣な面持ちで訊ねた。
「誰かと……女の人と入ったことはないのね?」
「ありませんね。その時は是非、銀子さんと」
「調子乗んなおバカッ!」
本当にブレない男である。
「勿論、安全な市販品持参で朝までお供します」
「お黙りッ!」
顔を真っ赤にした銀子は、余裕綽々な優利と例の小棚を交互に見る。
「……言っとくけど、使う予定は無いわよ」
「何と!」
優利はくわっと目を大きく見開き、かつてない程に驚愕した。
「避妊なしとはまさか銀子さん、今日は安全日ですか?」
「そういう行為はッ! しないって意味よッ!」
銀子は全力で枕を投げ付けた。
――結局、その後は布団を和室と座敷に分け、銀子と優利は別々の部屋で眠り、夜を明かした。
……。
…………。
………………。
「いや、ここから先はボクと銀子さんが、くんずほぐれつR指定に絡む濡れ場シーンじゃないんですかッ!?」
ありません。
「そんな、嘘でしょ……ボクと一部の読者の淡い期待を返してくださいよもおおおおおおおッ!」
「うっさいユーリッ! メタなこと言ってないで、とっとと寝なさいッ! 他のお客さんに迷惑でしょッ!(怒)」
「うぅ、ちきせう……(泣)」
***
翌朝。
清々しい朝の露天風呂を、一人で満喫する優利。
この後は朝食を摂ってチェックアウトし、土産屋巡りなどをして鋼和市に帰還する予定だ。
「あっという間だったなぁ……」
慌ただしい旅行だったが、これで終わりだと思うと寂しい気分になる。
楽しい時間こそ尊いもの――とは、よく言ったものだ。誰が言ったかは知らんけど。
カラカラカラ……。
「ん?」
ぼんやりお湯に浸かっていると、風呂場と脱衣場を仕切る扉が開く音がした。いつの間にか入浴時間を過ぎてしまって、従業員が掃除をしに来たのだろうか。
「あ、すみません。もうお風呂の時間終わりでしたファッ!?」
振り返って心底驚いた。
髪をアップにまとめ、バスタオルのみを身に着けた銀子が居たのだ。
「ちょ、え? 銀子さん? 何で……もしかしてコレ夢ですか? 混浴したいボクの妄想と願望が明晰夢となって? だとしたらナイスゥッ!」
「風呂場で寝たら危ないでしょ、現実よ。ほら、私も入るんだから向こう向きなさい」
「え?」
「バスタオル巻いたまま湯船に入るのは、マナー違反でしょ」
「……実は水着を着けていたというオチは?」
「それもマナー違反でしょうが。ほら、向こう向け」
命令に従い、銀子に背中を向ける。
…………。
……オイ。
オイオイオイオイ。良いのか、今すぐ後ろに全裸の銀子さんが居るんだぞ。
ナアナアナアナア。ここは混浴だぞ? カップル様専用の露天風呂だぞ? ちょっとだけ振り返って、その美しい裸体を嘗め回すように見て目に焼き付けても何も問題は……
「振り返ったら目玉を潰して沈めてやるわ」
「HAHAHA、何を馬鹿な。この清廉潔白で紳士なボクがそんな恐れ多い真似をするとでも?」
銀子のドスを効かせた脅迫に掌を返す。
日本神話の伊邪那岐のように、うっかり振り返ってしまって愛する伊邪那美に恨まれ憎まれ殺されかける大惨事は御免である。
「ふぅ」
「…………」
すぐ後ろで、お湯に浸かった銀子の吐息がこぼれた。
そのまま二人は黙り込む。
恥じらいとも緊張とも取れる何とも言葉にするのが難しい複雑な感情が入り混じった気まずい雰囲気だ。
その一方で、銀子と混浴というこの至福な時間を壊したくない優利は沈黙を守っている。
「ねぇ」
その沈黙を破ったのは、銀子だった。
「何でしょう?」
「背中、借りるわよ」
「へ? ……ッ」
突然、背中に心地よい重みと地肌の感触を覚え、息を呑む。
優利の背中に自身の背中を預けた銀子は、
「ん~」
と気持ち良さそうに手足を伸ばした。
「銀子さんにしては珍しく、大胆なことをしますね」
「嫌だったら離れるけど?」
「このままキープでお願いします」
温泉で互いの背中を預け合う。何ともカップルらしいシチュエーションに、テンションが鰻登りである。
……ちなみに。
体の一部分のテンションも鰻登りになったため、流石の優利も銀子の方へ振り向けなくなったが。
「そういえば、今回のお礼を言ってなかった」
男性特有の生理現象に悩む優利など知る由もなく、銀子は言った。
「ありがとう、ユーリ。旅行に誘ってくれて嬉しかったし、楽しかったわ」
その純粋な言葉と優しい声音が、下心と劣情で汚れに汚れた心にグサグサと音を立てて刺さりまくる。
「……いえ、どういたしまして」
罪悪感と自己嫌悪に苛まれ、優利と体の一部のテンションもだだ下がりだ。
「……ごめんなさい」
「? 何で謝って……いや何で落ち込んでるの?」
「……お構いなく、ボク個人の問題なので」
「??」
背中越しに銀子の戸惑う気配を感じる。
……流石にのぼせてきた。
銀子よりも先に風呂に浸かっていたのだから当然だ。もうしばらく、この混浴タイムを噛み締めていたかったが、無理して倒れたら銀子は元より温泉宿にも迷惑が掛かる。名残惜しいが、潮時だろう。
と。
「……ま、まぁ、今回は少しだけ良いかな……ご褒美みたいなものだし……よし」
何やら背後で呟いている銀子に、先に上がる旨を伝えようとして。
「何落ち込んでるのか知らないけど、私が一肌脱ごう。元気付けてあげる」
「? 一肌も何も、もう脱いでいるじゃないですか」
風呂場だし。
「命令よ、こっち向きなさい」
言われるがまま振り向く。「習慣って怖いなぁ」と、のぼせかけた頭でぼんやりとそんなことを思っていると。
ざばぁ。
「…………ゑ」
目の前で。
銀子が立ち上がり。
優利の方へ振り返った。
美しく艶めかしい『桃源郷』という名の人のカタチが露わになる。
「……こ、今回のお礼よ……こんなサービス、滅多にしないんだから……」
堂々としているようで羞恥のあまり顔は真っ赤に染まり、目は涙目で泳ぎ、全身は小刻みに震えていた。大胆な行動とは裏腹に、その愛らしい仕草がギャップを誘う。
その恥じらう顔も、お湯と羞恥でほんのり赤く染まった白い肌も、細い手足も、大き過ぎず小さ過ぎず程良いサイズの胸も、緩やかなくびれのある滑らかな腰も、何もかもが美しい。
そんな銀子の裸体を食い入るように見つめ、見惚れていた優利は。
「……き、れい」
万感の想いを乗せたその一言を最後に、意識を失った。
***
「はっ!」
「あ、起きた」
次に目を覚ました時、私服姿の銀子に膝枕をされていた。
心配する表情を浮かべる銀子を見上げつつ、周囲を見回す。その際に、額に置かれた冷たい濡れタオルが落ちた。
場所は暖房の効いた脱衣場。
全身の水気は拭き取られており、乾いた大きめのバスタオル一枚だけ掛けられている。当然、バスタオルの下は全裸だ。
「気分はどう?」
「……少しぼんやりします」
応答と言葉がしっかりしているのを見て、銀子は安堵した。
「その程度で良かったわ。お風呂で倒れるものだから驚いたわよ」
「すみません、つい長湯してのぼせてしまったようです」
銀子は膝枕を解除した代わりに畳んだタオルを優利の頭の下に敷くと、すぐ横にペットボトルのスポーツドリンクを置いた。
「落ち着いたら、水分をしっかり摂って着替えて来なさい。私は先に受付でチェックアウトして、旅館の人達に説明とお詫びをしておくわ」
「チェックアウト? 説明にお詫び?」
「アンタを介抱してたら、朝ご飯の時間が終わってしまったのよ」
言われて脱衣場の壁時計を確認、すでに朝食予定時刻は過ぎてしまっている。
「そ、そんな……! ごめんなさい、ボクのせいで何て勿体ないことを……」
「謝るなら、旅館の人達にもね。救急車呼びますか? って酷く心配していたんだから」
「うっわぁ、面目ない……」
最後の最後でやらかした大失態に申し訳なさが半端ない。
「アンタのせいで朝ご飯食べ損ねたんだから、後で奢って貰うわよ」
「了解です。……嗚呼、それにしても、本当に幸せな夢を見ました」
「……夢?」
と銀子が眉をひそめる。
「はい。銀子さんと一緒に混浴して、その綺麗な裸を拝めブッ!」
ビタァンッ! と顔面に濡れタオルが勢いよく叩き付けられた。地味に痛い。
「まだ頭が茹で上がっていたようね。アホなこと言ってないで、ちゃんと水分摂りなさい」
心配するのか責めるのか、どちらかにしてほしい。個人的には両方アリだけども。
「もう、銀子さんのツンデレさんめ♡」
「……この旅館に、刈り込み鋏ってあるかしら?」
銀子は不自然にテントを張っている優利のバスタオルを冷たい眼で見据え、恐ろしいことを言う。
「すみません調子に乗りました」
流石の優利も青ざめ、テントも元の平坦なバスタオルに戻った。
「……まったく。それじゃ、また後でね」
「はい」
素っ気なく脱衣場を後にする銀子を見送った優利は「はぁ……」と重い溜息をついた。
「何という失態だ……」
銀子と旅館側に迷惑を掛けてしまった事実に、改めて罪悪感を覚える。
「それにしても、良い夢だったなぁ。…………夢?」
――その程度で良かったわ。お風呂で倒れるものだから驚いたわよ。
「倒れていたのを見て驚いたわけではない? さっきの言い方だと、ボクが倒れる瞬間を間近で目撃したような……それじゃあ銀子さんの裸を見たのは、現実……?」
網膜と脳裏にしっかりと焼き付いた鮮烈な絶景。
美しい桃源郷を思い出したことで顔が火照り出し、再びバスタオルがテントを張ろうとする。
「ッ! えぇい、キャンプはもう終了じゃいっ」
慌てて銀子の裸体を脳裏から(一旦)追い出そうとするも、テントの再設置は止まらない。雨風どころか、台風にも耐えてしまいそうな強度を備えた立派な造りに優利は。
「すみません、もう少しだけ時間が掛かりそうです……」
その場に居ない銀子に懺悔してバスタオルを捲り、テントの解体作業を始めた。
――受付で待つ銀子の元に、妙にスッキリした顔の優利が現れるのは、それから十分後のことである。
***
「さて、お土産はどうしようかな」
「銀子さん銀子さん」
「何よ?」
宿を出るや、銀子はスマホ片手の優利に呼び止められる。
「ここの風景をバックに、記念に一枚良いですか?」
言われて振り返ると、宿泊した弐瓶旅館は温泉街の中でも高台にあるため、周囲の自然や眼下の街並みが一望できた。記念撮影には絶好のロケーションだろう。
「いつもみたいに隠し撮りしないのね」
「こんな絶景を前にして、不自然な盗撮は出来ませんて」
「……『不自然な盗撮』というパワーワードよ」
呆れつつも、優利の手を引いて絶好の撮影ポイントに移動する。
「えっ、銀子さん?」
「記念写真なんでしょ? なら、一緒に撮るわよ」
でも、と渋る優利の顔を見上げ、彼の目を真っ向から見つめる。
「私は、アンタを異物とも邪魔とも思っていないわ。どうしようもない変態であるとは常々思っているけどね」
でも、とこの時ばかりは素直な気持ちを打ち明ける。
「アンタは私の相棒で、一蓮托生よ。記念写真の一枚くらい、何も問題は無いでしょう?」
きょとんとした優利は、やがて嬉しそうに微笑んだ。
「それだとまるで、プロポーズみたいですね」
「プロ……、違ッ、そ、そういう意味じゃなくてっ」
赤面し狼狽する銀子を愛おしそうに見つめる優利。
あっという間に形勢逆転だ。
「ええ、旅の記念で一緒に写真に写るのは自然なことですね。仰る通り、何も問題は無いです」
「そうそれ、それが言いたかったのっ」
「はいはい。それじゃあ一緒に撮りましょう。ほらほら、もっと寄ってください」
優利は銀子の肩に手を回し、抱き寄せる。
「む、むぅ」
言い出しっぺ故に「近い!」と彼を突き離せず、スマホのレンズを睨む。
「……一枚だけよ」
「解ってますって」
優利は頷き、スマホをカメラモードにしてシャッターボタンをタップ。
パシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャッ!
嬉しそうな表情の優利。
頬を赤く染めながら照れ隠しに仏頂面を浮かべる銀子。
二人が寄り添った写真が三〇枚、完成した。
「一枚だけって言ったでしょうがッ!」
「あ、すみません。うっかりわざと連写モードになってたみたいです」
「アンタって奴は! アンタって奴は! あーもーッ!」
こうして。
一泊二日の濃密な温泉旅行は、賑やかに幕を閉じたのだった。