エピソード92
ギルドの建物を出ながら、僕は解毒について考えていた。
来週から、本格的に治療の仕事が始まる。
ヘラキューズビートルの抗生物質はそれまでに、黒の森に行って採取しておくべきだろう。
昨年採取した毒キノコは、ダンジョンの魔物の毒とどのように同じなのか、あるいは違うのか、その辺りの知識が全くない。
知らないということほど恐ろしいものはない。
前世の知識に頼りながらも、ここはよく分からない魔法とか魔物とか存在する世界である。
知ったつもりで、所見の怪我や病気に相対するのは恐怖しかない。
宿はギルドの近くなので、宿に戻った後、久しぶりにギルドの資料室を覗くことにした。
プロキオンの街では、疫病への対処にとらわれていて、周辺の魔物や、魔物によってもたらされる恐れのある病気や怪我などを調べているヒマが一切なかった。
忙しさを理由に努力を怠り、それ街人の生死につながるようなことがあれば、僕は二度とメスが持てなくなるだろう。
今一度気合いを入れ直し、出来ることはやっておく。
午後一杯を利用してギルドの資料室で、ダンジョンの魔物について調べた結果、ダンジョンの地下3階が沼地になっていて、オレンジフロッグという体はそれほど大きくないのに、体表のオレンジ色が警告色になっていた、毒持ちであることを示していること、名前はその色からつけられた魔物が棲息していることや、その毒蛙すら補食し、そのために自身も毒を持つようになった、パープル・ナスネーク、という名前の蛇の魔物が居ることが判明した。
そしてどうやら蛇の毒と蛙の毒は別の種類のようだということも分かった。
蛙の毒が体内に入ると、徐々にからだが動かなくなり、最後には自力で呼吸dけいないことによって死に至るらしい。これは前世の毒性生物の中でもテトロドトキシンなどを代表とする水生生物が持つ毒の特徴に似ていた。
蛇の毒については、被害事例によれば、血が止まらなくなるという事例がある。しかしながら、別の事例では、手足がどす黒く変色し、腐り落ちるという症例もあるのだそうだ。
これらは、人間の体内で毒が作用するプロセスとしては全く別であり、二種類の毒を使う蛇が居るというより、別の蛇の被害事例を混同しているのでは?という仮説の方が信憑性が高いように思える。
いずれにしても、座額で得られる知識には限界がある。
後は、現場で手探りで進めるしかなさそうだ。
ダンジョン前の診療所で治療を行う日はあっという間に来た。
アンタレスの街の近くにある黒の森には、日帰りで、ムートの背中に乗って飛んでいった。
プロキオンの町がどうにもきな臭くなってしまったので、密入国と密出国で、差し引きゼロになるように、国境の関所を無視して往復した。
空を飛べば国境など意味を成さないし、記録にも、出入国の事実が残らない。
ゾディアックの人間から見れば、僕は隣国に入ったまま戻ってこなかったということになる。
そして、ダンジョン探索強化月間が始まった。
ギルドからの指名依頼は、強化月間中10日間以上の診療所での治療である。
診療所には簡易宿泊所もあるので、日没まで勤務してから、町に戻らなくても、ダンジョン前の診療所で寝泊まり出来るので、できるだけ継続して勤務してもらえる方がありがたいとのことだった。
強化月間中は、診療所にずっと詰めてもらっても構わないとのことだったが、まだ、どうするかは決めていない。
ただ、仲間をお留守番させてずっと診療所という選択肢はないので、全員で移動することにはなる。
荒事が苦手な井田さんやミニホ、セルパなどは、危険と目されるダンジョン前に連れて行くことに躊躇しない訳ではないが、置いていくという選択肢はない。それに、救急馬車はダンジョンの中には入っていけないので、ダンジョン前の診療所で使うことは絶対にない。ダンジョン入り口から、救急馬車に乗せて診療所まで運ぶ理由がないからである。つまり、ダンジョン探索強化月間中は救急馬車は純粋に宿として使えるのである。
ギルドには申し訳ないが、診療所の部屋にギンは入らないし、ミニホも寝るところがない。
馬車の後部座席を倒して、寝台をセットすれば、馬車の中に従魔全員が一度に入って休息出来る。
寝台の背心地だって、病室のそれには負けるけど、診療所の簡易ベッドよりはマシだ。
僕たちは初日から、診療所に詰めることにした。
やはり、僕がいない時に冒険者が大けがして、治療が間に合わずに、後遺障害が残るか、あるいはもっと悪い結果になったら、やはり寝覚めが悪いし、アルテミアス様との約束を何となく違えた気分になってしまう。
ギルドは1日金貨1枚の報酬など、大盤振る舞いに聞こえるが、それでも、獣人の国に教会の神官は非協力的らしく、ポーションだけでは追いつかないような傷や毒などの状態異常を恐れて、冒険者がダンジョンに寄り付かなくなると、いずれ魔物があふれ出してスタンピードが起こり、町が壊滅してしまうとのことだった。
その損失に比べれば冒険者に安心を与える高度な治癒術を持つ人物の存在は、是非とも囲い込みたいとのことではあった。
専属の依頼は断るけど。
とはいえ、まだこの街に来て間もないため、治癒師としての信用があるわけではない。
当のギルドだって、ギルド間の情報網で、風の噂に知っているという程度で、実際に治療された冒険者を見ている訳ではない。
それでも1日金貨1枚という破格の待遇を提示するのあ、それだけせっぱ詰まっているということだろう。
なので、初日は、冒険者もダンジョンに潜ってすぐに怪我をする訳でないし、問題の毒のある魔物はダンジョンの3階層以降の下層で出没するらしいので、僕たちも実際に現地調査をしてみることにした。
ギンとムートはどちらかが残って馬車の見張りと、荒事苦手な平和指向の従魔の守護もしないといけないので、まずはギンから先に連れて行くことにした。
普段その大きさゆえに我慢を強いているギンに活躍の場を与えないと、ギンが拗ねてしまうのだ。
つい先日ムートに乗って黒の森に行ったことも、ギンを最初に連れて行く理由になった。
そしてダンジョンといえば、タラちゃんの活躍の場は多そうである。
ダンジョンのような見通しの悪い場所では、狭いところや、魔物の待ち伏せに遭いにくい、隠密行動の出来る存在は重要である。
井田さんやセルパもそういう意味では、適任に見えるのだが、何かあったときに自分の身を守れないので、むしろ僕が不安になってしまうのだ。
というわけで、僕とギンとプルンとタラちゃんのパーティーはダンジョン探索に向けて出発する。
入り口でギルドカードを見せる。第6級なので、ソロでも10階層までは問題なくダンジョン探索の許可が下りる。
ギルドの役割は、冒険者の実力に合わせて、ダンジョン内で活動出来る階層をルール化することで、実力にあった依頼を受けるよう調整し、もって不慮の死を冒険者が遂げないようにすることも含まれている。
ギルドがクエストに冒険者等級の細かい指定を行うのは一重に、冒険者自身の安全を確保するという目的が第一なのである。
僕は自分自身の実力とは無関係に、この世の理を無視した理不尽な存在であるフェンリルとドラゴンという二大巨頭の存在故に、自分が意識を失って寝ている間にタイラントボアが大きな肉の塊になっており、そしてそれ故に冒険者等級が6級になってしまった。
そこに自分の関与はない。なんなら意識さえなかった。




