エピソード89
しばらく鳥の声を聞きながら馭者台で眠気と戦っていた。
草原の草むらは時折風もないのに揺れ動き、おそらくは小動物というか小魔物が潜んで居るだろう気配を漂わせていた。
僕たちの中のルールとして、襲われない限り、攻撃しない。食べるための狩りはダンジョンでする方が心が痛まなくて済むというものがある。
草原に住む兎や森の浅いところに済む小型の猪なんかは、経験の浅い冒険者の仕事なので、僕は元々荒事は無理でも、うちのハンターが優秀過ぎて、本気を出したら、生態系を破壊しかねないので、地上での狩りは他の冒険者に任せて、肉も野菜もその他の食材も全て町の市場で買うことにしている。
ギンとムートには、以前狩猟本能を満たすことができなくてストレスが溜まったりするかと尋ねたけれど、特に狩りをしなければならないということはなく、僕が作る料理が僕の魔力が纏われていて美味しいので、狩りをして食材を渡せば、作ってくれるきっかけになるかなくらいにしか思っていないとの回答だった。
なので、機会が許す限り、食事は作る方向にして、「いのちだいじに」は自分だけでなく、周りの生物にも適用というのが仲間でのルールとなっている。
「ゴブリンを見たら逃げる」これが合い言葉である。
他の弱い魔物はギンとムートの気配に怯えて姿を隠し間違っても襲ってこないのに、あいつらだけは、知能が低いというのか無駄に好戦的というのか彼我の実力差を顧みずに、攻撃してくるので、遠回りを余儀なくされることもある。
まあ、その場合でも馬車だけしまってミニホとギンの足には到底追いつけないので、無駄な殺生をしなくて済むのは幸いだが。
そんなことを考えながら草原を進むと前方に立ち止まっている馬車が見えた。
この展開は野盗に襲われる商人達の馬車か?と警戒しながらも速度を上げて近づいていくと、脱輪してぬかるみに車輪をとられ、動けなくなっていた馬車であった。
馬に相当無理をさせたため、馬に疲労の色が見えたことから、僕らは近づいて「手伝いましょうか?」と声を掛ける。
念のため、ギンに彼らの気配を尋ねたが特に敵意は感じられないとのことだった。
馬車は商人が荷物を積んでいるのではなく、国境の手前の関所まで往復する路線馬車で、国境から一番近い停車場のある町へと向かっている乗り合いの馬車に王国から、この連合国に入国したばかりの人たちが乗っていた。
そしてその中には懐かしい顔ぶれもいた。
野盗に攫われていたエルフの幼女とその付き添いの女性だった。
「ああ、あんた達、あの後プロキオンから、こっちの国に来たのか。」
よく考えたら助け出した人たちをプロキオンの町に連れて行ったが、ペストの流行していた町に連れて行ったことを少し後悔していた。沈静化したとはいえ、病原菌が完全に死滅したかどうかを知る術はなく、血清があるので、大きな問題は生じにくいとはいえ、今は僕がその町を出てしまっていることから、再度流行があった場合、どうするのか分からなかった。
次の冒険者ギルドによった時にでも、一応ペストの流行について、プロキオンや近隣の町、もしかしたら国境を越えてこちらに感染が広がる可能性も皆無ではないことから注意喚起して、何かあれば、僕に連絡が付くようにしておいたほうがいいかもしれない。
と考えていたら目の前の幼女に「こんちゃわ」と挨拶された。
舌足らずなのかあざとく狙ったのかは分からないが、まあちっちゃい子供はどんな種族でも可愛いに決まっている。
25歳のおにいさんの私だって、前世でこそ結婚歴はないけど、せっかくアストレアス様とアルテミアス様の配慮で新たな人生を与えてもらったのだから、人生を最大限謳歌しないといけない。最大限謳歌するというのは、もちろん人生の伴侶を得ることも構成要素の一つである、うん。
と妄想を再び繰り広げていたら、
「おじちゃんも一緒に行くの?」と尋ねられてしまった。
・・・・orz
「おじちゃんじゃなくて、おにいちゃんと呼んでみようか?」何故疑問系?
乗合馬車の馭者らしき人がちか付いてくる。
「せっかくですが、お一人ではどうにもならんので。」
馭者は手助けを申し出た私の声に一瞬喜びの表情を浮かべたものの、僕が一人であったことからわかりやすくがっかりした。
僕は、「期待されないのは分からなくもないですが」と苦笑いしながら、馬に近づき、鼻面を撫でたあと、口元に両手を包み込むように合わせて、医療魔法の「生理食塩水」を発動する。
汗で水分とミネラルを失った馬には、水だけでなく塩分も必須である。疲労回復が断然早くなる。
塩分濃度およそ1%の水つまり生理食塩水は馬にとっても甘露である。嬉しそうに鼻先を僕の手のひらに押しつけて、美味しそうに水を飲む馬たち。
ざらざらした大きな舌が手のひらにあたってくすぐったい。
馬に水を与えると、馭者に一声かけて、馬車と繋いでいるとも綱を外し、手綱を引いて、馭者に馬を引き渡す。
代わりにギンにとも綱を加えてもらい、後ずさりしながら馬車を引っ張る。
地面にめり込んでいた車輪はするっと抜けて、馬車は街道に戻る。
所要時間は僅か5秒だった。
「主殿終わったぞ。」ギンの間の抜けた声が、辺りに響くほど、馬車の乗客も馭者も言葉を失っていた。
僕は、とも綱をギンから受け取り、呆然としている馭者の手に握らせると、馬たちをもう一度撫でて、「じゃあ、これで」と立ち去ろうとする。
その一連の流れる動作をタダ見守っていた路線馬車の馭者だったが、思い出したように我に返り、「あのーありがとうございます。ところで、お願いがあるのですが、貴方に次の町まで同行をお願いしたいのですが。」
乗り合いの路線馬車にも当然道中の安全確保のための護衛が雇われているのだが、馬車の脱輪の原因となった魔物の襲撃、といっても草原狼であったが、の接近を許し馬が驚いたことの原因を作った冒険者の護衛に多少不信感をもっていたようだった。
僕は「済みません、せっかくですが、護衛の任務は受けていないので」と断る。
元々野盗退治も好きでやっていた訳ではなく襲われて仕方なくという対応だったが、なにより魔物、たとえば草原狼などに襲われても、殺生は好まないため、攻撃したくはない、自分たちだけなら逃げることも出来るが、護衛する対象を背負ってしまえばそれもできない。
やむを得ずと言いながら殺生が避けられない状況に陥りたいとは思わないのだ。
「そういわずに目的地が同じなら、そちらにも負担にはならないのでは、もちろん冒険者等級に応じて報酬も出します。」となおも食い下がる馭者に、
「僕たちは、道中も魔物を殺めることは出来る限り避けたいと思っています。それが野盗とはいえ人間ならなおさらです。」と伝える。
自分だけなら逃げることで、無益な殺生を避けられるのに、馬車が居ることで避けられなくなるのは嫌だと率直に伝える。呆れられるも、それも一つの考え方だし、それで自分が危険を負うのであれば、それこそ自己責任だが、他人の命を背負ってしまえばそうもいかない。
時運では責任のある態度だと思うのだが。
名残惜しそうだったが、いざとなったとき逃げるつもりですと面と向かって言われてしまえば、護衛に雇う訳にはいかない。何より既に居る護衛の冒険者の手前、いかに彼らが頼りなくても、金は受け取るわ危険時に逃げるわなどとはっきり言われてなお雇おうとするのでは示しがつかなくなるからである。




