エピソード76
図らずも、室内の空気が悪くなってしまった。
僕は、ギルドマスターに、こっそり耳打ちする。
「先日同じこと言いましたよ。事前に知らせておいてもらってないのですか。」
「恩を受けて返さないのは貴族の沽券に関わるんだ。」
「治療の費用はもらってますよ。それでいいじゃないですか。」
「娘の命を安く見られたと怒り出すぞ。」
「もう二度と貴族と話はしませんからね。」
「ちょっと待て、高位の冒険者など、貴族の依頼が半分以上だぞ。護衛の依頼も含めて。」
「僕は高位の冒険者ではありません。貴族と関わりたい友思いません。」
「そろそろこちらの話に戻していいかな。」
領主が業を煮やしたらしい。
「「あ、済みません」」
「ケント殿に欲がないのは理解したが、これでもこの国において公爵位を賜る身だ。自分の娘の恩人に何もしないまま帰したとあったら、私の立つ瀬がないのだ。何とか了解してもらえないだろうか。」
「それでしたら、一つお願いがあります。厚かましいとは思いますが、お聞き届け頂いて、それをもってこのお話を終わりにさせて頂きたく存じます。」
「ふむ、内容を聞かないことには約束は出来んが、私に出来ることならかなえさせて頂こう。」
「この町にある修道院ですが、その土地は領主様の所有で、修道院の経営のために無償で貸与されていると聞いております。」
「いかにもそのとおりだが。」
「その修道院への無償貸与を永続していただくと同時に、修道院への不当な要求や危害を加えようとする者から、守って頂きたく存じます。それをもって当方への賞与としていただければ。」
「ふむ、なぜ貴殿がそこまで修道院に肩入れするのか、理由があるなら教えていただけぬか。」
僕は目の前の人間は貴族としての目線の高さはあるものの、それほど悪い人ではないように感じたので、アルテミアス様の神託をもって、自分が今の技術や知識では救済できなかった怪我や病気の治療を行うことを使命としていること、アルテミアス様とは修道院の礼拝堂でお祈りを捧げることでご託宣を賜っていること、これまでに立ち寄った町でも、修道院にお世話になり、また修道院へは一過性の寄付よりも、継続して経営を続けられるよう、なにがしかの事業を興していたところ、その収益に目を付けた貴族や商人らに絡まれるようになったこと、この町の直前に立ち寄っているアンタレスの街で、蒸留所を開設したところ、欲深い貴族に狙われ、院長先生他修道院の人たちが嫌な思いをしたことなどを説明する。
「なんと、アンタレスの街の蒸留所はケント殿の事業だったのか。で、この町にもは蒸留所を開く予定はないのか。」なんなら公爵家は投資しても構わぬが。」
「あ、いえ、同じ事業を隣接する町で行うと、商売の相手が射なくなりますので。この町では別の事業を行うつもりでいます。」
「ほう、すでに計画があると見られる。興味深い、是非教えていただけぬか。」
「お父様、お仕事のお話でしたら、別のときにしてくださいませ。今日は私を治療してくださった。ケントおじさんに御礼をする日なの。」アナスタシア嬢が領主の膝のうえでむくれていた。
「済まない。」領主の顔は父親の顔に戻っていた。
「では、今申し上げた件、ご検討下さい。それで、差し支えなければお暇したいのですが。」
「い、いや、この後娘の快方祝いを兼ねて、ケント殿を食事に招きたいと考えて用意しておったのだ。是非ともご相伴なされよ。」
うっ、聞いてねえ。
「ギルドマスター、こんな話は聞いてないです。」
「貴族の屋敷に招かれるんだぞ、食事が出るのは当たり前のことだから、知らん方がおかしい。」
「開き直ったな。」
「ご無礼かと存じますが、事前にここにいるギルドマスターからは聞いておらず、その著邸をしておりませんでした。私には、本日この場に連れてきていない従魔が私の帰りを待ちわびており、その者達の食事がありますので、私一人、ここで食事をして、従魔にお腹をすかせたままという訳には参りません、なにとぞご容赦下さい。」
よし、これで礼を失することなく断れたはずだ。
「ほう、ケント殿はテイマーであられたか。治癒師にしてテイマーとは珍しい職業の選択ではあるが、差し支えなければ、教えてもらえるかな。スライムとワイバーンの幼体は家訓出来ているのだが。」
その言葉を聞いて、ムートが怒り出す。(ワイバーン!?この僕を見てワイバーンって言った?ねえ、ご主人、あいつ燃やしていい?)
「お願いだからおとなしくして。ムートが自由に大きさを変えられるほどの上位種だって知らないんだよ。多分エンシャントドラゴンなんて見たことないと思うよ。」
僕は小声でムートを一生懸命宥める。こんなところでキレられた日には、大惨事になってしまう。
「領主様、スライムは合ってますが、ワイバーンではなくエンシャントドラゴンです。また幼体ではなく成体で、自在に体の大きさを変えることが出来るので、護衛としてついてもらっています。後、邸の中に入れないということで、外でフェンリルが待機しています。修道院に、ポイズンタラテクト、極小蜘蛛、草原蛇とミニバが居ます。」
自分の馬車で来ていいのならミニホも連れてくる口実が出来たのだが、領主様が馬車を手配すると言われてしまうと、ミニホを連れていく理由がなくなってしまう。
一緒について来たがるのをなんとか宥めて、すぐに帰ると説得した手前、食事は避けて通りたい。
「な、なんだと、エンシャントドラゴンにフェンリルだと。」
あ、目の前にそれどころじゃない人が居た。
「国一つの戦力に等しいと言われた伝説の魔獣をケント殿は従えていると申すか。」
「従えているというよりも、仲間であり家族です。そしてその家族が僕の帰りを待っていますので、他の誰でもなく領主様なら、その気持ちおわかり頂けると思います。せっかく食事のご準備を頂いていたというのに、中座する無礼をお詫び致します。」
「うーむ、そういわれてしまうと引き留めづらくなってしまう。ギルドマスター、なぜ食事の用意もしていたことを伝えてもらえなんだ。」
「い、いえ、常識として知っているものと考えておりましたゆえ。」
「えー、おじちゃん一緒にご飯食べてくれないの?」
「お、おじ・・・ちゃん」膝から崩れ落ちそうだ。
「おじちゃんはね、家で待っている家族がいるんだよ。一緒二位ご飯食べようって約束しているんだ。お嬢ちゃんも、家族で一緒にご飯食べるのが幸せだって、病気したことで欲分かったんだよね。お・・・じちゃんの気持ちも分かるよね。」
25歳っておじちゃん枠なのか?お兄さんと呼んでと言ってはいけないのか。
「うー、」
頭では分かっているけど、というところかな。
「そうか、他の家族には食事の席で合わせようと思ったのだが、またの機会としよう、修道院の件は了解した。新しい事業とやらも楽しみにさせていただこう。忙しいところを、呼びつけて済まなかった。家族共々御礼を言いたかったのだ。」
「お嬢様の快癒、おめでとうございます。」
僕は最期にそう返礼して、領主邸を後にした。
帰りも馬車を出すと領主は言ったが、ギルドマスターだけ送ってもらうよう告げ、僕はギンに乗って修道院に戻ることにした。家族の仲の良さに当てつけられた気がして、すぐにみんなとご飯が食べたくなったのだ。
ギンは「仕方ないな。」と良いながら嬉しそうに僕たちを乗せて、あっという間に修道院に戻った。
玄関まで見送りに来ていた領主が「こ、これがフェンリルか」と呟いたその声はケント達に届くことはなかった。