エピソード75
そして領主邸に行く日、僕は時間前にギルドの前に着いた。
そこには公爵の紋章が入った先日と同じ馬車が止まっていて、あの女騎士が馬車の前に立っていた。
また、下賤の者が、とか言われるのかなと思っていたら、先日とは少し様子が異なっていた。
僕は一応挨拶して通り過ぎ、ギルドの中に入った。
すぐにギルドマスターが出てきて、時間前だけど揃っているので、領主邸に向けて出発することになった。
すると、あの女騎士が、馬車に一緒に乗り込み、僕の向かいに座ると「ケント殿、先日の無礼をお許し頂きたい。私が使えるアナスタシア様の命の恩人に対し、私はあまりにも無礼だった。」そういって頭を下げた。
えーと、これどうしよう?
僕はそっと隣に座るギルドマスターに耳打ちして尋ねる「アナスタシアってどなたです?」
「うおっ、聞いてなかったのか、お主が助けた領主のご令嬢だ。」
「あ、あの子、そういう名前だったんですね。」
「くっ」女騎士は僕が領主の次女の名前を知らなかったことが失礼にあたると考えたようだが、謝罪の途中で謝罪の原因になった態度に戻る訳にはいかないと必死に耐えたようだ。
なんか申し訳なくなってきた。
馬車はすぐに領主邸の門をくぐり、邸の前のロータリーで、ゆっくり停車する。
門をくぐってもまだ、馬車が「走る」上に自宅敷地内にロータリーって。
前世の知識が追いつかない大豪邸が。
先日も同じパターンだったはずだが、全く覚えていない。それどころじゃなかったということだなあ。今はそんなところにも関心が向くのは心にゆとりが出来た証拠かもしれない。
前向きに現実逃避していると、馬車のドアが開き、女騎士が最初に降りて、僕たちが後を続く
馬車の段差を埋める昇降台が置かれ、そこに乗ってから地面に降りる。うん、前回もそうだったかな?記憶にない。
邸の玄関の前には先日のセバスチャンさんが待ちかまえており、その案内で邸の中に入る。
先日と同じ、正面の階段に向かって右にある応接室に通される。
こっちの世界用語ではサロンというらしい。
そこには領主様と奥様、それに目をぱっちり開けた女の子が真ん中に座っていた。
僕たちが向かいのソファに指示されるままに座ると、領すが口を開く。
「このたびは我が娘の命を助けてもらったこと、感謝の念に耐えない。親としてケント殿には御礼申し上げる。ありがとう。」そういって頭を下げた。
すると執事のセバスチャンさんも女騎士も慌てだし、セバスチャンさんが、「旦那様、王族でもあられるあなた様が一介の平民に頭など下げては・・・」そう口にしたところで、領主に射殺されるかといわんばかりの鋭く圧のかかった視線を受けて黙る。
「セバス、控えろ。一人の親として、娘の恩人に礼を言うのは当たり前のこと、そこに貴族も平民もない。」
低い声が部屋中に浸透し、再び静寂に包まれる頃には誰も何も言える雰囲気ではなくなってしまった。
「あ、これは失礼した。改めて娘アナスタシアの父で、この町の領主をしているアレクサンダー・パピー、一応王家より公爵お爵位を賜っておる。」
「あ、これはご丁寧に、私はケント、治癒師、私の国では医者と言いますが、をしています。」
「このたびは娘の命を救って頂きましてありがとうございました。私は領主の妻、ミレニアと申します。」
「ご丁寧なご挨拶を頂き恐縮です。お嬢様の御快方を心よりお喜び申し上げます。」
「ふむ、ケント殿は貴族ではないと聞いておったが、名のある家門の出でしたかな。」
「いえ、普通に庶民ですが。」
「そうですか、物腰の柔らかさといい、丁寧な受け答えといい、高度な学問を身につけておられるので。」
(うっ、そんなところで出自まで詮索されるのか、なんて面倒な)
ちょっと顔に出たのだろう。領主は慌てて、「いや、これは失礼した。貴殿のことを詮索しようというつもりはないのだ。許してくれ。」
「おとーさま、まだわたくしが御礼を申し上げておりません。」
頬をふくらませて女の子が父親の顔を見上げる。
怒られているのに、領主の目尻は下がり放しだ。仲の良い親子だな。
「初めまして、領主、アレクサンダー・パピーが次女、アナスタシアと申します。助けて頂きまして、ありがとうございました。」女の子は一生懸命覚えた台詞を思い出しながら、そう口にした、と思ったら「わ、わたし、もうダメだと思ったの。体が熱くて頭がぼーっとしてお腹とか痛くなって、もう、パパとママにも会えなくなるって思ったら、寂しくて。そんなときに誰かがわたしの頭を撫でてくれたの、冷たい手だったのに、なぜか優しくて暖かい気がして、それでそれで、目が覚めたら起きあがれるようになってたの。パパとママに聞いたら、おじちゃんが治してくれたって。もう一度パパとママに会えたの。ありがとう。」
ダメだ、これは不意打ち過ぎる。
泣きそうだ。医者をやっててよかったと思える瞬間だ。一生懸命涙を堪えたが、女の子の両親には、それは無理だろう。領主も目にも光るものがあったが、母親の方は堰を切ったように涙腺が崩壊していた。ただ、「おじちゃん」じゃなくて「おにーちゃん」にして欲しかったな、別の意味でも涙腺が崩壊していた。
執事も女騎士も涙を流しており、横のギルドマスターももらい泣きしていた。
そう、今日ここにきた理由なんて、これだけで十分だ。女の子が再び笑って両親と話しができるようになった。その光景を見ることが出来ただけで十分だ、お願いだからこの気持ちを踏みにじるようなお金の話などしないで欲しい。
僕のそんな小さな願いもむなしく領主が口を開いた。
「そこで、娘の命を救ってくれた貴殿に何か御礼をしたいのだが。」
報償と言わないだけマシかと思いながらも、「ギルドマスターに言付けをお願い致しましたが、仕事としてした分以上のお金を受け取ることは出来ません。とくに結果が出たからという理由でお金を受け取ることは、私の仕事を危うくするものでもあるのです。」
横でギルドマスターが、よせ、やめろと合図してくるが、だから来たくなかったんだよ。
女の子の全力のありがとうだけもらって帰ることが出来たら幸せな気分のままで過ごせたのに。




