エピソード72
修道院についたとおころで、僕は修道院の敷地にある、野外病室の隣に野外オペルームを取り出す。
病室は元々満室であり、病床が足りないのだ。
ちょうど3人だということもあり、また、ご令嬢の警護の都合上も、病室を他の患者と分離出来るのも都合が良かった。
護衛責任者になる女騎士はその事実に嬉しさを隠しきれないようだった。
警護のしやすさに喜ぶのであればともかく、口癖のように繰り返す、貧民街の患者を下賤の者と侮蔑し、同じ病室でないことを喜ぶのは見ていてあまり気持ちのいいものではなかった。
臨時の手術にならないことを願うばかりだ。
病室の稼働率が120%という状況は全くもって好ましくない。
隔離の関係で、多少容態が改善したところで、感染者は修道院内に留め置かなければならない。
2時間置きの「浄化」は日課になり、抗生物質を投与して安静にしてもらうだけの人たちは修道院の礼拝堂にミノタウロスの毛皮を敷いて、床の冷気が伝わらないようにして、そこに寝てもらうことになった。
屋外病室までは病院ぽかったのに、さながら野戦病院の様相を呈して来た。
ただ、ペストの治療は初期の段階はとにかく、感染の拡大を防ぐ一方、当の患者本人に対しては、病原菌が体内で増殖して臓器の不全を起こす前に、人体の病気に対する防衛システムの発動を待つしかない。そのため抗生物質で細菌の増殖を抑え、病気に対する抵抗力が落ちないように栄養管理を行い、あとはひたすら待つしかなかった。
後は転機が訪れるのを待つしかないので、最初のヤマを乗り切ると、少しゆとりが生まれた。
そこで、始めの頃にギルドマスターに伝えた、この病気の感染源と思われる、ネズミ、ギルドマスターによれば、おそらくは「ドンブラット」と呼ばれる、町中の浄化槽や排水溝などに不衛生な場所に棲息する魔物の討伐について考えてみることにした。
さすがに生命に対する職務上の誓約があるにせよ、躊躇することで、人の生命が脅かされるとなれば、話は別である。
黒光りするGや夏にプーンとか言って飛び回るちっちゃな羽虫は問答無用で処刑するのも疑いようのない事実でもある。
ただ、自分の持ち場であるこの病棟を離れてまで、ネズミ退治という訳にはいかないので、殺鼠剤を作ることにした。
昨年の秋、黒の森で採取した毒キノコが、未だに用途も見つからないまま収納の中に残っていたのだ。
僕は医療鑑定で無味無臭の毒を包含するキノコを探し、前世でも誤食による死亡事故を引き起こすシメジに似た真っ白な猛毒キノコを使うことに決めた。
医療魔法の「乾燥」のあと、粉末にするのだが、いくら浄化を使えば問題ないとはいえ、人体に投与する薬を精製するときと同じ器具を使うのは憚られたので、毒薬調合用に、すり鉢を別途用意することにした。
これを肉団子に混ぜるのだが、食用の肉を使うのはもったいないので、毎日肉を届けてくれる肉屋に頼んで、廃棄するボアの内臓をもらった。
肉や野菜を始め食材は領主の好意で修道院に提供してもらえることになった。病院食を作るのも僕の仕事になったが、普段作る食事の量が20倍に増えただけと思えば・・・
ボアの内臓をナイフで細かくミンチにして、毒キノコの粉末と混ぜて、肉団子を作っていると、ムートとプルンが寄ってきて、「あるじー「ご主人」、ご飯作ってるの?食べていいー?」と待ちきれないように尋ねてくる。」
僕は苦笑しながら、「これは食べちゃだめだよ。「ドンブラット」退治用の毒だから。」
と釘を刺す。ギンは自慢の嗅覚で、毒が入っていることに気付いており、二匹ががっかりしている横で「フン」と鼻を鳴らしていた。
美味しそうな(?)肉団子風殺鼠剤が出来ると、僕は冒険者ギルドに足を運び、既に領主からの依頼として出ている「ドンブラット」討伐の依頼を受ける冒険者に、討伐を終えて、戻ってくるときにでも、浄化槽や排水溝周りに撒いて来てもらうように伝えた。
殺鼠剤というネズミに対する毒が入っていて人体にも有害だから、間違っても食べないこと、最悪死ぬこともあると伝え、情報伝達を徹底してもらうようにギルドマスターに依頼する。
殺鼠剤で死んだラットも、最期に討伐証明部位を持ち帰る冒険者の手柄にしていいと伝えておく。
元々使い物にならない材料を使って作っているので、原材料費もゼロである。
僕は、殺鼠剤が多少でも有効ならいいなと思っていただけだった。
ところが、思った以上にその効果は大きかったようで、小さくてすばしこいラットは、10級冒険者、つまり街の外に出られない新人や幼少の孤児達のためにある冒険者等級の冒険者にも命の危険なく討伐対象と出来るほどに弱い存在でありながら、なかなか討伐数が増えないことから割に会わない依頼とされることがほとんどであった。
今回は事情が事情なので、討伐報酬は領主によって引き上げられたが、それでも高位の冒険者にとっては、見向きもしない依頼ではあった。
そこで必然的に将来本格的に冒険者になりたいと考えている予備軍の子供達が依頼の担い手になるのだが、たとえ、弱い相手とはいえ、病原菌の感染源であることが強く疑われる相手でもある。
安全に駆除出来るのであれば、それに越したことはなかった。
あまり期待していなかったのだが、思った以上に殺鼠剤の効果は高く、討伐依頼を受けていた子供達が、ギルドから殺鼠剤を作ったのが僕だと聞いて、直接「おかわり」を強請りに来た。
聞けば、初日だけで37匹のドンブラットの死体を回収することが出来たらしい。自分たちで討伐出来たのが1日掛けて5人で3匹だったことから、10倍以上の成果を何もせずに一晩明けたら死体を拾うだけで達成してしまった。
ドンブラット1匹につき、討伐報酬は大銅貨5枚なので、40匹のラットで金貨2枚となり、5人で一人大銀貨4枚ずつとなり、初めて手にする大銀貨に子供達は興奮して、大喜びで家に持ち帰り、母親に渡したそうだ。
無駄遣いせずに、親にありがとうってお金を渡せる子供達の純粋さに、殺鼠剤作って良かったなと心から思うことが出来た。
子供達のお願いも快く引き受け、前回より多めに殺鼠剤を作ってギルド経由で渡した。
こういうのは事故が起きる可能性を考慮して、殺鼠剤の危険を正しく伝えたという証拠を残しておく必要があるのだ。
子供達の奮闘?もあって町中を駆け回るネズミの数が目に見えて減った頃、ペストの感染と死亡者の数も正確な統計をとっていないにも関わらず、肌感覚で分かるくらいには現象してきたと同時に待望の病気を克服した患者が出た。
肌の色も黒ずみが消えて、元の色を取り戻し、熱も収まり、全ての兆候が、病原菌の劇的な減少を示していた。
興奮を抑えきれずに採血して、シャーレに一滴垂らし、拡大鏡を使って確認すると、そこには病原菌を攻撃するキラー細胞の存在が確認出来た。
(よし、これでより効果的な治療方法が確立できる。)
ドラゴンさんたちに用いた、抗体の直接投与である。
いわゆる血清で、病原菌の増殖を抑えるという消極的な治療から、より積極的に病原菌を死滅させるという治療方法への転換期が来たことを示していた。ようやくこの感染爆発の終息が、トンネルの出口の向こうが見えた気がした。
ただ、抗体の存在を確認出来た患者はまだ一人で、その抗体が万人に使用できるものではない。ABO式血液型が合致しないと抗体どころか血液そのものが異物として廃除されてしまうからだ。
残念ながら、患者の血液型はB型だった。日本人ならAB型の次に少ない血液型だ。
O型なら最悪の場合、血液型が合致しなくても、異物として廃除されるまでのことにはならないので、試すことが出来たが、この世界の人たちの血液型としては、極めて少ないらしい。まあ、療法とも劣性遺伝子でないとその血液型にはならないので、統計確率からすれば当然といえば当然なのだが。
早速、B型の患者に採取したばかりの抗体を注射していく。
万一のアナフィラキシーショックに備えて、AEDの心づもりだけはしておく。ちなみにAEDも両手に電流を流す医療魔法として可能だった。直接相手に触れていれば発動出来るので攻撃魔法としての応用も可能かもしれないが、元々荒事は嫌いだし苦手なので、AED目的以外に使用するつもりはない。
恐れていたアレルギーショックは起こることなく、そのまま経過観察となった。早ければ明日にでも、効果が現れ始めるだろう。
そして、この治療方法の最大のメリットは抗生物質と異なり、無限に血清が用意できるということである、そうプルンの独壇場である。
抗生物質を増やすことが出来ずに落ち込んだこともあるプルンだったが、僕が血清の増加をお願いし、「分裂」によって増やすことが出来たプルンは笑顔を取り戻していた。
僕も嬉しくなって、プルンをほめながら撫でると、「プルンばかりずるいー」と全員が整列したので、吹き出して、順番に「みんな偉い、ありがとう」と言って撫でてあげた。
病気の血清が出来たことはその日のうちに冒険者ギルド、そして領主のところに報された。
領主の次女の血液型はB型ではないものの、それほど珍しくはないA型のため、血清による治療の見通しは明るいと言ってよかった。
もちろん変に油断するつもりはないのだが。
そして、血清による治療の利点はもう一つある。むしろ、プルンによる量の確保よりこっちのほうがメリットとして大きいと言える。
それが訪問治療が可能となったことだった。
点滴パックは抗生物質投与のためというよりむしろ自力で栄養補給できない患者のために、用いるためのもので、病室の患者に使用する関係で、持ち出し出来ないものだが、血清だけなら、抗生物質だけの注射と同じ理由で血液検査の機械で、血液型の一致が確認出来れば投与できる。
本来は一カ所に隔離して集中治療が望ましいのだが、どうしても貧民街に足を運びたくないという人たちが、感染をコントロール出来た貧民街と異なり、町中での感染拡大を広げていた。死ぬ直前になってあわてて修道院に駆け込んできた人たちはまだ、手遅れになる前なら、余分に抗生物質を消費する程度で済んだが、それでも自宅での療養に固執した人いついては、僕の知らないところで知らないうちに死んでいったらしい。
「貧民街には行かない」という理由だけの差別意識の市民については、血清の投与は受けるというので、往診と治療費を請求することにした。これに反発する市民も少なからず板が、診療所での治療費については領主から出ており、貧民街以外の患者についても診療所での治療を受けることが出来たし、出来ることも伝えていたのに、頑として受け付けずに、感染を拡大したのはあなた方だと伝え、治療費を払わないなら治療しないだけだが、と伝えると、憎々しげに睨んで来たが、血清の投与治療費として大銀貨1枚を支払った。
ちょっと高めに設定したのは、馬鹿の下らない差別意識のせいで被害が広がったことへの意趣返しみたいなものだった。
ただ、それでも血清の投与を受けると言ってくれたのはまだマシな方で、貴族の中には、自分の高貴な血に、下賤の者の血が混じるなど、耐え難い屈辱だと血清投与の治療を貴族に対する侮辱だとまで言い放つ輩が居た。
「別に治療を受け入れる受け入れないは、そちらの自由ですから。」僕がそういって往診を拒否すると、「貴族に対し不敬である。処罰されたくなければ血清以外の治療をしろ!」と言い出したので、「他に治療方法があるなら教えてくれ」と言い返し、「そのままでも死ぬ確率は2分の1くらいだから、がんばって残りの2分の1に入れるように願ってみたらいい」と使者に言付けた。使者は当然「貴族に対するなんたる態度、必ずその言葉に責任を取らせるからな」と捨てぜりふを残して立ち去った。
面倒なので、治療方法をねじ曲げて無理難題を押しつけようとする貴族の存在については冒険者ギルドに丸投げすることにした。次女の容態を持ち直して快方に向かわせたことで、領主も今治療を止められたら上げて落とされるとばかりに、貴族とのもめ事は公爵家が対応するというお墨付きを与えてきた。
ただ、今回の貴族の言い分を聞いて、公爵の次女に血清投与をしてよいのかどうかについては、インフォームドコンセントが必要だと痛感したので、事前に公爵に多阿須寝ることにした。女騎士経由で、執事のセバスチャンからパピー公爵という手順で、治療方法に対する問い合わせが行われた。
選民思想の傾向の強い女騎士も、どうやらもめ事を起こした貴族と同じ発想のようで、「」お嬢様の高貴な血に下賤の者の血を混ぜるなど万死に値する。」と治療方法にカウントしている僕が全ての元凶だみたいな態度に出た。
前世で医者をしていた僕には到底理解出来ない発想だし、理解したいとも思わないし、それで死んだら何の意味があるのかと言いたくなるような場面で真剣に悩んでいるのを見て、呆れるしかないが、公爵の令嬢ともなると、ちょっとしたことが社会的死の原因となるんだそうだ。
その前に生物学的な死を迎えてしまえば、元も子もないだろうにと思うのだが、もはや別の世界の住人だと考えるしかないのだろう。
結論からいうと、現状維持のまま血清治療を拒否し自然治癒を目指すことになった。
それで余分に掛かる手間には十分な補償はするとの事だった。
(金の問題じゃねえよ、助かる命、助けられる方法が目の前にあってなぜ遠回りをする必要がある)
僕には到底理解出来ない価値観で、一生分かり合えないことを確認しただけだった。
何が「娘の将来に責任が持てるのか!」だ、娘の「現在」に責任が持てるのかと自問自答してみたらどうなのか。
それから、さらに10日を経過して、なんとか公爵の次女は病気の自然治癒にこぎ着け、自宅に帰ることが出来た。
最初の抗体が確認出来た患者から4日目にようやく最期の血液型AB型の患者の抗体が確認出来て、病室に居た患者は劇的に減少していった。
その成果はすぐに広まり、こそsり隔離せずに自宅に居た病人からも往診の依頼が殺到し、下手に動かれてここからまた病原菌を撒き散らされたら困るので、血清の投与を受け入れるという患者については血清の投与を行っていった。
1回大銀貨1枚は、決して廉価とは言えないまでも、命の値段としては安すぎるので、投与を希望する患者は後を絶たなかった。
領主もギルドも把握出来ていなかった患者がこれだけいたのかという数字に驚愕した。
病室が全て空室になる頃、公爵の次女も起きあがることが出来るようになり、血液検査の結果、白血球の数値も正常に戻っていたので、退院の許可を出すことにした。
結局修道院におおける最期の患者となったのが公爵の次女で、帰りは公爵家の馬車で帰っていった。
ペストは最初の発症患者を修道院で確認し、その死を看取ってから、1ヶ月近くで終息していった。死者は統計がないので分からないが、数千人に達したと思われる、仮名戦車は町の人口の3割に達したが、致死率に照らしても死者の数は少なかったのは、血清が出来た後の志望者が激減したことによる。
皮肉なことに、早くから感染者の封じ込めに成功し、感染をコントロール出来た貧民街での死者が圧倒的に少なく、貴族街での感染者死者が最も多かった。
無駄な選民意識に殺されたようなものだった。
修道院に隔離された患者は、最初の手遅れだった少年以外に死亡者はおらず、プロキオン修道院の奇跡と後生にまで語り継がれる出来事となった。




