エピソード53
時をさかのぼること、ケント達が荷馬車のための馬を買いに街を出よう賭している頃、同じ街のある邸の中で、
「おのれ、おのれ、この儂に恥をかかせおって。」
己が貴族だという理由だけで平民に何を言っても許されると考えているグリード男爵は、脅しのために連れて行ったはずの冒険者はなすすべもなく返り討ちに遭い、両手両足を失った。
本当なら、グリード男爵も四肢のいくつかは失ってもおかしくないのだが、平民が貴族に危害を加えると、たとえ正当防衛でも面倒なことになるとの周囲の説得を受け、グリード男爵だけは、無傷のまま衛兵に渡したというのに、貴族が平民に無理難題をふっかけ冒険者をけしかけたという実体はいつの間にか握りつぶされ、四肢を失った冒険者が勝手に暴走したという話になり、男爵はおとがめなしで釈放されたのだった。
無論、その横車のために、グリード男爵の私財は、少なくとも同人の機嫌が悪くなり、しばらく戻らなくなるほどには減っては居るのだが、それで十分な罰になると高をくくったアンタレスの街の領主も、所詮は貴族の価値観から抜け出すことが出来ず、ケントの不評を買ったことに気付いていない。
そして、男爵へのペナルティが中途半端であったが故に、同人は懲りることなく、再びケントへの嫌がらせを計画していた。
「あんな平民ごときが儂に逆らうなど許せるはずもない。グリード商会が、あの珍しい酒を扱うことで、儂の懐が潤うことがなぜわからんのだ。平民は儂の前にひれ伏して、黙って儂の言うことを聞いておけばいいのだ。今回のことで、侯爵様が、あいつの商品に目をつけたら、儂は一銭も儲けることもできずに、あの金の卵を産むコケッコーを手放さねばならんのだぞ。」
「そのとおりでございます。ところで、男爵様、真正面から攻め込むのは得策ではありません。むしろあの男にも手出し出来ぬよう、別の攻め方をするというのはいかがですかな。」
「ほう、その方、良い考えがあると申すか。」
「はい、もちろんにございます。ですが、その内容をお教えするにあたっては、私どもにもきちんと分け前を頂くとのお約束が必要にございます。手前どもの取り分は半分、もちろんかかる費用も半分負担致します。ご納得頂けるようであれば、詳細はお話致します。もし、応じられぬということであれば、私は、本部に申し出て、この件は教会だけで実行致しますが。」
「ま、まあ、待て。何も応じないとはいっておらぬだろう。ただ、本当にうまくいくのであろうな。儂を謀ったりすれば、たとえ枢機卿といえど、ただではおかんぞ。」
「もちろんにございます。」
「ふっふっふ、お主も悪よのう。越後屋、じゃなかったデプリ。」
「いえいえ、おだいか、男爵様こそ。」
そう、確かに、グリード男爵は、アンタレスの街を含む一帯を両地とする侯爵に代わり、アンタレスの街の代官を務めていた。デプリが「お代官様」と呼ぶのはあながち間違いではない。
そして、健人達がデ・カーミッツ・ビーたちと蜜蝋の交渉をしていた頃、修道院のテレサ院長の元を修道院の敷地の地主であるジヌーシが尋ねていた。
そう、修道院の建物こそ、修道院が所有者であり、建て替え後は、ケントが共有持ち分を取得すると共に、蒸留所については、ケントが全額お金を出しているという理由で商業ギルドへの登録はケントの名前で登録されていた。
ジヌーシはその事実を捕らえて、賃貸している土地を勝手に第三者に転貸したので契約違反だから、賃貸借契約を終了する。と言い出したのである。
その場合、土地の上に乗っている建物は全部撤去して、土地を明け渡せというのが契約の内容だが、建物の撤去にも金がかかるだろうから、そのまま明け渡してもらっても構わないというのがジヌーシの言い分だった。
そう、ジヌーシは、最近アンタレスの街で爆発的な売れ行きのブランデーの製造工場をまるまる横取りしようと、難癖付けてきたのだった。
ジヌーシの行動には、もちろんきっかけがあった。アンタレスの教会の枢機卿デプリが、土地と建物を金貨300枚で買うと言ってきたのだ。
建物だけでも金貨300枚掛かっているというのに、元々貧民街の一角である修道院の土地などいくら広くても、その程度の値段にしかならないと、ここでも強欲ぶりを発揮したのだたが、ジヌーシにしてみれば、金の臭いをかぎつけ、自分も相伴に預かりたいと、買取金額に色を付けるよう、デプリに頼み込んだのだが、にべもない。それならと修道院に金を払わずに立ち退かせて、自分が売買代金全部を懐に入れるか、あるいは妙に羽振りののいいあの冒険者にデプリ以上の金額を提示させてしまえば、建物の所有者に土地買取の優先権があるという根拠を盾に取ることが出来ると考え、金貨500枚で土地を売却すると伝えてきたのだった。ジヌーシには金貨300枚で新築したばかりの建物を取り壊して、よその土地を買うなり借りるなりして、もう一度同じ費用をかけて建物を再建築するコストを考えれば、金貨500枚でも買うだろうとの思惑があった。
ジヌーシの話を聞いた院長先生は、すっかり顔が真っ青になってしまった。
自分たちの命を助けてくれて、日々の糧を得る手段まで与えてくれたケントに、それこそ恩を仇で返すことになりかねないと。頭を抱えてしまった。
絞り出すように、ようやく「蒸留所の経営者が今街を出ているので、戻ってから相談します。」と回答し、ジヌーシは「良い返事を待っていますよ。」と意気揚々と引き上げていったのだった。
そして時間はケントが街に戻ってきたところへ合流する。
「あ、院長先生、馬車用の馬を買ってきました。これで、お酒の原料とできあがったお酒の運搬も修道院でまかなえま、・・・すよ?」
意気揚々と話しかけたつもりで、院長先生も喜んでくれると思ったのだが、院長先生の顔は真っ青で肩も震えていた。
「・・・っ、子供達に何かあったのですか?病気が再発したとか?」
僕は慌てて院長先生に問いかける。
けど、院長先生を取り囲み心配そうに見つめる子供達の数は一人も欠けておらず、特に病気には見えないが、それでも子供達も不安そうだ。
「何があったのです?」
億は、院長先生に問いかける。
「ケントさんがせっかくここまで修道院を建て直して下さったのに・・・」
院長先生は泣きそうになるのをこらえながら絞り出すように、そう言葉を零した。
雰囲気が深刻そうであったことから、僕は留守中に何かあったのだろうと考え、子供達には、庭で、クララを始め、3頭の普通の馬と一頭のミニバのミニホの遊び相手になってもららう。
「で、どうされました。」
子供達が庭に出たのを見計らって、椅子に座り、僕は院長先生に尋ねる。
「実は・・・」
院長先生は修道院の土地が元々借り物で、修道院のために捨て値で借りていたこと、もともと貧民街の土地で、それほど利用価値もなかったので、地主は、名声目的で寄付同然んの賃料だったところ、新しいお酒の評判を聞きつけたどこかの貴族が、土地の所有者になることで、上に乗っている建物、つまり蒸留酒の製造工場を取り上げようとしたことなどを説明した。
(本当にこの世界の貴族なんて人間のクズだな。)
僕は怒りが押さえきれなくなって、慌てて深呼吸をすると、院長先生に「大丈夫、悪党の思い通りにはさせません。ところで、修道院はこの場所になければダメですか。街の別のところに引っ越すことに問題はありますか?」
いまや、修道院存続の危機であり、元はといえば、ちょっと前まで下手したら全員悪性の病気で死んでいたかもしれないのだから、病気が治癒して修道院を再びやっていくことが出来たことだけで、納得頂けるとは思うのだが、念のため尋ねて、言質を取っておく。
場所は問わないという院長先生の扁桃を聞いて、それならやりようはいくらでもありそうだと思った。
本当は正直、こんな街、後ろ足で砂を掛けて出て行きたいところだが、面倒ごとを置き去りにすれば、迷惑する人がいると分かっていて見過ごすことなど出来ない。
僕は院長先生に「自分に任せて欲しい」と告げて、子供達はミニホと井田さんタラちゃんに任せ、ギンとムートを連れて商業ギルドに急ぐ。