エピソード48
しかし、誰かが成功すれば、必ずその横取りをたくらむ人間が出てくるのが世の中の常である。
ある日のことだった。
修道院の前に一台の馬車が停車した。
貴族の紋章こそ馬車にはついていないが、乗合馬車などではなく、特定の所有者専用の馬車であることが分かる程度には豪華な設えの馬車であった。
僕はたまたま、冒険者ギルドに用があって出ていたが、修道院の敷地内に設置している野外オペルームには診察日以外にも急患が飛び込んで来ることも頻繁にあるので、予定がないときには出来るだけ待機するようにしていて、修道院に戻った入り口で、院長先生が、太めの偉そうな男に困惑しながらも一生懸命何か説明しようとしているところだった。
「院長先生どうされました。」
他人の会話中に横から割って入るのは失礼なことだとは思うのだけど、あまりに院長先生が困っていた様子から、その男性に対し、あまり良い感情は持ちようがなかった。
院長先生は僕の顔を見つけるとほっとしたように、その男性に言った。
「先ほどからお伝えしているように、ブランデーの工場も製造用の魔導具も、こちらのケントさんの所有です。修道院が借りている敷地に工場はありますが、その分賃料を支払ってもらっていますし、私たちは工場で働かせてもらっているだけです。」
その説明を聞いたその男は振り向いて僕を睨み付けると、見下したような目つきで「おまえが最近評判の新しい酒を造っている者か。ワシはグリード商会の会長、グリード男爵だ。喜べ、おまえが作っている酒の権利はこのワシが買い取ってやろう。ワシはこう見えて気前がいい。金貨10枚もくれてやる。以後おまえはワシのために酒を造り、売上はワシに渡すのだ。分かったらこの書面にサインしろ。」
「お断りします。」
「よし、」聞き分けのよ、なんだと?ワシの聞き間違いか。」
「断ると言ったのですが、他にどのように聞こえるのですか。」
「き、貴様、このワシを一体誰だと」
「先ほど自己紹介されましたよね。貴方が男爵だろうと国王だろうと、この蒸留所は私の所有ですが、修道院の経営のためにあるものです。院著巣遠征ほか孤児達が、安心して暮らしていくための生活手段ですから、売るつもりもありません。あと、そのふざけた金額提示は単純に僕を馬鹿にしているだけだと受け取ります。建物も中の機械も、その100倍以上のお金がかかっています。もちろんそんな金額で済むはずもなく、この製品が生み出す利益はその何百倍もの価値があるものです。速やかにお引き取り下さい。」
「先ほどから貴族に向かって平民ごときが無礼であろう。」
「帰れと言ったんだ。」僕は大声で怒鳴りつける。
ギンとムートは僕が目の前の男に敵意を示したことで警戒態勢に入る。
「な、何だ、貴族に逆らおうっていうのか。処刑されたいのか、貴様。言うことを聞かないのなら、痛い思いをすることになるぞ。」
「僕自身は物事の解決を暴力に訴えるのは好きではありません。といううよりどちらかというと嫌っているといっていいと思います。ですが、理不尽な攻撃を受けるなら話は別です。」
「ひぃ、お、おまえら、出番だ。」
そのグリードとかいう男爵についてきた護衛の男達が、男爵を庇うように前に出る。
「小僧、悪く思うなよ。おれも仕事なんでな。」
うわー、なんだろう、悪役の台詞っていうのは、異世界でも全く同じなのだろうか。
「そんな女みたいな体つきで、俺様たちとやり合えると思うのか。まあ苦しみながら死んでいくといいぜ。」
人相の悪い男たちは、そういいながら、剣を抜いた。
「あ、あと一つだけ言って奥が、これはおまえと俺たちの戦いだ。後ろの狼には手を出させるなよ。」
馬鹿なのか?、まあ馬鹿なんだろう。いきなり攻撃をしながら、反撃はするなよと言われて、はい、分かりましたとかいうと思うのだろうか。
まあ、そういう僕も自分自身は暴力を力で跳ね返すだけの力はないので、ギンとムートに頼るしかないのだけど。
「ごめん、ギン、ムート、お願いしていいかな?」
「主殿、我はこういう場面でしか主殿のお役に立てないのが悔しいのだ。プルン殿のように、主が最も得意とする病気や怪我の治療で主殿の手助けが出来るのをうらやましく思っているのだ。せめてこんな時くらい、お役に立てなければ、この命を救って頂いた主殿に恩返しもできぬ。」
「うん、あるじに命を好く会われたのは僕も同じ。ギンおじちゃんと同じで、あるじに攻撃をする人は許せない。」
「お、おじちゃんではない。おにいさんと呼べ。」
シリアスな空気が一瞬で崩壊した。
「あ、こんなときに注文つけて申し訳ないんだけど、やっぱり、職業柄、命を奪うとかいうのは避ける方向で。」僕は思い出したように付け足す。
「ふっ、主殿は甘いのう。ムートよ我とお主で一人ずつな。。
「うん、けど、一番最初にあるじにひどいこと言ってた男の人はどうするの。」ムートがのんびりした声に似つかわしくない凍り付くような視線を後ろで偉そうにしていた貴族に向ける。
「ひ、ひぃっ」
「狼とドラゴンは相手にするな、やつらの主人であるその男を殺ってしまえば、従魔契約は消滅するはずだ。」
人相の悪い男達は持っていた剣を振り上げる。
・・・が、その剣が振り下ろされることはなかった。
「キィン」鈍い金属音と共に、地面に数瞬前まで剣だったものが、柄を握っていた手とその手に続く腕の肘より先の部分と一緒に地面に落ちた。
次の瞬間、僕の目の前には両手を失い、腕の先か血を流しながら転げ回る男達がいた。
僕はため息をつきながら「このままだと出血多量で死んでしまうので、治療するけど、これに懲りたら二度と来るなよ。後、腕は付けないから、この先は両手無しで生きていくことになるけど、修道院を狙った自業自得だから。君らの雇い主に責任をもって生活の保障はしてもらうように。」
とグリード男爵を横目で見ながら言おうとしたら、その男爵も口から泡を吹いて気絶していた。
(気絶するときに泡を吹くというのは前の世界では医学的に説明出来ないんだけどなあ。)
僕は修道院の助手の女性に衛兵を呼びにいってもらい、血を流して転げ回っている男達の腕の止血をプルンに頼むと共に、失ってしまった血液の増血も頼む。
もうこの世界に来て何度も手がけた手術になってしまった、切断された血管を切断面で血管縫合によりつなぎ合わせ、循環だけを維持し、切断面から先の腕は接合しない手術を二人同時並行で行う。術式自体は簡単で、神経縫合もなく、血管縫合は切れたところでつなぎ合わせるだけなので、手術の時間は短時間で終わった。とはいえ、衛兵を呼びにいって一緒に戻ってくる時間で終わらせるのは無理なのえ、先に院長先生達が怒ったことの事情説明を行い、最後に僕が補足する形になった。従魔が人を襲ったことにはなるが、正当防衛であることは、目撃者が多数居るので、なんせ白昼堂々の出来事に加え、人気のある酒を購入するために、来客が絶えない修道院で起きた出来事である、身の潔白の証明には事欠かない。グリード男爵なる人物は殺人未遂の教唆で、男達は殺人未遂の実行犯で衛兵達に連行されることになった。もっとも聞いたところでは、貴族はこの街の領主が暖色より位の高い貴族であっても、直接罰することは出来ず、王都の貴族裁判に掛けなければならないとのことであった。
そして、平民相手の狼藉ではおそらく、刑罰を受けることはないだろうと。
つまり、今回のことを逆恨みして、また何かしてくる危険があるので十分に注意するようにというのが衛兵による去り際の忠告だった。
正直、貴族には全く良い印象は持ってないけど、この話を聞いてさらに貴族が嫌いになった。