エピソード36
救護所に戻ると、ギンが慌てた様子で、何で戻ってきた」とムートに詰め寄った。
ムートは「あるじに逆らえないんだから仕方ないじゃん。」と反論していた。
喧嘩するなんて珍しいと「何喧嘩してんの、駄目だよ。」と中に割って入ると、
「あるじ「殿」が原因で「だ」」
え。なんで?
と、そのときだった。
朝、意気揚々と「もうすぐ血痕するんだ」と言っていた冒険者が青ざめた顔でダンジョンの入り口から飛び出してきた。
男は、騒ぎを聞きつけてギルド支部の小屋から出てきたギルドマスターに向かって駆け出すと、息も整わないうちに、「地下1階・・・ハァッ・・・べ・・・に、ミ・・・スが・・・・出た。それも、複数で。だ・・・れ」
なるほど、どうやらミスが何個も出たらしい。それで誰かを責めようということか。
「何を言っているかわからん」ギルドマスターの大声が響く。
男は、慌てた様子は変わらないものの、かえって遅れるとわかり、手のひらをギルドマスターに向けて、腰を折った状態で地面を向いたまま過呼吸になっていた状態を、無理矢理深呼吸に持って行き、むせながら前を向く。
最後に一回大きく深呼吸をして、咳き込みが収まったとこおrで口を開く
「地下1階にミノタウロスが出た。何匹もだ。仲間がやられた、他の冒険者も交戦中だけど、分が悪い。助けが要る。お願いだ。仲間が死んでしまう。」
「なん・・・だと?」ギルドマスターの口がだらしなく開く。
「ス、スアンピードなのか?」ギルドマスターの顔も真っ青だ。
「ミノタウロスって何?」僕は知っていそうなギンに向かって尋ねる。
「美味しい肉だな。」ギンが間延びした声で答える。先ほどまでの焦った様子はなくなったようだ。
「辺りの空気が普通ではなく、慌てたが、ミノタウロスなら、主殿に街に戻ってもらい、我がここで食い止めよう。ムート主殿を頼んだぞ。」
「何言っているの?僕は今から冒険者が倒れている現場に行かないといけないよ。」
「なん・・・だと?」ギンが今までで一番驚いた顔をする。
「主殿何をいっているのだ。このダンジョンの最下層にいるはずのミノタウロスが浅い階に出てくるというのはそこの人間が言ったようにスタンピードと見て間違いないぞ。主殿には危険すぎる。ムートと街に戻って下され。」
「心配してくれてありがとう。けど、僕は救急医なんだよ。多くの人が命の危険にさらされている現場から立ち去ることなんてできないんだ。」
僕はギンの頼みをぴしゃりとはねつけ、逆に僕を乗せて大急ぎで地下1階にいくようにお願いする。
ギンは心底嫌がったが、急がないと、怪我をしている冒険者の命に関わるかも知れないとさらに強くお願いする。
ギンはあきらめたようにしぶしぶ頷く。
「主どの一つお願いがあるのだが、ダンジョンというのは他の場所とは違う理の働く場所でな、ここでは、我等をおそれて逃げるはずの魔物も、ダンジョンの中では襲ってくるのだ。主殿が殺生を好まないことは承知しているが、襲われて躊躇していたら、主殿を危険にさらしてしまう。アルテミアス様の命令にす向くことは我にはできん。手加減している余裕などないと理解して頂きたい。」
うーん、何かよく分からないけど、今は現場に一刻も早く行かなければならない。そこでギンの言葉の意味も分かるだろう。
「うーん、よく分からないけど、分かった。急いで。」
僕は天幕に戻り、整理していた医療品を全部収納すると、外に出てギンに飛び乗る。
あわてて、ムートとプルンが僕にしがみつく。
タラちゃんはギンの指示で天幕の警備にあたることになった。
タラちゃんもいきたがったが。ミノタウロスという言葉が正しいのであれば、タラちゃんでは荷が重いとギンに言われ、しょんぼりしながらも、お主が危険になれば、主殿はお主を助けようと自分の身の危険も顧みなくなるぞ、主殿を危険にさらすか?と言われ引き下がった。なんか申し訳ない気になるが、危険な場所なら来て欲しくないかな。ムートも置いていこうとしたが、ギンが割れ一人だけでは、万一ということもある、ムートは同行する、でなければいかないと言いだし、ムートも一緒にくることになった。
「けが人の治療に当たります、僕は現場にいきます。運び出せる状態のけが人から指示を出しますので、担架で運び出して下さい。人数によりますが、段差のある場所用の担架は3つしかないので、念のため、地上階の階段前で、簡易担架に移し替えて、段差用担架は現場に戻して下さい。
けが人は小屋の方の診療所で教会の方に看てもらって下さい。」
僕はギルドマスターにそれだけ伝えると、ライラとヴォルフには、「可能なら現場に来てけが人を運び出して欲しいけど、現場の状態が分からないから、危険そうなら無理しないで。」と言い、ギンに合図する。
ギンは文字通り目にもとまらぬ速さでダンジョンの中に飛び込んでいった。
振り落とされないように背中にしがみつくので精一杯で前も向いてられなかったが、止めた息が苦しくなる前に、ギンが止まった。
目を開けて、おそるおそる顔を上げてみると、そこは広い空洞になっていて、周りが煉瓦を敷き詰めたような、不思議な場所だった。
地面にも石畳のような床が敷き詰められていて、血を流しながら横たわっている冒険者がそこかしこにいた。
僕は慌てて降りると、手前にいた人の脈から順に確認していく。
鉗子を取り出しては止血し、プルンには念のため多めに分裂してもらって、一匹ずつ冒険者の側で、失われた血を回収してもらい、増血作業を開始してもらう。
ギンとムートは、部屋の安全を確保しようと、交戦中だった冒険者を取り囲んで袋だたきにしている、なんだろう、黒くて、顔は完全に牛のそれで角も牛っぽいのに、なぜか下半身が人間みたいな生き物に体当たりをして、部屋の反対側の壁まではじき飛ばしていた。
壁にたたきつけられたそのよく分からない生き物はその場に倒れて動かなくなった。
その隙に瀕死の状態だった袋だたきされてた冒険者も自分の体を引きずるようにこちらに向かって歩いてきたが、僕の前までくると、崩れ落ちた。
慌てて、駆け寄り、全身チェックするが、腕と足が折れていた。
中には金属製の鎧の胴信分がひしゃげており、顔色が悪い冒険者もいた。
ざっと部屋を見渡すと、7人がいて、横たわっているものが5人で、地面に崩れ落ちているものの、生きているのが遠目に分かるものが2人であった。
僕はまず、全員の脈を取り、死者がいないことを確認すると同時に、怪我の状態を確認し、治療の可否と順序を瞬時に決めていく。
人の生死を選別するようでおこがましいプロセスではあるが、置かれて状況で一人でも多くの人を助けるためには、助からない人に掛ける時間を無駄にしないことも要求される。
トリアージと呼ばれるその取捨選択を心から隙になれる医者など一人もいない。できることなら全員助けたいというのが偽らざる本音だ。
それでなくても、ここには十分な医療設備もない。なんなら応急手当の後運び込んで十分な設備で治療を継続する病院すらないのだ。
それでも、この世界にはプルンがいる。
プルンは地面に流れ落ちた血まで吸収して、異物を全部取り除いてから、血液と一緒に分裂して体内の血液まで増加させる不思議な生き物だ。自家輸血を自家増殖で可能にする、うん何言ってるか分からないと思うけど、言っている僕にも意味が分からないのでOKだ。
これで、あとは、切れた血管同士をプルンがつないで、そのまま増血した血液を体内の循環に戻せたら、人工心肺装置ができることになる・・・
「できるよー」
「えっ?」
我ながらSFの世界に空想を張り巡らせ、何を夢物語のようなことを、と一人つっこみしようとしたところで、しゃがんだ足の膝の横から声が聞こえる。
一番近くにいたプルンが、僕の頭の中の妄想に返事をしたのだった。
「ごしゅじんーちょっと見ててね。」
プルンがいつもののんびりした声を出したかと思うと、僕が鉗子で止血しようとした、足元に倒れていた男性の腕の切断面にとりつきそのまま動かなくなった。
いや、正確には微細動はしているのだが、よく見ると、プルンの透明な体内を何かが動いているのが見える。
さっきの会話と目の前の冒険者の状態からして、流れているのはこの男性の血液としか思えない。
僕はその場に男性を仰向けで寝かせ、いそいでCPRを開始する。
振動に併せて、プルンの体内を流れる液体の流れも速くなり、心拍数も増えてきた。
いや、いくらなんでもそんな馬鹿な、現代医学では全く説明できない現象が目の前にある。
そんな都合のよい話が・・・
とは思うがプルンの起こす奇跡は今始まったものでもないし・・・僕は今きっと死んだ魚の目をしているんだろうな・・・
あきらめて思考を手放すことにした。
・・・っとそんな場合じゃなかった。
何秒間か意識が薄れていたが思い出したように木を取り戻し、治療を再開する。
見た目の外傷以上に危険と思われたのが、鎧の日sが得手顔が土色になっていた冒険者だった。
僕は駆け寄るとメスで鎧の継ぎ目にある縫合部分を切り、鎧を外していく。
意識を失った冒険者に鎧を脱いでもらうことは期待できない。
予想通り、そのひしゃげた鎧の下からどす黒い痣が出てきた。
内出血の痕跡だ、土色の顔は臓器の損傷が原因だろう。
僕はプルンを近くに呼び寄せた状態でどす黒くなった脇腹にメスを入れる。どろどろになった黒い血が噴き出してくるのをプルンの触手に受け止めてもらい、そのまま吸い出して、プルンの体内で浄化しながら、血液の再生をしてもらう。
その間、僕は急いで心臓を縁取るように胸にL字型にメスを入れ、直接開胸マッサージを行う。肋骨の上からCPRを行うと、破損した内臓にも振動が伝わり患部を再建不可能なまでに破損するおそれが生じるからである。
冠動脈が切断されたまま心臓マッサージを行うと、体内にある冠動脈内の血管が全て絞り出され、当たり前だが、心臓に血液が戻ってこなくなるので、心臓の拍動を継続させることができなくなる。プルンには悪い血を全て吸収してもらったあと、切れた血管をふさいで、血液を順に血管に戻してもらう。このとき、一度大概に排出された血液は血小板が乞われ、金属イオンが結晶化する。流れが止まった血液も同様に血液中に有害物質ができてしまう。交通事故や建築編場の崩落事故なのえ、重い車や建材の下敷きになった人が、乗っている障害物を取り除いた途端にショック死するのは、血の流れが止まって血管内に溜まった有害物質が心臓に流れ込むこのクラッシュシンドロームが原因である。
プルンがいれば、ドレーンと輸血用血液と点滴のチューブと針無しに、この状態の患者の治療ができるのである。
いくらなんでも話が盛りすぎだな。医学部時代の同級生に話したら、小説家でももう少しリアリティには気をつけるぞと言われそうだ。
目の前の患者に気を取られすぎて、周りのことに気付かなかったが、見渡す限りで確認できるけが人について、応急措置は終わった。あくまでもここでできることという意味で、冒険者の命も再起不能の危険性も何一つ去っていない状態ではあるが、この先は適切な環境でないと無理だ。
僕は改めて顔をあげ、部屋の状態を見回す。
ギンは戻ってきて、神妙な顔でこちらを見ていた。
ムートは僕たちが地上から入ってきたのとは反対側の部屋の入り口に立って、奥を向いていた。ギン曰く、あそこで魔物の進入を防いでいるんだ、とのことである。
緊急性の高いけが人から、担架に乗せて固定用のベルトを締めていく。
ちょうど、そこにライラとヴォルフが到着したので、会話もそこそこに、担架で患者を運んでもらう。階段ではできるだけ傾斜を付けることなく、水平を心がけて運んでもらうことと、1階についたら、ベルトを外して、簡素な方の担架に移し替え、この担架をもって戻ってきて欲しいと伝える。
また、人手が足りなさすぎるので、後何人か、人手を連れてきてほしいということも伝えた。この部屋の安全は今のところ確保できていること、母校は外科医としてこの後、けが人の治療があるので、担架を持って握力を失う訳にはいかないことも、けが人の運搬に関われない理由としてあることを説明する。
傷口を縫うくらいなら、担架を運んだ後でも問題はないだろうが、腕を切断されているけが人や内臓が破裂し、どう見ても長時間の再建手術が必要な者までいる。
それなのに手術で手が震えて縫合ができなければ患者の人生が狂ってしまう。
、レアイラ達が最初の患者を運び地上に向かったのと入れ違いにギルドマスターが数人の冒険者を連れて部屋に入ってきた。
「どういう状況だ?」と部屋に入ってくるなら口を開くギルドマスターに、「説明は後、すぐに患者を診療所に運んで、治療師さんに頼める分はすぐに治してもらって。」
魔法で一瞬にして治すなんて神の所行である。僕には百万年掛かってもできない。
現場が危険だからとここまで来ないのは残念で、この場で即座に治してもらえば、後遺症とか残らずにすぐに復帰できる冒険者とかもいそうなのに、と思うがそれでも、今からでも治らないよりマシだと思い直し、運び出してもらう。
危険な現場まで足を運ぶ冒険者はそれなりの実力も要求される。ましてミノタウロスというのは単独で危険度4級の魔物、複数体居るとなるとその危険度は3級や数が多ければ2級に跳ね上がり、アンタレスの街の冒険者では到底太刀打ちできず、王国兵の出動を求めるしかないとのことだった。
段差用の担架は3台しかなく、一件背負って運べそうなけが人もいないでもなかったが、怪我直後は本人もアドレナリンの分泌が活発で重傷に気付き難いものである。担架に乗せて運ぶのはプロトコルになっており、僕はそのとおりに指示する。
そして、最後の一人は担架が戻ってくるのを待つのではなく、二人が脇と足を抱えて地上に向かい、戻ってくる担架をまってそこで乗せて、出口へと戻っていくのに併せて撤退戦を展開する。ムートとギンに足止めしてもらうことにした。