エピソード35
急患が運ばれる可能性があるのは救護所だから、できるだけ救護所に詰めていなければならない。そういう依頼内容でもある。
僕は2回目の点滴をセットした後、救護所に戻ってきた。
天幕の見張りをしてくれているライラに不在中の様子を尋ねるが、幸い何事もなかったようだ。
ライラとヴォルフには夜は天幕で普段通りに睡眠をとってもらう。
二人は交代で見張りを担当すると反対したが、ギルドから依頼を受けた見張り担当の冒険者がいるし、彼らを信用している訳ではなく、ムートもギンもいるので救護所の天幕の方が目の前のダンジョンの最下層よりずっと危険な場所になりかねないのだ。
5日あるダンジョン遠征も特筆することもなく、3日が過ぎようとしていた。
もちろん、その間には、けが人も運ばれてくるようになったが、多くの場合は傷口を何針か縫うだけの傷で済んでいた。
骨折した者は、治療費が高くても神官に金貨5枚払ってミドルヒールの魔法で治してもらう方が、治るまで冒険者として活動できないより損害が少ないらしい。
骨折が治るまでに1ヶ月半掛かるとして、金貨5枚は普通の市民には到底稼ぐことのできない金額であるが、今回の遠征への参加費として1日当たり大銀貨5枚が、活動するダンジョンの階層に応じて加算があり、また治療費の半額はギルドが負担するのだそうで、冒険者の実力によっては早めに治して活動を再開する方が帰って損失が少なくて済むこともあるそうだ。
まあ、そうはいっても階級の低い冒険者も参加しており、また神官が差別から治療しない獣人やドワーフなど、人族以外の種族の冒険者もダイバー・シティ以外にも少ないものの居ない訳でもない。
むしろ僕はそういう人たちにこそ、何にお金がかかっているのか分からない治療ではなく、再復帰を支援できるような治療ができることが嬉しかった。
松葉杖も出番があったので用意しておいた甲斐があったというものである。
これについては、必要になる場面まで、使い方の説明をする必要もないと思っていたので、ギルドマスターには説明していないが、けが人には貸与の扱いにして、買取ではなく、治るまで貸して、治ったらギルドを通じて返却してもらい、使用料という形にすることで出費を抑える方法を提案した。
ギルドが間に入ることで、治っても返さない冒険者には買取用の代金をギルドが代わって支払い、使用料もギルドが徴収して、事務手数料を乗せて冒険者に支払わせることで、僕は確実に支払いを受けることができるので、盗難と紛失のリスクを費用に転嫁せずに、かつ松葉杖の買取ではなく貸与の料金で金額を抑えることで冒険者にもメリットがあり、関係者全員がハッピーになれる内容である。
この話をしたときギルドマスターは、よく瞬時にそんなこと思いつくもんだ、と感心していたが、医療器具のリースなど前世では当たり前の話で、むしろずっと使うものでもないのに都度販売にしていたら保険負担が重くなり、国の査察が入ってしまう。
そして松葉杖の使用場面を目の当たりにしたギルド職員が報告し、ギルドマスターと担架の時と同じ話が繰り返され、松葉杖も世界中にギルドを通じて広められることになり、商業ギルドで権利登録となった。
僕の手柄じゃないというのに。
そしてこのまま何事もなく過ぎると思われた4日目に、その出来事は起こった。
朝、夜が明ける前に1陣目の点滴セットを終えて、一旦救護所に戻り、点滴終了のタイミングを待って、2回目の点滴に向かうまでに朝食も済ませてしまおうと、天幕の外に出たときのことである。
ここ最近と全く変わらない朝のはずなのに、朝晩過ごしやすくなったさわやかな日の出直後の朝日をムートに乗った背中で浴びて、修道院の人たちの呼吸も安定してきた安堵感と、新しい一日に気を引き締めていかなければ的な一日の始まりを予感させるくらいの朝のはずが、なぜか胸騒ぎが収まらなかった。
僕の帰りというより朝食を待っていたギンは地面に伏せていた頭を持ち上げ、遠くを見つめながら「フム」と短く呟くと、そのまま再び伏せて朝食を待った。
ムートは僕をおろすために地上へと高度を下げる途中で、なぜか一旦着陸を躊躇する様子を見せた。
プルンは、僕の肩に乗っているときに見せたことのない緊張が伝わってきた。
全員揃って朝食を食べていたとき、ギンが突然に、「主殿、もし可能であれば、この後街に戻られたら、救護所に戻るのを遅らせてはもらえぬか。」と言ってきた。
僕は何故突然ギンがそんなことを言うのか全く分からなかったので「え?何故?ここでの仕事があるんだからそんなことはできないよ。」
と即答し、続けて何故そんなことを言い出すのかと言おうとしたとき、目の前を通り過ぎてダンジョンに朝一番に向かおうとした見るからに若い冒険者が腰に下げた剣の柄を何度も握りなおしながら、自分のパーティメンバーに、「早くいこうぜ。今日もしっかり稼がないと。俺、この遠征が終わったら彼女と結婚するんだ。この遠征に参加する前にプロポーズしたら、彼女OKしてくれたんだ。」と得意そうに打ち明けた。仲間は口々に「おめでとう。」「じゃあ、たくさん魔物を倒して素材を持ち帰らないとな。」「結婚式には呼んでくれるんだろ」と祝福の言葉を掛けながら、意気揚々とダンジョンに入っていく場面に遭遇した。
僕は「いい話だな。他人の幸せな話ってやっぱりいいもんだな」と共感を求めて呟いたら、なぜかギンは渋い顔をしており、なぜか後ろに居たギルドマスターが、初日の後は最終日にしか来ないと思っていたのに、その場に居て、周りの職員と残っていた冒険者に「何か良くないことが起こるかもしれん。各自これまで以上に注意するように。」と呼びかけていた。
一体何故なのか。先ほどまでの一体どこに警戒を強める要素があったというのか。
ギンは何か知っているようだったが、聞いても何も答えず、僕は腑に落ちないまま、第2陣の点滴セットのために修道院に戻った。
その帰り、ムートが「あるじ、屋台村に寄っていこ」、といいだしたので、「何言ってるんだ。すぐに戻らないと、けが人が出たらどうするんだ」と窘めて、救護所に戻るよう伝えた。
ムートは「確実にけが人でるから、引き留めたいんだよね」と小声でぼそぼそ呟いたが、声が小さすぎて聞き取れなかった。




