エピソード26
驚き過ぎて、疲れてしまったので、午後からの採取活動はキャンセルにして、今日はここで野営し、また明日、麻酔薬の原料を探すことにした。
まだ日は高く、時間はあるが、目の前の滝が作り出す水しぶきが心地よく、それほど落差もないので、滝壺もそれほど深くなく、ちょっとした池のようになって、そこから細い皮が流れているので、流れも速くない。つまり水遊びには絶好の環境であった。
さすがに泳ぎたいとは思わないが、僕はパンツの裾をまくり上げて、おそるおそる水の中に足をつける。
日本のように湿度も気温も高いという不快な天候ではないが、水浴びが気持ちいいと思えるくらいには高い気温だった。滝しぶきも霧状になって顔に掛かるのが気持ちいい。
ギンは水があまり好きではないらしく、そのあたりは犬と変わらない習性なのだろう。狼はどうなのかは日本に野生の狼がいないので知らないが、きっと先天的な習性は犬と変わらないだろう。
ムートは水に抵抗がないようで、勢いを付けてダイブしては、その勢いのまま水面から飛び出しを繰り返している。
深いところや岩陰には魚もいるらしいが、食べ物には困っていないので、面白半分に魚を捕るのは辞めようと伝えておく。
足を水につけるだけで、十分に涼を取ることが出来、気分転換になった僕は、昨日見物人に取り囲まれてしまったために中断になった料理を再開することにした。
ギンは、森の中で料理をすると臭いで魔物が集まるので野営地以外での料理は避けるべき都の冒険者のルールがあるのだが、まあ我とムートの気配があって、なお襲ってくる頭の悪い魔物もいないだろう、とのことだったので、料理をすることにした。
まあ、医療魔法の応用で、調理しながらでも、「浄化」で臭いを除去してしまう方法もあるのだが。
僕は昨日兎と同じ、もしかするとそれ以上の量を大人買いしたフォレストボア、森に棲息する猪、の肉の塊を積み上げて、ひたすら0.5cm幅にスライスしていく。
ヴィルさんにもらったものの中に装飾華美な宝剣以外に、対照的に一切の華美を廃した短剣があったのだが、その切れ味は宝剣にも勝るとも劣らない名刀があったので、包丁代わりに重宝している。包丁代わりに重宝って、今うまいこと言った。
ちょっと筋張って堅い猪の肉が短剣に掛かれば、力を抜いたまま、切り分けられていく。
料理のとても上手な人になった気分になれる。
調子に乗ってスライスを繰り返していたら、小山のような猪肉が同じ厚みに切りそろえられていた。
バットを3つ取り出し、小麦粉、溶き卵、パン粉で満たしていく。そう、とんかつである。
とんかつにはソースだが、残念ながらとんかつソースは見たことがない。
それでもパンに挟んでマヨネーズでも美味しいし、醸造の方法が分からないだけで、一つ手前のトマトとその他の野菜を煮込んでソースを作るのありだろう。
そこからはただひたすらにとんかつを揚げ続けた。
野外用のコンロは一人用の小さなものなので、石を並べて竈を組み、薪に火をつけてその上に昨日も唐揚げを揚げた油の入った大きな鍋を置く。
異次元ポケットの中では時間が進まない。
見物人に取り囲まれて、油を入れたままで収納した鍋は、取り出してそのままの状態で揚げ物を再開できるほどに熱せられたままだった。
魔石を使うコンロと異なり、野外の薪に火をつける竈は温度調節が極めて難しい。
一度にたくさんのとんかつを鍋に放り込んで、一旦温度を下げた状態にしてちょうど適温になるくらい、熱せられた油をさらに薪の竈に掛けたときには温度が上がっていた。
火事になる直前だったかもしれない。
そこからは薪の量を調整しながら、ひたすら揚がったとんかつを鍋から取り出しては新しいとんかつを入れ、油の温度の急激な変化を避けながら、ひたすらとんかつを揚げていた。
揚がったとんかつはすぐに収納するので、いつでも揚げたてのとんかつを取り出すことが出来る。
ひたすら作業を繰り返し、どれだけ時間が経ったのかも分からなくなり、終わりが見えた頃、ギンが、「主殿、巨大な魔物がものすごい速さで近づいてくる。念のため我とムートの後ろに隠られよ。」と言ってきた。
僕は作業の手を一旦止めて、薪を全部竈から掻き出す。とんかつ揚げずに火に掛けたままだと火事になるからね。
「ぬ、この気配は彼奴か。」という声と、森の中から家のような大きさの熊が飛び出してくるのはほとんど同時だった。
大きな熊は木々の途切れたところで急停止し、その場に伏せる。
すると背中に乗っていた小さな熊が滑り台のようにつーっと滑り降りて、地面にとんと着地し、とてとてと歩いて来る。
子熊の体にはまだ傷跡が残っているようだが、歩調はしっかりしていて、元気な様子だった。