エピソード15
そこにいたのは、山としか形容のない大きな塊であった。
立ち上がった高さは家の二階に届くのではというくらいあり、ギンさえくぐり抜けることの出来たギルドの入り口でも閊えてしまいそうな大きさだった。
振り上げた腕は電柱より太く、その腕が振り下ろされるところだった。
背中越しにその腕が振り下ろされたところで、かげの向こうに、青白い顔をして盾を構えていた背丈の低いがっしりした男性がいたことに気付いたが、熊の腕の一降りに盾ごと吹き飛ばされ、近くの木にたたきつけられて、そのまま前のめりに崩れ落ちた。
見れば少し離れたところに人が倒れていた。もう一刻の猶予もない惨劇の舞台がそこにあった。
「ムート頼む」僕は大声でムートに合図を送る。
事前の打ち合わせで、ムートが威圧によって熊の注意を引きつけ、ギンが死角から熊の動きを封じる作戦を立てていた。
ギンの話では、子供を攻撃されて激情しているらしいという話だったので、熊が一方的に悪いとは思えなかった。ならば、いくら人間が攻撃されているとはいえ、命の奪い合いは避けたい。
実力が拮抗しているか、あるいは不足していれば、そんな余裕言ってられないが、ギンもムートも何の問題もないと快く請け負ってくれた。ならば、僕は僕に出来ることを全力d江やるだけだ。
ムートが熊の注意を引き、ギンが熊の後ろ足をけりつけて、その場に倒し、肩の付け根を前足で押さえつけて動けなくしたところで、僕は、少し離れたところに移動式緊急終えpるー無を展開する。
ドラゴンブレスにも絶えられるらしい緊急オペルームは非難シェルターにもなるが、今回は避難用として使うつもりはない。
僕は、一目重傷と思われる、身動き一つ出来ずに横たわっている人の元に駆けつけ、頸動脈に指を当てて、脈の有無を確認する。
弱いが、完全に止まっている訳ではない。まだ脈拍があるということは生きているということだ。
脈拍が弱いのは出血量が多い証拠だ。すぐに出血点を見つけ出して、止血しないと助かる命も助からない。
とはいえ、出血箇所は一目瞭然であった。脇腹がえぐられており、内臓にも損傷があることは見て明らかだった。
近くまでいって初めて分かったが、倒れていたのは女性だった。長身で細身のファッションモデルのような美人だった。耳がとがっているが、ゴブリンとはまた違った緩やかな曲線を描くような綺麗なカーブの先端だった。
と、見とれている場合ではない。
僕は鞄から鉗子を取り出すと、切り裂かれて血が流れ出ている血管を出血部位の根本から遮断して止血する。
同時にプルンに、地面に流れた血も含めて、この女性の女性の血液と思われる血という血を全部回収させ、さらにh自家輸血のため、増殖させる。何度見ても質量保存の法則を無視しないと説明できない光景だが、もう何度も見ているうちに、そういうものだと思ってあきらめることにした。それで助かる命があるなら、もうそれでいいんじゃね?
ただ、プルンには、血液増殖前に分裂してもらっている。そう、患者はこの女性だけではない。もちろん、他にも怪我をしている冒険者はいるのだが、優先順位でいったら、この女性と同じくらいに緊急性の高い危険にさらされている命があった。
僕は、止血を終えてプルンが流れ出た血液の回収をしているままの女性の脇の下と膝の下に手を入れて抱え、オペルームの手術台兼ベッドの上に運ぶ。
その後外に出て、ムートの所在を探す。
ムートが「あるじー、ここだよ」と呼んだので、そちらに向くと、茂みの上を飛んでいる。
ムートの下の茂みの中にいるらしい。
僕はすぐに駆け寄り、茂みをかき分けると、そこには全身傷だらけの小さな熊が横たわっていた。
熊の頸動脈がどこにあるのかは正直分からないので、鼻の前に手をかざす。
かすかに空気の流れを感じる。息をしていると決めつけることにする。
僕は熊をそっと抱え上げて、オペルームに運ぼうとする。
すると、さっきまでギンに押さえつけられて動きが止まっていた熊がいきなり暴れ出し、ギンがさらに強い力で押さえつけようとした。ギンに押さえつけられ身動きとれないはずなのに首を持ち上げた熊の真っ赤な目からは血が流れ出していた。
僕は胸が締め付けられる思いでそれを見ていた。間違いなくこの子熊の親だろう。人間によって自分の子供に危害が加えられると思い、自身の死よりもつらい思いをしているのだろう。
何が何でも助けるしかないよな。
僕は、自分を奮い立たせ、子熊をオペルームに運び込んで、もう一つの手術台に寝かせる。
熊の手術なんて当たり前だけどやったことなどない。
だが、全てのほ乳類は体の構造は同じはずだ。心臓から血液を送り出され、肺で酸素を供給し、心臓に戻して全身に巡り渉らせ、各臓器の動力源としているはずである。
臓器が昨日するメカニズムは、人間についてすら研究が進んでいないのだから、ましてそれ以外の獣についてなど分かるはずもないが、損傷している部位から血液を始めとする体液の流出を防ぎ、損傷部位の再建をすれば、あとは自己治癒力に賭けるしかないのは全ての生き物に共通しているはずだ。
僕は気合いを入れ直し、重傷の女性冒険者と子熊の緊急同時オペに踏み切る。
まず、輸血用のルート確保のため、女性冒険者の腕の静脈を探し当て、点滴用の針を差し込む。血管の再建がまだ出来ていないので、今はルートの確保だけにとどめておくが、場合によっては強心剤を投与することも視野に入れておく。
次に子熊の方にも同じプロセスが必要なのだが、子熊の腕から静脈を見つけるのはとても無理だし、呼吸も浅くなっているように見受けられる。脈拍を測定する方法がないが、危険名状態だ。僕は、子熊を仰向けにして、胸部にメスを入れる。
場合によっては手術中に心停止する危険もある。心臓マッサージを開胸の上で行う必要がある。
また心臓につながる血管の弁の向きから、動脈と静脈を区別し、心臓につながっていて、少し離れたところに開胸したままでのルートを確保する。
女性冒険者については、腎臓の一部と小腸に傷が有り、出血していること、周辺の血管が所々切れて出血していることが確認出来たため臓器が壊死する前に血管については再建、腎臓は最悪一つ失っても、もう一つが正常なら生存は可能となるが、出来る限り不便な生活にならないよう、損傷部位を含めて剥離する部分を最小限にする術式を選択することに、子熊は臓器が体の中心部分に集中しており、頑丈な骨で守られていたことから、臓器に損傷がないものと思われるが、その肋骨にたくさんの罅が入っていること、体表近くの血管が鋭い刃物で傷つけられており、出血が多量であることが、心臓の拍動を弱めている原因と思われることから、いくつかの主要な血管を短時間で再建すると同時に自家輸血を開始し、血流再開と平行して残りの血管再建を出血覚悟で行う術式とした。
本来ならCTなどで体内をくまなく検査してから行うべき手術だが、あいにくこの世界にCTなどという文明の利器が存在しない。まあ、CTが発明されてほんの数十年、それ以前の医師は自分の診断力を信じて手術を行うしかなかったのだからと、ともすればちょっと弱気になりたい僕を一生懸命鼓舞しながら、僕はメスを取る。
こうして長時間に及ぶ手術が始まった。
女性冒険者の手術は、腎臓の一部摘出と大きな血管再建まではそれでも順調に出来た。
しかし、細部の血管の再建で、縫合用の糸がなくなってしまったのだ。
元々この世界に突然連れてこられた時点で、僕が携行していたのは、救急医療のセットで、屋外での手術用の縫合糸はもちろん一定量はあったのだが、普通に、一度の救急出動で使用する程度の量であって、病院に戻れば縫合糸や消毒薬、麻酔薬など消耗品は補充されるのである。こっちの世界に来てからは補充するアテがないので、使い切ってしまえば当然なくなる。
それでも縫合糸が残り少ないのは危機感としてもっていたので、シリウスの街でスパイダーシルクを縫合糸として買い求めた。
人間の血管でも大きな動脈静脈は、スパイダーシルクで用は足りたのだが、いかんせん、なぜこんなに蜘蛛の糸が太いのかというのは買った時点でも疑問を抱かざるを得なかったが、なんせ太いのだ。一体どんな大きさの蜘蛛がこんな糸を吐くというのか、というくらいに。
細い血管だと、どうしても血管の吻合のための血管の壁の厚みが縫合糸の厚みの限界で、実際はそれよりもさらに細くなければ安心マージンが取れない。血管壁より縫合糸の法が太いなど笑い話にもならない。血管壁を突き抜けて血管の中を貫通して縫合すれば、そもそもそこから出血する危険がある上、何よりそこで血栓が生じやすくなる。
ここまで5時間の長時間を手術に要していた、まあ子熊の手術と同時並行なので、これでも超絶技巧と呼べる程度の手術ではあるのだが、ここで止まってしまった。
子熊の方はもっと深刻だった。
そもそも人間と内部の細かい構造が違うので、手探りの状況というのもあったが、子熊の出血量が駆けつけてからの出血量から推測しても、多すぎるのだ。まるで冒険者と戦いが始まる前から怪我をしていたような。現場にあった血痕の量とも一致していなかった。
プルンの科学を超越した謎の能力で拒絶反応を起こさない自家輸血の造血が手術中に可能とはいえ、それまでに失った血液による衰弱が著しく、実際手術中に心停止を起こしたときは親熊に合わせる顔が無くなると相当に焦った。
ところが、開胸による直接心臓へのマッサージ中、子熊の心臓を揉む僕の手が突然光り出したかと思うと、次の瞬間、子熊の心臓がそれまでにない強い拍動を取り戻し、そこからは説明出来ないほどに安定した脈拍を維持し続けた。止血していた血流を一つずつ再開させながら、他の出血箇所の確認をしていったが、どうやら血管の損傷は全部再建できたようだった。子熊とはいえ、人間より血管が太く、全ての血管再建でスパイダーシルクで縫合出来たのも手術成功の原因かもしれない。
僕は心配しているであろうオペルームの外でギンに押さえつけられたままの親熊を迎えに行くことにした。
ちなみに、女性冒険者と子熊の緊急処置を終えた時点で、ギンに押さえつけられていた尾八熊の強い抵抗がそれまで重大な傷も負っていなかった親熊に自ら致命傷を与えかねなかったので、麻酔と鎮静剤を投与して、今は動きが緩慢になっている。
ギンは足を話した後も、暴れないように横で警戒しているが、子熊の元気な気配を感じ取ったのか、親熊も今は落ち着いているようだった。印象的だったのは真っ赤な炎のような目から血まで流していた目は、黒色になっており、澄んだ色をしていた。もしかするとこれが本来の色で、外見ほど好戦的ではないのかもしれない。
麻酔が聞いている状態で、ゆっくりとオペルームに向かって進むキンググリズリーの成体に、重傷者の冒険者パーティーは息をのんで身を固くするが、僕が落ち着いている野を見て、パニックにはならなかった。
僕たちの到着直後に吹き飛ばされていたちょっと背が低く小太りな体型で身長の割には重そうな体重の男性は、熊が振り下ろした腕を盾で受け止めた勢いのまま吹き飛ばされた時に腕の骨を折っており、こちらも重傷といえば重傷なのだが、命に別状はないので、僕の中では優先度は低めだ。無理して動かなければ悪化することもないし、添え木をして三角巾で吊ってさらに揺れ動かないように胸の前に縛って止めておけば、あとは安静にするだけで足りる。
なお、女性冒険者と子熊の手術中にギルドに飛び込んできた女性冒険者が追いついてギンがキンググリズリーを押さえつけていることに魂が抜けるほど驚いてしばらく放心していたが、正気に戻ると、吹き飛ばされた男性のところに行って状況を確認し、仲間が一人足りないことに気付くとあわてて周辺を探し出した。
その話を聞いて一瞬僕も慌てたが、欠けていた最後の一人は、少し離れたところで倒れて気絶していた。パーティーの中では前衛の役割のため、早くにキンググリズリーになぎ倒され、胸を強く打ってそのまま気絶したらしい。
見た目以上に頑丈らしく、あばら骨に罅が入っているらしいが、折れた骨が内臓を傷つけるなどという大事にも至ることなく、仲間の危機に早くから気を失って何も出来なかったことでひどく落ち込んでいた以外は元気だった。
そして冒頭に戻る。一番重傷の女性のための細い縫合糸をどうやって手に入れるか?
そもそも何で蜘蛛の糸があんなに太いのか?
蜘蛛の糸と言えば、自然界でもっとも口径の小さいもので、その細さは髪の毛と良い勝負、前世の発達した科学があってこそ、直径ミクロンの糸も製造可能だったのに、
・・・あれ?さっき僕自分でなんて言った?
髪の毛・・・まあ細さだけなら1ミリの数十分の1,毛細血管レベルの吻合にも口径だけなら絶えられるけど、強度と拒絶反応がなあ・・・
とはいえこの短時間に他の選択肢が有るわけでもなく、拒絶反応はせめて女性冒険者の自身の髪の毛を使うことで他のDNAとの拒絶反応だけは回避することが出来るかなと淡い期待を抱くことにする。
ぼくは急いでオペルームに戻り、手術台に横たわる女性の髪の毛に手を伸ばす。
後ろで獣人の女性が「あー女性の髪に手を触れたー」と叫んでいるが、弁解する時間ももったいない。そのままメスで数本根本近くから出来るだけ長さを確保して切る。幸い女性冒険者の髪はストレートロングだった。強度は分からないけど、さわった感じはしっとりしていてそれなりに粘度もありそうなので、かさかさでちょっと力を加えたらプツッと切れる感じではないだろう。キューティクル保護のためにトリートメントしているかどうかは正直知らん。てか、この世界にシャンプーとリンスとコンディショナーがあるかどうかも知らん。
思考が脱線仕掛けたが、縫合用の針に髪の毛を巻き付け何千回と繰り返してきた結紮で針に糸を結ぶ。細菌感染のおそれを避けるため念のために浄化の魔法を発動する。このファンタジーな世界の非科学的な技術のおかげでメスを始め、手術道具は同時に使用するもの以外は全て浄化によって使い回しが出来る。これは手術道具が限られた数しかない僕にとって無くてはならない技術になっている。
髪の毛を手術用縫合糸と同じくらい頑丈にする魔法ってないもんか?と思いながら、身長に残った血管の縫合再建を再開する。
解決手段が見つかれば後はそれほど難しくもなかった。主要な血管の縫合が終わった時点で止血している細い血管以外の血流は再開させている。後遺障害もないだろう。
最後の縫合を終えて、開口した述部を縫い合わせ「手術終了」と誰も意味を理解しない言葉を発する。習慣だから仕方がない。それでも同時進行の大手術を二つともミス無く終えた充実感は大きかった。
気がつけばもう外は暗闇だった。
手術台に横たわる重症患者はしばらくは自分で食事が出来ないため、本来ならここで点滴に栄養剤を追加するのだが、点滴用の栄養剤はさすがに救急医療器具には入っていないので、先ほどギルドで買った体力回復ポーションを入れてみる。
重症患者で実験していいのかという気持ちもちょっとあるが、ここまで持ち直した患者の容態が栄養不良で悪化したとかは絶えられない。仕組みはよく分からないが、経口で体内に吸収して接種する栄養剤なら、血管に混入しても問題はないはずである。どうせ小腸大腸で吸収された時点で血管によって運ばれるはずの物質である。
と自分に無理矢理言い聞かせ、女性冒険者と子熊の点滴に体力回復ポーションを投与する。
なんとなく思いつきで混ぜないけど魔力回復ポーションも投与してみた。
体にいいかどうかは知らんけど。
親熊には、ギルドで買った傷用ポーションを患部に掛けてあげた。
冒険者による打撃は表面に浅い傷を残しただけで、実力の格差は明白だったが、それでも傷そのものは痛々しい。ポーションがそもそもどういう理由で傷に聞くのか全く理解出来ないが、人間だから傷に効くというメカニズムも説明不可能なので、多分熊にも効くだろうと安易に考えた。まあ効かなくても最悪有害でなければ試すのは問題ないだろう。銀貨2枚程度の値段だし、懐への打撃もそれほどない。
親熊は僕が子熊の手当をしたことを理解しており、オペルームの中で子熊に寄り添っているが、暴れる気配はなく、傷ポーションを掛けるときも、されるがままだったが、患部に掛けたところから、傷が消えていった。整形外科の大御所もびっくりなその効果に、喪tの世界に持って帰れたらノーベル賞間違いないのに、と思ったのはここだけの話