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合気道

合気道


剛道館の玄関に、慌ただしい靴音がした。

「遅くなりました、申し訳ありません!」靴を揃えるのももどかしく、菅田が入口でひざまずいた。

「おお、菅田君よく来てくれたな。みんな首を長くして待っていたぞ」剛三が上座から声を掛けた。「さあ、遠慮なく入ってくれ」

菅田は神棚に向かって礼をして、道場の隅を回って剛三の側に来た。

「お約束の時間に遅れて申し訳ありません、すぐに稽古着に着替えて来ます」

「まあ、そう慌てんで良い、時間はたっぷりある。それよりもその傷は?」剛三は菅田の顔を見て言った。

「あ、いえ、何でもありません。ちょっと、その・・・」

「あはははは、いいにくければ言わんで良い、さ、奥の部屋で着替えて来なさい、今日は合気道の真髄を教えて貰うぞ」

「はい」


菅田は今日、剛道館で合気道の指導をする約束をしていた。

剛三の弟子である某大学空手部の監督が、道場破りに来た菅田の技に惚れ込み、剛三に紹介したのだ。

「合気道の動きを、空手の中にも取り入れたい」と剛三は言った。「武術に空手も合気道も無いじゃないか、良いものを取り入れるのに何の拘りがあろう?」

剛三の真摯な態度に菅田も打たれた。「分かりました、次の稽古日に道場に伺いましょう」そう約束した。


菅田は道場の上座に座り、剛道館の弟子たちに挨拶した。

「植芝先生は仰いました。合気道は和の武道だ、相手の敵愾心をなくすような自分の人柄と実力を持て、相手を味方にしてしまうのだ、これが”対すれば相和す”だ、と」

それから徐に立ち上がり基本技の稽古に入った。

「技はいっぱいありますが、要は重心の速やかな異動や、手・足・腰の一致といったことに帰着します、その根本が四方投げなのです」

菅田は剛道館の師範代、吉田を相手に四方投げの実演を見せた。

「自分の躰を反転させる事によって相手の腕を肩口に折り込み、剣を斬り下ろす動作によって後方に投げるのです」

吉田は菅田の動きに誘導されるように、後方へ飛んでゆく。

「合気道には、直線の動きは殆どありません、相手の動きを円運動に巻き込むのです。では皆さんやってみてください」

弟子たちは、それぞれに相手を見つけて、菅田の動きを真似た。

「こうしよう、ああしようという我を捨てて、素直に相手に対して下さい、そうすれば力は無理なくこちらのものになります」

菅田は、弟子たちの間を回り、手を取って教えた。口で言うより実際に触れることの方が多くのことが伝わる。

こうして、約二時間みっちりと稽古をした後、菅田は言った。

「この短い時間で出来ることは限られています、でも植芝先生はこう仰いました、『四方投げ一本が十分にできればもういいんだ』と」

剛三の弟子達は、合気道の真髄に触れ、それぞれの思いを抱いて帰っていった。


「菅田くん、有難う。今日我々は得難い体験をした」剛三は菅田に頭を下げた。「お礼に、粗末ではあるが母屋に酒肴を用意してある、是非飲んでいってくれ。吉田、菅田君を母屋へ」

「はい」吉田は剛三に頷いた。

「菅田君、良いな?」

「ではお言葉に甘えましょう」菅田も床に手をついた。


三人は母屋の座敷に移った。

主賓の菅田は、無理やり上座に座らせられ恐縮している。

座卓には剛三手作りの料理が並んでいた。

「私は、男手一つで娘を育ててきた、料理はその辺の料理人にも引けを取らないと自負しておるよ。さ、遠慮せずに食べてくれ、酒は灘の生一本だ」剛三はにこやかに笑った。

「先生のお心尽くしのお料理、ありがたく頂戴致します」

「その鯛の刺身は、今朝、お手伝いの重さんが市場で仕入れて来たものだ、まだ生きておったぞ」剛三が伊万里の皿を指して言う。「この酒は私が選んだ。冷やが美味い、吉田、注いでくれ」剛三が一升瓶を吉田に差し出す。

「承知しました」吉田は瓶の封を切り、薩摩切子のグラスに、酒をなみなみと注ぐ。

「改めて、菅田君に感謝だ。乾杯!」剛三が言って宴は始まった。


「植芝先生が身罷られてから、もう何年になるかな?」剛三が菅田に訊いた。

「四年になります、私は十七で先生の内弟子になり、最晩年を共に過ごさせて頂きました」

「幸せな男だな君は、先生の生の声を聞いたわけだ」

「はい、先生は口癖のように、『齢をとったら筋肉は衰える。すると、上げたり引っ張ったりというのは出来なくなる。結局そう言う生の力というのは、いくら作っても限界がある。だから、永遠の力というのは呼吸力だ。つまり自然の理にかなっているという事。向こうが強い力で来ても、それに対応してフワッと自分の力にしてしまえば、ちっとも苦労はいらない』と仰っておられました」菅田は懐かしそうに語った。

「吉田、聞いたか?我々も学ばねばならん」

「はい、今日、合気道を手解きしていただいて思いました、力では行けない世界だと」

「うむ、同感だ。この際だ菅田君に何か聞くことはないか?」

「では一つだけよろしいですか?」

「何なりと」

「今日、道場生達が見様見真似でやっていた円の動きと、貴方のやられた円の動きでは根本的に違うという気がしたのですが?」

「流石に感じておられましたか?」

「いかさま」

「では、お答え致しましょう。私の円は厳密に言えば球なのです」

「球?」

「はい、見かけの円の動きは最初から支点を作ったヒンジ運動です、これは止めやすい」

「球は?」

「最初は支点がありません、転がる事によって中心に支点が現れるのです」

「なぜそう教えなかったのだ?」剛三が訊いた。

「初めから球の動きは出来ません、先ずは丸く動くしかないのです」

「成る程、稽古の方便というやつか。気付く者だけが気付くのだな」

「はい、自分で感じ取る力の無い者には出来ません。知識として知っていると逆に邪魔になるのです」

「それだけですか?」

「と、言うと?」

「まだ他に何かあるような気がするのですが?」吉田が菅田を見つめて訊いた。

菅田は、フッと笑って答えた。「実は私にも確信はないのですが」

「はい」

「遥か遠くに支点を持つ、巨大な円の円周を動いているような気がするのです」

「円周を?」

「はい、なので動きとしては直線的に見える事もあるのです」

「そうか、あの違和感はそれだ!」吉田が手を打った。

「私に分かるのはここまでです、後は開祖のお言葉を頼りに精進するだけです」

「その言葉とは?」剛三が尋ねた。

管田は開祖の口真似をして語った。

「『基本はあくまでも原則であって、その人の体質に合った体勢というのが一番強い。それは誰に教わるものでもなく、自分で見つけにゃいかん。足が開こうが狭くなろうが問題じゃないんだ、本当をいえばね。しかし、人間は楽な方に行くから、放っておくとただの我流になってしまう。だから、常に基本に立ち返るという事。・・・これが大切』」


吉田は、この言葉を深く胸に刻んだ。酒が腹に染みた。




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