吉田
吉田
「あの、御子神はなぜ奥様まで狙おうとするのでしょうか?」暗くなる前に病院を出て、二人で川沿いを歩きながら吉田は思い切って尋ねてみた。
「キット、面子ノ為デショウネ」ベネシアはあっさりと答える。
「面子?」
「男ノ人ハ、ツマラナイ面子ニ拘ルデショウ?」
「私には、分かりません」
「ソウ・・・貴方ハ賢イ人ネ」しばらく黙って歩いてから、ベネシアが口を開いた。「源龍モ、若イ頃ハ面子ニ拘ッテイマシタ・・・日本ヲ背負ッテイルト思ッテイタノネ」
「・・・」
「デモ、アル日、気付イテ面子ヲ捨テタ。ソレカラ源龍ノ連勝ガ始マッタ・・・」
「面子を捨てたから強くなった・・・と?」
「ソウ、勝チタイト言ウ欲ハ、負ケタラドウシヨウ、ト言ウ不安ニナル」
「なるほど」
「自分ノ負ケタ姿ヲ想像シテ躰ガ金縛リニナッテシマウ、馬鹿馬鹿シイ事ネ!」
「でも、御子神の場合は・・・」
「彼ノ場合ハ反対ネ、自分ガ負ケルナンテ思ッテモイナカッタ。ダカラ自分ガ負ケタ事ヲ他人ノ所為ニシテ、ソノ恨ミヲ晴ラス事デ面子ヲ保トウトシテイルノヨ」
「つまらない事ですね」
「人ハ負ケル事デ強クナル。負ケタ事ノ言イ訳ヲシテ、自分ヲ正当化シテイタラ、成長ナンカシナイワ」
「その通りです。よく分かりました」吉田が頭を下げる。
「アハハハ、源龍ノ受ケ売リヨ。貴方素直ネ」そう言ってベネシアはまた笑った。
「それよりも、まだ遠いのですか?」かれこれ三十分は歩いている。もうすっかり暗くなっていた。
「モウスグヨ」
『さっきもそう言っていたが・・・』吉田はそう思ったが黙っていた。
御子神
源龍の家は、田園と山の境目にある細い道筋の脇にあった。百年は立とうかという古民家である。広い駐車場に薄い街灯が一つ灯っている。車は一台も止まっていなかった。
周りに民家は無い。御子神は人気が無いのを確かめ裏庭へ回った。
物置小屋があった、此処に潜んで家人の帰りを待とう。
無凱流、疋田光輝との準決勝の後、源龍の言った言葉が蘇る。
『今後、このような事をしたら、直ちに失格だ!』
槇草は『猫だまし』などという卑劣な技を使った。
俺が負けたのはその所為だ。
源龍に公の場での槇草との再戦を願い出た。
『お前には勝てん!』と、けんもほろろに言われた。
カッとなった訳ではない。
己の力を源龍に示したかっただけだ。
紙一重で、手刀が源龍の鎖骨を砕いた。
それでも源龍は再戦を許さなかった。
源龍の妻に怪我をさせるつもりはない。脅して再戦を承諾させるのが目的だ。
しばらく息を潜めていた。人の帰ってきた気配がする。二人だ。
一人は源龍の妻、もう一人は誰だろう?
しばらく様子を見るか。
吉田
見かけは古い日本の家屋だが、中に入るとヨーロッパ調の家具が並んでいた。
カナダ製の薪ストーブもある。
「チョット待ッテテ、ストーブニ火ヲ入レルカラ」
「何かお手伝いできる事はありますか?」
「ソウネ、後デ料理ヲ手伝ッテ貰ウワ。ソレマデソコノ椅子ニ座ワッテテ頂戴」
吉田はアンティークな椅子に腰掛けて周りを見渡した。人が隠れられそうな場所が意外に多い。
「家の中を見回ってもいいですか?」
「イイワヨ。二階モアルケド階段ガ急ナノデ気ヲ付ケテ」
一通り見回ったが異常は無い。
「外も見てきます」
「寒いワヨ。後ニシタラ?」
「いえ、大体の配置を頭に入れておきたいので」
「ソウ・・・」ベネシアはもう何も言わなかった。
玄関から時計回りに家を一周した。
御子神
人が来た。御子神は小屋の中で完全に気配を消していた。
小屋の扉が開く、しばらく気配を窺っていた。
「大丈夫そうだな・・・」影が呟く。
扉が閉まり人の気配が遠ざかる。
大きな甕の後ろに隠れていた。向こうから見えた様子はない。
「どうやら気が付かなかったようだな・・・」
吉田
「モウスグ出来ルワ」ベネシアが言った。
「あっ!お手伝い出来なくてすみません」吉田が謝った。
「イイノヨ。源龍モ料理ナンカシナイカラ、イツモ一人デ作ッテイルワ」
温かいシチューとピザを二人で食べた。
「あ〜美味しかった。ごちそうさまでした」吉田が手を合わせる。
「飲ミ物ハ?コーヒーデイイ?」
「はい、有難うございます」
コーヒーを飲みながら吉田が言った。「ベネシアさん、やはり私は御子神と戦いたいのだと思います」
ベネシアが吉田をキッと睨んだ。「面子ノ為?」
「いいえ。強い相手と戦ってみたいと思うのは、武術家の性です」
「怪我ヲシテモ?」
「優れた技が見られるのなら、たとえ死んでも構いません」
「源龍モ、同ジ事ヲ言ッテイタワネ」ベネシアはフッと溜息をついた。「モウ何モ言ワナイ。勝手ニシナサイ」
「済みません・・・」
「謝ル事ハ無イワ。貴方ハ立派ヨ」
「立派・・・ですか?」
「ソウ、立派」
「分かりません・・・」
「アハハハハハ、貴方本当ニ変ッテル」
「はあ・・・」
それからベネシアは、自分の生まれ故郷の話をした。
御子神
東の空に月が昇った。ほぼ満月に近い。月明かりが源龍の家を照らす。
家の中に二人いる。一人は武術家だ。見回りに来た時の気配でそれが分かる。
忍び込むのは諦めた方が良い。正面から行く。
吉田・御子神
玄関の戸を叩く音がする。吉田が身構えた。「私が出ます」
「どなたですか?」ドアを開けずに声を掛けたが返事が無い。
ゆっくりとドアを開ける。痩せて背の高い男が立っていた。御子神幽鬼、吉田は直感した。
外に出てドアを後ろ手に締めた。
「何か御用ですか?」
「お前に用は無い。源龍の連れ合いを出せ」声は低く落ち着いている。
「まず、用件を伺いましょう」吉田も引かない。
「面倒だな。まずお前から片付けるとしよう」
玄関前には、ベネシアが丹精込めた花壇が複雑な形に広がっていて足場は悪い。
御子神が顎をしゃくって向きを変えた。どうやら駐車場に吉田を誘っているようだ。
月の光だけでも十分に明るいのに、街灯まで灯っている。駐車場はまるで照明されたリングのようだった。
「でも、ベネシアさんの花壇を踏み荒さなくて済むのは助かるなぁ」吉田はそんなことを考えていた。
「剛道流、吉田陽」吉田が先に名乗った。
「制剛流、御子神幽鬼」
「貴方が狙っている槇草さんは、私の友人です」
「なに・・・」御子神の表情が固まり、次の瞬間獰猛に笑った。「ちょうど良い、お前から血祭りだ!」
御子神が構えた。
吉田は構えなかった。『槇草さんは御子神について、情報の処理能力が異常に高い男だと言っていた』
動けば次の動きを読まれる。ならばこのまま相手の出方を待っていよう。
「ふん、『待の先』か?」御子神が声に出した。
『読まれた。なら何も考えずに立っていよう』吉田は全身の力を抜いて『三戦』に立った。
御子神は吉田の『立ち』から、動く気配を感じられなかった。情報がなければ対策の立てようが無い。
遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
「チッ、警察を呼んだか!」
御子神が動いた。
必殺の拳が槍のように吉田に迫る。避けても次の拳が来る。
最初の右拳が伸びきるところ、弧を描いて吉田は退がった。
御子神の一撃は空を切り、当然のように第二撃が追って来た。
肋骨がミシリと鳴った。
脇腹を抑えて蹲る。
「これで終わりだ!」御子神の声が聞こえた。
ガシャン!どこかで物が壊れる音がした。
「誰だ!」御子神が叫ぶ。
「吉田サン、イマヨッ!」
ベネシアが立っていた。地面にはベネシアの投げた植木鉢の破片が散乱している。
吉田は最後の力を振り絞り、立ち上がりざま御子神の頭を抱えて膝を叩き込んだ。
御子神の顔は朱に染まって仰け反った。
そのまま朽木が倒れるように地面に倒れて動かなくなった。
「警察を呼んだのですか?」吉田がベネシアに訊いた。
「エエ、勿論」当然のように頷く。
「あの、サイレンで御子神が焦ったのです」
「後ロメタイ事ガアッタノネ」
「何故植木鉢を投げたのですか?」
「アラ、迷惑ダッタ?」
「いえ、もしあれがなかったら、僕は死んでいました」
「貴方ハ正直ネ」ベネシアが笑った。
*******
警察が来て御子神は連行された。
ベネシアと吉田は家の中で一時間ほど事情聴取を受けただけで解放された。
「後日、またお話を伺いに来るかも知れません」私服の刑事がそう言って帰って行った。
日付はとうに変わっている。
「アラ、モウコンナ時間。和室ニ布団ヲ敷イテアゲマス、ユックリトオ休ミナサイ」
「はい、そうさせて頂きます」
夢を見た。御子神と戦っている夢だ。御子神は悪鬼のように強かった。
翌朝、朝食の後病院に向かった。
雲一つ無い晴れ渡った空の下を、ベネシアと二人でブラブラと歩いた。
「貴方ハコレカラドウスルノ?」
「どうって?」
「強イ相手ガイタラ又戦ウ?」
「分かりません。時と場合によっては逃げます」
「キットソウナサイネ」
「はい」
「キットヨ・・・」
吉田は無事だった事を神に感謝した。
*******
「吉田、ご苦労だったな」剛三が吉田の顔を見るなり言った。
「ただいま戻りました」頭を下げる。
「大丈夫か?」剛三が心配そうに訊いた。
「なんとか奥様をお守りする事は出来ましたが、危ない所でした」
「そうか、だが良かった無事に戻れて」
「源龍先生が呉々もよろしくと」
「うむ」少し間を置いてから剛三が言った。「御子神は源龍先生の弟子だった時期があるそうだ」
「そうなのですか?」
「だが、名誉欲が強く人との争いが絶えんかったらしい。それで破門したのだそうだ」
「では、その後は・・・」
「点々と武術の道場を渡り歩き、海外にも渡った時期があった」
「あの拳は自分で編み出したものだったのですね?」
「欲も成長に必要な時がある、だが過ぎると諸刃の剣だ」
「奥様も言っておられました、面子を捨てた所から源龍先生の連勝が始まったと」
「うん・・・さすがだな」
「ところで、槇草さんは台湾から戻られたのでしょうか?」吉田が訊いた。
「ああ、昨日戻って来た。今日は休みだと言っておったから無門先生の所にでも行っておるのではないかな?」
「では、私も行って来てよろしいでしょうか?御子神の拳について槇草さんと語りたいのです・・・」
「ああ、行って来い。槇草君も台湾で面白い経験をして来たらしい、ゆっくり話をして来るが良い」
「ありがとうございます。では行って参ります!」
吉田は勇んで妙心館に向かった。




