刺客
刺客
「吉田、武本源龍先生の元へゆけ」
剛道館での夜の稽古が終わると、師範代の吉田は母屋の座敷に呼ばれた。そこで館長の観音寺剛三にそう命じられたのだ。
「急ですね・・・何かあったのですか?」吉田は剛三にその訳を訪ねた。
「源龍先生が刺客に襲われた」
「えっ!で、お怪我は?」
「幸い大したことは無いそうだが、大事をとって入院されたという事だ」
「どなたから連絡が?」
「息子さんからだ」
「敦君には伝えたのですか?」
「いや、敦君には伝えるなと、源龍先生の厳命だ」
「何故・・・?」
「受験の妨げになる。それに伝えれば必ず敦君は仇を取ろうとする、しかし相手は敦君の敵う相手では無い」
「相手の名は判っているのですね?」
「制剛流の御子神幽鬼」
「なんと、昨年の大会の準優勝者では無いですか」
「そうだ。その時の判きを恨んでの犯行と見た」
「槇草さんは?」
「台湾だ。すぐには帰って来れん」
「分かりました、明日の朝一番の飛行機で立ちます。東京の西巣鴨でしたね?」
「うむ、先生には弟子はいない、帰国してから道場を再開してはおられないのだ」
「分かりました。私は源龍先生をお守りすればよろしいのですね?」
「よろしく頼む。くれぐれも用心するのだぞ」
「はい!」
翌日、昼過ぎに吉田は西巣鴨の駅に降り立った。
駅員に聞いた場所を頼りに、川沿いの道を流れと反対方向に歩いた。
「おかしいなぁ、この辺の筈なんだけど?」立ち止まって周りを見回すが、それらしき建物は何処にも無い。
チリン・チリン・・・自転車のベルが鳴った。
「わっ!」吉田は慌てて飛び退いた。
「おじさん、ちゃんと前を向いて歩かなきゃいけないんだよ」
見ると小さな女の子が自転車に乗って吉田を睨んでいる。
「すみません・・・」吉田はぺこりと頭を下げた。
「おじさん、何を探していたの?」
「ああ、西巣鴨病院だよ。知ってるかい?」
「うん、知ってる」
「よかった、教えてくれないかなぁ?」
「いいよ」女の子は自転車を降りてガードレールに立て掛けた。
よく見ると自転車がとても多い。この辺の交通手段なのだろう。
「西巣鴨病院はこの川の向こう側だよ」
「えっ!こちら側だとばかり思っていた・・・それで見つからなかったのか」
「もう少し先に行くと橋があるからそれを渡ってぇ・・・」女の子が言った。
「はい」
「正面に五階建ての団地がたくさん見えるから。その向こう側が西巣鴨病院だよ」
「分かりました」
「団地に隠れて病院の建物は見えないから、団地をまっすぐ突っ切って行くといいよ」
「助かった、ありがとうございます」吉田は女の子にお辞儀をした。
「じゃあね。ボ〜と歩いてたら、また自転車にぶつかるよ」そう言って女の子は手を振って行ってしまった。
吉田は女の子に手を振ってから歩き出した。言われた通りに行くと病院はすぐに見つかった。
団地と同じ五階建の中規模の病院だ。
受付で病室を訊きエレベーターで三階まで上がり305号室の前に立つ。
ドアの横に掛かった名札を見る。部屋は四人部屋らしいが、今は源龍の名前しかない。
ノックした。返事があったのでノブを回してドアを開ける。
源龍は窓際の右のベッドに起き上がって座っていた。右腕を胸帯で固定されている。
「吉田君か、よく来てくれた。敦が世話になっておる、礼を言う」頭を下げた。
「いえ、それよりお怪我の方は大丈夫なのですか?」
「ああ、大した怪我では無い。鎖骨をやられたが、若い頃にはすぐに治った」
「しかし・・・」
「そう、私ももう若くは無い。それで君に来て貰ったのだ」
「相手は御子神幽鬼と聞きました」
「槇草君を逆恨みしてもう一度試合がしたいと言うから、お前には勝てんと言ってやったらいきなり襲って来おった」
「でも、先生ほどの方が・・・」
「私はずっと西洋で戦って来た。西洋人の躰の使い方は単純だ、それに慣れすぎたのが敗因だよ」そう言って源龍は自嘲気味に笑った。
吉田は何も言えずに立っていた。
「妻を守って欲しいのだ・・・」源龍がポツリと言った。
「えっ、先生をお守りするのでは・・・」
「私は武術家だ。怪我をしてもたとえ死んでも文句は言わん。しかし妻は違う、私は妻に怪我をして欲しく無い。その代わり、無関係な君を危険な目に合わせることになる・・・勝手な奴だと思うだろうが・・・」
「私ハ死ナド恐レマセンヨ」静かに病室のドアが開き、年配の女性が入ってきた。驚いたことに銀髪で碧い目の白人である。その目が笑っていた。
「ベネシア、聞いていたのか?」
「エエ、アナタノ地声オオキイネ」ベネシアと呼ばれた女性はツカツカと吉田に近づいた。
左手に買い物籠をぶらさげている。
「武本ベネシア、源龍ノ妻デス」そう言って右手を差し出した。
「吉田です・・・」握手をした。目を見張っていたに違いない。
「驚いたかね?妻はイギリス人だ。ヨーロッパ転戦中に恋に落ち結婚した。まあ、訳ありでな、詳しいことは言えん・・・」
「ソウ、アナタト結婚シタトキニ覚悟ハ出来テイマス。何ヲ今サラ?」
「では、敦くんはクォーター?」吉田が尋ねた。
「そうなるかな・・・」
「道理で、はっきりとものを言う」
「孫ガ、オ世話ニナッテイマス。有難ゥ」ベネシアは吉田に頭を下げた。
「いえ、何もお世話と言える程のものはしておりません」
「セッカク来テ頂イタノデスガ、私ハ一人デ大丈夫」
「しかしベネシア・・・」源龍が言いかけた。
「貴方モ歳ヲ取ッテ気が弱クナッタ。アメリカデギャングニ襲ワレタ時ハモットカッコ良カッタワヨ!」
「む・・・」源龍は言葉に詰まってしまった。
「デモ、吉田サン、今夜ハ家ニ泊マッテ下サイネ、スグ近クナノ。アイリッシュシチューとチキンピザヲゴ馳走スルワ」そう言って買い物籠を上げ、笑って見せた。




