順子
順子
女の名前は森田順子、福岡の国立大学に通う四年生だ。
「普段はとっても優しいの。でも何かあるとすぐ暴力を振るう」順子はポツリポツリと語り出した。
化粧でうまく隠してはいるが、よく見ると目の縁に青痣がある。
「いつも今日こそは別れよう、明日こそはきっと、と思うのだけれどあの優しさに負けてしまうの」
「貴方も誰かに縋って生きて来たのね」慈栄が言う。
「そうだと思う」
「ご両親は彼のこと知ってるの?」よっちゃんが訊いた。
「ううん、だってこんなことがバレたらすぐに連れ戻されてしまうもの」
「そりゃそうでしょ」慈恵が冷たく突き放す。
「私、親が大嫌いなの。小さい頃は大好きだったのに・・・」
「分かった、今夜はとことん話しを聞いてやるよ。だけどそれまでは花祭りの後片付けや晩御飯の準備を手伝うんだよ、宿賃の代わりだ」
「分かりました、私こう見えても掃除とお料理は得意なんです」
「決まった。じゃ早速本堂に来てもらおうか。よっちゃんかたずけを始めるよ!」慈恵がよっちゃんを促して、順子と三人で本堂に向かった。
「さて、最終のバスに間に合わんごつなる、一郎、洋助、そろそろ帰っじゃ」
「うん・・・」二人ともなんだか名残惜しそうにしている。
その時、庫裡の電話が鳴った。慈栄が立って受話器を取る。
慈栄が小声で何事か話している、その顔が曇った。
「ありがとう、またね・・・」そう言って慈栄が受話器を置いた。
「熊さん、残念なお知らせがあるの」慈栄は熊さんの側に座った。
「さっきの雨で、川が増水してバスが来れないんだって。里の山下さんが知らせてくれた」
「ほんなこつどげんしょ・・・」
「水はそのうち引くけれど、バスはもう来ないわ。ここに泊まって行くしかないわね」慈栄が言った。
「う〜ん、困ったでごわす。子供ん親御さんになんち言おう、明日は学校もあるとじゃけん」
「親御さんには電話で事情を説明するしかないわね、学校は一日くらい休んでも平気でしょう?」慈栄が言った。
「そらそうじゃが・・・」熊さんは一郎と洋助の顔を見た。二人とも目が輝いている。
「そんならお言葉に甘えて泊めてもらおか?」
「ヤッタ〜!バンザ〜イ!」二人は飛び上がって喜んだ。
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「裏の炭焼き小屋をお使いなさい、お布団は後でよっちゃんに運んでもらいますから」慈栄が三人に言った。尼寺に男は泊まれないのである。
「そりゃいかん、我らで運びますたい。子供んうちから甘やかすと、ろくな大人になりもはん」
熊さんは、一郎と洋助に言った。「よかか、一つでん自分でしきっことが増ゆっと、そんだけ自由になっとじゃ。なんでん自分でしやんせ」
「は〜い!」二人は素直に頷いた。
「それじゃ、そうして貰いましょう。お布団は庫裡の押入れにあるから、自由にお使いなさい」
「ありがとごわす。そうさしてもらいもんで」
それから三人は、慈恵たちの手伝いをし、風呂を沸かして、夕食の支度を手伝った。
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庫裏の食卓に、七人分の食事が整った。
「あ〜お腹空いた!」洋助が言った。
「僕も〜!」
「私も久し振りでお腹が空きました、今まで空腹なんか意識した事なかったのに」順子も頷いた。
「今日は皆さんのおかげで、早く片付きました、たくさん食べて下さいね」
「労働の後ならなんでも美味い、さ、食べよ」慈恵が合掌して言った。
「いっただっきま〜す」
「いただきま〜す」全員で唱和した。
「この蕗の薹、本当に美味しいわ」順子が溜息を吐いた。
「この寺の周りで採れたのよ」よっちゃんが言った。
「こんヤブカンゾウの和えもんな絶品ばい!」
「花も蕾も食べられるけど、今は若芽をさっと茹でて、素焼きした揚げと一緒に酢味噌で和えるのよ」慈栄が説明した。
「野沢菜のおやきも食べてね。作りすぎちゃって余ったから」よっちゃんがみんなに勧める。
一郎と洋助は黙々と食べている。
「うまかね?」
「うん、サイホ〜に美味ひい」洋助が麩饅頭を頬張りながら答える。
「この銀杏ご飯、何杯でも食べられるよ」一郎が言った。
「秋に拾った銀杏を殻のまま冷凍して保存しておいたんだよ、寺の境内でたくさん取れるからね」
「慈恵さんの得意料理だもんね」よっちゃんが言った。
順子が懐かしげな顔をしている。
「私、思い出しました。子供の頃はよくお腹をすかしていたの、「お母さ〜ん、なんかない〜」って言ったら。そしたらお母さん必ず何か出してくれた、まるで魔法のように」
「ふ〜ん、いいお母さんじゃないか」慈恵が言った。
「なんで嫌いになっちゃったんだろう・・・」
食事が済んで、熊さんは子供達を風呂に入れ、布団を担いで炭焼き小屋へと引き上げて行った。寺の三人と順子は、食事の後片付けが終わっても厨房のテーブルで話を続けた。
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「ある日父が暗い顔をして帰って来ました、だいぶ飲んで来たのでしょうお酒の匂いがしていましたから」
「父は会社で嫌なことがあったと言いました、父より後に会社に入って来た人が課長になったんだそうです」
「その人は大学出でした。父は高校しか出ていません」
「『営業成績は俺の方が上だ、俺が高校しか出ていないから、出世競争に負けたんだ』と父は言いました」
「それからです、父が私にうるさく勉強をしろと言い出したのは・・・」
「お母さんは?」よっちゃんが訊いた。
「母は、父の機嫌が悪くなるのを恐れて、父と同じスタンスを取ったのです。最初は父の前だけだったのですが、そのうちに私の顔を見るたびに、勉強をしろ、さもないとお父さんみたいになるわよ!と言うようになりました。その頃から私は両親が嫌いになった気がします」
「あなた、ご兄弟は?」慈栄が問う。
「一人っ子です」
「そうかぁ、全ての期待があんたにかかったんだね」慈恵が言った。
「私は両親の期待に応えようと、一所懸命に勉強をしました。でも成績が上がれば上がるほど、反対に両親への恨みが積もっていきました」
「ご両親の期待が、あなたを縛ったのね」慈栄が言った。
「わざと地元の大学を避けてこちらの大学を受けました。家を出たかったのです。せめてもう少し、私の気持ちを分かってくれていたら・・・」
「あんた、出身は?」慈恵が訊いた。
「岐阜です」
「思い切ったなぁ。よくご両親が許したね?」
「両親を説得するのは簡単でした、理系で希望の学部があるのはここだけでしたから」
「ふ〜ん、家を出たいが為にここに来て、あの男に会ったんだ」
「はい、誰かに縋りたかったのだと思います」
「馬鹿だね、あんた。そんな事をしたら同じだろう?縛られる相手が変わっただけじゃないか」
「最初は自由になれたんだと思いました・・・」
「とにかく、よく考えるんだね。このままだとあんた駄目になるよ」
「・・・」順子は唇を噛んで俯いた。