ヘイアウ
ヘイアウ
ヘイアウはハワイの聖域である。熊さんは一人で、ハワイ最古の神殿ウルポ・ヘイアウに来た。
人の気配は・・・無い。
無数の黒い石を積み上げた高さ十メートルの巨大な神殿は、日本の神社のように神に祈りを捧げる神聖な場所だ。
神殿の周りには熱帯の樹木が生い茂り、清浄な空気が流れている。
湧き水の側には巨大なタロイモの葉が生えている。古の畑の後に違いない。
ヘイアウを見下ろす小高い丘の上にバニヤンの大樹があった。熊さんはその下に座って目を閉じ瞑想に入った。
ゆっくりと息を吸い込み腹の膨らみを感じる。静かに細く長く息を吐く。
呼吸を整える、ひと〜つ、ふた〜つ、みっつ・・・雑念が消え、心が息に集中する。
どれくらいの時が過ぎただろう。呼吸を数えることも忘れ、心が拡散し始めた頃・・・人の気配に薄っすらと目を開けた。
いつの間にか神殿の中に人が居た。
兜を被って腰蓑を巻いた半裸の現地人。おそらく戦士であろう、手に槍を携えている。
足元に縄を打たれた若い女が蹲っていた。
神殿の奥の密林の中から、無数の人影が現れ二人を取り囲み、跪き、額ずいた。
暫くすると、その口から低く陰気な獣の唸りに似た声が漏れ出した。
熊さんにその意味は分からない。何かに祈っているようにも見える。
これは生贄の儀式だと、何の脈絡も無く思った。
「何故こんなことをする、ここは農耕の神ロノを祀った聖域じゃなかったのか!」
群衆の中から、興奮した若い男が立ち上がる。
『何故小林君がこげんか所に・・・』はっきりしない意識の中で熊さんは思った。
「タツヤ、タスケテアルヨロシ!」縛られていた女が顔を上げた。
『あの変な日本語は、ナオミっちゅう巫女さんじゃ・・・』
「大王の命令だ、ここは今日から戦いの神の聖域になる!」
達也に槍を突きつけて戦士が言った。
「生贄はこの女一人でいい、その男は牢に繋いでおけ!」
のそのそと、群衆の中から数人の男が立ち上がり達也の躰に手を掛ける。
「お前達は神を冒涜するのか、僕はもう騙されないぞ!」
達也はその手を振り払い抵抗した。
「仕方がない、お前から串刺しにしてやろう」戦士がズイと前に出る。
「待たんね!」
熊さんは三尺ほどの太い枯れ枝を拾ってゆらりと立ち上がる。歩き出すと、群衆が割れて道が出来た。
熊さんは戦士の前に立った。
「おいが相手をしもっそ」
ゴロゴロした石ばかりで足場は悪いが、それはお互い様である。
戦士は奇声を発して槍の穂先を真っ直ぐ熊さんに向けた。
次の瞬間、低い姿勢から槍が突き出された。
カン・・・熊さんが枯れ枝で槍を弾く。
戦士は矢継ぎ早に槍を突き出してきた。
熊さんは、その度に左右に身を転じ槍の穂先を避けた。
戦士の槍が必殺の勢いで突き出された時、熊さんは前に跳んだ。
ギリギリで槍を躱すと、戦士が槍を引くより早く懐に飛び込み肩から体当たりを食らわせた。
戦士は大きく後方に転がったが、すぐに跳ね起き、槍を逆手に持って右耳の後ろに大きく引いた。
ビュン!と風を切って飛んできた槍を、身を沈めながら下から掬い上げると、槍は虚空に消えた。
間髪を入れず、熊さんは戦士に駆け寄り大上段から一撃を加えた。
ツ、と戦士の額から血が一筋流れる。
戦士は白目を剥いて、仰向けに斃れた・・・
その瞬間、目の前の景色が暗転した。
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雨が降っている。ハワイ特有のスコールだ。
熊さんは、元の姿勢のままバニヤンの大樹に背を持たせかけて座っていた。
「夢か・・・」
雨が止んで熊さんは立ち上がった。
「不思議な夢じゃった」
丘を降りて湧き水を手に掬って口に入れた時、タロイモの葉に溜まった雨の雫が、ツツツッと滑り、葉の先端に凝ってポタリ・・・と落ちた。
「これが『放れ』の極意でごわそ・・・」