戦艦ミズーリ
戦艦ミズーリ
ミズーリは身震いするほど巨大だった。熊さんは艦橋を見上げて溜息を吐く。
「いかがですか?」天野が訊いた。
「太かぁ!」
「しかし、日本人は戦艦大和の方が大きかったと自慢するのです」
「こいつよりも太かっですか?」
「はい、しかしそれには理由があります」
「どげな理由ね?」
「大和ではスエズ運河を通過出来ないのです」
「太すぎるっちゅうこっですか?」
「そうです、それでも大和を造った、しかも武蔵と共に二隻も。世界一の巨大戦艦という『名』に拘ったのです」
「アメリカは『実』を取ったちゅうこっでしょうか?」
「そうです、そして敗戦まで大本営のエリート参謀達はその姿勢を崩さなかったのです」
「なして?」
「エリートというのは競争を勝ち抜いてきた者達です、彼らにとって人の意見を受け入れる事は負けに等しいのです。もっと早く戦争を止めるべきだったが、現状を見ずに自分の意見を通す事だけに執着し最後まで突っ走ってしまったのです」
「なんちゅう愚かなこつば・・・」
「アメリカ軍が合理的な戦い方をしたのに対し、日本軍が精神論で戦ったことの証拠は他にもあります」
「なんでごわす?」
「海戦の時、日本軍は下帯を新しいものに変えるのだそうです、これに対しアメリカ軍は作業着に着替えた」
「日本人は『死』を聖なるものと捉えておったっちゅうこっですな?」
「そうです、だから『聖戦』なのです。しかし、平和の為の戦争など元々論理が破綻している」
「う〜む・・・」
「これは江戸時代の武士道です、中世は違う」
「そいはどげんかこつね?」
「『武士は食わねど高楊枝』と言うでしょう?これは江戸だ」
「中世の武士道は?」
「『腹が減っては戦はできぬ』、どうです、日本軍とアメリカ軍のようでしょう?どう見ても江戸の武士より戦国時代の武士の方が強そうです」
「ほんなこつなぁ」
「大本営のエリート達は戦争に負けてしまった。しかし、自分たちの負けは認めなかった」
「負けば認めんかったち、なして分かっとですか?」
「終戦記念日はいつです?」
「八月十五日じゃが・・・」
「何故、敗戦の日ではないのですか?」
「あっ・・・」
「戦後、大本営のエリート達は役職を変え政治や経済の舞台で大活躍します」
「役職?」
「役職とは『名』です。自分の信念より、役や立場が求める言動を優先する、否、役や立場が求める言動を自分の信念とするのです」
「そりゃ、役者が役になりきって、役に自分の人格ば乗っ取らるるのと同じこっでごわそ?」
「そうです、戦後彼らはいつの間にか復活し、戦時中と同じ手法で政治・経済の世界で戦った。今の日本の豊かさは、国民を死ぬほど働かせる事によって得た見せかけの豊かさです。だから、これはいずれ破綻する」
「・・・」
「今日、小林君にお会いになったでしょう?」
「じゃっど」
「彼が何故ハワイに来たか分かりますか?」
「いんや」
「自分を探しに来たのです」
「そげん言うてん、自分なここにおっじゃろ?」
「そう、今の若者にはそれが分からなくなっているのです。何故なら今の日本は戦時中となんら変わっていないからです」
「意味の分からんが?」
「戦時中、母親は銃後の守りを任されていた。彼女達は自分の息子を立派な兵隊に仕立てる『役』を任されていたのです。そしてそこには父親は居ない、父親も戦争に行っているからです」
「むう・・・」
「真面目な母親ほど自分を殺してその役になりきった。それが、『靖国の母』といわれる人達です、
『お国の為に立派に死んでこい』と我が子に言うのです」
「そいは、おいも聞いたこつがありもすが・・・」
「これも何かに似ていませんか?」
「う〜ん、なんじゃろ・・・」
「今で言う『教育ママ』ですよ。彼女達は『靖国の母』よろしく、自分の子供達を受験戦争に追い立てます、そして父は猛烈サラリーマンとして外で七人の敵と戦っており家庭には不在だ」
「そんなら子供たちゃ、自分ば捨てち兵隊になるしかなかとね?」
「そう言う事です。でも完全に自分を捨ててしまったら、もう取り返しはつきません。小林君はその異常さに気付いたのです、日本を離れれば日本の事が俯瞰出来るからここに来たのですよ」
「そげんかこつがあってんよかとね・・・」
「私は神職として、『神国日本』『神風』『八紘一宇』などと詭弁を弄し、国民を死に誘った大本営の参謀達を許せない。現代のエリート達も同様です、彼らは国民を騙し、私腹を肥やし、決して自分で責任を取ろうとはしないのです。私は戦国時代の武士が良いといっているのではありません。しかし、少なくとも彼等は『聖戦』とは言わなかった、自分たちと領民の食料を守る為に戦ったのです」
天野はミズーリの砲塔を見上げて眩しそうに目を細め、少し喋り過ぎましたと熊さんに謝った。
「さあ、艦内の見学に参りましょう!」
天野は先に立ってミズーリのタラップを登り始めた。