花祭り
花祭り
今日は四月八日、お釈迦様の誕生日だ。
日本は仏教国なのに、なぜかキリスト様の誕生日の方が人気がある。
ここ、弥勒寺では本堂の前に甘茶を用意して参詣の人々を待つ。天地を指して立っているお釈迦様の小さな像に甘茶をかけてお祝いする為だ。
妙心館の居候、前田行蔵こと熊さんは、平助の代理で、槇草の大家の孫、一郎とその友達の洋助を連れて花祭りに行く事になった。
「『天上天下、唯我独尊』お釈迦様がお生まれになった時、天と地を指して言ったとされる言葉です」
「世間では誤解して、『なんて不遜な言葉だ』という人がいます、『この世の中で、私一人を尊びなさい』という風に訳したのですね」
「でも、決してそうではありません、『この天と地の間に、頼れるのは自分一人だよ』とお釈迦様は言っているのですよ」
慈栄は参詣の人が来る度に、この説明を繰り返す。
「住職〜お電話ですよ〜!無門先生から〜」よっちゃんが大声で呼んでいる。
「は〜い!今行きますよ」慈栄は応えてから、庫裡に廻り受話器を受け取った。
「もしもし先生、お久しぶり」
「・・・・・・・・・・・・」
「いいえ、こちらこそ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「それは残念ですわ」
「・・・・・・・・・・」
「ええ、それは構いませんけれど」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「まぁ、そんなに!」
「・・・・・・・」
「ほほほほほ、もちろんですよ」
「・・・・・・・・・」
「はい、わかりました、お待ちしておりますよ、御機嫌よう」
慈栄は受話器を置いた。
「無門先生、何かご用だったんですか?」よっちゃんが訊いた。
「ええ、今日先生所用で来られなくなったんだって」
「え、それは残念ですね」
「でね、代わりにお弟子さんがおいでになるそうよ。そろそろ着く頃だからって」
「えっ!そんな事でわざわざ電話を?」
「それが、びっくりしないようにって」
「何にびっくりするんですか?」
「さあ?なんでも変わった人なんだって」
「お弟子さんが?・・・どんな人?」
「それは見てのお楽しみだって」
「まあ、無門先生らしい」
「そんなわけだから、よっちゃん慈恵さんにも話をしておいてね」
「は〜い、分かりました」
慈栄が本堂に戻ると山門のあたりがざわついている。慈恵が慌てて飛んで来た。
「住職!怪しい奴が石段を上がって来ます」
「そう、どんな人?」
「髭面で、ちんちくりんの袴を履いて毛皮のチャンチャンコを着ています」
「ああ、きっとその人の事ね」慈栄がニッコリと笑う。
「・・・」慈恵は訳が分からず山門の方を振り返った。
その男は山門の前で姿勢を正し深々と頭を下げた。
どこで摘んで来たものか、黄色い福寿草を持っている。
「お邪魔いたしもす、ご住職はおられもはんか?」
男が声を掛けてきた。
「私が住職の慈栄です。熊さんですね?」慈栄が訊(たず、)ねた。
「はい、妙心館ではそげんよばれておいもすが、ほんな名前は前田行蔵っちいいもす。今日は花祭りっちゅうこっで、師匠の代わりに花ば供えさせてもらいに来もした」
「それは有難うございます」
慈栄が頭を下げると、熊さんの後ろに小さな足が見えた。
「おや、そちらの可愛い方達は?」
熊さんに気を取られて気がつかなかったが、福寿草をしっかりと握った小さな男の子が二人立っている。
「これ、挨拶ばせんね」熊さんが振り返る。
「板井一郎です!」
「平川洋介です!」
二人は同時に答えた
「こらこら、一人づつ言わんと分からんばい」
慈栄が優しく笑って熊さんを制した。
「私は慈栄です、そのお花、お釈迦様にお供えしてくれますか?」
「はい!」元気に返事をして、二人はお釈迦様の像の前に花を供えた。
「良い子達ですね」慈栄が熊さんに言った。
「おいも花ば供えさせてもらいもんで」熊さんは慈栄に一礼してお釈迦様の像の前に立った。
「お花をお供えしたら、お釈迦様に甘茶をかけてあげてくださいね」
三人は、そばにあった小さな柄杓でお釈迦様の像に甘茶をかけた。
「さあ、お参りが済んだら境内に廻ってください、お菓子やおやきをたくさん用意しておりますからね」
「あいがとごわす。さ、おはん達、お言葉に甘えんね」熊さんは二人に言った。
「は〜い!」二人はあっという間に境内の方へ駆けて行った。
「住職、説明して下さい。この方は?」慈恵が訝しげな表情で慈栄に訊いた。
「ごめんね、慈恵さんにお話しする前にお見えになったから」
熊さんは慈恵の前に進み出て頭を下げた。
「おいは、妙心館の居候、前田行蔵でごわす。今日は師匠の代理で来もした」
「そ、そうなのですか、福住職の慈恵です・・・」
熊さんがマジマジと慈恵を見た。
「師匠が鬼んごたる副住職がおられっといっちょいもしたが・・・」
「な、なに!」慈恵は一瞬気色ばんだ。
「じゃっどん、こげな美しか人とは思わんじゃった。師匠も人の悪かたい」
「え、ええ・・・そんな」慈恵は両手で頬を押さえ真っ赤になって俯いた。
「いや、ほんなこて美しか」熊さんは真顔で言った。
「あ、ありがとう・・・どうぞゆっくりして行って下さいね」
「では、お言葉に甘えもんで」熊さんは一礼して、子供たちを追って境内の方に歩いて行った。
「あれが、無門先生が電話で言っていた方ですね?」
いつの間にか側に来ていたよっちゃんが慈栄に訊いた。
「そのようね、先に聞いてなかったら、やっぱり少し驚いたかも・・・」
「すっごい良い人じゃないですか、私も境内に行って寺をご案内してこようっと!」
慈恵はいそいそと境内に消えて行った。
「あらぁ!慈恵さんたら褒められたもんだから、舞い上がってる」よっちゃんが面白がった。
「さ、もうすぐお昼ね。そろそろ忙しくなるわよ。よっちゃん手伝って」慈栄はそう言って本堂へ上がって行った。
*******
境内では、里の人たちが参詣人にお茶やお菓子を振舞っていた。狭い境内は人でごった返している。
「熊先生、あのお菓子もらって良いの?」一郎が訊いた。
「ああ、遠慮せんでもろうてこんね。お釈迦様のプレゼントじゃっで」
「僕も、も〜らおっと!」洋助がよもぎ餅を配っているおばさんのところに走って行った。
「あっ!ずる〜い。僕も行く〜!」一郎が洋助の後を追った。
「おひとつ如何ですか?」
声に振り向くと、慈恵がおやきの鉢を抱えて立っていた。
「おお、あいがとさんでごわす、遠慮のう頂きもす」
熊さんは慈恵の持った鉢から、おやきを一つ摘んで口に運んだ。
「う〜ん、こいは美味か、故郷の味がすっ!」
「ご出身は鹿児島ですか?」慈恵が熊さんに訊いた。
「分かいもそか?」
「そ、そうですね。そのぉ、訛りが少し・・・」
「はぁ、おいは標準語ばしゃべっちょっつもりじゃったが」
「・・・」
「まあだ、訛りが抜けきらんばいね、わはははははは!」熊さんが豪快に笑った。
その時、慈恵の顔に水滴が落ちてきた。
「あら雨だわ。天気予報は一日晴れって言ってたんだけど?」
「天気ばかりは意のままになりもはん。しょんなかです」
そうこうしているうちに、雨が本降りになってきて風も出てきた。
「皆さ〜ん、庫裡に避難してくださ〜い!」よっちゃんが大声で叫んでいる。
突然バラバラと音がして、雹も降り出し天気は大荒れとなった。
境内にいた人々は、急いで庫裡に駆け込んだ
「ひどいわねぇ、下着まで濡れちゃった」
「ほんとねぇ、せっかくの花祭りだというのに」
町から参詣に来た人達は、口々にボヤいた。
「私たちが野良仕事をしていると、こんなことは日常茶飯事なんですよ。山の天気は変わりやすいからねぇ」
里に住む農家のおかみさんが言った
「皆さん、服が濡れた方は、厨房の薪ストーブで乾かして下さい。お腹が空いた方は座敷におにぎりをたくさん用意していますので食べてくださいね」慈恵が大声で言い回っている。
参詣の人達は、思い思いに場所を占めると、お茶を飲んだり談笑したりして寛ぎ始めた。
「お前が悪いんだよ!」突然大声が響いた。
「山に行きたい、自然に癒されたいなんて言うからこんな目に会うんだ!」派手な服を着た、若いカップルの男の方が叫んでいる。
「だって、ヒロちゃん、この前は喜んでくれたじゃない!」
「あの時は天気が良かったじゃないか!それに、こんなに寒いとは思わなかったんだよ、おまけにびしょ濡れじゃないか、全部お前のせいだ!」
男は恐ろしい剣幕で息巻いた。
寛いでいた人も眉を寄せて二人を見ている。
「おいお前、何をグズグズ言ってる!」突然慈恵が男に怒鳴った。
「なにぃ!この尼もういっぺん言ってみろ!」男が慈恵を睨みつける。
「ああ、私は正真正銘の尼だからな、何度でも言ってやる、この玉なし野郎!」
男が勢いよく立ち上がり、慈恵に向かって突進した。周りの人たちは驚いて道を空けた。
スッと男の前に熊さんが立ち塞がる。
「どけ!」男は勢いを落とさず熊さんに突っ掛かって行った。
熊さんが身を沈めて、突進してくる男の足を右手で軽く払うと、男は一回転して背中を畳に打ち付け息を止めた
仰向けにひっくり返った男の胸を、熊さんが軽く押さえた。すると、男はその状態から起き上がれなくなってしまった。
庫裏にいた人たちが呆然とそれを見ている。
最初は手足をジタバタさせて喚き散らしていた男も、そのうち抵抗を諦め大人しくなった。
「もういいでしょう、許しておあげなさい」慈栄が熊さんに言った。
「ありがたか住職のお言葉たい。おい、今度暴れっとこれくらいのことじゃすまんぞ!」
男が頷いたので、熊さんは抑えていた手を離した。
途端に男はバッタのように跳ね起きた。
「覚えてろ!」
捨て台詞を残すと、男はすごい勢いで玄関から飛び出して行った。
「ヒロちゃん待って!」女が後を追おうとした。
「待ちやんせ!あん男はつまらん、追うっちゃなか!」熊さんが女を止めた。
女は立ち止まり、気が抜けたようにその場に座り込んだ。
「私、どうしたらいいの・・・」女は両手で顔を覆い泣き出した。
慈栄がそっと女の肩に手を置いた。
「どんな事情があるのかは知りませんが、あなたがあの人をここに連れて来た事は間違いではありませんよ」慈栄が女を慰めた。
「でもね、がっかりせて悪いけど自然は全然優しくなんかないの・・・」
女は何を言っているのか分からない、といった顔で慈栄を見た。
慈栄は構わず話を続ける。
「自然はいつでも私たちを殺そうとしているの。人間は弱いのよ、ちょっとしたことで死んでしまう。暑かったり寒かったり、お腹が減ったり喉が渇いたり」
「・・・」
「だからこそ私たちは、家を建て服を着て、畑を耕し井戸を掘るの。今この瞬間にも自然と闘っているのよ」
「闘っている?」女が不思議そうに訊いた。
「そう、そして勝率は99パーセント。どう、大変な確率でしょう?」
「ええ・・」
「でもね、最後の1パーセントで私達は必ず自然に負けるの」
「・・・」
「それが”死”よ」
女は呆けたように口を開けている。
「自然は私たちを癒してなんかくれないわ、癒やされると思っているのは守られた者の勝手な感傷に過ぎない。私たちは、どんなに闘っても必ず負けて死ぬの。でも負けるまでは勝ち続けなくちゃいけないのよ」慈栄は語気を強めた。「あなたの彼は、戦いを放棄している、だれかが自分を守ってくれると思っているわ」
「そんな男は捨てちゃいな!」慈恵が言った。「あんたならもっと良い男が見つかるよ、私が保証する」
女は、微かに笑ったようだった。
*******
雨が小降りになって、人々が三々五々と帰って行く。
「今日は、この寺に泊まって行きなさい」と慈栄は女に言った。
彼氏が帰ってしまった女は、慈栄の勧めで泊まっていく事になった。