第21編「ずいぶん早い目覚めですね」
『ふーん……で?』
「……え?」
数日後の夜。
裕一郎との間に起きたあれそれを“千”に報告した直後の返答を聞いて、恋幸の手からメロンソーダの入ったペットボトルが滑り落ちる。
「……で、って?」
『え……? だから、その後は?』
「……?」
その後、と申しますと? とでも言いたげな顔で首を傾げる恋幸を見た途端、千は悩ましげに頭を抱え後方に大きくのけぞった。
『~~っ、ひなこ~!! あのね!?』
「は、はいっ!!」
『好きです。はい、ありがとうございます。私も好きです。それで完結できるのは中学生までなんだよ!?』
先日放った「恋幸は仮にも恋愛小説家でしょう」というセリフが千の脳裏に再び強くよぎったが、同時に彼女の心に住まう悪魔が「まだ交際に発展していないのなら結果オーライだよ。下手にアドバイスするのはやめておこう?」と囁きかける。
たしかに2人が彼氏・彼女の立場でないのなら、千にもまだ少しの勝機があるかもしれない。
――……だが、千にとっては“好きな人だからこそ”上手くいってほしい。両想いになれたのなら、そのまま幸せになってほしい。そう願ってしまうのは、もはや『本能』と呼べるほどに仕方のない心理だった。
「たしかに、そう、だけど……でも、私にはまだあの方と交際する権利なんてないよ……どこが好きなのか、はっきり言えるようになってから、その……かっ、彼女にしてくださいって……言うつもりで……」
後半にかけて小さくなり消えていく恋幸の言葉。
千は画面の向こう側で呆れたように目を細め、麦茶の入ったグラスをぐいとあおる。
『ひなこ。のんびりしてたら、』
千の声に被さって、恋幸のスマートフォンがピルルルと鳴り響いて着信を知らせた。
ディスプレイに表示されている文字は『清水さん』。
瞬時に仕事の話であると察知した恋幸は、スマートフォンを片手に持ったまま空いている方の手でマウスカーソルを操作する。
「千ちゃん、ごめんね……!!」
『清水さんから?』
「うん!!」
『おっけ! じゃあ、説経の続きはまた今度ね。おやすみ、ひなこも早く寝るんだよ』
「うん、ありがとう! なるべく早めに寝るね、おやすみ千ちゃん!」
出版業界の仕事に関する話の多くには守秘義務が設けられているため、恋幸は千と通話しながら清水の電話を取ることができない。
万が一にでも公式発表前の情報が漏洩すれば、真っ先に責任を問われネット上で非難を受けるのは恋幸だからだ。
その事をよく理解してくれている千は、テレビ通話中に清水からの着信があればいつもすぐに通話を切り上げてくれる。恋幸にとって、それはとてもありがたい事だった。
「……っ、も、もしもし! 小日向です、お疲れ様です!! 出るのが遅くなってすみません……!!」
『あ、もしもし。小日向さんお疲れ様。こちらこそ、夜遅くにごめんね』
「いえ! 大丈夫です! えっと……なにか、原稿に不備がありましたか……?」
パソコン内のワープロソフトを立ち上げながら不安げな声を漏らす恋幸に対し、清水はからりと笑って「改稿後の原稿に不備はないよ」と返し話を続ける。
『ねえ、小日向さん。違う小説を書いてみる気、ある?』
「……!! 書かせてもらえるんですか!?」
嬉しさのあまり恋幸が勢いよく椅子から立ち上がれば、電話越しの清水さんは愉快そうに声を出して笑い始めた。
『あははっ! 書かせてもらえるんですか、って……むしろ、書いてもらってるのは編集の僕の方だと思うんだけど』
「そんな……っ!! あくまでも私は雇われている立場なので、書かせてもらっているという認識で間違いないです!!」
『うーん、まあどっちでもいいや。仕事の話に戻るんだけど……あっ、違う小説って言っても、もちろん今書いてる作品と同時進行ね。それでも大丈夫?』
「大丈夫です!!」
『ははっ、小日向さんならそう言うと思った。じゃあ、先方に返事しておくね。詳しい内容とか資料はパソコン宛のメールアドレスに添付して送るから、必ずチェックしてください』
「はい! わかりました!! ありがとうございますっ!!」
◇
そして、翌朝――……。
千には「なるべく早めに寝るね」と返したが、恋幸は夜更しするどころか一睡もできなかった。
全ての原因は、昨夜通話終了後に清水から送られてきた新規連載用の資料にある。
「……」
新しい連載をぜひ書かせてほしいという気持ちに嘘は1ミリも混ざっていないし、昨日の今日で心変わりもしていない。
……の、だが。
「……どうしよう……」
そんな独り言が漏れてしまうレベルまで追い詰められていた恋幸は、気づけばスマートフォンを操作し“ある人物”に電話をかけていた。
『……はい、もしもし』
「あっ……朝早くにすみません」
『いえ、問題ありませんよ。……何かありましたか?』
「倉本様……助けてください……」




