第42話
月曜の朝、出勤の準備をしていた後藤の携帯が鳴った。
(牧總子か?)
折り返してきたのかと思い手に取ると、沖田だった。
早朝に珍しい。多少不審に思いつつ出たところ、かなり慌てた様子だった。
『朝からすみません。まずはご一報を』
「おはようございます。何かありましたか?」
『はい。昨日、新宿でジュールさんが例の女性にプロポーズしていたそうです』
あまりの展開にさすがの後藤も驚きを隠せない。
「まさか……」
『私も報告を聞いて驚きましたがね。まあプロポーズ自体も驚きですが、新宿の公園のど真ん中で真昼間に、っていうんですから、さすがですわ』
何がさすがなのか。自分の想定外の展開の速さに後藤は苛立っていた。
「で、女性のほうは」
『断るわけないでしょう。即OKだったようですよ』
あの女……。後藤は電話中であることも忘れて舌打ちした。自分の話をほとんど理解していなかったらしい頭の悪さも想定外だ。
「早めのご報告ありがとうございます。助かりました」
『いえ。また改めて報告書を提出しますよ』
「よろしくお願いします」
後藤は携帯を切り、小田切に出社前に他所へ立ち寄る旨の連絡をしてから予定より30分早いが家を出た。
◇◆◇
毎朝の習慣である電車でのガード。というよりもう最近は通勤通学を利用したプチデートのようになっている。
しかも昨日、二人は結婚の約束をしたばかりだ。だからといって生活がすぐに変わるわけではないが、『結婚』の二文字が二人の関係性を変えたことは確かだ。
ホームで合流した瞬間から、もう周りは全く目に入らなくなっている。
「昨日、遅くなったけど大丈夫だった?」
「うん。ジュールは?ちゃんとご飯食べた?」
「總子が作っておいてくれたからね。残さないで食べたよ」
「てことは、朝ご飯食べてないんじゃない?」
「あー……。大丈夫、コンビニ寄って学校着いてから食べるよ。ていうか今日の總子、奥さんみたいだね」
最後の単語だけ声を潜めて總子にだけ聞こえるように囁いた。
全くそんなつもりはなかったのに、言われた總子は顔から火が出そうだ。早速奥さん面しているのかと思うと恥ずかしくてたまらない。
總子の考えていることが手に取るように分かって、ジュールはつい揶揄いたくなる。
「あ、みたい、じゃないか。もうすぐそうなるんだもんね」
總子はもう顔を上げていられない。ジュールに見られるのが恥ずかしくて、人目も憚らずその胸に顔を伏せる。
「ごめんごめん……、虐めすぎたね」
總子の頭を撫でながら、あっという間に二人の道が分岐する駅に着いてしまった。
「じゃ、じゃあ……、いってらっしゃい」
總子は恥ずかしさでまだちゃんとジュールの顔が見られない。対してジュールは満面の笑みだ。
「仕事がんばれよ!」
地上へ出るエスカレーターに飲まれていく總子に、駅中に響き渡るほどの大声で叫んだ。聞こえていないはずはないが、まだ照れているのか頑なに振り向かない。
(も、もう……。ジュール、アレ絶対わざとだ。会社の人もきっとたくさん聞いてるよ……)
奈々に言われるまでもなく、毎日ハーフの美少年と通勤している總子のことは社内でもそこそこ噂になっている。その上で今日の振る舞いだ。これは胡麻化しようも隠しようもない。
奈々以外の人に突っ込まれたらどう言い訳しようか考えながら、ふと、そんな自分を恥じた。
(言い訳なんて……、必要だろうか)
相手が高校生なのは多少常識外れだが、年齢は18歳だ。お互い同意のもとで一緒にいる。總子にもジュールにも、夫も妻も他に交際している相手もいない。ただ純粋に愛し合っているのに。
(あんなに真直ぐ想ってくれるジュールの行動をごまかすなんて、とても失礼だ)
そう考えたら、俯いて歩いている自分まで恥ずかしくなった。
ジュールに恥じないよう、顔を上げて、背筋を伸ばして。
しっかり向き合っていこう。
總子は、そう考えなおした。
そこへ、声を掛けてきた人物がいた。
「おはようございます、牧さん」