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幻を抱きしめたい  作者: 兎舞
第一部
41/43

第41話

 土曜のカフェから、数回。

 後藤は總子の携帯に電話をしているが、つながったことは一度もなかった。


(女性に対していきなり電話は難しいか…)


 かといって若者のようにSNSを駆使する趣味はない。ここは總子の義理堅さにかけて数日待つか、それでもだめならまた会社の前で待ち伏せようか。

 スマホをロックして水割りのお代わりを入れようと立ち上がると、丁度バスルームから小田切が出てきた。


「俺にも作ってくれ」

「かしこまりました」

 食器棚からグラスを出すため踵を返す後藤を、小田切は引き留めてキスをした。

「仕事じゃない。敬語は使うな」

 そういう割に、小田切自身は普段通りの命令口調は変わらない。そこは意識していないのか。

 了解の意味を込めてキスを返す。納得したようにリビングへ向かう小田切の均整の取れた広い背中を見つめながら、後藤はジュールを思い出していた。


(ちゃんと話をしたのはジュール様が小学生の時が最後だったな…)


 今よりもフランス人の母親の面影が強く残った少年時代のジュールは、それでも気性は父親譲りで大人の後藤に対しても臆するところはなかった。

 きっとあのまま成長しているのだろう。年々悪化する父親との関係に比例して、後藤と顔を合わせても挨拶一つしない。父の愛人だということも、嫌悪の中には含まれているかもしれない。


 頭の回転が良く、度胸もあり、若さゆえの勢いや無鉄砲さなら父より上かもしれない今のジュールから牧總子を引き離し、父子関係を修復させ、グループ総帥の後継に据えること。それが今の後藤の役割だ。

 普段の後藤なら小田切からの指示はすべて完璧にこなす自信があるし、実際結果も残している。しかし今回は…。


(牧總子の出方がキーだな)


 小田切は平凡な女と切って捨てたが、ジュールにとっては唯一無二の女性だ。そしてだからこそ今回の目的において利用価値がある。


 慎重に動かなくてはいけない。

 二人分の水割りを持ってベッドルームへ向かいながら、後藤の脳内では様々なシュミレーションが想定され組み替え直されていた。


◇◆◇


 開店準備をする豪に暇乞いをして、二人は店を出た。

 日曜の、夕方よりまだ早い時間帯の繁華街は、人が少なくて逆に落ち着かない。

 しっかり手を繋ぎながら、お互いにこのまま駅へ行くべきかどうすればいいのか迷いながら、普段よりずっとゆっくり歩いていた。


 途中でオフィスビルの谷間のような空間があり、ジュールが目で『座る?』と問いかけてきたので、總子は頷き、二人で花壇の横に腰掛けた。


「びっくりした、よね?」

 座ってからも繋いだままだった總子の手を、もう一度包み直しながら、ジュールは問いかけた。

 總子は、小さく頷いた。

「まさか、って思った…。昨日、一緒に暮らそうって言ったのも驚いたけど…」

「返事、聞いてない」

「え?」

「俺は本気だよ。本気で、プロポーズしたつもり」

 プロポーズ…。

 もう總子は頭も心も全くついていけなかった。まるで時速200キロで走り抜けていく車に乗っているようだ。完全にスピード違反だし、乗っているだけで精一杯だ。

 しかしジュールは全く動じない。

「總子。返事、聞かせて」

 ジュールは總子の正面に回り込み、跪いて總子の両手を取ってそこへ口づけした。

 まるで童話に出てくる王子様のような振る舞いに、近くを通り過ぎる人たちが目を丸くする。ジュールの容姿も相乗効果になっているかもしれない。


「牧總子さん、俺と結婚してください」


 總子には、抵抗する力はなかった。いや、もとより拒む気はさらさらなかったが、それでも努めて冷静さを手放さないように必死だった。

 その最後の砦を、ジュールの言葉が吹き飛ばしてしまった。


 気が付けば、前にかがんで、ジュールの首にしがみついていた。

 そして、ジュールにだけ聞こえるように、囁いた。


「はい」


 總子のバッグの中ではまたしてもスマホが鳴動している。

 聞いてしまえば魔法が解ける12時の鐘の音のごときバイブ音は、人目も憚らず二人が口づけ合っている間中、地鳴りのように鳴り続けていた。

 

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