第40話
翌日。
ジュールは、昨夜言った『世話してくれそうな人』のところへ、總子を連れて行った。
頑なに『まだ』と言い続ける總子に譲歩し、いきなり同棲の話をするのは控え、總子を紹介する、という建前だ。
ジュールのマンションから、徒歩も入れて一時間弱。表通りから数筋入ったところにあるバーの扉を開いた。
「営業してるの?」
「店自体は夜かな。でもこの時間に行くって昨日連絡したから大丈夫だよ」
準備中なのは確からしい。真っ暗な店内にジュールの後ろについて入ったところ、カウンターの中に男性が居た。
「ちっす、豪さん」
ジュールが声を掛けた男性は、入り口の二人を見てぱぁっと明るい笑顔を見せて迎えてくれた。
「いらっしゃーい!待ってたよー」
日本人らしいが190センチ以上ありそうな大男が飛び出してきて、ジュールを力いっぱい抱きしめた。
「元気そうじゃーん。よかったよかった」
そして存在を確かめるようにジュールの背や胸をバンバン叩く。いつものことなのかジュールは苦笑しながらされるがままだ。
圧倒されて動けずにいた總子に、豪が声を掛けた。
「いらっしゃい。總子ちゃん?びっくりさせちゃったかな」
目の前に来るとより大きい。外国人の知り合いもいない總子は間近でこれほどの大男に会うのは初めてで挨拶も出来ず固まってしまった。
「豪さん、總子ビビってるから、とりあえずその辺にして」
ジュールが二人の間に割って入り、豪はがしがしと二人の頭を撫でるとまたカウンターに戻っていった。
總子は驚きから復活出来ないまま、子供のように頭を撫でてくれた感触の温かさに緊張が少しほぐれていった。
「コーヒーでいい?」
入店してからずっと薫っていたいい匂いが気になっていたので、二人とも二つ返事でオーケーした。
「久しぶりだよねぇ、ジュールがお店来るの」
「そうっすね。前回は半年くらい前だったかな」
「もっとだよー。元気にしてたなら良かったけど、全然音沙汰無いからちょっと心配もしてたんだよ」
「すんません。別に何もなかったっすよ」
「ならいいよ。便りがないのは元気な証拠、ってね。はい、どうぞ」
手焼きのような分厚く大きなマグカップに淹れたてのコーヒーが注がれて供された。總子は両手で持ち上げ香りを確かめる。
「いい匂い…」
思わず零れた言葉に、豪が微笑んだ。
「おっ、嬉しいねぇ。それね、俺が現地に行って買ってきたとっておきの豆なんだよ」
「現地って、外国ですか?」
「そ、南米。遠かったよー」
「地球の裏側っすもんね」
「そうだねぇ。でも生産者も土地も気持ちのいいところだったよ。ジュールも今度總子ちゃんと行っておいで」
「そうっすね。新婚旅行とか?」
ジュールの冗談に總子は慌て、二人の様子を見て豪がまた笑った。
「總子ちゃんびっくりしてるよ。揶揄っちゃだめだよ」
「俺、揶揄ってないですよ」
えっ?! と驚く二人に、ジュールは真顔で向き合う。
「俺、總子と結婚します」
息を飲む總子と、二人を幾度も見比べる豪。何か言わなくてはと金魚のように口をパクパクさせる總子を見て、豪はとうとう噴出した。
「うわー、久しぶりに会っていきなりやられたわー。そうか、連絡なかったのは本当に幸せだったからか!」
豪の爆笑が沈黙を破った。いやー参った参ったと言いながら、次の作業に入る豪に、總子は立ち上がって否定の意を示した。
「ち、違うんです、今日は…」
そもそもジュールが同棲の提案をした際に名前が出たのが豪だ。まだ一緒に暮らすには早いと拒む總子に、では自分の恩人に紹介したいから付き合ってくれ、と言われてついてきただけなのに、まさかそのまた上を行く発言が出てくるとは。
一人でバタバタする總子を、ジュールは手を握って制した。
「ちょっと相談したいことがあったんすけど、總子にまだ、って止められてて。今日は豪さんに彼女を紹介に来ただけです」
でも、とジュールは続ける。
「さっきのは本気です。思い付きでも冗談でもない。ずっと考えてたけど言えなくて…。豪さんの前だから、誓いを立てるためにも今言いました」
丁度BGMも途切れたタイミングだったので、ジュールの言葉が切れたところで店内は静寂が支配した。
またしても沈黙を破ったのは、豪だった。
「ジュール、お前間違ってるわ」
え?と戸惑うジュールを、カウンターから身を乗り出して睨みつける。
「俺に誓ってどうすんの。總子ちゃんに誓えよ」
豪はニヤッと笑って、自分用に開けた瓶ビールと二人のコーヒーカップを鳴らして、祝福の意を示した。