第38話
ジュールの部屋に着き、既に勝手知ったるキッチンで總子は昼食を作り始めた。
相変わらずジュールは『手伝う』と言って總子の周辺をうろちょろするが、そもそも家事などやったことのないジュールが手伝えることは少ない。いつものように總子にリビングへ追いやられた。
エプロンを付けて手際よく準備を進める總子の背中を眺めながら、二週間ぶりのいつも通りの週末に、ジュールは大きな安堵を得てソファへ身を沈めた。
そこへ、振動音がした。
スマホらしい。
ジュールのはポケットに入っているが、静かだ。とすると、總子のか。
「スマホ鳴ってるよ」
「えー?今出られないからいいや。後で見るー」
總子の返事のとおり放置したが、一度切れてもまたかかってくる。緊急なのか。
總子の許へ持っていってやろうとバッグから出した時、発信元の番号が目に入ったジュールは、愕然とし凍りついた。
◇◆◇
「おまたせー、出来たよ」
ダイニングテーブルに料理とシルバーを並べながら、總子はジュールに声を掛けた。が、返事がない。
「ジュール?」
顔を上げると、ソファの前で立ち尽くしている姿が見えた。何をしているのか。
「どうしたの?」
声をかけながら正面に回ると、彼は真っ青な顔色で固まっていた。
「ジュール?ね、どうしたの?大丈夫?」
腕をつかんで揺さぶると、ハッとしたように、目の前にいる總子を見た。
「真っ青だよ、どうしたの?」
「…なんでもない」
何でもない様子ではないのは、言っているジュールでも承知しているはずだ。總子は放置できず問い詰めた。
「でも」
「何でもない!」
しつこく聞き続ける總子に苛立ち、思わずジュールは声を荒げ、またそこで我に返った。
「…ごめん」
青ざめる總子は、ジュールに謝られても目を合わせることが出来ないままダイニングへ向かった。
「いただきます」
部屋へ着いた時の優しい空気は、今や一片も残っていない。気まずさが部屋を支配する。ジュールが食事を進める音だけが響いていた。
「美味しいよ、ありがとう」
總子は、首だけで『うん』と頷くことしか出来ない。自分の分に手を付けることも出来ず、先ほどのジュールの理由の分からない異変の尾を引いていた。
そしてジュールも、一人で食べ続ける苦痛に耐えきれず、フォークを置いて食べ止める。總子へ向かって抱えている不安を言葉にした。
「何か、隠してることない?」
「…え?」
「俺に」
真っすぐ正面から見据えられて、總子は、ジュールの瞳が青みがかったグレーであることを認識した。そして思考は彼の出自へとつながる。
ジュールの外見は母似なのか、それとも父似なのか。
今の總子を振り回している元凶はジュールの父だ。しかしそれは上手くいけばジュールにとって良い結果をもたらすのかもしれないと、つい数時間前に言われたばかりだ。
一度は前向きに捉えたはずの後藤の提案が、違う意味を持って總子の心を暗くする。
自分は、ジュールに相応しくない。しかし今の自分たちの関係が彼にとって好影響を及ぼすのだとしたら、もう少しそばに居ることは出来るのかもしれない。だが、いずれは離れなくてはいけないのだとしたら…。
自分の欲と、ジュールの利益。二つが同時に叶えられるのはきっと一瞬。現実を見据えれば、将来など考えられる関係ではなかったのだ、初めから。
「…總子?」
「隠し事なんて…無いよ」
今は、まだ言えない。そうだ、後藤は『ジュールのためになる』と言った。しかし自分達が接触したことがジュールに知れると父子関係が更に悪化する。それはどう考えても《《ジュールのため》》にはならないのだ。
話すわけには、いかない。
「嘘だ。震えてるよ」
テーブルの向こうから、ジュールは手を伸ばして總子のそれを握る。
「話して。俺、總子との間に隙間を作りたくない」
「隙間?」
「時間とか、空間とか…。色々あるけど、秘密は心と心の隙間だよ」
「そんなの…無いよ」
あくまで認めようとしない總子に、ジュールはため息をついて、そして決断した。
「分かった」
總子の手を離し、立ち上がる。
一瞬、ジュールが自分に腹を立てて出ていくのかと錯覚した總子は焦って引き留めようと立ち上がる。しかしジュールはテーブルを回って總子の隣に立ち、抱きしめた。
驚く總子を、更に強く抱きしめながら、耳元で告げた。
「一緒に暮らそう」