第30話
病院に担ぎ込まれた總子は、点滴を受けていた。まだ眠ったままだ。
後藤は知り合いと偽って付き添いつつ、外へ出て小田切に電話を掛けた。
「夜分失礼いたします。例の件で」
「なんだ」
「はい。単刀直入に話そうとし、ジュールさんのお父上が社長だと伝えたところで貧血を起こして倒れられまして…、今病院です」
小田切は唖然とした。写真から凡庸な人柄は知れたが、親の素性を知っただけで倒れるとは。そしてジュールは家に引き入れ抱いておきながら、自分の父が誰か話していなかったのか。
これでは話にならない。小田切は後藤へ指示を出した。
「ジュールにそのまま話す必要はない。女に金を渡して黙らせろ」
「牧さんから、ジュール様へ伝わる可能性は…」
「そうならないような額を渡せ。多少増えても構わん」
「かしこまりました」
電話を切り、後藤は小さくため息を吐く。
切れ者のようで、小田切は普通の感覚を知らない。牧總子のような人物には、金を渡せば余計怪しまれる。それより情に訴えたほうが確実だと、後藤は判断した。
總子の様子が気になり、再度院内へ戻るために、後藤は踵を返した。
◇◆◇
病室へ戻ると、總子は意識を戻して看護婦の手当てを受けていた。
「ご気分はいかがですか」
気遣うような表情で、後藤は總子へ声を掛ける。
「はい…。ご面倒をおかけしました」
「いえ、こちらが急なお話を切り出したので。ご自宅へは車でお送りしましょう」
「そんな。点滴してもらったので、電車で帰れます」
「ご遠慮なさらず。ジュール様のお父上からもそうするよう指示されましたので」
ジュールの父。そのフレーズを聞いて總子にカフェでの衝撃がフラッシュバックした。
(きっと…私は息子には相応しくない、ということなのだろう)
それは總子自身がよくわかっていた。もとより十も年上で、ジュールはまだ高校生だ。自分が交際相手になるのは不自然すぎる。
ジュールとの日々が終わりを告げようとしていることを感じ、總子は思わずぎゅっと目を瞑った。
「私は車を手配してまいります。落ち着かれたらお仕度してお待ちください」
そう、後藤は丁寧に言い、總子は頭を下げて身支度を始めた。
◇◆◇
車の中ではしばらく沈黙が続いたが、高速にのったあたりで後藤が口を開いた。
「本日のことですが…」
總子は身を固くする。
「初めてお会いする牧様に、不躾な切り出し方をしていまい、大変申し訳ございませんでした。そのせいで…」
「いえ…、私も体調がよくなかったので…」
「本当に申し訳ありません。そして、この状況でお願いしづらいのですが…」
ジュールとのことだろうか。今はどんなに優しい言われ方をしても受け入れる余裕はないが、車から降りるわけにもいかず、話を聞くしかない。
「本日、私と会ったことは、ジュール様には言わないで頂けますでしょうか」
「…それは」
「はい。お聞き及びか分かりませんが、ジュール様とお父上は、あまり仲の良い親子ではございません」
「聞いています…」
「そうですか。で…、そのお父上の秘書である私が牧様と接触したことで心労を与え、牧様が倒れられたとなると、ご関係がより悪化する可能性があります」
それは、その通りだろう。以前家庭環境について話してくれた時の雰囲気からも、ジュールが父をどれだけ忌避しているかは伺い知れる。
「ですので…」
「分かりました」
總子は後藤の言葉を待たず、了解の返事をした。
「時間が遅いのでおそらく心配しているとは思います。ですが、友人と飲みに行って体調を崩したことにします」
「本当に申し訳ありません。このお礼はいずれ」
「お礼なんて…」
出来れば二度と会いたくない。この後藤と言う男にも、無論ジュールの父にも。
「まだ体調がすぐれないところに長話にお付き合いさせてしまいました。ご自宅までまだしばらくかかりますから、どうか楽になさってください」
後藤の言葉に無言で頷き、總子は目を閉じた。
今日のやり取りから、確実に流れが変わるだろう現実から目を背けるように。