A
7月23日
冷たい空気が頬を撫でる。朝の日差しに背を押され生徒たちの群れが気だるい足取りを引き摺るように進めていく。
校庭からは、部活動の朝練に勤しむ生徒たちのかけ声が校舎にこだましている。
まだ8時を回らない校内の廊下には、生徒の姿はなく、閑散とした空気が漂っている。それはさながら無響室のようで、一種の圧迫感すら感じさせる。そんな濁りなき空気を掻き乱すかのように、優等生風の女生徒が一人黙々と自分のクラスを目指して歩いていく。
2年4組。
教室の戸が女生徒の手によって開けられる。誰もいない教室に、校庭から響いてくる朝練のかけ声が、ガラスのオブラートに包まれ微かに聴覚を刺激する。
教室の中央、無作為に垂れ下がる物体と化した塊に目を奪われる。
「・・・・・・」
乱雑なかけ声など瞬時に脳裏からかき消すほどの異様なその光景。一瞬の躊躇にも似た絶句とともに体が硬直する。だがすぐさまその意味を理解する。
「キャァァァァァー!!」
静寂を掻き散らす叫び声が校内にこだまする。
その声に駆け付けてきた生徒たちが、跪き震える女生徒の姿を捉える。震える彼女の指先にあるもの、
「!?」
それはそのクラスの担任が首を吊ってぶら下がっている姿。
†
「自殺するような心当たりはまったくないと?」
事情聴取をする初老の刑事、吉田。
「えぇ、はい・・・・」
額の汗を幾度となく拭う校長。
校舎内には生徒たちの影は一つもない。
現場検証が行われている教室の中、若手の刑事、畑野が威勢よく駆け込んでくる。
「遺書が見つかりました!」
真っ白な封筒に入れられた「遺書」と思しきそれを取り出し広げ見る吉田。真っ白なB5のコピー用紙にきれいに羅列された文字が並ぶそれは、プリントアウトされたもの。
『 先日亡くなった三村、澤田、川嶋を事故に見せかけ殺したのは私です。自分はその生徒たちから暴行を受けていました。耐えられませんでした 』
それを見つめる吉田に畑野が告げる。
「三人の生徒はいずれも自殺として処理されています」
「死因は?」
「三村は列車への飛び込み、澤田は学校屋上からの飛び降り、川嶋も同様です」
「遺書は?」
「残されてはいましたが、いずれも同様にプリントアウトされたものです。機種はいずれも校内のパソコンルームのプリンターと同じもの、用紙もB5で校内で使用している銘柄と同じです。おそらく今回も同じかと・・・」
しばし考え込む吉田。
「鑑識に回せ」
†
体育館の時計の針が11時49分を指す。
集められていた生徒たちが下校させられていく。
「金山自殺したって」
「なんでー?」
「知らなーい」
「いいじゃん、清々する」
「キャハハハハハ、だね!」
正門に溢れかえる同じ制服に身を固めた生徒たちの人波。他人事のセリフを吐き散らしながら下校していく。無責任な言葉の断片が手を取り雑音と化し低い唸りを上げる。みなそれぞれ勝手な憶測を会話にして帰路へとつく。その雑踏に身を潜めるように波に紛れ肩を並べ歩く二人の男女、榎真と芹。耳に届く無情な会話の切れ端が、二人の会話を交わす意思を削ぎ取り言葉を奪う。
県道に出る二人、辺りを覆い尽くしていた生徒たちの人波も散らばる。見渡す限り、行き交う車と赤の他人の目的の知らぬ行進のみが目に映るのみ。
会話もなくただ俯き歩き続ける二人、どちらからともなくそっと手を差し伸べ握り合う。そのぬくもりの中に、掴めないものを必死で取り戻そうとしているかのごとく愛しげに、微かに動く指先で互いの存在を認識し合う。
店を開け始めたばかりのひと気の少ない商店街を歩いていく二人、寂れた家電用品店の前を通り過ぎる。照り付ける日差しに、セピア色に色褪せたポスターから、忘れ去られたアイドルが満面の笑みをたたえている。その隣に置かれた液晶テレビからニュースが流れている。
感情のない、いつもと変わらぬ褪めた表情で、誰を見つめるわけでもなく淡々とキャスターは告げる。
『・・・・事件の容疑者として拘束されておりました少年Aの身柄が警視庁に移されました』
画面いっぱいに移る容疑者を乗せた車。
二人握る手に力がこもる。二人もう一方の手には携帯が握られている。メールを打ち続ける。
『 知ってる?金山先生の自殺の原因・・・・・ 』
二人内容は同じもの。それを延々送信し続ける。
†
「ただいまー」
榎真と芹の帰宅に祖母が出迎える。
「あら、どうしたの?忘れ物?」
首を振る二人。
芹が答える。
「今日はもう終わり」
「えっ?」
「先生が死んじゃったから」
淡々と答える榎真。
眉をひそめる祖母の横をすり抜け真っ先に和室へと向かう。
仏壇の前に手を合わせる二人。
「ただいま」
「ただいま」
榎真の部屋の中。
二人寄り添いながらテレビゲームをしている。
戦闘服に身を包んだ敵キャラを撃ち殺すだけの単調なゲーム。
建物の影、車の陰から次々と現れる敵をただひたすらに撃ち殺すだけのゲーム。
机の上、写真立てに飾られている記念写真、海を背景に岬の上で撮影された写真の中、二人の両親が微笑みかけている。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
デジタルな叫び声、銃声の鳴り響く部屋の中、会話すら交わすことなくただ無心に打ち続けていく。
「・・・・クスリ、あといくつある?」
芹が口を開く。
「3つかな」
「ちょうどだね」
頷きで答える榎真。
「お昼ご飯できたわよー」
下の階から祖母が声をかけてくる。
『 ギャァァァァァー!! 』
メタリックな鮮血が画面を染め上げる。
「はーい」
「はーい」
ダイニング。
三人で食事を摂る。
「金山先生だっけ?どうして亡くなられたの?」
「自殺」
「首吊り」
黙々とチャーハンを食べる榎真と芹、淡々と言葉を吐き出す。
「あら、だってこの前も同級生の子亡くならなかったっけ?」
「うん、バカ三人組ね」
「あいつらは死んで当然、苛めっ子だったから」
榎真の言葉に芹が相づちを加える。
「そんなこと言うもんじゃありませんよ、どんな子だったとしても悲しむ人はいるんですからね」
怪訝な面持ちで叱る祖母の言葉に、二人スプーンを握る手が止まる。
「誰?」
視線を落としたまま尋ねる榎真。
「えっ、」
「誰が悲しむの?」
さらに付け加える芹。二人の質問にたじろぎながらも
「たとえどんな子でも親御さんはいるでしょ」
答える祖母。
「僕たちにはいない」
「悲しんでくれる母さんも父さんも」
自分の発したセリフが、二人に与えた失望の意味を理解し言葉を失う祖母。
会話を失った三人、無言の食卓にテレビはただ喋り続ける。ワイドショーが事件を取り上げている。にこやかに微笑む女司会者が、評論家の大西に意見を仰ぐ。
『 少年Aの人権問題が頻繁に取り立たされておりますが、大西さんはどう思われますか? 』
『 私は一概に少年A一人の責任ではないと思うんです。彼は歪んだ社会が生み出した、いわば犠牲者の一人なのではないでしょうか 』
テレビを睨み付ける榎真と芹。
『 9人もの犠牲者が出てるんですよ、それでも少年法改正には反対だと? 』
『 ええもちろんです。だいたいまだ彼には・・・ 』
祖母がチャンネルを変える。ニュースが流れている。
『 ・・・さん22歳が自宅で遺体で発見されました。死後一ヶ月以上経過していると思われ、自殺した交際者の男性との関連を・・・・ 』
†
榎真の部屋、電気は消されている。
ベッドの布団に二つの膨らみが背を向け合い寝転がっている。
「・・・・・榎真?」
「ん?」
「・・・・ムカつくね・・・・」
「さっきの奴?」
「・・・・うん」
二人向き合い見つめ合う。そしてしっかりと抱き合う。
「・・ゆるせない・・・」
榎真の鋭い眼光が写真立ての両親に向けられる。