花、移ろはず
一九七ハ年 六月八日
今こうして日付を添えて文章を書いているが、これは日記ということになるのだろうか。なるのだとしたら、これは、僕が人生で初めて書く日記ということになる。なぜこうして日記を書こうとしたかはよく分からない。勝手に体が動いたんだ。一日中上の空で、ただ心臓を動かしていただけの日の最後に、気づいたら鉛筆を握っていた。
今日も一日何も出来なかった。由美のこと以外は。由美は今日も一日元気そうだった。その点は心配しなくてもいい。ただ、情けないことに、僕は抜け殻のようになってしまった。三十四年間生きてきて、初めてここまで生きる力を失った。生きている意味がよく分からない。何もかもにやる気が出ない。この気持ちに名前はあるのだろうか。僕には全く分からない。
急に世界が色あせたように見えた。普段はこんな詩的な表現は使わないが、今はそうとしか言えない。目に映るもの全てが、別の世界の偽物のように見える。君が好きな百合の花は、もともと色は白だけど、やはりどこか色あせているような気がした。
こうして文章を書いているとき、僕は一体何者なのか、この世界とは一体何なのか、そんなくだらないことを考えている。いつもだったらこんなことは考えない。多分、今はそれだけ僕が空っぽなのだと思う。
日記なら毎日書くものだろうが、明日もまたこうして机と向かい合っているかは分からない。今日こうして日記のようなものを書いているのは、本当に衝動的なものだ。明日も書くかは、明日の自分に任せるとする。
一九七八年 六月十五日
日記を書き始めて一週間になる。初めて書いたときは、実はその日限りになると思っていたが、こうして細々と続いている。もしかしたら僕には日記の才能があるのかもしれない。
由美は相変わらず元気だ。恥ずかしながら由美に元気を分けてもらっている。まだ言葉も分からないのに、由美はすごい。多分君に似たのだと思う。いつもニコニコしているところとか。
最近、花を咲かせることが思ったより大変なことを知った。ひとつの蕾がなかなか開かない。君が世話をしていたときは、直ぐに綺麗な花がいくつも咲いたのに。何が問題なのだろう。
百合の花を見るとどうしても君を思い出してしまう。悪いことではないが、少しだけ寂しい。
そういえば、なぜ君は百合の花が好きだったのだろう。性格的にはひまわりとかが合いそうなのに。百合はいつも下を向いていて、どこか自信なさげな気がする。ただ、なんとも言えない美しさを感じることは確かだ。そういう話ももう少ししておけば良かった。今度は自分で花を買って来ようかと思う。
一九七八年 六月二十六日
君と手を繋いで飛んでいる夢を見た。なんとも馬鹿らしい夢だ。でも、目が覚めたら僕は泣いていた。
寂しい。どうしようもなく寂しい。どうして君なのだろうか。別に君じゃなくても良かったはずだ。こういうとき、神様は何もしてくれない。だから、僕は神様を信じるのを止めた。
君はどうなのだろう。そっちはどんな場所なのだろう。こっちにいるとき、最後の方は苦しくてたまらなかっただろう。そのことを考えると、今はそっちにいた方が良いのかもしれない。
ただ、君が寂しく思っているのかどうか、少しだけ気になる。君の性格なら、どこでも誰とでも打ち解けることが出来るだろうが、少しでも僕のことを覚えていてほしい。そして、ときどき寂しがってくれれば。これは僕のわがままだから聞かなくても良い。
夢の中の君は、やはり笑っていた。あの笑顔に僕はいつもつられていた。あのままどこまででも行ってしまいたかった。それができたら、どれほど幸せだろうか。
ただ、そんなことは言ってられない。僕には由美がいる。しっかりと由美を育てなければいけない。だから、時々でいいから、見守っていてほしい。
一九七八年 七月十八日
近所にある花屋に行った。君がよく行っていたところだ。僕は今日で二回目だったけど、あの場所にはどこか安心感がある。
僕を見る花屋のおばさんの目には、同情の色が透けて見えた。言葉には出していないけど、分かった。伝わってしまうほど優しい人なのだと思う。
百合の花には、思ったよりも多くの色があることを知った。そして、それぞれに違う花言葉があるということも。君が好きだった白百合の花言葉は「純潔」で、まさに君そのものだった。僕が選んだピンクの百合の花言葉は「虚栄心」。あまりに僕にあっていたので思わず笑ってしまった。結局、白百合とピンクの百合を1本ずつ買った。
最近は暑くて仕方がない。でも、夏は嫌いではない。ただ、どこに魅力を感じているのかは分からない。夏を終えて少し経つと、また夏が恋しくなるだけで。夏といえば、大学のときに君と海に行ったことを思い出す。あのときはまだ、君が僕のことをどう思っているのかが分からなかった。だから、さぞかし僕は自信なさげに見えただろう(多分それは今も変わらないが)。
一年通しての思い出は、やはり夏のものが多い。イベントが多いからだろうか。でも、やはり僕は、夏が好きなのだと思う。今日も、空に登っていくような入道雲を見た。どこまでも夏だった。
一九七八年 八月二十四日
今年の夏も終わりが近づいてきたように思う。今こうして日記を書いているときも、夕暮れ時の生ぬるい風と、ヒグラシの鳴き声が窓から流れ込んでくる。なぜこんなにも切ない気持ちになるのだろうか。もう戻ってこない昔を懐かしむような気持ちにも、何かを失ってしまった喪失感にも似ている。違うのは、少しだけ心地良さがあることだけだろう。
今日はこれ以上書けそうにない。胸の中に何か重りかあるかのようだ。今日は早く寝るとする。
一九七八年 十月十五日
今日は由美と紅葉を見に行った。天気が怪しかったけど、何とか雨に降られずに済んだ。そういえば、君とは紅葉を見たことがない。由美はすごく喜んでいるように見えたけど、君はどうなのだろう。由美はおそらく君に似ているから、君も紅葉を見て喜んでくれるのだろうか。君は天真爛漫のように見えて、実は相手に気遣うふしがあるから、きっと喜んでくれるのだろうが。
そういえば、近くの幼稚園の子どもたちも紅葉を見に来ていた。とても元気な子どもばかりだった。まだもう少し先の話だろうけど、由美も幼稚園に入るときがくる。そのときは、きっと君が居ないことに違和感を覚えているだろう。僕はどうやって君が居ないことを由美に説明すれば良いのだろうか。小さな子どもにはあまりにも残酷な話だと思う。でも、いつかは伝えなければならない。どうしようか。
最近は少し寒い。由美も僕も、風邪に気をつけなければ。
一九八三年 四月五日
由美が幼稚園に入園した。入園式のとき、既に母親と離れるのが嫌なのか、泣きじゃくっている子が何人かいたけど、由美は一切泣かなかった。むしろ誇らしげな顔をしていたように思う。君にも見せたかったと心から思った。写真は撮ったから、どうかそっちで見てほしい。
ただ、未だに君のことをしっかりと話すことができていない。でも、もう少し、由美が成長するのを待とうと思う。お義母さんやお義父さんと話合った結果、小学生になって、少し経ったら話そうということになった。ただ、結局は僕がどうするかなので、しっかりと考えたい。
それと、再婚について少しだけ話した。由美に母親がいないのはあまりに可哀想だから、と。確かにその通りだ。由美はまだ、母親に精一杯甘えたい年ごろだろう。母親がいた方がいいに決まっている。僕もそろそろ四十になる。このことも、少しだけ考えなければならない。
そろそろ四十になることに、自分で驚いている。随分と時が経つのが早く感じる。少しだけ気になっているのは、「君」という呼び方だ。四十にもなって、そんな呼び方は少し幼いような気もするが、今さら変えるのも不自然なので、ずっとこのままにすることに、今決めた。
最近疲れが取れない。君も四十肩になっていたりするのだろうか。
一九八七年 九月八日
今日は由美の誕生日だ。由美も八歳になる。最近、友達の美里ちゃんを家に連れてきた。とても礼儀の良い子で感心した。由美には、僕の知らない面が既に存在することも、美里ちゃんと話す姿を見て知った。こうして少しずつ大人になっていくのだろう。
今日初めて、君のことを話した。包み隠さず。
正直、由美がどんな反応をするのかが分からなかった。その場で泣き崩れるのか、それとも、自分に母親がいないことに、やり場のない怒りを爆発させるのか。どのような反応をしても、僕は、ありのままの由美を受け入れようと思った。
でも、予想したどんな反応も、由美はしなかった。
「知ってたよ」
その一言だった。
由美の一言に、僕は泣いた。ありのままの由美を受け入れると言いながら、僕の方が耐えられなくなってしまった。
泣き崩れた僕を、由美は優しく抱擁した。そして背中をぽんぽん、と、二回叩いた。
まだ由美は八歳だ。でも、そのときは僕よりも遥かに大人だった。そして、その歳で大人のような振る舞いをさせてしまったことに、申し訳なさも感じた。子どもが子どもらしくいられないことは、きっと悲しいことだ。
由美は、きっと君に似た。君の包み込むような優しさが、由美にもあったことに嬉しく思う。でも、もう少し、由美が子どものままでいられるように、僕がしっかりしないといけないと思う。
一九九三年 十月二日
由美とけんかをした。
由美も十四歳だ。最近は少しすれ違うことが多かった。でも、けんからしいけんかをしたのは初めてだった。
些細なことだった。最近、少し帰るのが遅いことを注意したら、そこから言い争いになった。
そのとき、由美が「お母さんがいたら分かってくれた」と言った。僕はその言葉に、何も返すことが出来なかった。君だったら分かるのだろうか。僕はただ、由美が心配なのだ。でも、由美からしたらそういうのが鬱陶しいらしい。
ただ、「君がいたら」と思うことが増えたのも事実だ。やはり、年ごろ女の子のことを理解するのは僕には難しい。
君がいたら、由美にどう言うのだろう。上手く場を治められるのだろうか。
でも、僕はやはり心配で仕方がないのだ。由美の帰りが遅くなることが。このことは、きっと君も分かってくれるはずだ。
このことに限らず、やはり年ごろの女の子の扱いは難しい。下着を一緒に洗うのを嫌がるし、風呂に浸かるお湯を変えようとするし、食器すらも使うものを指定される。僕には理解できないことばかりだ。
ただ、二人で暮らしていて、その二人がけんかしているのは、どうも気まずい。明日は由美が好きなシュークリームでも買って帰ろうと思う。
今日は「ただ」とか「でも」が多かった。僕も少し素直になった方がいいのかもしれない。
一九九六年 十二月三日
今日は、由美が家に人を呼んだ。その間、ボクは外に居なければなかった。そして、その呼んだ相手というのが、由美の恋人だ。
最初に聞いた時は耳を疑った。そんな相手がいることなんて知らなかったし、突然家に来ることにも驚いた。七時までは帰って来ないでほしいと言われ、言われるがままに僕は家を空けた。
よく考えたら、由美ももう高校生だ。そんな相手がいてもおかしくないのかもしれない。僕からしたら早いように思うが。でも、思ったよりもすんなりと受け入れることができた。
時間を持て余した僕は、七時まで三十分を残し公園に来た。由美が生まれて間もないころ、三人で来た公園だ。
そこで一人時間を潰していたら、今年初めての雪が舞ってきた。風にのせられて舞った雪が、少しずつ闇夜を白色に染めていくその過程が僕は好きだった。雪の降り始めというのはいつ見ても幻想的だ。
そういえば、君はあまり冬が好きではなかった。数少ない、君の苦手なものだろう。君がよく言っていた、「冬は色々なものが色あせて見える」というのは、当時はよく分からなかったけど、今なら分かる気がする。
確かに、夏に比べて、冬の景色は色が薄いように思う。空であったり木であったり、その色合いにはどこか水で薄めたような透明感を感じる。君はそのことをいつも言っていたのだろう。
淡い色の景色に寂しさを覚えるようになったのは、ここ何年かの話だ。ようやく君が言うことが分かるようになったのだ。
ただ、少し色あせてしまったような景色も僕は嫌いではない。もしかしたら、僕くらいの年になると、はっきりとした色よりも、このような淡く儚い色のほうに心地良さを感じるのかもしれない。
一九九九年 一月十二日
成人式だった。既に由美は二十歳になっているが、ひとつの節目といえるだろう。本当に最近は時間が経つのが早い。君がいなくなってもう十九年も経ってしまった。君と共にいた時間よりも遥かに長い年月だ。
振袖は、さすがに買うことは出来なかったが、何とか着せてやることはできた。振袖を着るのにあんなに時間がかかるとは思わなかった。あんなに朝が早いとは。
振袖をきた由美は、当たり前なのかもしれないが、君にそっくりだった。やはり君に似たのだ。
でも、面白いことに、性格は由美の個性がでている。思春期のころ、あまり話さなくなったとき、いつかは戻ると思っていたが、そうでもなかった。ただ、決して仲が悪いということではなく、もともとそんなに口数が多くないのだ。二人でいるとき、ともに無言でいることもよくある。その点は、もしかしたら僕に少しだけ似たのかもしれない。
そんな由美が、振袖を着て僕の前に現れときに言った一言が、「ここまで育ててくれてありがとう」だった。タイミングがタイミングなだけに、目頭が熱くなった。やはり、君の心の温かさも受け継いでいるのだ。
むしろ、礼を述べなければならないのは僕の方だ。君がいなくなったとき、僕は何もかもを失ったような気分だった。生きる意味さえも、そのときは分からなかった。君の後を追うことすらも考えた。
そんなとき、生きる意味を与えてくれたのが由美だった。由美とともに生きることが、ボクの生きる意味になった。空っぽだった僕を満たしてくれたのは、紛れもなく由美だった。
その想いの全ては伝えられなかったけど、「産まれてきてくれてありがとう」の一言は言えた。その言葉に由美は「なんか赤ちゃんみたいじゃん」と、鼻を赤くしながら少しだけ笑って返した。
由美、本当にありがとう。そして、君も。由美を産んでくれてありがとう。
二〇〇六年 六月七日
由美の結婚式だった。由美に手紙を貰った。君宛てでもあるので、ここに書き記そうと思う。
『お父さん、お母さんへ
お父さん、こうしてお父さんに手紙を書くのは初めてですね。そして、お母さん。お久しぶりです。
なぜこうして手紙を書いているかというと、私が口下手で、こちらの方が思っていることを伝えられると思ったからです。どうやら、そこはお母さんに似なかったようです。
私が物心がついたころには、既にお母さんはいませんでした。ただ、私はなんとなく、その意味を理解していました。嫌な子どもですね。無駄に勘が良くて、子どもらしさがなかったと思います。
だから、お母さんには本当に悪いのですが、お母さんがいなくて寂しかったことは、実はあまりありませんでした。私の記憶には最初からいなかったのですから。そして、私にはお父さんがいたのです。誰よりも私を大切にしてくれるお父さんが。
お父さんは本当に大変だったと思います。男手ひとつで女の子を育ててきたのですから。私は本当に扱いにくい娘だったと思います。私はひねくれているので、「お母さんだったら」という言葉を何回か使ったことがあります。その度にお父さんはきっと悩んでいたと思います。本当にごめんなさい。今の私があるのはお父さんのおかげです。今まで一緒に生きてきてくれてありがとう。
そして、お母さん。私は写真の中のお母さんしか知りません。お父さんの話に出てくるお母さんは、明るくて爽やかで元気な女性でした。私とは真反対です。顔は確かに似ていると思いますが、性格までは似なかったようですね。
先に、「お母さんがいなくて寂しいことはなかった」と書きました。本当に失礼な話ですが事実です。それだけお父さんがわたしを大切に育ててくれました。
でも、今はどうしようもなく寂しい。私のこの姿を、お母さんに見せたかった。この姿を見たお母さんが、お父さんの話によく出てくるお母さんのように、ニコニコ笑って褒めてくれる所を見たかった。
贅沢でしょうか。寂しくないと言っておきながらこのようなことを言うのは。
私はお母さんが見えませんが、そちらからは見えているのでしょうか。もし見えているのだとしたら、泣いていますか、それとも笑っていますか。できれば、笑っていてほしいです。写真の中のお母さんのように。
最後になりますが、お父さん。これからもよろしくお願いします。お母さんは、もう少ししたら、そちらで会いましょう。 由美より』
きっと由美の花嫁姿を見た君は、笑っているし、泣いてもいるのだろう。
二〇〇八年 一月七日
ついさっきまで、由美が家族と一緒に家に来ていた。孫の幸も、前に来たときよりも大きくなっていた。賑やかな正月を過ごすことができて良かった。
ただ、やはり帰った後は少し寂しい。いつもより肌寒く感じる。歳のせいもあるのだろうが。
由美が結婚してから一人でいる時間が増えた。そして、一人でいるときは、今までの人生を振り返ったりこれからのことを考えたりすることが多い。このことにも、歳を感じる。
もし君がいたら、僕たちはどんな老後を送っていたのだろうか。
君はきっと、正月はたくさんのおせちを作るのだろうな。春はお弁当を作って花見にでも行きたい。夏は…。夕暮れ時のヒグラシの鳴き声を聞くくらいが良いかもしれない。あと、百合の花もしっかりと飾っておこう。秋は君と行ったことのない紅葉を見に、冬は箱根に温泉でも入りに行けたら良い。
どれも叶わないことだが、こうして考えるだけでも楽しい。僕がそっちにいったら、もしかしたらできるかもしれない。
それまで、もう少しだけ待っていてほしい。
二〇一九年 五月二十四日
今日は、由美たちがお見舞いに来てくれた。幸も来年は中学生だ。背もだいぶ伸びた。
最近、体調があまり良くない。身体を起こすのが億劫だし、夜もあまり眠れないときがある。
こうして日記を書くのも大変に思うことがある。
残された時間があまり長くないことを、悟り始めている。
二〇一九年 七月九日
この日記も、看護婦さんに手伝って貰わないと書けないようになってしまった。今日を境に一旦辞めようと思う。だから、今日は少しだけ、昔のように長く書きたい。
君がいなくなってからこうして日記を書いてきたが、思い返せば、この日記にはいつも君がいたように思う。それはきっと、常に君が僕の記憶の中にいたからだ。
君がいないことに慣れてはしまっても、君を忘れたことは一度だってなかった。今でも、君のことは色濃く僕の思い出に刻み込まれている。そして、それは決して色褪せることはない。
病室にある百合の花も、昔は色褪せて見えたけど、今はしっかりと彩られている。例えそれが白百合であったとしても。
君が僕を色付けてくれたのだ。僕が見ている景色ではなく、僕自身を。君は途中でいなくなってしまったけど、そのあとだって君はずっと僕を彩り続けた。僕が真っ白になったのは、君がいなくなった直後だけだ。
周りくどい話になってしまったが、要は、君は僕の全てだった。君とこうして生きられて、本当に良かった。
もう少しでそちらに行くことになると思う。そしたら、一緒に百合の花でも買いに行こう。君が白で、僕がピンク色だ。
*
「私ね、百合の花すごく好きなんだ」
「へえ。少し意外かもしれない」
「なんで?」
「いや、性格的にひまわりとかのイメージがある」
「そう?」
彼女は机にほほをつけ、「ふふ」と笑う。
「じゃあなんで百合の花が好きだと思う?」
彼女がそう問うと、夕日のピンク色とともに、生ぬるい風が網戸をすり抜けてきた。遠くでは、ヒグラシの鳴く声が響き渡っている。
花瓶の白百合は、風に吹かれて向きを変えた。