第二十八話 謎の少女あらわる
東海の夏である。
空はどこまでも澄み切っていて、湿気もあまりなく、からりとしていた。
松下嘉兵衛さんと松下家の兵士たち50人。それに俺たち神砲衆(俺、藤吉郎さん、伊与、カンナ、次郎兵衛、あかりちゃん、以下14人)は、揃って駿府城に向かって進んでいる。
駿府城へとおもむく理由は、ふたつある。
ひとつは、松下家の硯が、駿河では売れるのではないかと嘉兵衛さんが思いついたこと。
駿府城下は文字を読み書きする者が比較的多いため、硯に需要があるのではないかと嘉兵衛さんは主張したのだ。
その商いを手伝ってほしいと嘉兵衛さんが言ったのだ。異論はない。俺は承知して、硯販売の商いを手伝うことにした。
そして理由はもうひとつある。
石川五右衛門党の後始末にいくのだ。
先日の戦闘後、五右衛門の部下たちは、ほとんどが斬罪に処された。
しかし、党の中でも下っ端で、むしろ奴隷のように使われていたと分かった者は、短い入牢の罪で済んだ。
「気の毒な者たちだよ。五右衛門に捕まったり、あるいはどこかの戦場で捕らえられ、奴隷として石川党にこき使われていた人たちだ。――今川屋形からじきじきに、その者たちを救ってくれと言われてね」
「救ってくれ、とは?」
「つまり、松下家で草履取りや荷物持ちなど小者として雇えということさ。某がじきじきにその者たちとあって、人柄を見定めたうえで雇用しようと思う」
――とまあそういうわけで、嘉兵衛さんと俺たちは駿府城に向かっているわけだ。
石川五右衛門……。どこまでも罪作りな悪党だったわけだ、あいつは。
しかし……。……俺は考えた。
本来、数十年後に死ぬはずの石川五右衛門が、あの場で死んだのはなんだったんだ。
俺が殺した五右衛門は、史上に名高い石川五右衛門だったのか? それとも…………?
さて1555年、8月。
俺たちは駿府城の城下町に到着した。
さすが、東海一の弓取り、今川義元のおひざ元だった。
白い土壁の屋敷が立ち並んだ、雅な空気の漂っている城下町が、目の前に広がっている。
小京都と呼ぶにふさわしいその場所は、彼方に富士の山のいただきを臨み、風光明媚なことこの上ない。
道を行き交う人々も、その数こそ多いものの、口を開いたりするでもなく、しずしずと路上を動いている。津島や浜松の雑多な空気などみじんもなかった。
「某は飯尾さまの屋敷に入る」
と、嘉兵衛さんは言った。
「そなたたちにも来てほしい。……と言いたいところだが、先日、飯尾さまが足軽を増やしたとかで、屋敷に人員が収容しきれないことが分かった。そこでだ」
駿河にはいくつか宿があるから、そなたたちはそこに泊まるがいい。
宿代はこちらで受け持つから――と嘉兵衛さんは言った。
そういうわけで、俺たちは駿河の宿に宿泊した。
「ふわああーーーー、ずいぶん大きい宿ですねえ」
うちとは大違いです、とあかりちゃんは言った。
実際、その宿はこれまで泊まってきた場所とは大違いで、さながら料亭のように広い。
板張りの間がいくつもあって、風通しも良い。小さな枯山水に、木が植えられた庭まであって、俺たちはちょっとした大名気分だった。
「だいたい、ずいぶん金持ちになったのに、使う宿がセコすぎたんじゃ、弥五郎は」
藤吉郎さんが、げらげらと笑いながら言う。
「いつも掘っ立て小屋みたいなところに泊まりおって。倹約もいいが、たまには贅沢をせい」
「あは。藤吉郎さん、それは弥五郎のせいだけじゃなかとよ。あたしが弥五郎に、いつも節約節約ってうるそう言いよったけんさ~」
「なんじゃ、カンナの教育か。いかんぞ、男をあまり狭い了見の者にしては。そんなことではひとの女房は務まらんぞ? ん?」
「にっ!」
「女房……」
伊与とカンナが、即座に反応する。
あ、いかん。藤吉郎さん、それ、いまのふたりには微妙にダメワード。
「ええか、女房ってもんは、男を持ち上げてナンボなんじゃ。金だってそうじゃ、セコセコさせず、ぶわーっと使わせておけばよい。そしてこう言うのじゃ。――おお旦那様、いい使いっぷり! いずれその使いっぷりに見合う男に、必ず出世なさいますとも――ってな。のう、弥五郎?」
「え? あ、ああ――そうですね……」
戸惑い気味に、口を開く。
女房とか旦那とか、その手のおしゃべりはどうにもあれ以来、気まずくて――
「でも藤吉郎さんも奥様はいないじゃないですか」
そのとき、あかりちゃんがサラリと言った。
「そんなひとに、女房のありようなんて説かれても、困りますよ。ねえ、皆さん?」
「おぐ」
それは痛恨の一撃だった。
独身で、いわゆるカノジョのような存在もいない藤吉郎さんにとって、だいぶん辛辣なセリフだったといえる。
「い、言うのお、あかり。汝、いつの間に、そんな毒を吐くように……」
「藤吉郎さんが皆さんを困らせているからです。そんな話より、荷物をかたしますよ。聖徳太子さん、手伝ってください」
「ういーっす」
あかりちゃんが、自称・聖徳太子(そう、彼はメンバーの中にいたのである)といっしょに荷物をかたし始める。
なんか、助かった。しかしあかりちゃん、空気を呼んで助けてくれたのかな。……うむ。気配りの子だ。いいなあ。
俺たちも、荷物を整理しはじめる。服とか商品とかお金とか、商いをするのならいろいろやるべきことがあるのだ――
そのときだった。
「っ、誰だ!?」
伊与が素早く小刀を構え、庭に向かってシュンッと投げた。
あれは、伊与を育てた堤三介氏の形見だ。形見の小刀は、カツンと音を立てて、庭の木の幹に突き刺さり――
幹の陰から、ゆっくりと小柄な人物が登場した。
女だ。
年齢は、俺たちとそう変わらないだろう。10代半ばから後半くらいか?
陽に焼けた、短めの髪を、いわゆるショートカットの髪型の少女。気の強そうなまなざしと、不敵な笑みをこちらに向けている。
服装も、奇抜だ。女性用の単には違いないが、深紅に染め抜いたド派手な衣で、しかもその下半身は、ひざこぞうの上あたりでザクザクに衣を切ってしまっている。おかげで、さながらミニスカートのごとくひざからふくらはぎにかけてのラインが丸見えだ。
「あっさりバレちゃったな~。気配は完全に殺していたのに~……」
少女はそう言った。
そのセリフに、次郎兵衛が舌打ちする。
甲賀忍者の次郎兵衛でさえ、女の気配には気づかなかったのだ。
明らかに友好的でない空気の、その女の登場。……なんなんだ、こいつは。
俺はリボルバーを構え、伊与は刀を、次郎兵衛はくないを、藤吉郎さんさえも刀に手をやった。
「汝ァ、何者じゃ。なにをしにきた」
藤吉郎さんは、挑むように尋ねる。
少女はそれには答えず、ただ冷然とした笑みを浮かべていた。




