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第四話 柴田勝家と熱田の銭巫女

「余のために、武器を作ってくれないか?」


 と、織田信勝は言った。

 俺は一瞬、息を呑んだ。

 なぜ、彼はそんなことを言い出したのか……?

 信勝は、続ける。


「織田弾正忠家は言わずもがな、敵が多い。備えをしておくに越したことはない。兄上(信長)同様、余も武器を揃えておきたいのだ」


 ……なるほど。

 言い分はもっともに聞こえる。

 しかし俺は知っている。このひとがのちに、信長に反乱する未来を。

 だからこそ、この言い分をすんなりと信じるわけにはいかない。もしかしたら織田信勝は、信長に反乱するために、俺に武器を作らせようとしているんじゃないか。そのようにさえ思えるのだ。

 実際、そう考えると、合点がいくのだ。織田信勝がこうしてこっそりと、俺に会いたがった理由。信長陣営の誰にも気づかれることなく、俺を自陣営に取り込み、武器を作らせたいのだろう。


「どうだ? 面白い武器の案くらい、あるだろう。作ってみれはくれぬか?」


 信勝は、落ち着いた声で尋ねてくる。

 さて、どうしたものか。……この状況で思い切り断れば角が立つ。

 織田信勝は仮にも信長の弟であり、それにまだ謀反もしていないのだ。

 礼を尽くしつつ、やんわりと断って、うまくこの場から脱出しなければ……。


「――なにぶんにも、突然の話にて」


 俺は平伏しながら、回答した。


「案など、とっさには思いつきませぬ。一度津島に戻り、顔役の大橋さんや、仲間たちともよく相談をした上でお答えしたく存じます……」


「山田っ」


 俺が答えた直後、織田信勝の脇に控えていた男が、短く叫んだ。

 ずいぶんな大男だ。30代だろうか。立派なもじゃ髭をたくわえている。


「勘十郎さまがじきじきに、こうして頼んでおるのだぞ。無理にでもなにか、案を出さぬか」


「……そう言われましても」


「権六、そうこわい声を出すな」


 信勝が、身を乗り出そうとする大男を手で制した。

 ……権六。……この男、柴田勝家か……!

 武勇において、並ぶもののない猛者だ。織田家に仕える重臣だが、家督を継ぐのは信長ではなく信勝のほうがふさわしいと思っていた人物でもある。

 柴田勝家は、俺がいったん引き下がろうとしたのが気に入らないのか、むっとした顔をこちらへと向けている。……大した迫力だ。小六さんや前田さん以上だな。シガル衆との戦いや、甲賀での激闘を経験していない時代の俺なら、この場で震えあがっていただろう。


「悠然としたものだな、山田」


 信勝は、面白そうに言った。


「その年齢としで、衆の大将に実力でのし上がっただけはある。立派な態度だ」


「……おそれいります」


「ゆえに、山田よ。余はそちが気に入った。なんとかこの勘十郎のために武器を作ってくれぬか。一度帰るなどと寂しいことを言うな。必要な道具ならばここで調達してきてやる。どうだ?」


 やはりその話題に戻るのか。

 そして、あくまで俺をこの場所に留めようとしている……。


「むろん、礼金は払うぞ」


 信勝が、チラリと隣の女を眺める。

 熱田の銭巫女ぜにみこ。妖艶な容姿を誇っているその女は、ニタリと口角を上げると――

 その場で突然、着ていた衣を脱ぎ捨てて――って、


「あ……!」


 目を見開いた。

 柴田勝家に睨まれたときよりも、よほど驚いたくらいだ。

 銭巫女は裸体をさらしたのだ。……な、なにやってんだ、この女……!?

 光り輝く長い黒髪、やや吊り目気味ではあるが整った目鼻立ち、抜けるような白い肌に、細い首筋から肩幅、乳房、腰回り、下半身。

 うら若き女性の、艶美に満ち溢れた全裸の曲線に、俺は嫌でも目を奪われる。


 いや、驚いたのはそれだけじゃない。――銭巫女は、着ていた服を掲げる。その服飾にはきらきらと輝く金銀の塊がいくつも付着していた。黄鉄鉱のときのようなニセモノじゃない。俺もこの数か月、甲賀で金銀の実物をわずかだが見てきたから分かる。今度は確実に本物だ!


「ご覧の通り。それに、こちらにもあるよ」


 銭巫女は、部屋の隅に置かれてある箱を開き、中に手を入れる。

 永楽銭をじゃらじゃらと取り出した。……あれも本物だ。間違いない。


「銭巫女と呼ばれている理由、分かったかい?」


 彼女はくすくすと笑った。

 かと思うと、裸身をさらけ出したまま、俺に視線を送ってきて、


「勘十郎さまとお近づきになれば、いいことがいっぱいあるよ。お金もあげよう、金銀もあげよう。それに……」


「…………」


「女体も、手に入るよ?」


「な、なにを……」


「あたくしのこと、いくらでも好きにしていいからさ。……」


「…………」


 予想外の展開だ。

 俺はさすがに一筋、汗を垂らした。

 すると、織田信勝がくすくすと笑う。


「銭巫女、もうそのへんにしてやれ。山田が困っている」


「はあい。……山田さん、ごめんなさいね。仲良くなりたかっただけなのよ」


「は、はあ」


「でも、あたくしがお金を持っているのは本当。ここにあるお金なんてほんの一部。もっとたくさん、あげられるからね?」


「…………」


「それと、もちろん。……この身体もね?」


 な、なんなんだ、この女……。

 心臓が激しく脈打った。意味が分からない。

 だいたい織田信勝や柴田勝家と違って、この女の正体だけが不明だ。それだけに不気味だ。

 熱田の銭巫女? 聞いたことがない。青山さん同様、歴史に名を残さなかった類の人物だろうが……。

 銭巫女の奇妙なふるまいに、柴田勝家は押し黙っている。だが、眉間には深いシワが刻まれていた。あまり良い気分ではないようだ。信勝陣営も完全に仲良しこよしってわけじゃなさそうだな。


「で、山田。どうだ?」


 信勝は、改めて言った。


「余のために、武器を作ってくれぬか? しつこいようだが、余は本当にそちのことを気に入っているのだ。このまま熱田に残って、銃刀槍のような道具を、ぜひとも製作してくれ」


 信勝はあくまでも押してくる。

 俺は銭巫女のふるまいにやや気圧けおされ気味だったが、一度呼吸をして心の姿勢を立て直した。

 ……信勝はなかなか手ごわい。このまま単純にノーと言い続けても帰してくれそうもないな。それならば――


「上総介(織田信長)さまさえ、お許しならば」


「……なに?」


上総介かずさのすけさまがお許しになるならば、武器をお作りしましょう」


「…………」


 信勝は、やや虚を突かれた顔をした。

 突如、信長の名前が出てきたことに驚いたようにも見える。


「いますぐ那古野に参りましょう。そして上総介さまにお許しを得ます。……織田家の勘十郎さまに武器をお作りするのであれば、お家の主たる上総介さまに一言断るのがスジというもの」


「…………」


「上総介さまさえウンと言うならば、俺は武器を作ることに、粉骨砕身、全霊の努力を致します」


 と言いつつ。

 とにかく俺はこの場から脱出したかった。

 この屋敷から脱出さえすればなんとかなる。そう思っていた。


「……兄上。…………兄上か」


 信勝は多少、言いよどんだ。


「もっともな言い分である。しかし――」


「山田」


 そのとき柴田勝家が口を開いた。


「上総介さまは、これより村木砦を攻める」


「……はっ」


「ゆえに、いまは新しい武器をうんぬん言っている場合ではあるまい。……そうだな、1か月は那古野まで戻るまい。村木砦は要害だ。おそれながら上総介さまのご器量では、苦戦が予想される。あるいはいくさに2か月、3か月はかかるやもしれぬ」


 この時点の柴田勝家はやはり、信長を評価していないようだ。


「それほど長い時間、待つことはできぬ。こちらとしてはなるべく早く、そなたに武器を作ってもらいたい。……で、ございますな? 勘十郎さま」


「……うむ、そうじゃ」


 柴田勝家に促されて、信勝はうなずいた。


「兄にはあとで余からお伝えしておく。ゆえに山田、武器を作ってはくれぬか?」


「…………」


 信勝陣営はあくまでも、俺を自陣営に取り込み、武器を作らせたいらしい。

 ずいぶんと評価されたもんだ。それ自体は悪い気はしないが……。

 俺は藤吉郎さんとの絆や今後のことを考えると、やはり織田信勝に肩入れすることはできない。

 だから、俺は答えた。


「上総介さまが村木砦を落とすのに、恐らくそれほどの時間はかかりません」


「なに?」


「数日のうちに、砦を落としてしまわれるものと」


「数日? 馬鹿な」


 柴田勝家が目を剥いた。


「村木砦をそれほど容易に落とせるものか。しかも、これほどの大風じゃ! 進軍には手間取ることだろう」


 柴田勝家が言った通り、今日は風が強い。

 ギシギシと屋敷が揺れている。

『伊吹おろし』と呼ばれる、尾張地方によく見られる、冬の天候現象だった。


「ゆえに、上総介さまが数日で村木砦を落とすということは考えられぬ」


「……いいえ。上総介さまは砦を落とし、戻ってこられます」


 俺は断言した。……断言できる理由がある。

 なぜなら村木砦の戦いは、じっさいに、行軍開始からいくさの終了まで、数日で終わってしまうからだ。

 信長は今回の戦いで優れた手腕を見せる。その話を聞いて、美濃の斎藤道三は「やはり信長は恐ろしい」と認識を新たにしたほどだ。


 だからではないが。

 ……俺は言った。


「上総介さまは、噂されるようなうつけでは、決してございませぬ。……あの方は、英雄でございます」


 気持ちを込めて。

 断言したのだ。


「ゆえに、砦も数日で落としてこられます。武器の話はそれからにしてくださいませ」


「「「…………」」」


 俺のセリフに、織田信勝も柴田勝家も。

 銭巫女さえも、押し黙った。


「……兄上は、昔からそうだった」


 信勝は、なぜだか自虐的に笑った。


「うつけと蔑む者も多いが、その反対に、好かれる者にはとことん好かれる。……羨ましいことだ」


 最後のほうは、やや小声だった。

 しかしはっきりと聞き取れた。……羨ましい、と。

 …………織田信勝。兄に対する思いはどうやら、複雑のようだな。


「……山田がそれほど言うならば。とにかく数日、様子を見てみよう」


「勘十郎さまっ」


「よい、権六。……この山田弥五郎、非常に優れた先読みをするという噂もある」


 信勝の目が光った。


「山田の予言通り、数日で村木砦が落ちるかどうか、それを見極めてみるのもまた一興じゃ」


「…………」


「では山田。……少なくともここ数日は、この屋敷にいるがいい。よいな?」


「…………はっ」


 俺は平伏した。




 ――そして数日後。

 今川方の村木砦は、織田信長の攻撃によって落城した。

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