第二話 村木砦の物見
藤吉郎さんからの依頼は、ごくシンプルなものだった。
すなわち。……これから主君の織田信長が、ある砦を攻める。その砦の物見の役目を仰せつかった。砦には鉄砲が配備されているようだから、物見を手伝ってほしい、とのことだった。
物見を手伝うだけならば、俺一人でもなんとかなる。
神砲衆は、戦闘を終えたばかりでまだ連戦できる状態じゃない。
ということで俺は、伊与とカンナに神砲衆のことを任せ、単身、津島に戻ったのである。
「おう、弥五郎! 久しぶりじゃのう」
「お兄さん、お帰りなさい!」
津島の屋敷に戻ると、藤吉郎さんとあかりちゃんが出迎えてくれた。
津島の屋敷には、ときどき商用や物資調達のために帰っていたから、あかりちゃんとも会っていたが、藤吉郎さんと会うのは実にシガル衆を倒したあと、津島で話をしたとき以来だ。俺たちふたりは、熱く視線を交わし合った。
「遠いところから、わざわざすまんのう。甲賀のほうはもういいのか?」
「おかげさまで、なんとか片付きました。……それよりも、城の物見ですって?」
「そうじゃ。村木砦というところを物見にゆく」
やっぱり、その戦いだったか……。
俺は内心でうなずいた。
1554(天文23)年、1月。
織田信長は尾張南部にある、今川家の村木砦を攻めている。
この時期に織田家がいくさをするならばそこしかない、と移動中にも考えていた。
「今川方の砦じゃ。敵の数は、おおよそ300と分かっている。だが、武装が分からぬ。鉄砲があるらしいのだが、どれほどの質の鉄砲が、何丁揃っているのか。殿(信長)はそれを知りたがっておる」
「なるほど。そのために俺が呼び出されたわけですね」
「左様じゃ。鉄砲については、汝の右に出る者はおらんからのう」
藤吉郎さんは、ケラケラと笑った。
「鉄砲といえば。――殿が村木砦を攻めている間、那古野城は空っぽになるが、その那古野は、美濃の舅様(斎藤道三)に援軍を頼み、守ってもらうおつもりのようじゃ。……先の正徳寺会見がうまくいったので、織田家と斎藤家の絆はますます深まったようじゃ。弥五郎、あのときは活躍じゃったのう。汝が作った銃刀槍のおかげじゃ」
「いえ、俺なんかは……。それよりも藤吉郎さん。物見にいくならば、早くいきましょう。あまり時間がないのでは?」
「おう、そうじゃった、そうじゃった。早速村木砦まで参るとしよう」
「あっ、待ってください。お兄さん、藤吉郎さん。これ、お食事です」
と、あかりちゃんが、竹皮をふたつ、差し出してきた。
「おにぎりです。腹が減ってはいくさができぬと言いますからね。これを食べて頑張ってください」
「ありがとう、あかりちゃん」
「うむ。礼を言うぞ」
「それじゃ行きましょう、藤吉郎さん」
「おう」
俺と藤吉郎さんは、ふたりで屋敷を出た。
それからそのまま、大橋さんの家におもむいて、馬を2頭借りる。
一路、南へ向かってゆく。……この数か月で、それなりに馬にも乗れるようになった俺であった。
「しかし弥五郎よ! あかりちゃんは、可愛いのう!」
「また女の子の話ですか、藤吉郎さん!」
馬に乗りながら、会話を交わしているので、自然と大声になる。
「あかりちゃんは、まだ子供ですよ!」
「なにを言うか。あの娘も、もう15じゃろう? 大人じゃ、大人。嫁入りしてもおかしゅうない!」
ちなみに藤吉郎さんは、数え年で年齢を言っている。
これは生まれたときにすでに1歳とし、翌年には2歳になる年齢の数え方なので、21世紀の感覚で考えると、単純に考えて1歳のズレがあると思っていい。あかりちゃんは数えだと15歳だが、21世紀でいえば14歳。中学2年生だ。
「だいたい弥五郎、汝は女に興味がなさすぎる!」
「なんですか、こんなときにそんな話題!」
「伊与もおればカンナもおるのに、色恋話のひとつもない。それでも汝は若い男か!」
「あのふたりとは仲間ですよ!」
「たわけたことを! あれほどの綺麗どころをふたりを従えておって、浮いた話がひとつもないとはどういうことじゃ。甲賀で少しはなかったのか!?」
「なにがですか!」
「つまり、『そういうこと』じゃ!」
「あるわけないでしょ!」
「なんじゃあ、つまらん! 尾張に戻ってきたら、ふたりの腹がでっかくなっとった、なんて話を期待しとっただに!」
「怒りますよっ、藤吉郎さん!」
怒鳴りあげると、キシシシシ、と藤吉郎さんは変な笑い声をあげた。
自分でも、顔が赤くなるのが分かる。しかしそれと同時に肩の力もやや抜けた。
久しぶりの朋友との再会。――からの、城の物見。
知らず知らずのうちに、身体に力が入っていたのかもしれない。
あるいは藤吉郎さんは、それを見抜いて、馬鹿話をしてきたのかもしれないな。
この人ならそれくらいはできる。……ま、女好きなのは間違いないけどな!
しかし、この感覚。久々に戻ってきた。俺が今生で歩むべき王道の上にいるという、ヒリヒリとした実感が。
「弥五郎、見えたぞ」
藤吉郎さんが言った。顔を上げる。
はるか遠くに砂丘が見える。その上に、砦が建っていた。
ちょっとした高台となっているその場所に、策が構えられ、小屋がいくつか建っているのが見えたのだ。
「村木砦じゃ。あれを物見する」
俺たちは、近場にあった森林の中に馬を繋いだ。
そして用意してきた桶側胴に鉢巻を巻き、今川方の兵士のように装った。
それから陽が落ちるのを待ち、そっと砦に近付いていく。
足音を殺しながら接近していくと、空堀が登場し、その向こう岸にはかがり火が見えた。
「要害じゃな」
と、藤吉郎さんは砦を一目見て言った。
「東西に門を構え、北には川が流れ、南にはこうして空堀が掘られている。殿といえど、この砦を落とすのは容易ではあるまい。……さてどうするか。もう少し、砦の内情を知りたいが、あまり近付くと見つかるしのう」
「いえ、藤吉郎さん。あの空堀のど真ん中を見てください。……あのあたりだけ、ちょうど城のどこから見ても死角になっています。あそこを進めば城に近付けるでしょう」
「汝、乱破のようなことを言う」
「甲賀で少し、忍びの思考を、和田さんに教えてもらったので」
「ほう。ますます強くなりおった。……それではその腕を、借りるとしようか」
俺と藤吉郎さんは、闇にまぎれて、そっとそっと空堀の中を進んでいく。
堀が終わると砂丘が始まり、丘を上ると柵が構えられている。
この柵が、城壁代わりか。
柵なので、こちらからは敵の様子が丸見えだ。
その代わり、あまりに近付くと、敵からもこちらの姿が見えるのだが。
俺たちふたりは身を伏せて、敵の死角となる部分から、砦をじっと観察した。
兵の数は、やはりざっと300。士気はさほどに高くないようだ。戦はないものだと、安心しきっているらしい。織田信長が攻めてくるとは思っていないようである。兵士たちの会話から、兵糧もそれほど備蓄が多くないと分かった。
そして鉄砲の数は――
「3丁だけ。しかもあれはウドン張(安物)です。命中精度はよくありませんよ」
俺は闇の中、ヒソヒソ声で言った。
すると藤吉郎さんは、小さく首肯した。
「それが知りたかった。ありがとう、弥五郎。物見の役目はこんなところじゃろう。……さ、長居は無用じゃ。さっさと帰るぞ」
「はい」
俺と藤吉郎さんは、再び敵の死角部分を突きながら、丘を下っていき、空堀の中を進む。
どうやら、今回もなんとかなったようだ。ほっと、安堵の息を漏らす。
再び空堀を抜けて、砦の外周部分に到着する。
そのときであった。
「やっ」
藤吉郎さんの顔色が変わった。
松明が三本、闇の中から近付いてきたからだ。
「ヌシらは、なんじゃい!」
松明の持ち手のひとりが、荒々しく吼えた。
「おい、なぜ空堀から出てきおった!? 答えんか!」
……マズい。こいつらは、今川方の兵だ。きっとそうだ。
砦の周りの、警邏していたらしい。やはり敵もさるものだ。砦を守るためにこれくらいはしていたってわけか。
「……怪しげなやつらめ!」
「こんなところで、なにをしとる!?」
「こいつら、織田兵じゃぞ。きっとそうだ!」
俺たちは、3人の敵兵に囲まれた。
「……囲まれたのう。どうする?」
藤吉郎さんは、顔を俺へと向けてくる。
状況は3対2。装備は大差がない。
俺たちも敵側も薄い桶側胴に鉢巻を巻いた、ただそれだけのかっこうだ。
しかしそれだけに戦った場合は、純粋な肉体的戦闘力がものを言うだろう。
そして敵は3人とも、やたらごつかった。腕なんか丸太のようにぶっとい。
いっぽう俺と藤吉郎さんは、ふたりとも少年であり小柄だ。
相手と比べるとたぶん弱い。てかめちゃくちゃ弱い。
で、敵たちも、そんな俺たちの図体に気がついたらしい。
「おう、こいつらよく見てみれば、ずいぶんな小男どもじゃ」
「マコトじゃ! こんな連中を使うとは、織田方はよほど人なしと見えるの!」
「敵は敵だ。殺して手柄にしちまおうや! こんな雑魚ども、手柄になるかは知らんがの!」
げらげらげら!
男たちは高笑いを始めた。
明らかにこちらをなめている、嫌な笑い方だった。
その笑い方にカチンときた――
のは事実だけど、まあそれはそれとして。
とにかく状況を打破しなければならない。
俺はそっと懐から、手のひらほどの大きさをした『それ』を取り出した。
「おっ、なんだそりゃ?」
3人はいずれも怪訝顔を作る。
『それ』の正体が分からないのだろう。
「ぷ。……へへっ。おい小僧、そりゃもしかして玩具か!? ひゃひゃひゃっ!」
「へっへっへ、そんな小っこいモンで、なにをする気じゃ!?」
「おいおい、あまり馬鹿にしてやるなよ。本人は必死なんだからよ!」
ひゃひゃひゃひゃひゃ、と笑いまくる敵兵たち。
そんな彼らを見て、俺もニヤッと笑った。
「そうだな、確かに必死だ。――必ず死ぬ、と書いて必死。うん、この状況にぴったりの言葉だ」
「あん!? なんの話だ?」
「いや、だから。――必ず死ぬんだよ」
今度は笑わずに、……告げた。
「俺じゃなくて、貴様らがな」
たぁん、たぁん、たぁーん!
乾いた音が連続して響き、小さな火花が明滅する。
「が……?」
声もなく、右端の男が倒れた。
それと同時に、
「……あれ?」
「な、なんで――」
真ん中と左端の男も、草むらの上に突っ伏した。
敵は、一瞬で全滅。いずれも、絶句の表情だった。
俺は持っていた『それ』を――すなわちリボルバーを下げた。
「終わりましたよ」
俺は、静かに藤吉郎さんのほうへと向き直る。
藤吉郎さんは、ヒュウ、と小さく口を鳴らした。
「相変わらず妙な鉄砲を使いおる。どういう頭をしていれば、そんなものを作れるんかのう」
「…………」
俺は無言のまま、自分が使った銃を眺める。
我ながら、アコギなことをしている。こんな武器で、人間を3人も殺すなんて。
だが、いまはこうするしかないんだ。そう思って、拳銃をそっとふところに入れる。
「早くこの場から離れましょう。こいつらの仲間が、銃声を聞いて駆けつけてくるかも」
「うむ、そうじゃな」
俺と藤吉郎さんは、その場から駆けだした。
「や~、それにしてもえらいことじゃった。敵の砦の物見に出かけて、帰り道にあんな連中と出くわすとはのう!」
「今川方も織田方を警戒しているってことでしょう。……とはいえ、物見のお役目は達成できたようでなによりです」
「うむ。敵の人数に兵糧の量、それに銃の数も分かった。いやはや、火器に詳しい汝についてきてもらってよかったわい。この借りはいつか必ず返すぞ」
藤吉郎さんはそう言うと、ニカッと白い歯を見せた。
「この木下藤吉郎秀吉、受けた恩は忘れんからの!」
「…………」
ふと俺は、自分の前世に思いを馳せた。
21世紀からやってきた俺が、豊臣秀吉の手助けをするなんて。本当に珍妙な運命だ。数か月ぶりに一緒に働くことで、再びその思いが強くなった。
この場所だ。やはりこの場所こそ、俺が今生で歩むべき王道だ――
俺たちは、馬2頭を繋いだところまで戻ってきた。
「よし、急いで引き返すぞ、弥五郎!」
「合点!」
馬に乗り、ただちに那古野へと戻ろうとする――
そのときであった。
「む!?」
「どうしたんです、藤吉郎さん――え?」
俺たちは、唖然とした。
目の前に、女が現れたのだ。
単をまとっている。やけに背の高い女だった。
160センチを少し超えたくらいだろうか。21世紀の感覚で考えても長身だが、この時代の基準を考えればそうとうの高身長である。
長い黒髪をなびかせている。美しい女性なのは間違いない。年齢は、二十代半ばくらいだろうか?
妖艶な微笑を浮かべつつ、俺たちを見つめてきている。……なんなんだ、この女。
女は――俺を見て、口を開いた。
「山田弥五郎」
……!?
な、なんだこいつ。なぜ俺の名前を知っている!?
しかも、まるで俺がここに現れるのを知っていたかのように……。
どういうことだ!?
さすがに書きだめが尽きてきました。
いけるところまで連日投稿しますが、尽きたときは週2~3くらいの投稿に切り替えていこうと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。




