第四十七話 赤塚の戦い、信長の咆哮
鳴海城が、ついに謀反した!
分かっていた史実とはいえ、やはり実際に聞くと驚かずにはいられない。
「ついにか。弥五郎少年、そなたの予感が当たったのう」
「はい」
「三郎さま(信長)に注進はしておった。鳴海城の動きにどうかご注意あれ、とのう。しかしその甲斐はなかったか。三郎さまは鳴海衆を離反させてしまった……」
大橋さんは、悔しそうに首を振った。
だが、小六さんが「清おじ、そうでもなさそうだぞ」と言った。
「鳴海城が今川方につき、挙兵したと聞いて、三郎さまもまた兵を挙げた。そしてそのまま、ただちに兵を率いて鳴海城に向かったそうだ」
「ほう! 素早い動きじゃ。事前に兵を整えておかねば、こうも素早くは動けまい」
「だから清おじが、三郎さまに注進したことには意味があったのさ。――ま、あのうつけ殿のやることだ。マグレだと思うがな」
小六さんの、信長に対する評価は手厳しい。
「実際、三郎さまのほうは準備万端とは言いがたいぜ。兵の数では鳴海衆のほうが上らしいからな。三郎さま側は兵数、800。それに対して鳴海衆は、1500」
おおよそ倍の差か。
この時期の信長は人気がない。
数に差が出るのは当然かもしれない。
だが……
鳴海の山口氏。
那古野の織田三郎信長。
この二勢力の戦いの結末を、俺は知っている。
これはのちに赤塚の戦いと呼ばれる合戦だ。
織田信長が織田家当主になって最初の戦いとして、有名な一戦なのだ。
この戦いは、織田家のほうが少数だったが、そこは戦上手の信長だ。最終的には引き分けで決着がつくはずだ。
だが、当然この時代のひとたちは、勝負の結果を知らない。
「なんにせよ、このままでは三郎さまが危うい。小六、津島衆を連れて加勢にゆくぞ」
大橋さんが、小六さんに向けて言った。
「いく気かい、清おじ。津島衆数十人で加勢したところで、三郎さまが勝つかは分からんぞ!?」
小六さんは、織田信長のことをうつけだと思っている。
いや、うつけだと思っているのは大橋さんも同じだろうが、しかし、
「わたくしは織田家の縁戚じゃ。加勢をしないわけにはゆかぬ」
大橋さんはそう言った。
消極的信長支持ってところか。
その上で、大橋さんは俺に向かって言った。
「弥五郎少年。聞いての通り、我々は三郎さまの援軍に向かう。そなたはどうする。……できれば我々といっしょに来てほしいが」
大橋さんは、ちらり。
連装銃と早合を見ながら言った。
「この新しい武器や弾の使い方を、津島衆はまだよく知らぬ。ゆえに、今回ばかりはそなたと仲間たちが共に来て、連装銃を運用してくれたら助かるのだが」
「……元より」
と、俺は言った。
「元より俺も、織田方に加勢するつもりでした」
この戦いの結末は分かっている。
いるが、だからといって放っておくわけにはいかない。
なぜなら、
「織田家には、朋友が。……藤吉郎さんがいますから」
仲間がいくさに行こうというのに、いくさの結末が分かっているからといって、助けないわけにはいかないだろう。
「いきましょう、大橋さん。……弾正忠家を助けるために!」
津島から、南東へ。
戦雲が流れてゆく。
津島衆も、駆けていく。
大橋さんを大将に、小六さんたち、津島衆が30人。
さらにその30人とは別に、俺と、自称聖徳太子たち5人もいる。
俺たちは、客分として津島衆にくっついていた。
「みんな、死ぬなよ」
俺は、聖徳太子たちに向かって言った。
「死んだらなにもかもおしまいだ。臆病なくらいでちょうどいい。……そう心得ておいてくれ」
「「「「「ういっす」」」」」
なお、カンナは津島に残している。
本人はついてこようとしていたが、やはり危険すぎる。
彼女のことは次郎兵衛とあかりちゃんに託して、出陣するのは俺だけにしたのだ。
「山田どの、その若さで家来衆をお持ちとは大したものですな」
そんな俺たちに、話しかけてきた侍がいる。
先日、俺と早合の受け渡しをした服部さんだった。
出陣前に少し話をして分かったのだが、このひとはなんと、服部小平太一忠だった。のちに桶狭間の戦いで、今川義元に一番槍をつけるひとだ。確かに服部小平太は津島の出身だと言われているが、まさかこんなところで一緒に戦うことになるとはね。
「山田どのご自身も、銃の腕前では天下一品だとか。頼りにしておりますよ」
「足手まといにならないよう、ついていくまでですよ」
「ご謙遜、ご謙遜。うふっ」
服部小平太は、ちょっとクセのある笑い方をした。
――さて津島衆と俺たちは、なお進み。
やがて、赤塚と呼ばれる地域に近付いたころだ。
遠くから、ワアワアと声が聞こえてきた。
「あれだ!」
小六さんが叫んだ。
織田信長の軍勢と。
鳴海城の山口氏の軍勢。
二軍が、ぶつかっていたのだ。
両軍は、弓矢や石を応酬しあっている。
「どっちが優勢ですか?」
俺が尋ねると、小六さんは顔をしかめて言った。
「鳴海勢のほうが、優勢のようだ」
確かにそうだった。織田の軍勢は、鳴海城の軍勢に押しまくられている。
飛び道具の応酬が終わり、次は槍合戦が始まる。やあーやあーとお互いの兵士たちが槍を押しあっているのだが――しかしそれも数が違う。織田軍が、どんどん押されていくのが俺の目にも分かった。
「いかんのう。このままでは織田勢は総崩れじゃ」
「清おじ、ここはいったん退こう。このままでは津島衆も巻き込まれる」
「むう……しかしのう」
大橋さんは、煮え切らない。
戦況を見て、次の行動に悩んでいるようだった。
織田家の縁戚として、信長に味方をするか?
それとも信長を見限り、退却するか?
どちらかで悩んでいるようだ。
そうこうしているうちに、信長軍はいよいよ浮き足だち始めた。
雑兵が、ひとり、またひとりと倒され、あるいは逃亡を始めている。
その様子を見て、小六さんは「こりゃだめだ……」とつぶやいた。
「清おじ、これはだめだ。三郎の負けだ。退こう!」
「……やはり三郎さまはうつけでしかなかったか……」
「そうだよ。織田弾正忠家は、信秀公の死と共に終わったんだよ。三郎信長に尾張は保てねえ。津島衆も、さっさと三郎から離れようぜ。さあ、退却だ!」
小六さんは、もはや織田信長を見捨てて逃げようとしているようだ。
これは卑怯でも臆病でもない。戦国時代は、自分と自家を守るのが当然だ。
頼りがいのない殿様ならば、さっさと放り出されるのが当たり前の時代なのだ。
だからこそ、鳴海城の山口氏も、信長を見限って裏切ったのだ。
しかし――それにしてもおかしい。
この戦は引き分けのはずなのに、このままじゃ織田方が負けてしまう。
蜂須賀小六さんも、織田家を見限ろうとしている。このままじゃ織田信長も藤吉郎さんも、どうなるか分かったものじゃない。
どういうことだろうか。
俺がチョコマカと動き回ったせいで、歴史が変なふうに動いてしまったのか?
駄目だ。このままじゃ駄目だ。織田信長や豊臣秀吉が死んでしまう。
天下の統一に、大きな影響が出てしまう。織田方に加勢しなければ!
「大橋さん、小六さん、織田方に加勢しましょう! 三郎さまが劣勢だからこそ、手柄を立てて逆転勝利に導けば、津島衆の評判も上がります。そうではないですか!?」
俺の言葉に、おふたりは、はっと顔を上げる。
大橋さんと小六さんは、顔を見合わせた。
どうする? と相談するように。
俺は、続けて叫んだ。
「連装銃と早合もあります。この場所こそ功名の立てどころですよ!」
「「…………」」
大橋さんと小六さんはなお、迷っているようだった。
だが、戦況は思考を許してはくれない。
ワアア、と声が上がる。
見ると、鳴海衆が槍を持って、信長軍を攻めに攻めている。
信長軍は、もはや崩壊寸前だ。
もう考えている余裕はない。信長軍を助けるんだ!
「大橋さん、小六さん。俺はいきますよ。連装銃で、戦況をくつがえしてみせます!」
俺は、聖徳太子たちを振り返った。
「みんな、準備はいいな?」
「「「「「ういっす!」」」」」
威勢のいい返事だ。
「よし、いくぞっ!!」
俺たち6人は、進軍した。
聖徳太子、源義経、平将門、そして俺の4人が連装銃に早合を詰める。巴御前、紫式部のふたりはそれを手伝いつつ、薙刀と刀を持ったまま、敵兵がこちらに来ないか油断なく見張ってくれる。――するとそのとき、
「敵が来ましたっ! 竹束を持っています!」
紫式部が吼えた。竹束とは、竹を何本もぐるぐるに巻いて作った盾だ、火縄銃の弾を弾いてしまうものなのだ。
こちらが鉄砲を持っているのを見て、盾を用意してきたってわけだな。
準備がいいじゃないか。敵もさるものってわけだ。
だが――
「大将。弾込め終わりました!」「いつでも撃てます!」「お下知を!」
男たちが叫び、連装銃を構える。
俺は、うなずいた。俺自身も弾込めを終えている。銃を、構える。
敵が。
こちらの射程距離内に入った――
瞬間!!
「撃てえええええええええっ!」
だだだーん!! ぱぱぱーん!! だだだんっ!! ずどどぉんっ!!
戦場全体に響くような、轟音! と同時に大量の銃弾が、鳴海城の兵たちに向かって射出される! すると、が、が、が、があん! 岩盤を打ち砕くような激しい音と共に、敵が持っていた竹束は砕かれ、直後に複数の悲鳴があがった!!
「あぐっ!」「ぎゃああっ!」「おぐはぁ!!」
こちらに近付いてきた敵兵たちは、ことごとくその場にぶっ倒れた。
すさまじい音。圧倒的な威力。連装銃はその力を立派に示し、鳴海衆をやっつけたのだ!
「な、なんだあの鉄砲!?」「み、見たこともねえ」「ぶってぇぞ、オイ!」
鳴海衆が、わいわいと騒ぎだす。
突如、横から出現した謎の一隊。
それらが奇妙な銃を構えていることに、鳴海衆は仰天したようだ。
その結果、わずかだが。……ほんとうにわずかな、一瞬にも満たないような刹那の時間だが、鳴海城の軍勢のすべては、確かにその動きを止めたのだ。
その間隙を、英雄は見逃さなかった。
「いまぞッ!!」
すさまじく、甲高い声が戦場に響いた。
なんだ、この声音は。そう思って、声がしたほうを見ると。
――織田軍の後方で、大将が馬に乗っていた。
背が高く、きりっとしている凛々しい姿。
女性と見間違うほどの美麗な顔立ち。
だがそれでいて、全身から放たれる威圧感はただごとじゃない。
陽光を背に受けているためか、きらきらと、赤い具足が輝いている。
織田信長だ。
初めて見るが、間違いなかった。
いま、声を出したあの男は、間違いなく、織田信長だ。
俺は理屈ではなく、本能でそれを悟った。
「押し返せ! またの機会は無し!!」
信長の咆哮が、轟いた。
「退く者あらば、三郎みずからが斬って捨てると心得よ。――押し戻せえっ!!」
その声で、わっと、織田軍団が湧いた。
絶妙な時期だったのだ。俺たちが連装銃を撃ちかけて、一瞬、そうほんの秒間だけ生じた、戦場の空白。そこに信長は喝を入れた。見る者すべての魂が、震えるほどの魅力をもった、不思議な一喝を。
鼓舞は成功した。織田軍団は一気に鳴海衆を押し戻していく。一丸となって、それはさながら一匹の猛虎となったがごとく! これがつい先ほどまで、潰走寸前だった軍かと思うほどの凄烈さで!! ――それにしても、信長の武者姿の強く烈しく美しいこと!
そのときだ。
「津島衆、織田弾正忠家にお味方致す。ゆくぞおっ!」
大橋さんの声が聞こえた。
振り返ると、津島衆30人がわっと駆けてきている。
小六さんも服部さんも、もちろんいるぞ!
「新手だ、織田方に新手がきたぞお」
「ありゃ、津島衆だぞ」
「ハ。たったの30人ほどじゃねえか。揉みつぶせ! このまま揉みつぶせ!」
鳴海兵も、負けじとばかりに次々と叫び、こちらに襲いかかってきた。
だが、信長軍と津島衆はそれを弾き返していく。
流れは変わった。鳴海衆は次々と、津島衆に討ち取られていく。
俺たち6人も、いったん下がって連装銃を準備しては、また敵に向かって撃ちかけた。
鳴海衆は、ますます崩れる。
「弥五郎少年、素晴らしいぞ」
大橋さんが、俺に声をかけてきた。
隣には、小六さんもいる。
「よくぞあの状況で臆さず、織田方に加勢をしたものだ。その勇気、感じ入った」
「ああ、オラも見ていて感動したぜ。大したもんだ」
「それにしても、あのときの三郎さまのお姿。……綺麗であったのう」
大橋さんは、戦場に似合わない言葉を吐いた。
しかし確かに、綺麗。――あのときの信長の姿は、そうとしか表現できないものだった。
「あれほど美しく、強い武者ぶりをわたくしはこれまで見たことがない」
「オラもだ。……織田三郎信長。もしかして、うつけじゃないのかもしれねえ……」
大橋さんと小六さんは、信長への評価を改めたようだった。
戦況は、いよいよ信長方に有利になっていく。
俺たちも、引き続き戦い、鳴海衆を蹴散らしてゆく。
士気が崩壊している集団ほど、弱いものはない。
鳴海衆はいよいよ退却を開始した。
……これでいい。
織田信長の敗亡はまぬがれた。
おそらくこの戦場のどこかにいる、藤吉郎さんも無事だろう。とにかくホッとしたぜ。
藤吉郎さんを加勢できるなら、したいものだが――
と、あたりをキョロキョロし始めたときだった。
「山田どの」
ふいに声をかけられて、振り向く。
そこで俺は仰天した。
「……青山さん!?」
俺の目の前に立っていたのは、全身血まみれの青山聖之介さんだったのだ。
な、なぜだ!?
どうして、青山さんがこの戦場にいるんだ!?
しかも、その血みどろの姿はいったい……!!
信長登場。
弥五郎の戦場介入もこれが初めてですね。
次回、青山さん編終了。そして新たなターンへ。




