第三十四話 米相場交易
1552(天文21)年、2月である。
「……変わりなし、か」
突き刺すような、真冬の風を浴びながら。
俺はひとりでつぶやいていた。
現在地は、大樹村。
正確にいえば、大樹村の跡地である。
シガル衆の襲撃から、おおよそ2か月。
伊与の行方は、いまだ知れない。
津島の酒場で情報を集めたり。
『もちづきや』にやってくる客に尋ねたり。
また『もちづきや』の壁に貼り紙を出したり。
いろいろとやってはいるのだが、まったく居場所が分からないのだ。
村に立てた立札にも、なんら変化はないし……。
――年が明けた直後、新年のあいさつに那古野城に行ったとき、藤吉郎さんとも会ったのだが、
「すまんのう。わしもそれとなく、人に尋ねてはおるんじゃが……さっぱり分からん」
申し訳なさそうに、そう言われただけだった。
「じゃが、希望を捨てないことじゃ。伊与は必ず見つかる。そう信じるしかあるまい。弥五郎」
「ええ……そうですね」
煮え切らない言葉を返す。
希望を捨てない。確かにそうだ。
だがそれでも、伊与が見つからない現実に、俺の心はちくちくと痛んだ。
「それよりも弥五郎、聞いたぞ。汝ァ、津島でなかなか、商売がうまくいっているそうじゃな」
「ご存知でしたか。……まあ、まずまずうまくやっています」
「ははは、金色髪の娘とイノシシ退治をした話はこっちまで伝わってきておるでよ。うまくいっているようでなによりじゃ」
藤吉郎さんは、ニコニコ笑った。
そして、
「実はのう、わしも先日、出世した。ただの小者ではなく、小者頭になったのじゃ」
「本当ですか!」
「うん。汝が教えてくれた瓦ストーブのおかげらしい。いや、弥五郎。わしゃ礼を言う。汝のおかげで階段を一歩、上ることができた」
「いえ、俺などは……。――しかし藤吉郎さん、俺たちは少しずつ、上にのぼっていますよ」
「うん。とにかくいまは励むしかあるまい。わしは那古野城でおつとめを。汝は商売で。目の前の課題を一歩一歩踏ん張っていけば、いつか必ず光明は見えるはずじゃ」
「はい」
「これからも頑張ろう。――津島で励めよ。わしもいずれ、暇ができたら、そっちに遊びにいくからの!」
藤吉郎さんの笑顔が、まぶしかった。
「いつか必ず光明は見える、か」
大樹村からの帰り道、俺はぽつりとつぶやいた。
とにかくそれを信じて、頑張っていくしかないよな。
もっと金を稼ごう。金を稼げば、人を雇って、伊与の捜索隊を編成することもできるはずだ。
伊与は絶対に生きている。俺はそう信じている……。
と、そのときだった。
「弥五郎ーっ」
「カンナ」
津島の町の入口。
カンナが手を振り、俺を呼んでいる。
その横には、甲賀の里の若者、次郎兵衛さんもいる。
「どうした、カンナ。こんなところまで来て」
「そろそろ帰ってくるころやと思うて、迎えにきたんよ」
「そりゃ、ありがとう。……でも、それだけか?」
「それがねえ、ふっふっふ~」
カンナは、ニヤリと笑った。
「聞いて驚きんしゃい。今日、甲賀から焙烙玉の売上が届いたとよ!」
「えっ、本当か」
「本当です。『もちづきや』に運びこんでいますぜ」
次郎兵衛さんが、笑顔で言った。
そうかあ、焙烙玉の売上が届いたか。
2月になった瞬間に到着したな。
――年が明けた直後より、俺は焙烙玉の材料を集め、作り始めた。
カンナも、できるだけのことを手伝ってくれた。
その結果、1月半ばには焙烙玉30発が完成した。
俺たちは次郎兵衛さんを通じて、甲賀にその焙烙玉を送ったのだ。
その売上が届いたんだ。
「これでだいぶん、持ち金が増えたはずだ」
俺は年が明けてから今日までの分の支出を計算した。
まず年明け時点での俺の状態は以下の通り。
《山田弥五郎俊明 銭 20貫207文》
<最終目標 5000貫を貯める>
商品 ・火縄銃 1
・陶器 2
・炭 17
・早合 2
・小型土鍋 1
・米 15
ここから計算していく。
まずプラスは、焙烙玉30発の売上、54貫450文だ。
対して、マイナス。まずは『もちづきや』への宿泊だ。これは1貫ポッキリ。
本来はもっと上の価格なのだが、1か月連泊を事前に通達したため、少し値下げしてもらえたのだ。
さらに、焙烙玉の材料費がある。
焙烙玉30を作るのに必要な素材は。
陶器30、縄30、黒色火薬30である。
よって仕入の内訳は以下の通り。
格安陶器(1個30文)を 28仕入……計840文
縄(1個10文) を 30仕入……計300文
さらに黒色火薬(硝石0.7、炭0.2、硫黄0.1から製作)については、素材を仕入れた。
炭は在庫の分を使い、硫黄はあっさりと仕入れられた。
硝石は、年末時点では売り切れていたが、年始には在庫が復活していた。もし売り切れが続くようなら探す旅に出るところだったが……ホッとした。
その代わり、品薄の状態が響いたのか、以前は硝石1につき260文だったのが、278文に値上がりしていたが……。
その結果、火薬についての仕入れはこうなった。
硝石(1個278文)を 21仕入……計5838文
硫黄(1個35文) を 3仕入……計105文
これらすべてを合わせた材料費は、7083文。
すなわち、この1か月のマイナスは合計で8083文ってことになる。
結果。
現状はこうなった。
《山田弥五郎俊明 銭 66貫574文》
<最終目標 5000貫を貯める>
商品 ・火縄銃 1
・炭 11
・早合 2
・小型土鍋 1
・米 15
なかなか、いい具合に銭が入ってきた。もっと儲けよう。
というわけで俺は、『もちづきや』の中で、届いた銭を数えながら、カンナに問うた。
「米と炭の相場のこと、分かった?」
「うん、調べといたばい。バッチリやし」
カンナは、ニッと笑った。
そう、俺は米や炭の相場を用いて、一儲けしようと思っていたのだ。
津島の米・炭相場はだいぶん安くなっていると聞く。
ならこの米や炭を仕入れて、よそで売ればずいぶん儲かるはずだ。
だから俺は、自分が大樹村跡地に行っている間、相場調査をカンナに頼んでおいたのだ。
「いま津島では米1につき6文、炭1につき34文で取引されよる。やけど、これが加納では米1につき11文、炭1につき58文で取引されよるっちゃんね」
「さすがカンナ。よく調べられたね」
「うん。髪を布で隠してねえ、米屋と炭屋の近くに隠れて張り込み。ひたすら聞き耳立てよった!」
まるで探偵である。
「そこまでしてくれるとは思わなかったよ。ありがとう、カンナ」
「なんばいいよっとね、こんなもん、朝飯前やし! それより弥五郎、どうする? この相場で商売する?」
「うーん、そうだなあ。米よりは炭のほうが儲かりそうだけど。しかしもし在庫が余ったら、使えるのは米だよな。食ってもいいし」
「まあ、そうやねえ」
「あと、米や炭を運ぶのがなかなか大変だからな。労力と時間が必要になるだけに、100文や200文の儲けじゃさすがに少ないな。もう少し儲かればいいんだが。……カンナ、他の場所の相場は分かる?」
「えーとね、熱田。あそこなら分かるばい」
「熱田……」
その言葉を聞いて、俺は内心、ふむとうなずいた。
熱田。津島と並ぶ、戦国尾張の商都。
熱田神宮の門前に立ち並ぶ市は、そりゃあ活況だったらしい。
というのは前世で学んだ記憶。
楽市に近い、自由市場としても機能していたらしい熱田。
1549(天文十八)年には、織田信長が、病の父・信秀に代わって熱田市場の各権利を保護する制札を出している……。
「熱田はいま、なんでか、米の相場が上がっとるんよ。米1につき17文で取引されよる。炭のほうは津島と同じく安いんやけどね。炭1につき38文やけん。そう変わらん」
「米の相場が……。なにか相場が動く理由あったかなあ」
「ちょっとしたことで変わったりするけんねえ、相場って」
なんにせよ、米の相場差が11文もあるのなら、交易してみてもいいかもしれない。
津島で米を100仕入れて、熱田でそれを売れば、1100文の儲けになる。
米1000でそれをやれば、11000文の儲けにもなるんだ。11貫だ。
それにこれから商人として立身するためにも、熱田の現地を見ておくのは悪くない。
「よし、米で交易をしてみるか!」




