第五十二話 最後の賭け
秀吉の船団の3艘が、猛攻をかいくぐり、俺の船団に隣接した。
縄と鉤が俺の旗艦の舷側に打ち込まれ――
ドン!
と鈍い衝撃音が響く。
船が激しく揺れ、甲板の木材が軋む。
秀吉の兵が、まるで黒い波のように、縄を伝い、跳び乗ってくる。
彼らの鎧が鈍く光り、殺意に満ちた叫び声が海を切り裂く。
やつらめ、白兵戦を仕掛けてきたか!
「弥五郎を守れ! 絶対に通すな!」
伊与の声が、雷鳴のように甲板に響く。彼女は関孫六を抜き放ち、黒髪が夜風に乱舞する。戦士の気迫が全身から迸り、まるで戦場の女神そのものだ。
伊与は一歩踏み出し、敵兵の群れに単身で飛び込んだ。
「はああっ!」
伊与の剣が閃く。
関孫六の刃が光を反射し、弧を描いて最初の敵兵の肩を斬り裂く。
「ぎゃあっ!」
「ぐへっ!!」
血が甲板に飛び散り、悲鳴が上がる。次の瞬間、彼女は身体を低くし、薙ぎ払うように2人目の敵の脇腹を切り開く。動きは流れる水のようで、一切の無駄がない。
すまんな……。
俺は銃撃を続けながら、海へと散っていく敵兵に心から詫びていた。
本当にすまない。もしも俺が、神にでも会う機会があったら心から告げよう。
俺のことはもういい。
だから彼らにも、来世を。
願わくば、戦乱の、いやあらゆる不幸のない世界への転生を。
「これまで倒してきた敵、すべてに言えることだがな……」
俺は銃撃を続け、秀吉の船を沈める。
だが、その間も敵は次々と押し寄せてきた。
防いでくれているのは、伊与だ。
「この女、ただ者じゃねえ!」
秀吉の兵が叫び、槍を構える。
伊与は冷ややかな目でそれを捉え、槍の穂先を関孫六で弾き飛ばす。
だが、その瞬間――
ガキン!
敵の槍と激突した関孫六が。
甲高い音を立てて真っ二つに折れた。
「くっ!」
伊与が一瞬よろめく。折れた刀の柄を握りしめ、彼女の瞳に動揺が走る。関孫六は、彼女を支えてきた愛刀だ。戦国乱世を共に生き抜いた相棒とも言える存在。それが今、粉々に砕けた。
「伊与!」
俺は思わず、銃撃を止めてしまったが――
「なんの……」
伊与の闘志は、まったく消えていない。
「なんの、これくらい!」
彼女は叫び、脇差を抜き放った!
短い刃が月光に輝き、彼女は敵の懐に飛び込む。
脇差が敵兵の喉を切り裂き、血しぶきが彼女の頬を濡らす。
だが、敵の数は減らない。
「まだまだ!」
伊与は転がり、起き上がり、敵船に乗り込むと、敵兵を斬って、持っていた火縄銃を拾い上げる。かと思うと、火縄銃をそのまま武器として使い、迫りくる敵兵の喉元や、後頭部に一撃を食らわせて海に叩き落していった。
その動きは、まるで獣のようにしなやかで、戦場に舞う黒い影――
「そうか、銃刀槍!」
「ああっ、そうよ、それよ!」
俺とカンナは叫ぶ。
かつて、俺は銃に短刀をくくりつけた、銃剣のような武器「銃刀槍」を開発した。
未来の知識を戦国時代に応用した試作品だったが、伊与はその使い方を研究し、身体に叩き込んでいた。あの頃、彼女は夜通し鍛錬を重ねていたが、あのときの彼女の努力が、今、命を繋いでいる。
伊与……。
大したもんだよ、まったくお前は。
この時代にやってきた俺の一番のチートは、武器でも道具でもない。
堤伊与。
彼女が俺の、幼馴染だったことだ!
「うおおおおおっ!!」
伊与は火縄銃を手に、まるで如意棒を使う孫悟空のように敵を翻弄する。銃を振り回し、敵兵の顎を砕き、同時に脇差で別の敵を斬り倒す。銃刀槍の動きは、戦場に旋風を巻き起こす。彼女の黒髪が血と汗で濡れ、戦士の魂が燃え上がる。
「俊明、撃ち続けろ! 私がすべての敵を防ぐ!」
「すまん! 助かる!」
伊与の声は、戦場の喧騒を突き抜ける。彼女は敵兵を薙ぎ倒しながら、俺を守る盾となる。その姿に、俺の胸が熱くなる。味方の士気も上がった。残った兵たちは、一丸となって、俺を守り、あるいは銃撃を秀吉船団に加え続ける!
「あっしらもやるッスよ!」
「ああ、任せろ!」
次郎兵衛と五右衛門が動き出す。
次郎兵衛は忍び装束を翻し、縄と鉤を手に敵兵の背後を突く。五右衛門は短刀を閃かせ、軽やかに敵を仕留める。
二人の動きは、伊与の猛攻を支える。
「いいぞ、ふたりとも……!」
俺とカンナは、甲板の中央で改良型火縄銃を手に、秀吉の船を次々と沈めていく。
バン! バン! バン……! バン、バン……!
「カンナ、次!」
「はいな!」
カンナが弾丸をこめた銃を、俺に手渡す。俺は発射を続ける。
五発の椎の実型弾丸が敵船の船壁に寸分違わず命中し、木が軋む音が響く。海水が流れ込み、敵船が傾く。敵兵の悲鳴が海を越えて響き、甲板に恐怖が広がる。
「いけるばい、弥五郎! この調子なら、勝てる!」
カンナが叫ぶ。彼女の金髪が汗で額に張り付き、碧眼が希望に輝く。博多弁の力強い声が、俺の心を奮い立たせる。カンナの商売人としての不屈の精神が、戦場でも輝いている。
「もう少しだ、もう少し――」
だが、その瞬間――
ガァン!
ッパァン!
銃声が風を裂く。
顔を向けると、次郎兵衛と五右衛門が同時に胸を押さえてよろめいているのが見えた。
秀吉の火縄銃兵が、二人を正確に捉えたのだと分かった。
次郎兵衛の忍び装束に血が広がった。
五右衛門もまた、短刀を握りしめたまま、唇から血を滴らせ、船縁に凭れる。
「次郎兵衛! 五右衛門!」
俺の叫びが甲板に響く。
カンナも、伊与も、声を揃えて叫ぶ。
「くそっ! アニキ……すい、や、せん……!」
次郎兵衛が血を吐きながら、力なく笑う。彼の目には、悔しさと忠義が混じる。五右衛門は短刀を握り、敵兵を睨みながら呟く。
「弥五郎。……うちらに、構うなよ……撃ち続けろ……」
次の瞬間、二人は力尽き、船縁を越えて海へと落下する。
ば……バカな……!
そんなっ……!
波間に、二人の身体が沈む瞬間はまるで時間が止まったかのようだった。
次郎兵衛の忍び装束が波に揺れ、五右衛門の短刀が海面に銀の光を残して消える。
「五右衛門! 次郎兵衛!」
カンナの声が、悲痛に震える。
彼女の碧眼に涙が滲む――俺もまた、敵をあれだけ撃ち殺しておきながら勝手なことだが、五右衛門たちの被弾に心を奪われてしまっていた。ち、ちくしょう、五右衛門たちが、次郎兵衛が……!
「弥五郎!」
だが、カンナの咆哮で俺は我に返る。
「五右衛門たちはあたしが助けるけん、弥五郎は鉄砲を続けて!」
カンナは叫び、甲板を駆け抜ける。彼女は縄を手に船縁に飛び乗り、五右衛門たちが落下したところまで、船から船へ、飛び移っていった。
「く……カンナ……頼むぜ……!」
俺は心の痛みを抑え、改良型火縄銃を手に取り、射撃を続ける。
バン!
バン!
また1艘、秀吉の船が傾き、海に沈む。
秀吉の船団は、すでに半分以上が戦闘不能に追い込まれていた。
いける、なんとか、このままなら、なんとか……!
その時、遠くからものすごい法螺貝の音が響いた。
低く、まるで地獄の底から響くような音が、海を震わせる。
「なんだ……!?」
俺は水平線のかなたを見つめる。
するとはるか遠くから、ざっと20艘の船団がこちらに迫ってくる。
その旗印は――加藤清正の紋と、小西行長の紋だった。
船団の帆が風を孕み、まるで黒い雲が海を覆うように進んでくる。
ま、まさか……
「おおーう! 虎之助、弥九郎、きおったか! わっはっは、よう参ったわ!」
秀吉の声が、喜びに震えながら海を越えてこちらに響いてくる。
金色の瓢箪が掲げられた旗艦から、あいつの大はしゃぎする姿が目に浮かぶ。秀吉の笑い声は、まるで勝利を確信した王の凱歌のようだった。
「敵の、援軍……!?」
俺の心臓が一瞬止まる。
加藤清正と小西行長――
史実でも、朝鮮出兵で先鋒を務めた猛将たちだ。
この二人が、まさか揃って、秀吉の援軍に現れるとは……!
「まさか、ここでやつらが来るなんて……」
俺は唇を噛む。
史実では、加藤清正と小西行長は四月に釜山へと上陸し、朝鮮侵攻を開始している。だがいまは名護屋城の建設も途中で、彼らがここにいるはずはないと思っていた。名護屋に乗り込んだときも、加藤清正たちの姿が見えなかったことで安心していた。
だが、現実はこうだ。
秀吉が自ら海戦に出たことで、流れが狂ったのか。
分からないが――くそっ! この絶望的な展開は予測できなかった!
加藤清正の船団からは、戦太鼓の音が響き、兵たちの雄叫びが海を震わせる。
小西行長の船団は、整然と隊形を組み、波を切り裂いてくる。
「死神の軍勢のようだ……」
俺の船団はすでに疲弊しきり、カルバリン砲の弾は尽き、兵の数は当初の半分以下だ。
このまま清正と行長が秀吉と完全合流してしまえば、俺たちに勝ち目はない。
「俊明、どうする!」
伊与が叫ぶ。
彼女は火縄銃を振り回し、敵兵を薙ぎ倒しながら、俺に鋭い視線を向ける。
俺の心は絶望に飲み込まれそうになる。次郎兵衛と五右衛門は海に落ち、カンナは彼らを救うために縄を用意して、投げ込んでいる。他の兵たちは必死に応戦しているが、動きがどんどん鈍くなりはじめている。
俺たちの力は限界に近い。
「くそっ……万事休すか……!?」
俺は周囲を見回し――
「いや、まだだ……!」
最後の最後まで、あきらめてたまるものか!
俺は改めて、身近にある武器を探す。
なにか状況を打開する武器か道具はないか?
改めて確認すると、改良型火縄銃は弾と火薬が尽きかけていた。これではもう、加藤清正たちの船団に対抗することはできないだろう。
リボルバーは一丁のみ。
しかもこちらも、気が付けば換えの弾丸がもうなかった。
こけおどし用の、なんちゃって散弾の弾丸が5発。炮烙玉が7個。
そして――手に触れたのは、戦国時代における俺の父親、牛松が使っていた、あの古い火縄銃だった。
父の仇を討つためにシガル衆と戦った。あの時に持っていたこの銃には、俺と父親の魂が宿っているような気がした。
だが、それだけだ。
もう俺の手元には、強い武器は残されていない。
隠し武器も、作戦も、援軍のアテも、なにも。
……かくなる上は――
「加藤清正たちが来る前に、秀吉の船に直接乗り込みケリをつける。それしかない……」
俺は、リボルバーを握りしめる。
「伊与!」
俺は、なお奮戦を続ける伊与に向けて声を向けた。
伊与が、一瞬、振り向いた。
「これから賭けに出る。協力してくれ!」




