第四十八話 月下激突
「弥五郎、汝だけは特別のうちの特別。いさかいはあったが、すべて忘れよう。いまからでも遅くはない、弥五郎、再びわしの下に戻ってこい。共に天下を泰平に導こうではないか。……あの大樹村の誓いを、守るために!」
「藤吉郎……! 大樹村の誓いだと……?」
俺は拳を握りしめ、声を震わせた。
およそ五年ぶりに再会した俺と秀吉は、互いに睨み合う。
あの日の誓い――大樹村がシガル衆に焼き払われ、両親を失い、伊与と生き別れたあの日の記憶が、思いが、胸を刺す。
だが……
「お前が朝鮮に兵を出すのをやめるなら、お前のところに戻ろう。だがそれをしないなら戻らない」
俺ははっきりと告げた。
言葉には、俺の全ての信念が込められている。
秀吉の顔が一瞬、曇る。しかし、すぐに反論が返ってきた。
「弥五郎。汝の言うことも分かる。だが、あと少しだ。あと少し……」
その『あと少し』とは、秀吉の息子・豊臣秀頼が生まれる1593年への執着だ。秀吉はその未来を確実に手に入れようとしている。そして、そのために朝鮮出兵を強行し、何万もの命を犠牲にしようとしている。
「汝が戻れば豊臣の未来はきっと明るくなる! 戻ってこい!」
「藤吉郎――秀吉――いやさ、太閤殿下……」
もはやどう呼べばいいのか、俺の心は揺れる。
だが、言葉は自然と口をついて出た。
「俺だって人の親であり、祖父だ」
マカオに残した娘の樹、息子の牛神丸、孫の仁の顔が浮かぶ。あの小さな笑顔を守るためなら、俺だって命を賭けるだろう。だが――
「お前の気持ちも分かる。俺がお前の立場なら、俺だって自分の子供や孫のために、なにかしてしまったかもしれない。……でもな、やっぱりおかしい! 赤子ひとりが生まれるかどうかのために、何万もの人間が争うことになるなんて、絶対におかしいんだ!」
俺は断言した。
「戦争は間違っている!!」
戦国乱世に生まれ変わり、おのれ自身も戦乱で成り上がり、かつ何十年と戦いも殺人も続けてきた俺だが、最後に出てきた結論は、やはりこれだった。
「だから止めに来た! 止めようとしている! ……天下を取ったんじゃないか。あとは幸せに生きればいいじゃないか! 戦いはやめろ、藤吉郎!」
秀吉の目が、わずかに揺れる。
だが、その表情はすぐに冷たい笑みに変わった。
「口が回るようになったものよ。伊達に戦国を勝ちあがってきておらんわ」
秀吉は一歩を踏み出すと、
「あとは幸せに生きればいい、だと。そっくりそのまま返してやるわ。マカオで妻子と共にゆっくり生きていればいいものを、汝はなぜ名護屋にまでやってきて、わしと戦おうとする?」
「おのれひとりの幸せよりも、この命が続く限り乱世の終焉のために戦う。そう決めた。それこそ、大樹村で誓ったあのときから」
俺は隣の伊与をちらりと見た。彼女は、静かに、しかし力強く俺を見つめ返す。その瞳には、かつて大樹村で共に過ごした日々の記憶が宿っている。
「大樹村で両親を失い、そして伊与を見失ったあのときの悲しみを、二度と繰り返させないために」
「……俊明」
伊与の声は静かだったが、彼女の目が優しげに細められる。その瞬間、俺たちは昔の思いを確かに再び共有していた。
「頑固者めが……さすが、わしの相棒。そして相棒の妻よ」
秀吉の声には、どこか哀しみが滲む。
「わしらはけっきょく、よく似ておる。天下をとってもなお、幸せになれないあたりが。……惜しい、おおいに惜しいが……しかし、汝がそうまでわしの前に立ちふさがるのであれば、もはや別れのときがきた!」
「豊臣秀吉っ!」
俺は叫んだ。
「山田俊明を斬りすてい!」
秀吉の号令一下、背後の家来たちが一斉に弓矢を構える。松明の光に照らされた矢尻が、闇の中で鈍く光る。
「そうはいくか!!」
俺は懐から自作の6連発リボルバーを2丁抜き取り、ガチバンガチバンと12発の弾丸をほとんど瞬時に撃ち放った。秀吉の家来たちの右手が、血飛沫と共に次々と撃ち抜かれる。
「伊与、次郎兵衛! 敵を倒しながら未来を救え!」
「合点!」
「合点ッス!」
伊与は刀を抜き、みね打ちで敵兵を次々と薙ぎ倒す。次郎兵衛は忍びの身軽さで闇を駆け、敵の懐に飛び込んで昏倒させる。そしてふたりは未来の磔台に駆け寄った。
未来の虚ろな瞳は、伊与たちを捉えることなく空を見上げるだけだ。
「弥五郎……藤吉郎……おう、おう……」
掠れた声が、胸を抉る。
「ええい、なにをしておるか! 山田俊明どもを捕らえよ!」
秀吉の怒号が響く。
俺はリボルバーの弾倉に素早く次弾を装填し、秀吉の家来たちの利き手を次々と撃ち潰す。そのとき、3人の秀吉兵が火縄銃を構えた。夜の闇の中でも、甲賀で鍛えた夜目が敵の動きを捉える。歳をとっても、この目は衰えていない。
「家来の鍛錬が足りないな、秀吉」
火縄銃の引き金が引かれる瞬間、俺は身体を僅かにずらす。3発の銃弾が、俺のすぐ横をかすめて夜の闇に消えていった。
「その視線、その構え、その銃口の位置では、100発撃っても俺に当てられんぞ」
ガチ、バァン!
俺はリボルバーを再び使用して火縄銃兵を撃ち倒し、銃口を秀吉に向けた。秀吉の顔が歪む。
「くっ……!」
「観念のときだ。……豊臣秀吉!」
俺は――俺は――惜しい、おおいに惜しいが――という先ほどの秀吉の声がそのまま俺の心に返ってくる。惜しい、なんてものじゃない。俺は、俺たちは、これまで何十年、共に……
引き金を引こうとしたときに俺の心を襲った、おそらく一秒にも満たない逡巡。
その時間を見逃さない男がひとり、その場にいた。
闇の中から、彼は躍り出た。刀の刃が月光を反射し、俺の右手に握られたリボルバーを叩き落とす。「うぐっ」と俺は短くうめき、相手の顔に目を向ける。そこにいたのは、
「ま、松下さん――」
松下嘉兵衛さん、だった。
松下さんも、名護屋城に来ていたのか!?
驚愕と共に、俺は松下さんを見据える。秀吉もまた、松下さんに目を送った。
松下さんは――その優しげな瞳を、深い悲しみに濡らしている。
「もう、やめろ。やめてくれないか、2人とも……」
松下さんの声は、掠れていた。
威厳を保ちながらも、その言葉には心の痛みが滲む。




